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ユレルサンカク  作者: 秋沢一文
八章(最終章)
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失われた時の相模原(6)

 ザックを背負った日向ひゅうがマゴヒコと一緒に茶屋を出た。


 阿夫利あふり神社に向かう長い階段を進んだ。登るたび、神社の四方を囲むもりの深さが目に飛び込んでくる。ニット帽を被りなおした日向に言った。


「でも。ロックンローラーのヒューガ先生が、そんな格好しているなんて、なんか意外でした」


「あれ、言ってなかった? 趣味は山登りだって」


 もう懐かしいような感触になった、湘北予備校での日向の講義風景を思い起こす。言われてみれば、講義中の雑談で、そんな話も出ていたような気がした。


「そういえば……、聞いたような気も……」


 曖昧あいまいに答えると、日向は横顔で軽く笑った。


 階段を登りきった。正面に、黒い屋根と赤い柱が印象的な阿夫利神社の社殿が見えた。重厚な鳥居をくぐり、社殿の左手へ進んでいく。


 登山道の入口に白木しらきの門が建っていた。そこからまっすぐ上に伸びる長い石段の両脇を、無数の杉の巨木が埋めつくしている。深い杜だった。山頂へと続く登山道は、荘厳な空気を漂わせていた。


「じゃ、このへんで……」


 立ち止まった日向ひゅうがが、こちらを振り向きながら言った。


「あ、そうだ。もし時間があったら、帰りに、参道の途中にある茶湯寺ちゃとうでらというお寺に立ち寄ってみるといいかもしれない」


「ケーブルカーの途中駅のお寺ですか?」


「そこも有名なお寺なんだけどね……。茶湯寺は、コマ参道の途中にある小さなお寺。茶の湯の寺と書いて『ちゃとうでら』だ。


 百一日参りといって、そのお寺に参拝すると、帰り道で、亡くなった人とよく似た人に会えるという言い伝えがあるんだ。


 ただの迷信だと思うかもしれない。だけど、いまの君には、立ち直るための何らかのきっかけが必要なようだ。


 そんな時には、ちょっと迷信めいたものを頼りにしてみるのも悪くはない」


「ありがとうございます。後で行ってみます」


「オレたち予備校講師は、生徒にアドバイスをすることはできても、生徒の代わりに戦うことはできない。試験で戦うのは生徒自身だ。


 いまの君にも、アドバイスを与えることしかできないが、ヤマトなら本当に大切なもの、失ってはならないものが何なのか、きっと自分の力で見つけだせると思う」


 固い握手をして、日向ひゅうがの背中を見送った。


 日向は入山祓所(はらいしょ)の前で一度ストックを地面の上に置き、両手を合わせた。力強く合掌すると、門をくぐって登山道に入っていった。




 日向マゴヒコと別れた後、阿夫利あふり神社の社殿に戻った。菊原美月からもらったお守りを古札納所に納め、拝殿の前に立って柏手かしわでを打った。


 境内には摂社もあり、それらを見て廻りながらゆっくりと時間を過ごした。


 社殿の反対側にある展望台からは、空が大きく開けて見えた。コイン式の望遠鏡がいくつか並んでいたが、肉眼でも相模湾の海岸線を望むことができた。


 その中に江ノ島が浮かんでいた。天気は好く空気は澄んでいた。


 その後、茶屋の脇から山中に伸びていく細道を歩き、二重滝を見て戻った。下社しもしゃ駅からケーブルカーに乗り、追分おいわけ駅まで下りた。


 日向ひゅうがが教えてくれた茶湯寺ちゃとうでらの入口を探しながら、コマ参道を下っていく。


 登りよりも、だいぶ早い速度で進んだ。コマ参道が残り少なくなってきたが、茶湯寺の入口が見つからない。近くの土産物屋のオバサンに場所を尋ねた。


「お兄さん、通りすぎちゃったよ。もう一段上の左側に石碑があるから」


 再び参道を登っていくと石碑が見えた。文字が刻まれ、赤く塗られていた。達筆の平仮名で「ちゃとうでら」と書かれているようだった。


 ちょうど階段の脇にあり、コマ参道を下りながらでは見落としてしまう位置に、それは立っていた。そこから横に、個人宅の間を抜けていくような小路こみちが伸びていた。


 小路を抜け、一度狭い車道に出た。谷川にかかる小さな金属製の橋を渡ると、正面に茶湯寺の石段が見えた。登っていくと、来訪者を出迎えるように山側にたくさんの地蔵や石仏が並んでいた。


 森のふところに抱かれたような小さなお寺だった。辺りには鳥の鳴き声だけが響いている。人影はなく、ひっそりとしていた。


 奥の本堂のガラス越しに涅槃ねはん像が見えた。静かに手を合わせ、さっき来た小路を通ってコマ参道まで戻った。


(知らなければ、通りすぎていただろう……。)


 そんな想いを抱きながらその小路を眺め、再び参道を下りはじめた。


 そのとき背後から、右足のすそをかすめるようにして、一匹の猫が走り抜けていった。


 驚いて反応すると、猫は前方で立ち止まり、こちらを振り返った。三毛猫だった。猫はニャアと鳴いた。


 人に対する警戒心の薄い猫のようだった。しゃがんででようとすると、参道脇の門をくぐって行ってしまった。


 横から声をかけられた。


「見かけない猫ね」


 さっき茶湯寺ちゃとうでらの入口を教えてくれた土産物屋のオバサンだった。お礼代わりに一度会釈をしてから訊いた。


野良のらですか?」


「うん、たぶん。でも、きっと女の子ね」


「え? 分かるんですか?」


「三毛猫って、オスはすごく珍しくて、ほとんどの場合メスなんだって」


(メス……。)


 阿夫利あふり神社の境内で日向ひゅうがマゴヒコから聞いた、茶湯寺の「百一日参り」の伝承を思い出していた。茶湯寺に参拝すると、帰り道で、亡くなった人とよく似た人に会えるという。


 裾をかすめるようにして傍らを通りすぎ、追いかけようとすると逃げていった三毛猫は、本当に五星ごせい塔子の化身けしんのようにも思えた。

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〈著者・秋沢ヒトシのプロフィール〉

秋沢一氏あきさわ・ひとし /コピーライター、作家。小説『見えない光の夏』で第3回立川文学賞・佳作。ラジオCMコンテストでの受賞歴少々。お問い合わせは、「作家 秋沢」で検索するか、以下のアドレスでアクセスできる、ウェブサイトのフォームから。https://akisawa14.jimdo.com/

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