第6話 傷の原因
教室に入ると、僕の席の周りで人集りが出来ていた。
昼休みの間ずっと僕が席を外していたからだろう。そこには別の女子生徒が座っていたようで、彼女は真っ青な顔で仰向けになって床へ倒れていたのだ。
見ると、僕の椅子の脚が根元からバッサリと、刃物のようなもので切られている。
一瞬で切り裂かれたのか、断面は少しのざらつきも無く滑らかだ。
「しっかり! しっかりしてよ! 目を覚まして!」
「どうしたんだ? なんでこんなことに……」
「カーナハンくん……! あのね、お弁当食べようと思ってここの席借りてたの! それでさっき、宗谷くんの術で一瞬スケートリンクみたいになったでしょう? あたしたち面白がって、暫く滑って遊んでて……」
「術が解けたから椅子に座り直したら、突然カーナハンくんの椅子が真っ二つになって! この子、後ろの机に置いてた私の水筒に頭を打って……そうしたら……」
水筒に後頭部をぶつけただけで、こんな風になるものだろうか?
人間ならまだしも、妖魔の生徒が……。
僕が言葉も出せずにいると、水筒の持ち主が顔を覆って泣き出した。
「この子は土蜘蛛なの……ッ! 鉄で頭を打つなんて、冗談じゃない! 死んじゃったらどうしよう……どうしようッ私のせいだッ!」
そうか、人間で言えば金属アレルギーみたいなものなんだ。
妖魔ごとに異なる性質を持っていて、それがあまりにも大きなデメリットになることがある。
教室内は騒然としていた。
いつもならこんな状況を落ち着かせてくれているのだろう、級長の大江も、今は二組の生徒を助けているとかで不在のままだ。
「泣かないで。そもそも椅子が壊れるなんて誰も分からなかったんだし」
「そうだよ! 未来のことなんて分からないんだもん! と、とにかく保健室に連れていこう」
「……ッ、僕が運ぶ」
「えっ? カーナハンくんが?」
「壊れたのは僕の椅子だろ。僕にも、多分責任がある。……彼女だいぶ背が高いし、お前たちじゃ下までおぶって行けないんじゃないか」
女子たちは顔を見合わせた。
倒れた生徒は僕とほとんど背丈が変わらなくて、手脚も長く、体育会系っぽい見た目をしている。
恐らくクラスで一番体格がいい部類だろう。
僕の説得で、彼女たちは「お願い」と頭を下げてきた。
「ヤサコ先生にはあたしたちがちゃんと自分で説明するよ……」
「カーナハンくん、ごめんね。ツッチーのことお願い……!」
──僕の未来視はちっとも役に立っていない。
おぶった女子生徒はぐったりしていて、もうとっくに死んでいるんじゃないかと思えてくるほどだった。
保健室の扉に肘を引っ掛けて、気合いでガラガラとこじ開ける。
「すみません! ステンレスの水筒で頭を打った、土蜘蛛の女の子が──」
「カーナハン?」
「! 大江……!」
保健室の中には、空色の大きなソファに座ってぼんやりと虚空を眺める男子生徒と、その傍で彼の額に触れている鬼の姿の大江がいた。
大江は一旦そちらを切り上げて、僕の方へつかつかと歩み寄ってきた。
そして背負われた生徒を見るなり、僕の背中からゆっくり彼女を持ち上げて、横抱きにすると奥のカーテンの方へ向かっていく。
「羽香、急患だよ。ベッドを空けてくれないかな」
大江は普段より一段高くしたような優しげな声で、ベッドの主に呼び掛けている。
羽香──というのは、間違いない。比良坂の名前だ。
「比良坂もいるのか?」
「カーナハンは羽香にもう会ったのか」
「え、ああ。さっき大書庫で」
「んっ……う……? こえ、……カーナハン……」
さっきぶりの眠たげな声がする。カーテンに遮られているからますます朧気だが、やがてのろのろと出てきたのは、図書室のときより少しばかり寝癖の増えた比良坂だった。
「比良坂! お前あの後、豊川を追いかけに行ったんじゃなかったのか?」
「え……。そう、そう……。なんだけど……でも……南ちゃんは、しょうもないものをドロボーするけど、こういうのは、盗らないとおもう……」
「へ?」
比良坂が小さな手でなにかを差し出してくる。きらりと光る、緑の石。僕はそれを受け取るなり、首にかけたネックレスを反対の手でまさぐった。
「……!!」
──ない。
たしかにここに繋がっていたエメラルドの石。それはたった今比良坂に返されて、僕の手の中だ。
どっと嫌な汗が吹き出す。
接続部分の断面はツルっとしていて、さっきの椅子を思い出させた。
「喋ってたとき、なんか、変だなあと思って……ネックレス……絶対、なんか、付いてただろうなあってところ、なんにもなくて……。南ちゃんのこと、聞いてきたから……盗まれたのかなって、思ったけど。でも、南ちゃんは、大事そうなもの、あんまり盗らない。そういうのは、もっと……別のひとの、しわざ……」
彼女にしてはたくさん喋りすぎたようで、くぁ……と大きな欠伸をすると、比良坂はその場にへなへなと座り込んでしまった。
カーテンの閉まる音が聞こえて、顔を上げる。
大江が「応急処置は済ませた」と言った。
たしか埴生先生を鎮めたときも、自分のことを『鬼の長』って言っていたっけ。大江にはとびきり超常的な力があるようだ。
僕は素直に感心して、「やっぱりすごいな」と呟いた。
「お前、万能なんだな。この学園で一番強い妖魔なんだろ?」
「どうだろう。おれにも出来ないことはあるけどね……」
「そんな風には見えないぞ」
「ははッ。……ほら、羽香。そんな格好でいたら下着が見える」
両膝を抱えてウトウトしている比良坂を抱き上げて、大江は彼女にいっそう顔を近付けると……やわらかな頬に唇を押し付けた。
「ッ!?」
な、なんだ今の……。いや、キスだってことは分かるけど!
日本人ってこんな気軽にキスをするのか?
ネットでもよくシャイだって見かけるし。……妖魔にシャイとか、ある??
僕が混乱している一方で、比良坂はすうすうと寝息を立て始めた。
広いソファの端へ彼女を下ろし、大江は僕を見てクスクスと笑っている。……それはバカにしている風ではなくて、何というか、むしろなにかを諦めて吹っ切れているかのようだった。
「な、なあ。もしかしてお前らって、付き合ってる……?」
「違うんだ。羽香は、おれの婚約者だよ」
「……はぁ? 婚約者……? 付き合うのをすっ飛ばして?」
「家同士が決めたんだ。おれたち自体は、ただの幼馴染に過ぎない。卒業したら祝言を挙げて、羽香はすぐにおれと一緒になる」
……話にいまいち追いつけない。
僕が理解を微妙に拒んでいるうちに、いつの間にか人間の姿に戻った大江は、心許なさそうに学ランの袖を弄るのだった。
「羽香はおれを何とも思っていない。おれに興味がないんだ。嫌われてはいないが、好かれてもいない。見かねたおれの両親が学園に無茶を言って、おれと羽香を寮の同室に指定したくらいには、さっぱり何とも思われていなくて……」
「男女同室ってことか!? それ、比良坂はなんて言ってるんだよ」
「なにも。呆れて笑えてくるくらいに! おれは卒業までに羽香と男女の仲になるよう言われて、一緒に入学したんだ。三年間も同室で過ごしていれば、歳頃の男と女だ、おめでたい間違いでも起きるだろうというのが、大江家の考えだった」
「…………」
何を言えば……何を言ってやればいいんだろう。
大江は「情けないよな」と溜息を漏らした。
そんなことない、と否定するのは簡単だ。でも現状、他人である僕から見たって、比良坂は大江のことを男として見ていない。
「比良坂と結婚出来なかったら、大江はどうなるんだ? 別の人とってわけに、いかないのか?」
「古いしきたりで定められた婚姻だ。従うしかない。おれは今でこそ鬼の長の座にあるけれど、もし嫁を迎えられなかったら、その権利を別の者に剥奪されてしまう。おれが恐れているのは、そいつが今でも人間たちに戦争を仕掛けようとしている事だ」
「……!」
「われわれ妖魔の中では、人間を憎む派閥が、残念ながら未だ多数派だ。だが時代は既に令和。鬼退治なんてもはや、おとぎ話の中だけだよ。人と鬼との融和の道を、これからは生きていくべきで、──人間を憎む派閥……」
「? どうかしたのか……?」
大江が僕のネックレスと、僕とを見比べる。
それから顎に手を添えて何やら無言で熟考し始めた。
「大江? なんだよ急に」
「…………羽香にどこでネックレスの石を見つけたのか、聞きそびれたな」
「たしかにそうだ。でもそんなに大事なことか?」
「あるいは、『誰から取り返した』のか」
「……。……まさか」
「ああ。人間の転校生が珍しくて、少々嫌な悦び方をしている奴がいそうだ……」




