第六章 還る狐 2
2日目を迎えた。以前のように、朝ご飯を食べて、田井中商店で村民会館旧館の鍵を受け取り、図書館へ向かう。この図書館に来るのも三度目だ。図書館の蔵書はバケネコの、閨狐の秘密を解くヒントにはなるが、解決の決め手とはならない。昔話、説話の類いをいくつか読んで、思索にふける。そう、必要な書物はここにはない。真実を明るみに出すためには、猪俣神主の書斎にどうにかして忍び込まねばならない。チャンスは、祭りの準備の時だ。
午後一時過ぎ、十岐川神社。祭りの準備で境内の中は多くの人がいた。資材の運び出しなどで社務所の木戸が開くことも多く、絶好の機会のはずだ。(と、過去の流れから記憶している)
大きな太鼓や注連縄が運び出され始めたのを見計らい、社務所への人の出入りが増えたタイミングでこっそりと人並みに紛れて中に入る。社務所に入ったとたん、線香の匂いが鼻をくすぐった。神主の『殻』にいた頃の記憶が想起され、懐かしさを覚える。嗅覚に刺激され、社務所内の配置も鮮明に浮かんできた。しかし、ここからは時間との戦いである。周囲を警戒しながら、まずは注意深く猪俣宮司の寝室に入室した。この時間帯、猪俣さんは川辺の社へ祈祷に行っているはずだ。とはいえ、こんなところを誰かに見られたらバケネコどころの騒ぎではない。川でなく法に裁かれる。
寝室の枕元の引き出しを探り、お守りの中から鍵を取り出すと、すぐさま隣室の書斎の鍵を開け、木戸を静かに開け、中にすべりこんだ。
目当てのものは奥の本棚の二段目の底板にある。一度開けていればこのギミックはさほど難関ではない。指先に古紙の感触を探りあて、たぐり寄せる。
‥あった。猪俣範頼氏の手記だ。中身を知っているいまとなっては、この手記には歴史的価値以上の重みがある。彼はこれを子孫たる猪俣に託していた。だから、僕は当代の猪俣へその言伝を届ける。さらに僕は周囲の本棚から『十岐奇談拾遺』『十岐封祀記 巻之下』を探し出し、併せて懐に忍ばせた。
「誰かいるんですかー?」
途端に声が聞こえた。葦原泉の声だ。廊下をこちらに向かって歩いてくる音がする。
マズい。音を立てまいと、書斎の扉は閉めていない。今から閉めては中に人がいるのはバレバレだ。かといって開いているのも違和感しかないだろう。僕は敢えて部屋の奥ではなく木戸のすぐ横の本棚の影に隠れた。
足音が近づく。
「あれっ?猪俣さん、書斎の扉開けっ放し?ホントぼーっとしてるんだから」
泉は部屋の入口で立ち止まり、室内の様子をうかがった。
「うわっ、本ばっかり!やっぱおじさん、変わってるわ」
一歩足を踏み入れ、ぐるりと周囲を見回す。
「隠れたつもりですか?そこにいるのはわかってますよ」
!?
「なーんて、一回言ってみたかったんだよね」
泉は笑うと部屋を出た。
「あんな本だらけのところに忍び込んで隠れる人なんていないよね、気のせいかな」
足音が遠ざかっていく。
なんだ、厨二病というか、ちょっとした妄想の発言だったのか‥‥ 僕は胸を撫で下ろした。
と、本の陰に小さな木箱を見つけた。興味が湧いてそっと開けてみると、中には指輪のようなものが入っていた。手にとって観察してみる。
―これは、シグネットリングだ。指輪の台座の部分が刻印になっている。刻印面は少し潰れ、黒ずんでいる。‥いや、焼け焦げているのか?辛うじて読み取れるのは、文字のようなものが刻まれているということだ。特徴的な門構えが印象的である。間違いない、閨狐紋の刻印だ。
閨狐紋のシグネットリング‥‥一瞬僕は混乱したが、ある可能性に思い当たった。これも重要なアイテムだ。想定外の事態ではあったが、瓢箪から駒である。そっと髪飾りとは違う方のポケットに忍ばせた。
すっかり大荷物になった僕は、再度注意深く周りを見回し、書斎を出た。少し悩んだが、鍵は開けたまま、引き出しに戻すことにした。猪俣さんが戻ってきた時に泉が書斎の施錠忘れについて指摘するだろう。その時に鍵が閉まっていたら、何者かが侵入してましたとアピールするようなものだ。
抽斗のお守りの中に鍵を戻し、小走りで社務所の裏口から外に出ると、少しむっとする夏の昼下がりの熱気が鼻腔をついた。僕は深く息を吐いた。これで、小道具は十分。あとは、然るべき開演時間に然るべき出演者を集めるだけだ。
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