第六章 還る狐 3
我ハ刻ノ河ヨリ還リシ閨狐ナリ
今コソ閨狐ノ呪イ解キ放チテ
淀ミシ十岐ノ河ノ流レ清流ニ還サン
祭ノ夜、戌ノ刻、十岐河原へ来ラレタシ
瀬森村長を、猪俣神主を、そして川名健造さんを集める方法は悩んだが、ここは芝居がかった方法で行こう。僕は閨狐を名乗る手紙を、破ったノートにしたためた。本当は古い紙のほうが雰囲気が出るのだが、まあそれは仕方あるまい。代わりと言ってはなんだが、猪俣神主の書斎で入手したシグネットリングを使って文末に赤インクの押印をしておいた。これは僕なりのおまじないのようなものである。
納涼会の日の真夜中にこっそりと川名建設工業社屋を抜け出し、それぞれの家のポストへ入れておいた。深夜の吉野瀬村は異界もかくやと言わんばかりに不気味な雰囲気だった。ま、これは僕の気持ちの問題だが、怪文書の配達にはうってつけの夜と言えよう。
翌朝、健造さんは青い顔をしていた。毎朝、朝刊を取りにポストに行くのは健造さんだから、さっそくあの文面を見たのだと思う。心臓に悪い手紙かもしれないが、正攻法でいくとさっそく怪しまれて突き落とされそうだしな。
さて、元々の流れでは、祭りの日の午前中には十岐神社へ行って猪俣神主から『井→ヰ→川』の講義を受けていたところだが、今やあの神社での準備は不要だ。その代わり、本番の幕が上がる前に彼女には全てを伝えておかなければならない。僕は彼女を間借りしている部屋へと招き入れた。
「沙耶、君は健造さんから『バケネコ』の話を聞いたよね」
「‥‥ああ、昔は夏祭りの夜によくよそから来た人が川に落ちる事故が起きたってやつ?」
沙耶は白ばっくれて見せた。
「違う。瀬森家が、川名家が落としてきた。いや、還してきたって話だ」
目に見えて沙耶は狼狽を始めた。
「なん‥で?‥‥聞いてたの?」
「沙耶には全てを打ち明けておく。信じられないかもしれないが、僕は、吉野瀬村に来てから夏祭りの夜までの3日間をもう5回繰り返している。そして、毎回、違う人間として過ごしている」
「意味が‥‥意味がわからないよ」
「初めは、君に殺された。そしたら、僕は君になった。そして、村長に殺された。そしたら、今度は村長になった。次は猪俣神主、その次は健造さん。そして、ようやくここに還ってきた」
沙耶は押し黙ったままだ。
「君に起きた事は僕も経験している。だから、知っている」
「なんで、なんで白瀬が殺されるのよ!?なんで私はあなたを殺したの?」
「僕がバケネコ―閨狐だから」
真夏の昼なのに、冷たい一陣の風が吹き抜けた気がした。
「僕が閨狐だから、僕は一度君に殺された。でもね、その伝説は歪に伝わり、その力はねじ曲がって振るわれている。僕は、バケネコを退治することが間違っていると、今夜証明しなきゃならない」
「そんな、急にいわれても‥‥証明できなきゃどうなるの?」
「僕はたぶん、君か瀬森村長か、神主か健造さんにまた還されるんだろう」
僕は川の方を見つめる。
「川の神力は強力だ。たぶん、僕がやり遂げるまで何度だって僕を2日前に還してくれるだろう。でも、人間の心は、魂はそんなにタフにできちゃいない。同じ日を何度も何度も繰り返していけば、僕の心は壊れてしまうと思う」
「‥‥壊れたら、どうなるの?」
沙耶が震える声で訊ねる。
「ゲームのNPCのように決まった行動を繰り返しながら、永遠に夏祭りの夜に殺され続けるのかもね」
沈黙が川辺を支配する。
「でも、そうなりたくないから、今回でケリをつけにきた」
「どうして、私にそれを?」
「君は、まだ染まりきっていないはずだから。まだ、縛られきってないと思ったから。このたちの悪い呪いの鎖を断ち切るためにはきっちり研ぎ澄ませた鋏がいる。鋏には刃が二つ必要だ。片方は僕がやる。もう片方を君にお願いしたい」
「私‥私‥‥無理だよ!私は吉野瀬の人間で、この村から、川名の名前から、宿命からは逃れられない!」
僕は沙耶の両肩に手を置いて、言い聞かせるように言った。
「違う。君は川名の跡取り娘じゃなくて、僕の大切なゼミ仲間、川名沙耶だ。君は君の思ったままのことを、ありのまま口に出せばそれでいい。その時が来たらきっと分かるから。僕を信じてほしい」
沙耶はようやく渋々頷いた。
「わかった。で、具体的にはどうしたらいい?」
「戌の刻、川辺に一緒に来てほしい。あとは、なりゆきさ」
僕はとびきりの笑顔でそう答えた。
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