『お前、勝つ気あんのかよ!』とあの娘は叫んだ。(三・三)
「大事件ってこれなのかな?」
わざわざ学校の中庭で『紅白』を見始めた理由を浩介は思い出した。
スパⅢBBSに書き込まれていた、終盤の大事件とはこれなのだろうか?
確かにコロシアムベスト4常連のホーク先生が負けるのは珍しいことなのだが、リリイさんだって毎年ベスト16に顔を出す強豪、大番狂わせとは言いにくい。
「とにかく、最後まで見てみよう?」
忍に促されて、画面に視線を戻す。コジローが進行を続ける。
「今日のファイナルマッチはユウキ対、海皇!」
コジローが『海皇』と言った時、二人は思わず「うわっ」という声を漏らした。
海皇はコジローが現役を退いた後、スパⅢ界の頂点に君臨した男だ。去年、一昨年と格闘ゲーム全国大会『コロシアム』で優勝。さらに去年の秋ラスベガスで行われた世界大会でも優勝している『世界で一番強いやつ』だ。
本業はまぐろ漁船に乗っている漁師で、冬から春にかけては海でお金を稼ぎ。夏から秋にかけては食べるときと寝るとき以外、ずっとゲーセンに居るという人生を半分ゲームに捧げてしまった二十八歳。
世界大会後、海へ出て行ってしまったが、八月末のコロシアムに向けて陸に戻ってきたというところだろう。
対するユウキはブロッサムのアルバイトだ。
コジローに心酔し、岩手県から上京してきた大学二年生。ちなみに去年も二年生だった。
去年念願のコロシアム初出場を果たした、今最も伸びている若手である。ゲームの強さには関係ないが身長一八二センチのスラリとしたイケメンだ。
海皇の使用キャラは、中国拳法の達人で、元祖格ゲーヒロインの『リン・チェン』スパⅢの最強キャラだ。
ユウキの『瞬・マックスウェル』もリンと良い勝負が出来る強豪キャラクター。
浩介は好勝負を期待したが……試合は一方的だった。
海皇のリンは中央にどっしりと構え、自分からは決して攻め込まない。
瞬の地上からの攻撃は、技の出が早く、威力の高い双手突きの近距離攻撃『白虎双掌』で追い払い。上空からの攻撃は、素早く頭上まで長い足を振り上げる対空の『拍脚』で打ち落とす。
リンの強さの一因はこの二つの防御技にある、両方ともガードされても自分の方が、約八分の一秒(七フレーム)早く行動でき、当たったときの威力が大きい。
さらに特筆すべきは、この二つの技が特殊なレバー操作を必要としない通常技である点だ。
リンのプレイヤーは相手をよく見て、ボタンを押しているだけで、相手の攻め手のほとんどを封じこめることが出来る。
相手がリンを崩すには、いきなり突進技をぶち込んだり、飛び道具を放ったり、失敗したら反撃を受けやすい、リスクの高い行動を取らなくてはならない。
突進技や、飛び道具を持たないヒガンテのようなキャラクターは、リンがただ立っているだけでやることがない。ほぼ絶望的な組み合わせと言われている。
瞬は、飛び道具も突進技も持っており、ユウキはそれを駆使して崩しにかかるのだが、海皇はその全てをガードする。
出来た相手の隙に、これも出の速い下段蹴りの『前掃腿』から、踊るような動きで相手を蹴り飛ばす超必殺技の『鳳凰天昇脚』を連続技でヒットさせていく。
鳳凰天昇脚は超必殺技としての威力は高くはないのだが、リンは通常技に恵まれているため、すぐに超必殺技ゲージを溜めることが出来る。
二回ぶち込めば、威力の低さは十分に補える。
海皇は徹底してそのときの最適な行動を最適なタイミングで行っていくプレイヤーだ。
『坊さん』のような華麗なパリイングも『リリィさん』のように出鱈目な即死コンボもしない。
時間をかけて、ミスなく確実に相手を処理する。
見せ場が無いまま倒されると相手は、心が折れる。
相手の心を折る。そこが海皇の本当の恐ろしさだ、対戦相手に「こいつには勝てない」という意識を植え付けていく。「勝てない」という思いがどこかにあると、絶対に勝てない。格闘ゲームとはそういうものだ。
事実、海皇はこの二年間、大会では一度も負けていない。
第二ラウンドに入っても、構図は全く同じだった。
わかっていても崩せない。
海皇の鉄壁の防御は、同じく守りが売り物のサッカーイタリア代表の守備戦術になぞらえて『カテナチオ』と呼ばれている。錠前という意味だ。
ユウキは結局、錠前の鍵を見つけられないまま、海皇に敗れた。
「やっぱり海皇はすごいな」
浩介はため息をついて感心するが、忍は
「面白くない」
短く言う。形の良い眉が釣りあがっている。
ガン攻めスタイルの忍は、カテナチオがお好きではないらしい。
「確かに、魅せる試合ではないよね」
コロシアム二連覇中の海皇だが、スパⅢBBSやニヤニヤ動画では「つまらない」とあまり人気がない。
ニヤニヤ動画に投稿されている、コロシアムの動画を再生数順で並べ替えると、上に来るのはコジローが活躍していた三年以上前のものばかりだ。
あの頃はニヤニヤ動画でスパⅢと検索して出てきたどんな動画も面白かった。いつも何か発見があった。リリィさんのような個性的なプレイヤーが沢山いた。
最強のヒガンテ使い『エメラルドミサワ』屠龍、五式コンボを発見した『げれえろ』パリイングが出来ない癖に滅茶苦茶強かった最強の初心者『ワイルド・エリィ』浩介がスパⅢをはじめた中学一年の頃から、そういうプレイヤーは一人抜け、二人抜け、今では数えるほどになってしまった。
三十歳というのが一つのボーダーラインなのだろう。
コジローが現役を引退したのもその年だ、格闘ゲームが上手くてもお金にはならないし、彼女も出来ない。
動画の投稿数も視聴者数も年々減ってきているし、プレイヤー数も減る一方だと聞いている。
コロシアムでスパⅢが選ばれなくなる日もそう遠くない。そんな噂まである。
その通りになってしまうのではないかという不安もある、
まだスパⅢを始めて三年しか経ってないのに。もう終わりなんて、そんなの残酷すぎる。
……止そう。
浩介は首を振って嫌な考えを追い払い、忍の方を向いた。
自分達のように、十代のスパⅢプレイヤーだっている。
明るい未来はきっとある。
「海皇の復帰は、確かに大事件……んっ!?」
忍に語りかけたとき、浩介は自分の身に起こっている大事件に気がついた。
左手が忍の胸に触れている、微かにどころではない。密着状態だ。
「ご、ご、ご、ごめっ……」
意図的にやったものではない。
忍が浩介の手を握り、そのまま胸元に引き寄せたのだからこの状況は忍が作り出したものであり、浩介に非はない。だが、それでいいと開き直れるほど図太い男ではない。
浩介には女の子の気持ちなんてわからないが、三日前に初めて顔を会わせ、さっき名前を知った男に、いきなり胸を触られて愉快な女の子なんていないだろう。
浩介は左手を離そうとするが、忍はそれを許さなかった。浩介が逃れようとすればするほど、手をぎゅっと握り締め、ますます強く自分の方に引き寄せる。もう『埋まっている』といって差し支えない。
「だっ、だめだって、いくらなんでも、まずいって」
浩介が逃れようとなおも抵抗を続けると、忍は「んっ」と短く吐息を漏らし。直後、不機嫌なトーンで言葉を繋ぐ。
「ちょっとコースケ、手ぇもぞもぞ動かさないで、集中できない」
「ち、違うんだって、お、お、おっぱい、俺、君のおっぱい触って……」
「そんなもんどーでもいいっ」
忍が浩介をキッと睨みつける。
元々、意志の強そうな顔立ちをしているから、怒った顔は案外怖い。
浩介は、言い返せず。黙って考える。
……どうでもいいって、おっぱいを触らせるぐらい『どーでもいい』ってそういうことなのか?
もしかして忍ってものすごく、その、ふしだらな女の子なのか?
いやいや、そんな筈はない、今ブラウスから透けて見えているブラジャーだって白、向かいのガラス窓に写っている下着の色も白、もっと言えば純白だ。「純白の純は純潔の純」だってブリーフ仮面も言ってた。ピアスの穴だって開いてないし、眉毛とか爪とかきちんと手入れされてるけど、メイクもマニキュアもしてない。そもそも、この娘は自分が綺麗とか可愛いっていう自覚だって無いんだぞ。そんな女の子がふしだらであるはずがないっ、男好きであるはずがないっ!
先の独白の開始から終了までは一八〇フレーム(三秒間)だ。
……ん? ちょっと待て。今さらっと重要な情報を通りすぎなかったか? お手数だがちょっと戻ってみて欲しい。そうそう、ここから七行前のおしまいから六行目前の頭にかけて、そうそう
その『向かいのガラス窓に写っている下着の色も白』うん。OKその記述だ。
って、全然OKじゃねぇぇぇぇぇぇ!
忍、駄目だっ。膝上二十センチなんていう際どい長さのスカートでベンチの上に体育すわりなんかしちゃ駄目だぁぁぁぁぁっ!
「なんなの? コースケ体調悪いの? 呼吸怪しいよ?」
「ちっ、違うんだ。ぱ、ぱ、ぱ、ぱんつが見えてる」
「どーでもいいって言ってるでしょ? それより見て、動画終わってない」
「動画なんかより見てっ、主に現実をっ」
忍はもう一度、浩介を睨んだ。視聴の邪魔をしたら殺す、そう顔に書いてある。
「いい加減にしないと、怒るよ?」
ほとんど脅迫に近い言い方だった。
これ以上抵抗するといきなり「覚悟っ!」と叫んで棒手裏剣でも投げて来かねない。リアル『霞時雨』を喰らうのはごめんだ。
仕方なく浩介は画面に視線を戻すが、集中できようはずがない。
誰かに気づかれて、写真でも撮られたらどうするんだ? そういう気持ちでいる。




