『お前、勝つ気あんのかよ!』とあの娘は叫んだ。(三・四)
「せっかく、海皇が海から帰ってきたんだからさ、このまま終わるのはもったいないよね?」
忍が、我を忘れて見ている画面で、コジローが話している。
浩介は画面半分、周囲半分という配分で目を動かす。
幸い忍のはしたない格好に気がついている生徒はいないようだ。
さすが『馬鹿時空』パンチラぐらい何ともないらしい。
「一試合、エキシビジョンマッチやろうか? ユウキ、ちょっとマイク変わって」
ゴトゴトとマイクが移動する音が聞こえる。
動画には海皇がコンピューター戦をしているゲーム画面しか映っていない。
プレイヤー達の状況は音声から推測するしかない。浩介は耳をそばだてた。
突然ゴオォォォという、地鳴りのような音が聞こえた。マイクが故障したのかと思ったが、そうではない。
それがブロッサムの店内にいるゲーマー達から上がった、どよめきの声だとわかった時、画面はキャクター選択画面になっていた。
海皇の対戦相手は上下左右にゆっくりと選択カーソルを動かし、レバーの効きを確かめゆっくりとユウキと同じ『瞬』を選んだ。
ゴォォォというノイズがまた大きくなる。
もともとノリのいいブロッサムのゲーマー達だが、ここまでの興奮状態は、浩介の記憶にない。
海皇の向かい側に、よほどの大物が座ったに違いない。
画面が、月明かりに照らされた荒野に変わった。
「覚悟は出来てるんでしょうね?」
画面の右端から、深いスリットの入った、銀色のカンフー着のリンが姿を現す。
スパⅢは古いゲームなので追加コスチュームがない。
プレイヤーは六色用意された中から好きな色を選んで、それを自分の色にする。
同じいずなでも坊さんは黒の忍装束、忍のいずなは赤だ。
「待たせたな、真打登場だぜ」
リンの反対側から、登場のセリフともに瞬が現れた、胴着の色は白だ。
「まさか……」
浩介はごくりとツバを飲み込む。
浩介は、この色の瞬が超必殺技『雷神疾風脚』で勝利する動画を数え切れないほど見た。
白い胴着の瞬が制したコロシアムのDVDも三枚持っている。
もしかして、もしかして、この瞬。
忍に確認を取りたいが、口が動かない。
忍も同じような状況らしい。心臓が早鐘を打っているのが、繋いだ手から伝わってくる。
「本日のエキシビジョンマッチは、前年度コロシアム覇者、海皇と……お待たせしました、真打登場。伝説のあの男が帰ってきた」
忍が小さく呟く
「ウソ……ウソ……」
浩介も同様だ。
「これ……夢じゃないよね」
目の前で起こっていることがウソでも夢でもないことをユウキが二人に、いや、すべてのスパⅢプレイヤーに高らかに宣言する。
「最も神に近づいた男っ、コジローだぁぁぁぁぁっ!」
「来たぁぁぁぁぁっ!」
二人の絶叫が、馬鹿時空を貫いた。
中庭の生徒たちは一斉に、ベンチに座って頬を寄せ合いスマートフォンを見つめる一組の男女の方を振り向いた。
男子は女子のふくよかな胸の上に左手を置き、女子はそれを嫌がりもせず受け入れていた。この大胆な女子は、ベンチの上で膝を抱え、白く美しい二本の脚とイメージにそぐわない純白の下着を惜しげもなく晒している。
当の本人達は、周囲の注目を浴びていることに気づいていない。
なぜなら、二人の魂は二日前のゲームセンターブロッサムに飛んでいってしまっているのだから。
コジローの力を持ってしても容易にカテナチオは破れない。
海皇は完璧なディフェンスをみせた。
コジローも『拍脚』や『白虎双掌』にパリイングで対抗し、何度か連続技を決めるが、形勢は不利だ。
ただボタンを押すだけの海皇と、相手の攻撃を予測してガードと反対方向にレバーを入れるコジローとではリスクの大きさが違いすぎる。
一から百まであるルーレットと六面しかないサイコロで、数の大きさを競うようなものだ。奇跡でも起きない限り、ルーレットが勝つ。
「やっぱり、コジローでも無理かな? 三年やってないのは大きいよ」
忍は肩を落とすが、浩介はそういう気持ちにはならない。
一ラウンド落としたくらいでコジローが弱いなどと判断するのは大きな間違いだ。
そう思っている。
「まだ、わからないよ。見てて」
忍に囁いた。
見ててと言った方も言われた方も、見られていることにはまだ気づいていない。
異変が起きたのは第二ラウンドの途中だった。
「斬空拳っ!」
瞬が、そう叫んで両手に集めた気をリンに向って発射した。
スーパーファイターⅡの頃からある、格闘ゲームで最も有名な必殺技『斬空拳』
二十五年前はこれが出せるだけで勝てたが、今はそうではない。
遠くの敵に攻撃出来るが、放った後の隙が大きく、近距離でガードされると反撃を受けることは必至。
その斬空拳を、コジローはあろうことかリンの白虎双掌がぎりぎり届く間合いでいきなりぶっ放す。
浩介の横で、忍が苦笑した。
「なにそれ?」
至近距離で斬空(斬空拳の略称)なんてありえない。そういう「なにそれ」である。
「なにそれっ!?」
忍の予想に反して、斬空拳はリンにヒットした。
今度の「なにそれ」は斬空拳がヒットしたという現象に対してのものだろう。
忍は目を見開いている。信じられない。そういう顔だ。
浩介には、斬空拳が発射されるほんの少し前に、リンが白虎双掌のモーションに入っていたのが見えていた。
コジローは斬空拳をぶっ放したのではない、海皇が白虎双掌を出してくる空間にむかって、先読みで斬空拳をぶつけたのである。
斬空拳がヒットしても、お互いが動き出すのは全く同じタイミング。
瞬は追撃にはいけない。仕切りなおしの形だ。
続けて瞬がジャンプをする。攻撃は出さない。
リンも対空の拍脚を出さなかった。
瞬が地上に着地した直後に、一瞬しゃがみのモーションを見せ。
奇妙な間が出来た。お互いに動かない。
五十フレーム、一秒に少し足りないぐらいの沈黙の後。
瞬が歩き始めた。
どういう工夫もない、ただの歩きだ。
レバーを相手の方向に倒すだけ、格闘ゲームどころかゲーム初心者にだって簡単に出来るただの移動。
一歩、二歩、瞬は悠々と歩いていく。
時間が止まっている世界で瞬だけが動いているような、奇妙な時間が流れた。
瞬はリンの近くまで来ると、何の抵抗も受けずに、その右手をむんずと掴み、一本背負いで地面に叩きつけた。
初心者同士の対戦のような動きだが。この中には沢山の駆け引きが詰まっている。
コジローのジャンプを見た海皇は、すぐに拍脚での対空を考えたが、なかなか攻撃が来ないのでコジローが空中でのパリイングを狙っていると予想し、拍脚を出すのをやめた。
着地の隙も狙わなかった。そこにコジローがパリイングを仕込んでいる可能性がある。
予想は当たった、着地直後の瞬の屈伸は下段パリイングの動きである。
それを見た海皇はガードを固め。パリイングの後にコジローが入力しているであろう攻撃に備えた。これをガードして、前掃腿からの鳳凰天昇脚を決める、海皇にはそこまで読めている。
予想は、外れた。反撃が来ない。あろうことか相手は歩いている。
そこで海皇は、わけがわからなくなった。
歩いてくる瞬をただ見てしまった。対応をするのを忘れてしまった。
そこに一本背負いを決められたのである。
がちゃり
浩介と忍は、聞こえない音を確かに聞いた。
海皇の錠前が開く音を、確かに聞いた。
「……覚えた」
浩介のつぶやきに、忍は右手を強く握ることで答えた。
コジローの強さは、入力の正確さ、読みの強さもあるのだが、特筆すべきはこの『学習能力』にある。
相手の行動パターン、攻撃、防御の傾向。クセ、性格。そういったものを一ラウンド目を使って把握する。それゆえ一ラウンド目は相手にとられることが多い。
さっき浩介が「まだ、わからない」と言ったのはコジローのそういうプレイスタイルを知っているからだった。
コジローの試合は実に七割が、一ラウンド目を取られた後、二、三ラウンドを取り返すという逆転勝利。
知っているものにとっては『いつもの光景』そして、いつも通りならここから先はコジローの時間だ。
試合は、浩介が予想したとおりの展開になる。
学習を完了したコジローは、超攻撃的なプレイヤーに変貌する。
一般的なガン攻めのプレイヤーの攻撃と防御の比率は七対三。
コジローはもっと、もっと極端な闘い方をする。攻め八割、そしてパリイングが二割。
自分の攻撃をガンガン相手にぶつけ、差し込まれる反撃は全てパリイングで弾き返し、反撃の反撃をとる。要するにコジローは攻撃しかしない。
流石に海皇もむざむざやられはしない。
脅威の防御能力で、コジローの攻撃を凌いでいくが、あくまでも防御は防御、防いでいるだけでは相手は倒れない。
瞬の超必殺技ゲージがどんどんたまっていく。
海皇はついに、一番喰らいたくない技を喰らってしまった。
前回し蹴りの軌道から、脚を下ろさず頭上に振り上げ相手の脳天に踵を叩きつける、しゃがみガードできない中段攻撃『十文字蹴り』だ。
リンが頭を抑えている。連続技のチャンスだ。
「これは」
浩介はここから何が来るかを知っている。
胸が高鳴る。動画で何度も見たあの連携。
忍も興奮している。心臓が爆発すのではないかと心配になるぐらい鼓動を早め、額には汗が浮かんでいた。
ぐっと一文字に結ばれていた忍の唇から空気が漏れた。
「……いっちゃう」
忍が、吐息交じりに漏らした言葉に、浩介が別の意味でドキリとした時。
「いくぜっ!」
瞬がバックステップをしながら叫んだ。
「雷神疾風脚!」
技の名前を店内のギャラリーが大合唱した後。
暴風雨のような蹴りの嵐がリンを巻き込み、空中へはじき出した。




