二段の丘
どちらに進むべきかについては、ユウはさして悩まなかった。
どちらに進もうが、行きつく先が同じ事は既にデハルから聞いていたからだ。
違いがあるとすれば、どちらの方が安全か、という事だ。
岩亀の様な面倒くさい相手には、出来るだけ出会いたくはない。
余計な戦いはなるべくなら回避したい所だ。
しかし、どちらが安全なのかについては、正直に言って良くわからなかった。
なので、最終的に、ユウは自分のカンに従う事にした。
選んだのは上へ向かう道だ。
敢えて言うなら、下へ行くよりは上に行った方が景色が良さそうだと思ったという所だろうか。
上り坂をゆっくり登り、崖の下を見渡す事の出来る断崖の際沿いを、北に向かって進んでいく。
崖際は、見晴らしが良い事に加えて、草原を住処にする魔獣の縄張りから外れている可能性もある。
崖の上を縄張りにしている魔獣にとって、自らが転落する可能性がある崖際は、わざわざ好んで来るような場所でもないように思えるからだ。
でもまあそんな事は別にしても、上を選んだことは正解だったといえそうだった。
遠くまで見通せる事で、気分的に楽でいられるのだ。
ここまでの道のりは、うねりこそあるものの只だだっ広い草原の中をひたすら歩いているだけだったので、周りの風景はずっと単調で、正直だいぶ飽きて来ていた。
見下ろす先もずっと草原が続いているだけなのは変わらないので、特に変わったものが見えるという訳でもないのだが、それでもその草原を上から見下ろす解放感はうれしいものと言えた。
気を紛らわせるのにもこの眺めはありがたい。
しかしそれはユウにとっての事で、フィノにとってはあまり関係のない話だったのかもしれなかった。
なぜならフィノはユウの腕の中で、じっと目を閉じたままでいたからだ。
といっても、ルティナのように全体重を預けてくる訳ではない。
適度に寄り掛かり、しかし、完全には寄りかからない。
つまり、目は閉じているものの、決して眠っている訳ではない、という状態でいるようなのだ。
ユウにとって、フィノを抱きしめる事は、もはや普通で違和感のない行為となっている。
それは、この世界に来てすぐの頃、まだ二人以外に誰も知り合いのいなかった時からずっとそうしてきたからかもしれなかった。
恐らくフィノも同じ感覚でいてくれているのだろう、フィノがリラックスしている事は伝わってきている。
だが、以前と比べるとだいぶ違和感がある。
少し前までのフィノならば、もっと強く抱きしめられたがったと思うのだ。
もしかしたら、ユウが荷物を背負う事に苦労をしているのを見て、遠慮しているのかもしれなかった。
「もっと身体を預けて来てもいいぞ」
「ううん。このままでも充分だよ」
ユウがフィノだけに聞こえるよう小さな声で言った言葉に、フィノは目をつむったままの状態で答えてくる。
ついこの間まで強く抱きしめなければ眠る事が出来なかった事を思うと、フィノもだいぶ強くなってきたという事だろうか。
だとすると、フィノの心の傷もだいぶ癒えて来ているという事なのかもしれない。
少々寂しい気もするが、それはそれで良い事ではあるはずだ。
ユウは背中の荷物の重さの事も忘れ、思わずフィノの身体をギュッと抱きしめてしまっていた。
突然の行為に、フィノが戸惑いの声を上げる。
「どう…したの?」
「…なんでもないよ。ただ、こうしたかっただけだ」
ユウの咄嗟の言い訳に、フィノは怪訝な顔をしている。
ユウが変に抱きしめた所為で、手綱がピンと張ってしまっている。
「大丈夫? 下手に手綱を引くと、落ちちゃうわよ」
「それはまずいな。気を付けるよ」
急に手綱を引かれた馬が、崖側へと蛇行を始め、ユウは慌ててそれを修正した。
幸い、馬は大きく進路を外れる事は無く、大事には至らなかった。
その事を確認し、今度は馬の進路にも気を配りながら、もう一度フィノを抱きしめる。
「無理はしなくていいわよ」
「迷惑だった?」
「とんでもない。私がそんな事、思う訳ないじゃない」
「ならたまにはいいじゃない」
ユウが何気なく言ったこの言葉に、フィノは明らかに反応した。
「たまにって…」
特に何も言い返してきた訳ではないが、身体が硬くなったのが伝わってくる。
「どうかした?」
ユウが聞くと、フィノは硬くなった身体をゆっくりと元に戻していった。
そして、何か思案したのか、少し間を空けてから、
「念のために言っておくけど、私の気持ちはあの時から全く変わっていないからね。ユウが近くにいてくれないと不安になるのも変わらないし、だから、ユウの側を離れるつもりがないのも変わらない。ここの所、あまりユウの負荷にならない様、注意している事も事実だけど、それは人数が増えればそうなる事もあるかなと思っていたからで、その時の為に手を打っていたからなんだからね」
「…手を打っていた?」
「そう。例えばここ最近は、寝る時はアーダがユウを独占しているでしょ」
「いや、そ、その件については、これからは交代制にするつもりで、アーダにも了承してもらっているから…」
突然の指摘に、ユウは動揺してしまったが、この指摘は予想できるものだった為、アーダにもそれで納得してもらっていた。
フィノが自分の手をユウの手の上に沿えてくる。
「責めている訳じゃないから、慌てなくていいわ。むしろ、そのおかげでだいぶ見通しが立った訳だしね。ルティの協力なしではできなったけど」
「どういう事?」
するとフィノは、窮屈な格好ながらユウの顔が見えるように身体を捻って、わざわざユウに視線を合わせてきた。
その目は悪戯っぽく笑っている。
「ここの所、私、寝る時はルティに抱きしめてもらうようにしていたの。もちろんユウに抱きしめてもらった方がより安心できることは間違いないんだけど、同じような境遇だからかな、ルティと抱き合っていても結構安心できるみたいなんだ。だから、あとはアーダにも同じことを頼めれば、さっきユウが言ったように交代で眠る事もできそうでしょ? でなければ、私、眠れなくなっちゃうもの」
「…フィノ、お前、そんな事を考えていたのか…」
「だって、これだけ仲間が増えたら、もう皆で一緒に寝る訳にはいかないでしょ。一緒に寝るにしてもアーダだってもう子供ではないのだし、ユウの上に乗っかって寝る、なんていう訳にはいかないじゃない。だからって、端っこで誰かの背中に掴まって寝るなんて、私には我慢できそうもないし…、だったら、何か考えないとね。…って言っても、そんな事を考えるようになったのはごく最近のことなんだけどね」
此処の所フィノはあまり文句を言って来なかったので、もうだいぶ気持ちの整理が出来るようになって来たのかと、ユウはそんな風に解釈してしまっていたのだが、実はそういう事ではなく、フィノはフィノなりにみんなの事と、その中の自分の立ち位置について考えていたという事らしい。
フィノはフィノなりの方向で、がんばっていたという事だ。
ならば、ユウもフィノがその身を預けるのにふさわしい者となるように、もっとしっかりしなければならない。
ユウはそう思わずにはいられなかった。




