入来の石碑
小屋の中に入っても、特別な事は何も起こらなかった。
誰一人どこかへ飛ばされてなどいない。
扉の前でのやり取りは、少々心配し過ぎだったという事の様だ。
小屋の中はゴフジールの小屋の中と同様、いたってシンプルな構造だった。
といっても、ゴフジールの小屋にあった様な椅子やテーブルはもちろんの事、出口となる扉すら見当たらない。
その代りと言う訳ではないのだろうが、部屋のほぼ中央に、大きな石碑が立っている。
人の背丈ほどもある、きれいに磨かれた立派な石碑だ。
しかし、その石碑の表面は真っさらで、文字などは何も書かれていない。
その事を不審に思いながら、ユウがゆっくり石碑に近づいて行くと、石碑の表面に見る見る文字が浮かび上がってきた。
それは次のような文章だった。
カノンの地に立ち入る者、
渇きの時、剣を持ち、剣に従い地を穿て
凍えの時、盾を持ち、盾に従い光を放て
畏れの時、珠を持ち、珠に従い心を護れ
刻まれているのはそれだけだ。
アーダがそんな石碑を覗きこむようにして言ってくる。
「なんだこれ、どういう意味だ?」
しかし、そんな事を言われても答えようがない。
ユウにもさっぱりわからなかったからだ。
「うーん、たぶん俺達へのメッセージなんだろうけど…」
「どうしてそんな風に思うのですか?」
ルティナは首を傾げている。
ユウは自分なりに考えをまとめながら、
「だってさ、この文字って俺達がここに入ってから浮き出て来ただろ。っていう事は恐らくこの小屋に入った者に合わせて、文字が浮かび上がるんだと思うんだ。でなければ、普通の石碑のように石碑に彫りこんでおけばいい訳だからね。それに、もしツォーナがここに書かれている内容を知っていたのなら、きっと教えてくれたと思うんだ。だけど、ツォーナは何も言っていなかった。たぶんツォーナがここに来た時にはこの文字は無かったんだよ。もしかしたら別の文字が浮き出していたのかもしれない。ツォーナは精霊だし、ラビエとかいう神の眷属の訳だしね」
「っていう事は、この石碑はここに来た人によって違う文字が浮き出てくるっていう事ですか?」
その口調からルティナはまだ少し納得できないでいる事がわかる。
だが、ここは神の住む領域だ。
一瞬で別の場所へと移動する「時空の扉」があるくらいなのだから、それくらいの事はあってもおかしくない。
「人によってと言うよりは、人が来た場合はこの文字が浮き出るようになっているのではないのかな。精霊の時は精霊用のものがあるのかもしれないし、もしかしたら眷属か眷属でないかで違う文字が出るのかもしれない」
「だとすると、この文字はやはり我々に対する警告?か何かなのでしょうか…」
「警告と言うよりも忠告のようなものなんじゃないかな。いや、違うか。もしかしたらここを通る条件を示しているだけかもしれない」
「条件…ですか…」
ルティナはもう一度石碑を見ようとそちらの方へと振り向いた。
そしてその際、視界の端に何か光っているものがある事に気が付いた。
その鈍く金色に光る光の元を追ってみると、その光はユウの背中のあたりから発している事がわかる。
光を発しているのはユウの背負っていた盾の様だ。
いや、それだけではない。
ユウの隣では、フィノの背負っている大剣も同じように光を放っている。
「ユウ様…」
ルティナがそう呟いたことをきっかけに、少し遅れてユウもその事に気が付いた。
「なんだ、これは…」
ユウの盾もフィノの剣も光ってはいるものの特に熱などは発していない。
その代りにという訳ではないのだろうが、何かに共鳴しているかのように小さく震えているように見える。
ユウは何となく石碑の方を振り返ってみた。
そして、石碑の文字の一部が同じような金色の光を発している事に気が付いた。
光っているのは「盾」という文字だ。
どうやら背中の盾はこの文字と共鳴しているらしい。
いや、良く見ると「剣」の文字も光っている。
こちらはフィノの剣と共鳴しているものと思われる。
だが、「珠」の字は光っていない。
この流れだと光ってもよさそうなものなのだが、文字は他と同じ黒い文字のままだ。
ユウ達が今持っているものの中で「珠」と言って思い当たる物といえば、メリン達を助ける時に使ったガラス玉くらいなので、それはここで言う所の「珠」ではなかったという事なのだろう。
ユウの腕を掴んでいるフィノの力が強くなる。
どうやら背中の剣が細かく震え始めた事を、不安に思っているらしい。
フィノの力であまり強く握られては、酷い事になりかねない。
フィノにしてみればこれでもたぶん手加減はしてくれているのだろうが、正直、だいぶ痛くなってきている。
ユウは腕を掴んでいるフィノの手をゆっくり外すと、代りにその手を握って、手を繋いだ。




