『お前、勝つ気あんのかよ!』とあの娘は叫んだ。(四・一)
「はぁ……凄かったぁ」
忍が頬を紅潮させて言った後
なぜか画面から試合中のコジローの声が聞こえてきた。
「ここまで~。ここまでにしようや、海皇」
「待ってくださいよ。まだ一ラウンド残ってるじゃないっすか!」
食ってかかったのは海皇だろう。
「逃げるんすか? 神に最も近い男が逃げるんすか?」
このままでは終われないのだろう。語気が荒い。
反対にコジローの声は落ち着いている。
「いや、そういうことじゃなくてさ。もったいないなって思ってさ」
「ここで終わる方がもったいないっすよ。俺、コジローさんに勝つのが夢なんすから」
「……だからさ、海皇。その夢、八月までとっとけよ」
「八月? 意味わかんないっすよ」
「落ち着けよ。あるだろ、八月にでっかい祭りがさ」
浩介と忍は顔を見合わせる。スパⅢプレイヤーにとって八月の祭りと言えばひとつしかない。
「……本気なんすか?」
「うん。俺、八月のコロシアムに出る。現役復帰だ」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
スマートフォンのスピーカーが壊れるんじゃないかというほどの歓声だった。
「店舗予選で負けちゃうかもしんないけどね」
そういってコジローは「ははっ」と笑った。
『コロシアム』は東京水道橋の後楽園ホールで、八月の三十、三十一と二日間にわたって開かれる格闘ゲームの全国大会。
スパⅢだけではなく、『ブラッドレッド』『カッチャトゥーレ』『スーパーファイターⅣ』などの最新2D格闘ゲーム。
『バーチャルファイティングⅴ』『豪腕Ⅵ』などの3D格闘ゲーム。
今流行っている格闘ゲームのトッププレイヤーを一同に集めた格闘ゲーマーの甲子園といった大会だ。
今年で開催八年目、スパⅢは第一回からずっと競技種目に選ばれている。
スパⅢの決勝トーナメントが行われるのは、三十日の最後。2D格闘ゲームの真打という位置づけになっている。
出場するには、全国に三十一店舗ある『コロシアム参加登録店』で行われる、店舗予選を勝ち抜かなければならない。予選免除は、前年度覇者の海皇だけだ。
予選は八月の第一週の土曜日か日曜日に行われる。
土曜日に駄目なら、日曜日に開催している店舗まで遠征すれば、再度予選に参加できるがどんなに多くてもチャンスは二回。一度しか負けられない過酷な予選だ。
浩介のホームであるロッキーは残念ながら、登録店ではない。
「でもぅ、コジローちゃん。どーして急に出る気になったのぅ?」
リリィさんが会話に割って入った。基本的に出たがりだ。
「あいつが、日本に帰ってきたからね」
「あいつって?」
陽気なコジローの話し方が、急に重々しいものに変わった。
「……ムサシ」
「まじか!」
リリィさんがオカマキャラを忘れ地声で叫んだ。
コジローはリリィさんには構わず、語りだす。
「録画そろそろ終わるからちょっと言わして。ムサシ、もしコレを見てたらだけど、また格ゲーやらねぇ? 別に紅白に出ろとはいわないし、コロシアムに出ろとも言わない。お互いもういい歳だしな。だけどよ、久しぶりに一緒に遊ぼうぜ。水曜の夜にお前のホームで待ってる。そんじゃ、皆、今回も見てくれてありがとう。ブロッサム紅白戦でしたぁ~また来週!」
浩介は動けなかった。いろいろなことがありすぎて、上手く頭の中がまとまらない。
ただぼんやりと、スマートフォンの『もう一回見る』という文字を見つめている。
海皇の上陸、コジローの復帰、そして……ムサシ。
コジローが唯一勝てなかった男、通称『格闘ゲームの神』話には聞いたことがあるが、もう七年も前に就職を期に引退してしまったプレイヤーだ。
七年前、浩介はゲーム自体に興味が無かった。
その頃は、真っ暗になるまでグラウンドで白球を追いかけていた。
だから、神への憧れも畏敬もない。
「……私」
ようやく忍が喋りだした。まだ表情は虚ろで目の焦点が合っていない。
それでも、忍はその胸に浮かんだのであろう願望を口にした。
「やりたい」
「え?」
「コジローとやってみたい」
浩介は驚いた。この娘は大それた事を考える。
コジローとやるということはコロシアムに出るということだ。忍のスパⅢ歴が何年か知らないが、コロシアムを目指すプレイヤー達は殆ど十年プレイヤーだ。
普通に考えたら彼らには届かないだろう、生きてきた時間が違いすぎる。
……だが、期待もある。もしかしたら忍なら、予選を突破できるかもしれない。
そのぐらい、この娘のいずなの攻めは鋭い。
「出来るかもよ」
半分はお世辞だが、浩介はそう言った。
「やれるかな?」
「もしかしたら」
浩介の言葉に、忍はにっこりと微笑み。
「私、やるよ!」
高らかに宣言するのと同時に。
キーンコーン。
昼休みの時間が、残り五分になったことを告げる予鈴が鳴り響いた。
浩介はようやく、自分が学校の中庭にいて、今が昼休みなことを思い出した。
我に返った浩介の耳に、ざわざわと耳障りな音が聞こえる。人間の囁く音だ。
「いくらなんでも大胆すぎない?」
「昼休みっから『やりたい』だもんな」
「隠れてヤッってんじゃないの? 『いっちゃう』とか言ってたぜ」
「ヤッてそうだよな、あの男に、胸触らせてるし」
「うっわ、マジビッチ」
「転校生なんでしょ? なんか帰国子女らしいよ」
「やっぱ外国人はやることがちげーな。もう十分ぐらいぱんつ見せっぱだしな」
心無い言葉達に混じって笑い声もする。
嘲笑、冷笑、苦笑。そういった類の笑いだ。それらは忍に向けられている。
忍は、いきなり浩介の左手を開放した。振り払うようなやり方だった。
それから立ち上がる、浩介が見た横顔は真っ赤だった。
この世の終わりが訪れた、そんな表情をしていた。
なんとかしなきゃいけない。俺がこの娘を守らなきゃいけない。
強い思いにかられ浩介は立ち上がった。
「あ、あのっ……これは」
胸のうちに湧いた感情とは裏腹に、言葉は上手く出てこない。焦る浩介に忍は
「ごめ……ん、なさ……い」
途切れ、途切れに言葉を落とし。ゆっくり立ち上がると、浩介に背を向けて走り去った。
「どうかっ! どうか忘れてあげてください。すみませんっ」
浩介は、馬鹿時空に大きな声を響かせ、忍のバッグに自分の買ったパンの袋を放り込み、忍の背中を追いかける。
時を同じくして、屋上のドアを蹴り開け、転がるように階段を駆け下りていった男がいる。
その男の名前を田中俊哉という。
忍の足は速かった、浩介は必死で追いかける。本気で走るのは小学生の時以来かもしれない。
見失っちゃ駄目だ、追いつかなきゃ駄目だ。
行かせてしまったらあの娘は帰ってこない。
そういう気がする。
海外からやって来て、友達もいない場所に放り込まれて、心細かっただろう。
傷ついているだろう「ビッチ」なんて言われて平気な女の子はいない。
俺が、守らなきゃ。俺ならあの娘をわかってあげられる。いや、俺しかわかってやれない。
忍は校門から飛び出した。止まらない、駅の方へ向っていく。白昼堂々授業をエスケープだ。
きっと面倒くさいことになるだろう。あとでたっぷり説教を喰らうことになるはずだ。
……それがどうした。俺は元々面倒なことが好きなんだ。攻められるのだって慣れてる。ガードで我慢するのは得意中の得意だ。
「ソノ通リダゼ、コースケ」
頭の中に響くヒガンテの声に頷いて、浩介は校門を駆け抜けた。
「石浜っ! 待ちなさいっ、どこへ行く」
生活指導の富原の声がする、体育教師で陸上部の顧問本気で追ってこられたら逃げ切れない。
「コースケっ、いいから行けっ! お前がやってるんだからなんか理由があるんだろ」
「離せっ! 田中っ、殴られたいのか?」
「やれるもんならやってみろ、ウチの両親、モンスタープラネッツだぞ」
トシ、お前が言いたいのはペアレンツだ。親が惑星ならお前は一体何なんだ?
いつものように、心の中で突っ込みを入れながら、浩介はスピードを上げた。
忍がようやく足を止めたのは、学校から一キロほど走ったところにある小さな公園だった。
駅までほんの二百メートル。ゲームセンターロッキーもすぐそこにある。
浩介が追ってきていることには気づいてないのだろう。忍は、さび付いた滑り台の一番下の部分に腰を下ろし、膝を抱え、顔を埋めた。その座り方が癖なのかもしれない。
浩介は、狭い公園を見回しながら、ゆっくり忍に近づいていった。
滑り台も、ブランコもボロボロ、砂場に到っては吸殻が散らばり大きな灰皿のようだ。
こんなに汚い公園で、子供を遊ばせる親なんかいないだろう。
すぐ側に、新しく出来た運動公園がある。遊具も沢山あるし広くて綺麗、そっちを選ぶのが正常だ。
この公園だって子供の声でいっぱいだったことがあるのだろうが、きっと遠い昔の話だ。
古く、汚いものは忘れ去られていく……そういう物なのかもしれない。
そんなことを考えながら、浩介は忍の横に立っている。
「大丈夫だよ」「気にすんなよ」そういう言葉が頭に浮かんだが、音にしてはいない。
忍が一番して欲しいのは、そっとしておく事だと思うから、自分だったらそうして欲しいから。
ただ黙って立っている。
十分は経っただろうか。忍が顔を上げた、目を真っ赤にしながら
「どうして?」
そう聞いた。
浩介は、正確に忍の気持ちをつかめなかった。
どうして着いてきたのか? どうして放っておいてくれないのか? どうして、何も言わないのか? この三つのどれかだろうとは思ったが、一つに絞りきれなかったので、珍しく自分のやりたいことを押し付けることにした。
後ろ手に持っていた忍のバッグを、彼女の目の前に差し出し。
「忘れ物」
そういって笑った。
「なにそれ」
浩介の読みどおり、忍も釣られて笑顔になった。
……そのほうが、ずっといい。
そんな言葉が浮かんだが、どの面下げて言えばいいのかわからないので、浩介はもう一度笑った。