俺より強いあの娘を殴りに行く。(四・二)
「仕舞いじゃぁー!」
赤い胴着を着たはじめが、画面右上から、頭突きからの鉤突きを食らって、身動きの取れないゼウスに向ってとび蹴りで急降下、必殺の四連打を浴びせる。
基本連続技の『屠龍・五式コンボ』だ。
体力ほぼゼロの状態からの大逆転で、トシは勝利をものにした。
「来たーっ初勝利っ。俺の進化が止まんねぇぇぇぇぇっ!」
反対側の筐体から、私立黒い森国際学園の制服を着た生徒が立ち上がる。
「まいったな。トシ君強くなったね。ガードはしないけど」
そう言ったのは相川勝。このゲームセンターで一番音ゲーが上手いプレイヤー。学校は違うが、毎日顔を合わせるので、トシがスパⅢに誘った。
家庭用を少し触る程度だと謙遜した割になかなか強く。最近のトシの目標は、相川に勝つことだった。いまそれを達成したところだ。
「当たらなければどうということはない」
ドヤ顔のトシの頭を忍が小突く。
「当たりまくってんじゃん。最後もたまたま『屠龍』入っただけで、もう一発喰らったら負けでしょ?」
その小言は、トシの耳には入らない。
相川に向って「もう一丁来い」と挑発を繰り返す。
相川は「すぐ、ボコってやるからな」といって、笑いながら両替機に向った。
軽口を叩きながら、対戦を繰り返す二人を見て、忍は呟いた。
「トシ君達のほうが、私よりスパⅢ上手いのかもしれない」
もちろん、技術や駆け引きのことを言っているのではない。スパⅢへの関わり方の話だ。
楽しんだものが上手いという基準で考えれば、忍よりもトシや相川の方が間違いなく上手い。
ゲームは遊びなのだから、楽しむのが一番。
一般的に考えれば、それが正しい。
忍は二人を羨望の眼差しで見つめ、ため息をつく。
……私、弱くなってる。
今までほんの少しだって、楽しんだ者が上手いと考えたことはなかった。
一番強いものが一番スパⅢが好きで、一番スパⅢを楽しんでいる。
これが、何度も繰り返し考えた結果、忍が導き出した答えだ。
その答えが揺らいでいる。
さっき忍は、浩介に『たかがゲームでも構わない』と言おうとした。
後悔した。浩介に止められなかったら、きっとその言葉を口にしてしまっただろう。
言わなかったからいいという問題ではない、そう思ってしまったことが忍を落胆させた。
その程度の気持ちで、一番強くなれるはずが無い。
自分を戒める一方で、このままスパⅢに一人でしがみついていていいのか? 疑問が湧く。
どんなに好きになったところで、スパⅢは忍を見てはくれないし、話しかけてはくれない。頭も撫でてくれないし、抱きしめてくれることも、無い。
心の無い『物』に執着するのは、とても虚しい行為に思える。
「鳴ってるよ」
トシの言葉に我に帰る。
「忍ちゃん、携帯鳴ってる」
慌てて、スマートフォンを耳に当てる。
「十円だから、手短に話す」
純だった。
「今すぐあたしのバイト先に来て。大宮駅西口の車輪堂カフェ」
それだけ言うと、通話が切れた。
意味がわからず、考え込む忍にトシが声をかける。
「どうしたの?」
「……なんか、今すぐバイト先に来てって、純が」
「行って来れば? 小島さんがわざわざ電話して来るんだから大事なことなんじゃない?」
確かに、純が電話してきたのも、一度にあんなに沢山喋ったのもはじめてだ。
絶対に来るなという、バイト先に来いというのも気になる。
忍はトシと相川に頭を下げて、駅へ向った。
大宮はなかなかに大きい街だった。
小さい頃住んでいた、東京の赤羽という街に、雰囲気がよく似ている。
スマートフォンで地図を見ながら行くと、車輪堂カフェはすぐに見つかった。
純は喫茶店といったが、洋風のファミリーレストランという外観だった。
壁が煉瓦で出来ていて、電灯がガスランプの形をしている、
「こんばんは、車輪堂カフェへようこそ」
木製のドアを開けると背の高いウエイトレスがにこやかに挨拶した。
袴姿で足元はブーツ、いわゆる『はいからさん』の格好だ。
大正浪漫というコンセプトの店なのだろう、店内の明かりはランプだった。
「こちらのお席にどうぞ」
案内されるまま、禁煙席の奥に通された忍は、冷たいお茶を運んできてくれた背の高いウエイトレスに「小島さんは?」と聞いた。
あちこち見回してみたが、純の姿が見当たらない。
愛想のよくない娘だし、調理場に居るのかも知れない。
質問をされたウエイトレスが、腰に下げていた巾着から赤い眼鏡を取り出してかけ。
「小島は私ですが?」
もう一度にこやかに笑った。
忍は両手で口を押さえ、飛び出そうとする驚きの声を押さえ込んだ。
伝わってくる雰囲気は親切で明るいお姉さん。いつものとっつきにくい、物憂げな感じは微塵も無い。それでも、そのウエイトレスは確かに純だった。
忍ぐらい親しい人間でないと気がつかないだろう。変わりすぎにもほどがある。
「笑わない」
いつもの淡々とした口調で、純はアルバイト募集のポスターを指差した。
一般、時給一一五○円。高校生、時給九○○円と書いてある。
こんなに可愛らしい純が、一時間、九○○円で見られるなら安いものだと忍は思う。
「使って」
純はそういって、チケットのようなものをテーブルに置き。
「少々お待ちください」
また、にこやかな笑顔で離れて行った。
チケットのようなものは、ケーキセットの無料券だった。
ケーキをご馳走するために、呼びつけたのだろうか? 忍が首を傾げていると。
「お待たせしました」
純がアイスコーヒーを持ってやって来た、忍の耳に顔を寄せて小さく聞く。
「ハンカクって格ゲー用語?」
忍は頷くが腑に落ちない。『反撃が確定している』という意味の略語を、なぜ純が知っているのか? なぜ、わざわざ呼び出してまで、そんな質問をするのか。
「じゃぁ、ザンクウ歩きは?」
随分、難しい言葉を知っている。
通常、前進中に攻撃を受けると、パリイングが出来ない。相手側にレバーを倒すという操作が必要なのに、歩くことで既に相手のほうにレバーが倒れてしまっているからだ。
そこで下、右下、右というように斬空拳のレバー操作で移動して前進する。
これが『斬空歩き』
常に前にレバーが倒れているわけではないので、歩いている時に受けた攻撃も、パリイング出来る。常に動いていないといけないキャラ、特にいずなにとっては必須テクニックと言っていい。
「2フレ無敵は?」
「それも、そう三十分の一秒、相手の攻撃が効かないってこと」
「お姉さん、明日ヒマ? は?」
「それは、ただのナンパ」
忍の答えに、純は頷いて一度スタッフルームに戻り、小さな箱を持って戻って来た。
その箱を差し出し。
「お土産」
一方的な行動に忍があっけにとられていると、純は窓の外を指差す。
「行って」
純の指差しているところに大宮KILALAという看板が見える。
埼玉一のリン使い『宮リン』と全国二位のいずな使い『ヒデ』のホームとして有名なゲーセンだ。
宮リンとは戦ったことがある。一勝一敗だった。
「どういうこと?」
聞き返す忍には答えず。純はもう一度言う。
「行って」
他人にあまり感心のない純が、来いとか行けなどと命令するのだ、なにか重要なことがあるに違いない。質問の内容から、おそらくスパⅢ関係のことだろう。
忍は純を連れて急いでレジへ向う。
千円札を出そうとすると、レジの向こうの純がチケットをもぎ取り
「口止め料」
素の顔でそういってから
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております」
満面の笑顔で見送ってくれた。
KILALAはロッキーと同じくパチンコ店の二階にある。
大型筐体やカードゲームなどは置いていない。経営が苦しいのか壁紙や床のタイルが所々めくれている。お世辞にも綺麗な店ではない。
忍は、こういう雰囲気の店が好きだ。アミューズメントより、ゲーセンと言ったほうが落ち着く。スマートフォンもケータイと呼んでしまう、そういうタイプだ。
狭い階段を昇っていくと、スパⅢプレイヤー達の声が聞こえてくる。
「中足入力したら、236236までワンセット。当たってたらP」
忍の頬が緩む。いきなり『中足確認』の話をしている。
中ボタンのしゃがみキック(中足)を入力したら、当たろうが、当たるまいが取りあえず超必殺技のレバー操作を入れておく。当たっていたらパンチボタンを押して、超必殺技を発動させる。これが『中足確認』だ。
他に『中パン確認』などもある。攻撃力を飛躍的に上げるテクニックだ。上級者はこれを標準装備している。
もちろん忍も浩介もそれが出来る。とはいっても、いずなやヒガンテに中足や中パンチ確認超必殺技という連携は無い。
いずなは三段蹴りの『旋風』ヒガンテは『ショートレンジスレッジハンマー』といった普通の必殺技へ繋ぐしかない、見返りは他のキャラクターより少ない。弱キャラといわれる一因である。
236というのはレバーの方向を現している。下、右下、右と書くよりパソコンのテンキーに対応した数字で書いたほうが楽なので、この表記が定着した。言い方としても数字でいうのが一般的になりつつある。
忍が階段を昇らず踊り場で、耳をすませてニヤニヤしていると。
威勢のいい男の人の怒鳴り声がした。
「安直なジャンプすんなって、言ってんだろ!」
「すんません」
謝った声を聞いて、忍は口元を覆った。
今日は驚くことばかりだ、その声は浩介のものだった。
「いや、謝らなくていい。ゲームで怒って悪かった」
「ぜんぜん、なんでも言ってくださいヒデさん」
忍は驚いた次に微笑んだ。浩介が話しているのは、全国二位のいずな使いだ。
「ヒデさん。もう一戦いいですか?」
「お前、車輪堂で奢ってやった分。全部、使っちまうつもりかよ?」
「いけませんか?」
「俺ぁ大好きだ、そういうの」
微笑んだ次には感謝した。純は二人の会話を聞いて、ここに行けといってくれたのだ。他人に関心が無いようなフリをして、しっかりと手を差し伸べてくれる。
純をナンパしたのは恐らくヒデだろう。美容師で女性関係はわりと派手らしい、そのことも純に教えてあげなくちゃいけない。
「あ ヒデさん。瞬の623P弾いたら、有利四十フレですから踏みつけから霞時雨反確ですよ」
忍の頭の中で閃くものがあった。
「……ん」
忍の目に涙が溢れた。
必死に止めたが、止まらない。喜びが頬を伝う。
この十日間浩介がやっていたことが全部わかった。
ヤキソバパン一個の昼食と、自転車で走り去ったこと、ロッキーに来なかったこと
それは全て、ここに来るため、KILALAに来るため。
ここで一試合でも多く戦うためのヤキソバパン、一試合でも多く戦うための自転車。
たった八クレジット、時間にして十五分足らずのための、往復二時間。
そして、一心不乱に書いていたあのノート。
今なら、その意味がわかる。
『S:632P/H-15(CH=D-90)・G+30 P+40/D60』
瞬の断空拳(623P)喰らった場合は相手が十五フレーム早く動き出す(H-15)カウンターヒットの場合はダウンして相手に九十フレーム有利。(CH=D-90)ガードした場合こちらが三十フレーム早く動けて(G+30)パリイングした場合、四十フレーム有利(P+40)ダメージは六十(D60)。
技表だ。浩介はスパⅢにある膨大な技の全てのデーターを頭に叩き込もうとしていた。
全てのデータを叩き込む理由は……。
「でもよ、浩介。いずな対策ばっか詰めてどうする? コロシアム出ても坊さんと俺しかいねぇぞ、いずな」
「いいんです。コロシアムなんてどうでもいい」
コロシアムなんかどうでもいい理由は……。
「どうでもいいって、じゃぁなんで?」
「スパⅢが、たかがゲームじゃないって証明するんです」
「証明?」
「はい。そのために強くなりたいんです。強くなって……」
強くなるその理由は……。
それは全て、このため。
「俺より強いあの娘を殴りに行く」
「あの娘を殴る? わけわかんねーな」
わかる、私にはわかる。
忍は目を瞑った。
浩介はずっとこっちを見ててくれてた。現実では目も合わせないし、話もしてくれなかったけど。
ずっと私の側に居ようとしてくれてた。ううん、してくれている。『たかがゲーム』っていう言葉に責任を取ろうとしてくれてる。そのために、私に勝とうとしてる。
忍は階段を降りた。
必要なものは何もかも見つかった。だから今日はもう休もう。
まっすぐ家に帰ろう。
家に着いたら、ケーキを食べて、お風呂に入って寝てしまおう。
……久しぶりに、ゆっくり眠れるはずだから。




