炊事番
「おーい!」
なだらかな川に向かって、遠くから声を掛ける。
彼女は、川の浅瀬でなにやら騒がしそうだ。水飛沫をあげて、ステップを踏んでいるように見える。のどかに靡く川の水面は、陽の光を散らし、眩い程に輝いている。普段は目立つブロンドの髪が、光に溶け込むように馴染んで見える。
俺の声に気が付かないのか、はたまた気が付いた上で無視をしているのかは分からない。ただ一つ言えることは、随分と絵になるように見える、という事だけだ。
俺は鍋の下の薪を取り出し、足で踏んで火を消した。似合わないエプロンをつけたまま、川で遊ぶ彼女の元へ向かう。
「セラ、そろそろ飯ができる」
川の手前で止まり、声を掛ける。すると彼女は身を起こして俺の方へ向いた。その手には彼女の相棒のカトラスが握られており、3匹の大ぶりな魚が突き刺されている。
「これも」
心なしか浮ついた表情であるように見えた。彼女は魚を突き刺したカトラスの先端を俺の方へ向け、一言だけ呟いた。先ほどまでの騒がしい様子は、魚を捕まえる為にバタついていたのか、散々遊んだ挙句、弄んだ魚を最終的に捕まえたのかは分からない。どちらにせよ食べるつもりではあったのだろう。
「分かった。焼いてやるから、とりあえず服を着てくれ」
俺のすぐ横には、脱ぎ散らかされたであろう服が散乱していた。カトラスから魚を引き抜き、はぁ、と溜息をつく。出来るだけ彼女の裸体を見ないように、視線を逸らす。溜息をつきたいのはこちらだ。
「分からんものを求めるのは酷だと思うが、もう少し恥じらいを持つということを覚えてくれ」
彼女は本当に分からなさそうな気の抜けた顔をしているに違いない。それもそうだろう、何せ彼女は、女のいない、むさ苦しいうちの傭兵団の中で育ったのだから。なんなら上裸が普通だと思っていないかが心配である。
俺の言葉が伝わっていないのか、裸のまましゃがみ込んで、魚を突き刺して汚れたカトラスを洗っている。今この布を渡したら、濡れた身体を拭くのではなく、洗ったカトラスを拭かれそうだ。そう懸念した俺は、脱ぎ散らかされた服の上に身体を拭くための布をそっと置いた。
「それじゃあ、俺はこの魚を焼いてくるから。ちゃんと服を着てから来るんだぞ」
少し遅れて、こちらを見ずにうなづく。今はいつもの無表情だろうか。それか不機嫌寄りの表情かもしれない。
鼻で溜息をついて、踵を返す。大喰らいの多い仲間のために、食事の用意へと戻った。
食事の準備を終え、稽古場に向かうと団長の後ろ姿が目に入る。
「団長、飯出来ましたよ」
「おう!そうか!いつもすまんな」
団長は、俺と会話しながら、木製の模造刀で新兵をボコボコにしていた。流れるように模造刀を巻き上げて空へ飛ばす。飛んでいった模造刀を新兵が目で追った一瞬のうちに、足払いで態勢を崩し、武器を無くした新兵をしばきあげていた。片っ端からやられたのだろう、似たようなボロボロな風貌になった新兵が十人ほど居る。
彼らは皆、苦しそうな呻き声を上げて腕立て伏せをしていた。
「懐かしいだろ。ヴァル、お前もやるか?」
「……今は鉄鍋とお玉しか持ってませんけど」
「なるほど、戦う料理番ってか」
「先に準備してますよ」
「お前もそろそろ子離れしたらどうだ?俺の代わりにコイツらもんでやってくれよ」
「飯の後なら良いですよ。早く食ってくれないと冷めてしまう」
そう言って、団長に背を向けて他の兵のところへ向かった。
「しっかし、立派なおかんになっちまって……。ガキを育ててりゃあでけぇ男もおかん化するのか、それともアイツに元々その素質があったのか。なぁ、お前らはどう思う?」
事もなげに新兵の攻撃を捌きながら問う。攻撃をあしらわれ、腹部に蹴りを入れられた新兵は、大きな呻き声を上げる。問い掛けに答える余裕はなさそうだ。
「アイツの武器が鉄鍋なら、午後の稽古は今より楽かもな」
団長の悪い顔が浮かぶような、笑い声が聞こえる。
「おら、さっさと起きて、ヴァルを手伝え。ここに残りてぇなら、飯抜きでしごいてやる」
まぁ、そんな事を言ったのだろう。バタバタと逃げるような音に振り返ると、泥だらけの新兵が俺の元へ駆けてくる。
「飯だぞ〜、食いてえやつは準備しろ〜」
団長は片手を口元に当て、声を張り、そう叫んだ。覇気があり、声が良く通る。これもまた、団長になる為の才覚の一つなのかも知れない。その声を聞いた稽古中の兵が思い思いに返事をし、各自片付けを始める。
持って来た鉄鍋とお玉を鳴らす機会が無くなり、俺は、ただ調理器具を持って稽古場を徘徊するおかしな奴になってしまった。
「おい、手伝ってくれるのは良い。ただその前に、顔と手と、あと体の泥を軽く落としてきなさい。全員で食中毒になるのはごめんだ」
はいぃ、という掠れた声が聞こえたような気がする。そのまま慌ただしく、川に向かってかけて行った。
「まったく…」
俺がそう呟くと、後ろからヤジが飛んでくる。
「おい、ヴァルグ。お前、もうすっかりうちの女房役だな。最初は違和感の塊だったが、その前掛け姿にも見慣れたもんだ」
「そうだそうだ。口うるさいところもまるで母親だな」
俺にそう声を掛けるのは、同じく指導にあたっていた部隊のベテランである、グレン・ハルドとマリクの二人だ。軽口と皮肉の多い二人が揃うと、視界も耳も煩くて仕方がない。
「世の母親は食事において生殺与奪の権利を握っていると聞いたことがあるが……ならお前らの飯はナシだな」
「知ってるか?母親にはこの世に生み出せないもんはないんだぜ?」
「お前も親ナシだろうが。何を知ってんだよ。バカ晒してると自分の隊の奴らにナメられるぞ」
「あ?お前じゃあるまいし、部下にナメられる奴なんかいるかよ」
「は?」
「あーもー、早く行けお前ら。暇なのか?それなら手伝え」
ことあるごとにすぐ喧嘩をする二人に割って入る。
「そんな格好しておいて、一番ビビられているのはこいつなんだよな……」
「あの前掛け姿が逆に引かれているとかないか?」
「あり得る」
直前まで言い争いをしていた二人は肩を組み、俺の耳に入るかどうかの声で、ボソボソと呟く。
「早く、行け」
そういう俺に、二人は軽口を叩きながら、やっと背を向ける。二人が稽古の片付けに戻るのを見送り、訓練場としている場所の少し後方のテントに向かった。
「副団長」
「おう、入れ」
少し身を屈め、片手で入口を軽く開き、頭だけを覗かせる。
「飯の時間ですよ」
「ん?もうそんな時間か」
「えぇ、こちらに持ってきましょうか?」
「いや、俺も行くよ。新人も増えたもんな」
どっこいせ、と言って立ち上がる。動かない俺を見て、不思議そうな顔をしている。
「どうした?行かないのか?」
「……いえ。お互い、年を取りましたね」
「お前は要らない一言を覚えたな」
そう言って副団長はテントを出て、拳で俺の胸を軽く小突く。




