『お前、勝つ気あんのかよ!』とあの娘は叫んだ。(五・三)
浩介は絶句していた。
口は動かないが、頭の中は大忙しだ。
コジローと戦えたんだ。サブキャラだったけど、一本取れた。
俺は強くなってるんだ、少しずつかもしれないけど、俺、強くなってるんだ。
浩介の至福の時間を、忍の声が奪い去る。
「コースケ、交代。やっつけてくる」
言葉は浩介に向いているが、忍の意識はコジローに向けられていた。挑戦的な視線を送っている。
コジローは頭を掻いた。浩介に向って言う。
「君の彼女? 悪いけどお兄さん、格ゲーじゃ手加減出来ないよ」
その娘に伝えてくれないかな? そういう物言いだった。
まさかこんなに可愛らしい女の子が格闘ゲーマーだとは思っていないのだろう。
気をつけたほうがいいっすよ。この娘、かなり出来ますよ。
立ち上がってそう言おうとした浩介に、いきなり後ろから忍が抱き付いてきた。
浩介の首に手を回し、浩介の頭の上に顎を乗せている。花の香りが浩介を包む。
「本気で大丈夫。私……彼より強いから」
コジローの優しげなハの字の眉が、ぴくっと動いた。
大島小次郎、三十二歳。コロシアム三回優勝の伝説の格闘ゲーマー。ただし彼女が居たことは人生で一度しかない。それも十年以上前の話だ(スパⅢプレイヤーWikⅰより)
浩介は舞い上がらない。忍は自分のことなど『どーでもいい』状態になっているのを知っている。
忍はコジローに精神的な揺さぶりをかけている。自分達は恋も格闘ゲームも満喫している勝ち組だと、女日照りのコジローに思い込ませようとしている。冷静さを失わせようとしている。
ギャラリーから笑い混じりのヤジが飛んだ。
「コジローわからせてやれ!」「泣かしてもいいぞ、俺が許す」「リア充爆発しろ!」
大騒ぎの中、試合が始まった。
それは、死闘といってよかった。
冷静さを失ったのかコジローは学習をせず、いきなり攻めてきた。
忍にとっては願ったり叶ったりな展開だ。
接近戦での殴りあいなら、サブキャラのコジローよりメインキャラの忍の方が一枚上手。
一ラウンドとった忍が、後ろで見ていた浩介の身体に顔をこすり付ける。
「えへへ。勝ったよぉ、いい子いい子してっ」
これ、見てるほうは腹立つだろうな。っていうか、俺は、お前の道具じゃないぞ、まったく。
そう思いながら浩介は忍の頭を撫でる。当然これも挑発行為だろう。
コジローは、それを見ないように眼をつぶり。
「っしゃぁっ!」
気合を入れた。
ここから先は小細工は通用しない。そういう顔つきだ。
第二ラウンドに入るとコジローの動きが変わった。
攻めてこない。ガードを固めているわけでもない。
コジローは逃げた。いずなの機動力を生かして、逃げて逃げて逃げまくる。
そうやって忍の行動を引き出し、学習しようとしている。
当然、忍は追いかける、ダッシュを駆使して追って追って、追い続ける。
「スパⅢって、こんなに速いゲームだったっけ?」
宮リンが呟いた。
浩介はその言葉に頷く。こんなに目まぐるしい試合は、見たことが無い。
画面では赤と紫の忍装束を着た、二人の忍者が、縦横無尽に動き回る。
その空間に時折鋭く手裏剣が走り。それを、パリイングする金属音が鳴り響く。
スパⅢを録画して倍速再生しても、こうはならないというぐらい速い。
試合時間が半分、五十秒を過ぎても、お互いに体力は三割程度しか減っていない。
突然、忍が足を止めた、画面端でじっと動かない。
コジローも警戒して反対側の画面端にいる。こちらはジャンプを繰りかえしている。
コジローのいずなが三回目のジャンプのモーションに入った瞬間。
忍の手が動いた。
その細く長い指が押したボタンを見て、浩介は目を疑った。
パンチでもキックでもない。スタートボタン、所謂挑発ボタンである。
「心頭滅却!」
いずなが両手で印を結び、その場で座禅を組んだ。
スパⅢの挑発というのは、ただのアピールではなく、多少の効果を持っている。
ヒガンテは防御力が一回につき一割、最大三割アップするし。はじめや瞬は、六秒間攻撃力が一割上がる。
いずなの挑発の効果は
「どろんっ」
そういった途端に、六秒間姿を消す。
効果だけだと大変有効な手段に見えるが、座禅を組んでから消えるまで一一○フレーム、ほとんど二秒掛かる。
その上、対戦相手だけでなく、消えたプレイヤーにもいずなの姿が見えない。
一般的には、使い道のないネタ技とされている。
全国一のいずな使い『坊さん』ですら「あれは、使い道が無いですね」そういう技である。
その、使えない技を忍は実戦に投入した。
「やべぇっ、とんでもねぇことやってきた!」
叫んだコジローが、ジャンプを続ける。
空中の方が損害が少ないという判断だろう。しかし忍はその行動を読んでいた。
「必殺っ」
忍のいずなの声だけが聞こえ。コジローのいずなの動きが止まり、直後、頭を下にして地面に急降下していく。
姿を現した忍のいずなは、コジローのいずなを背後からがっちり捕まえていた。
「飯綱落としっ!」
そのまま地面に叩きつける。数少ない高威力の空中投げが決まった。
忍は起き攻めに行かず、一度ちょこんとバックダッシュし、微妙に距離を取る。
そこでもう一度。
「心頭滅却っ!」
「遅いっ!」
コジローは、ジャンプして飛び道具のコマンドを入力する。
上空から斜めに手裏剣が走る。
忍の口が、僅かに動いた。
「あたらない」
手裏剣が、座っているいずなの頭上を掠めるように飛び、地面に突き刺さって
「どろんっ」
もう一度、忍のいずなは消えた。
コジローが一瞬、目を瞑った。
警戒しすぎた。シンプルにダッシュしていたら、簡単につぶせていた。
「この娘わかってる。嵌められたっ」
大ピンチなのにコジローは嬉しそうだ。
画面に映っているたった一人のいずなは、画面端を背負った。今度は飛ばない。飯綱落としが怖い。
座ることも出来ない。中段攻撃の踏みつけから、超必殺技『霞時雨』の連携を喰らったら、体力の無いいずなは死んでしまう。
ビシッ、ビシッ、ビシッ。
音がして、コジローのいずなの体力が減る。
下段攻撃を受けているのだが、流石のコジローも見えないものを弾くことは出来ない。
このまま、削られるのはまずいと判断したのか、コジローは四秒が経過したあたりでついにいずなをしゃがませる。踏みつけは来ないという判断だが、読みというよりはもう願望に近い。
「はっ!」
忍はコジローの弱気を見逃さなかった。いずなの気合は踏みつけの合図である。
「やべぇっ、逝く!」
声を聞いた瞬間コジローはいずなを立たせたが、迷いのせいか反応が遅れた。
忍は「あは」と小さく息を漏らしてから、ぺろりと唇を舐め。笑った。
何時もの夏空のようなからっとした笑顔ではない、真っ赤な満月の明かりが似合いそうな、艶っぽい微笑みだった。
「……いっちゃえ」
ぞくりとするほど色気のある声を忍が発した直後。
「覚悟っ!」
空中に姿を現した忍のいずなが、霞時雨のモーションに入り。
試合は終わった。
「ごめんなさい。いろいろズルいことしました」
忍は、試合が終わった途端に立ち上がり、コジローに頭を下げた。
「いやいや、全然いい。そういうのも含めて試合だから。台蹴ったり、灰皿投げるのは流石にまずいけど、こういうのは全然いい」
コジローは怒っていなかった。むしろ嬉しそうだった。
「サブじゃなくて、瞬で来いってことかな?」
コジローの問いかけに忍が頷く。コジローはポケットに右手を入れ五十円玉を取り出した。
筐体にコインを投入しようとする腕を、後ろからリリィさんが掴む。
「だめよぉ、コジローちゃん。順番でしょ?」
後ろに人が並んでいたら、負けた場合には席を譲るのが格闘ゲーマーの最低限のマナーだ。
赤信号は停止と同じくらい基本的なルールである。
「悪ぃ。つい熱くなった」
コジローは頭を掻き、席を立った。




