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拾った野良猫が、呪われた王子様でした  作者: S@Y@


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第一話 公爵令嬢は王子様を拾う

王都の裏路地には、表通りとは違う時間が流れている。


 昼間だというのに薄暗く、古びた建物の隙間から差し込む日差しも、地面まで届くことはない。


 そんな路地裏を、一人の少女が歩いていた。


 赤みの強い長い髪を高い位置で結い、仕立ての良いドレスを身にまとっている。


 どう見ても貴族令嬢。


 けれど、その姿からは上品さとは程遠い雰囲気が漂っていた。


「……ったく。あの馬鹿、逃げ足だけは速いな」


 少女――ローゼリア・ヴァレンタインは、苛立たしげに舌打ちした。


 公爵令嬢。


 それが彼女の肩書きだ。


 だが、王都の人間は彼女を別の呼び名で呼んでいる。


『狂犬令嬢』


『野蛮な公爵令嬢』


『男より男らしい女』


 どれも褒め言葉ではない。


 しかしローゼリア本人は、気にしていなかった。


「売られた喧嘩を買っただけだろ」


 そう呟きながら歩いていた、そのときだった。


「……ん?」


 路地の隅。


 壊れた木箱の陰から、かすかな声が聞こえた。


「ニャ……」


 ローゼリアは足を止めた。


「猫?」


 近づいてみる。


 そこにいたのは、一匹の黒猫だった。


 艶のある黒い毛並みはところどころ汚れ、身体には小さな傷がいくつもある。


 そして何より――ひどく弱っていた。


「おい」


 ローゼリアがしゃがみ込む。


 黒猫はゆっくりと顔を上げた。


 黄金色の瞳が、彼女を睨みつける。


「……なんだ、その目」


「ニャ」


「助けてほしいのか?」


「……」


「違う?」


「ニャッ」


「じゃあ、なんだよ」


 黒猫は答えない。


 当然だ。


 人間の言葉を話せないのだから。


 だが、この黒猫にはローゼリアの言葉が理解できていた。


(違う。助けなど必要ない)


 黒猫――アレクシスは心の中で吐き捨てた。


(私は……第一王子だぞ)


 三日前まで、彼は王宮の自室にいた。


 いつもと変わらない一日だった。


 執務を終え、夕食を済ませ、眠りについた。


 それなのに、目を覚ましたとき。


 身体は黒猫になっていた。


 最初は夢だと思った。


 だが、何度目を覚ましても元には戻らない。


 人間の姿に戻るための魔法も使えない。


 誰かに助けを求めようにも、口から出るのは猫の鳴き声だけ。


 しかも、王宮には自分を狙っている何者かがいる。


 黒猫になったことを知られれば、命を狙われる可能性もあった。


 だから逃げた。


 王宮から。


 追手から。


 そして、三日間まともに食べることもできず、今に至る。


(……こんなところで死ぬわけにはいかない)


 王子としての責務がある。


 国を守らなければならない。


 自分を信じている人々もいる。


 だからこそ――。


「おい」


 ローゼリアの声がした。


「腹減ってんだろ」


「……」


「図星か?」


「ニャ」


「ほらな」


 ローゼリアは立ち上がった。


「待ってろ」


 そう言って、どこかへ行ってしまう。


(……なんだ、あの女は)


 アレクシスは呆然とした。


 普通なら、猫を見つけても放っておく。


 ましてや、薄汚れた野良猫だ。


 それなのに、なぜわざわざ構うのか。


 しばらくすると、ローゼリアが戻ってきた。


 手には紙袋がある。


「ほら」


 袋から取り出したのは、焼いた魚だった。


「食え」


 皿すらない。


 地面に魚を置く。


 貴族令嬢とは思えない雑さだった。


(……)


 アレクシスは魚を見る。


 腹が鳴る。


「ぐうう……」


「ぷっ」


 ローゼリアが吹き出した。


「お前、腹減ってんじゃねえか」


(うるさい!)


 アレクシスは怒りながらも、魚へ近づいた。


 そして一口。


「……!」


 うまい。


 もちろん、高級料理店の料理と比べれば大したものではない。


 味付けも簡素。


 焼いただけの魚だ。


 それでも。


 三日間、何も食べていなかった身体には、それが何より美味しく感じられた。


 夢中になって食べる。


「そんなに腹減ってたのかよ」


 ローゼリアは笑っていた。


 その笑顔には、王宮で向けられていた笑顔とは違うものがあった。


 媚びもない。


 打算もない。


 ただ、目の前の猫が飯を食べていることを嬉しそうに眺めている。


 それだけだった。


「……ニャ」


 アレクシスは小さく鳴いた。


「ん?」


 ローゼリアが首を傾げる。


(礼を言ったんだ)


 もちろん伝わらない。


「もっと欲しいのか?」


「ニャ」


「食いしん坊だな、お前」


 ローゼリアは残っていた魚を差し出した。


 アレクシスは再び食べ始める。


 その様子を見ながら、ローゼリアはぽつりと言った。


「……お前、捨て猫か?」


「……」


「飼い主、いるのか?」


「ニャ……」


「いないのか」


 ローゼリアは少しだけ黙った。


 そして、黒猫の頭をそっと撫でる。


「じゃあ、どうする?」


 アレクシスは顔を上げた。


「うち、来るか?」


「……ニャ?」


「嫌なら別にいいけど」


 そう言いながらも、ローゼリアは手を伸ばした。


「こんなところに置いてったら、明日には死んでそうだしな」


(待て)


 アレクシスの身体が固まる。


(私は王子だぞ)


 そんな男を、勝手に拾うつもりなのか。


「ほら」


 ローゼリアが両手を広げる。


「来い」


(断る)


 アレクシスはそう思った。


 思ったのだが。


 身体が勝手に動いた。


 とことことローゼリアの足元まで歩いてしまう。


「……」


 ローゼリアが目を丸くする。


「なんだ。来たかったんじゃねえか」


(違う!)


 次の瞬間。


 身体がふわりと持ち上げられた。


「ニャアッ!」


「暴れんなって」


 ローゼリアの腕の中。


 そこは、驚くほど温かかった。


「今日からお前、うちの猫な」


(勝手に決めるな!)


「名前どうすっかな」


(名前までつける気か!?)


「……黒いからクロ」


「ニャッ!」


「嫌か?」


「ニャ!」


「じゃあチビ」


「ニャアアッ!」


「よし、チビに決定」


(話を聞け!!)


 ローゼリアは満足そうに笑った。


「よろしくな、チビ」


 アレクシスは怒りに震えた。


 この女。


 絶対に許さない。


 王宮に戻ったら、必ず――。


 必ず――。


「……」


 しかし。


 ローゼリアの腕の中は、あまりにも暖かかった。


 気づけば、アレクシスは目を閉じていた。


 眠気が押し寄せる。


 三日間、まともに眠っていなかった。


 緊張も空腹も限界だった。


 だからだ。


 決して、この女に安心したわけではない。


 そう自分に言い聞かせながら、アレクシスは眠りに落ちた。


 *


「ただいまー」


 ローゼリアが帰宅したのは、王都の外れにある屋敷だった。


 古びた門。


 伸び放題の庭。


 人の気配がほとんどない。


 けれど、門には確かに公爵家の紋章が刻まれている。


 ヴァレンタイン公爵家。


 国内でも有数の名門だ。


 その屋敷を見て、アレクシスは目を覚ました。


(……ヴァレンタイン公爵家?)


 そして、ようやく気づく。


 自分を拾った少女の正体に。


「私はローゼリア・ヴァレンタイン」


 少女は黒猫を抱えたまま言った。


「今日からお前の飼い主だ」


(……ローゼリア・ヴァレンタイン!?)


 アレクシスは目を見開いた。


 知っている。


 社交界では有名な令嬢だ。


 気性が荒い。


 喧嘩っ早い。


 礼儀知らず。


 男爵家の令息を殴った。


 伯爵令嬢と大喧嘩した。


 夜会でワインを頭からぶっかけた。


 そんな噂ばかりが流れている。


 そして何より。


 王太子である自分とも、過去に一度だけ会ったことがある。


 あのとき彼女は、アレクシスに向かってこう言った。


『王子様って大変そうだな』


 それだけだった。


 媚びることもなかった。


 笑顔を作ることもなかった。


 ただ、本当にそう思ったような顔をしていた。


 今になって思えば。


 あのときも彼女は、自分を王子としてではなく、一人の人間として見ていたのかもしれない。


「ほら、チビ」


 ローゼリアが笑う。


「飯にするぞ」


「……ニャ」


 アレクシスは小さく鳴いた。


 このときの彼はまだ知らなかった。


 自分がこの屋敷で過ごすことになる時間が、ほんの数日では終わらないことを。


 そして。


 この乱暴で、口が悪くて、どうしようもない令嬢が。


 やがて自分にとって、何より大切な存在になることを。


 呪いが解ければ、すべて元に戻る。


 そう思っていた。


 ――このときまでは。

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