30.罠
夜空には星が瞬いていた。
「俺の兄は幼い頃から本当に優秀な人でした」
そうゆっくりと彼は語り出した。
美しい黄金色の髪が月明かりに照らし出されてほのかな光をまとっていた。エメラルドの瞳は静かな光を湛えて今は伏せられている。
「勉学も剣術も……、俺は敵ったことが一度もありません。そして少しは驕り高ぶってくれれば性格が悪いと蔑むことができるのに、そういったところもないのです」
そこに宿るのは諦観だった。その感情に行き着くまでに一体どれほどの時間がかかったのだろう。
彼は言う。
「俺は……、兄のスペアにすらなれない」
「そんな悲しいことを言わないで」
それを強い声が遮った。
ステラだ。
彼女のサファイアの瞳が月明かりを反射してキラキラと輝く。
「あなたはあなたよ。お兄さんがどれだけ優秀でも関係ない。あなたにはあなたにしかない価値があるの!!」
「ステラさん……」
レイルは顔を上げた。しかしその瞳にはまだぬぐいきれない悲しみが映っている。
その手を強引にステラが握りしめた。
白魚のような両手に掴まれた手は、彼女の胸元に引き寄せられる。
その強さに、レイルはふと、唇を綻ばせた。
「そうだったらいいですね」
「絶対にそうなの!!」
ステラは頬を膨らませてそう主張した。
ーー暗転。
「願いの叶う石なんて、そんな都合の良いものは存在しなかったのよ!!」
場面は先ほどとは異なっていた。ここには夜空などはない。ここにあるのは頭上から降り注ぐ柔らかな光。
朝なのだ。
日の光を反射して、彼女のハニーブロンドに天使の輪がかかる。
サファイアの瞳が視線を射抜いた。
「だって謎を解いても、結局出てきたのはこんなトラップだけだったじゃない!!」
そう言って指し示した先にはーー、
そこでミモザの目は覚めた。
(今のは……)
場所は扉の前。腹ごしらえを終えて、さぁ、いざ開こうとしたところで、ミモザは強烈なめまいに襲われたのだ。
くらくらする頭を押さえ、彼女はなんとか目の焦点を合わせようとする。
視界のブレが徐々に収まり、目に飛び込んできたのはーー、バーナードが何かを開けようとする姿だ。
ーー『何か』を。
扉を、だ。
「……っ!? ま、まっ!!」
がこん。
気づいて声を上げた。その甲斐も虚しく、扉は無情な音を立てて開いた。
ミモザはその奥にある物を知っている。
たった今、前世の記憶で見たのだから。
鈍い音が響く。
「……ん?」
「なんだ?」
ジーンとバーナードが音の正体がわからず首をひねる。
そんな二人にミモザは「逃げて!!」と叫んだ。
もう遅かった。
叫んだ時にはもう、三人の目の前に命の危機が迫っていた。
ーーすなわち、
とんでもなく巨大な岩の塊が。
「馬鹿じゃないの!?」
思わず叫びながらミモザはメイス姿のチロを構えた。そしてすかさず衝撃派を放つ。
地面に突き立てられたメイスから波状するように、衝撃波は地面を穿ち、真っ直ぐに大岩へと届いた。
大岩は少し揺れた。
止まらなかった。
「ーーっ!? 逃げろーーーー!!」
叫んだのは一体、この場にいるうちの誰だったか。
そんなことも認識できないまま、三人は駆け出した。
先ほどまで歩いてきた緩やかな坂道を転げるような勢いで駆け降りる。
球状をした大岩は最初はゆっくりと、しかし徐々にその速度を増して追いかけてきた。
(ーー死ぬ!!)
ミモザの頬を目から溢れた涙が横切る。
先ほどの前世の記憶でも、ステラ達はこの『トラップ』に引っかかって逃げていたのだ。
その解決方法は、最初にいた台座だらけのあの空間まで逃げ切るということ。
この細い一本道では避けられないが、広い空間に出れば横に逃げることが可能だからだ。
しかし、言うが易いが行うは難し。大岩は髪の毛すれすれなのではないかという距離感で迫ってきている。
ふと、走っているミモザは目の前の視界に違和感を覚えた。
薄暗い道の先、暗がりが揺れたような気がしたのだ。
(一体ーー)
なんだ? とその違和感の正体を突き止めようと目を凝らした彼女の前にそれは現れた。
「ーー馬鹿じゃないのっ!?」
このセリフを叫ぶのは本日二回目である。
ミモザの右隣でジーンがうめく。そして左隣ではーー、
「ああ、ミスったな」
バーナードが顔をしかめた。
「こんなことになるとわかっていたら、仕込まなかったのに」
「いつの間に仕込んでたんだよ!!」
『それ』はどうやら、このゆるい坂道をえっちらおっちらと登ってきたらしい。
巨大なゴキブリの姿があった。
「おかしい……。僕たちは終始和やかな雰囲気で協力していたはずなのに……」
ミモザのぼやきにバーナードはふっ、とニヒルな笑みを浮かべた。
「どんなに馴れ合おうと敵は敵! 第一、ひとつしかない願いの叶う石を手に入れるために仕込みをするのは当然だろう!!」
「……ちなみに仕込んだ人に質問なのですが、アレ、言うことを聞かせたりできます?」
彼は不敵に笑った。
「できない!!」
実にさわやかでむかつく笑顔だった。
「言ってる場合ですか! 二人とも!! 来ますよ……!!」
ジーンが警告を発する。
気がつくと巨大ゴキブリまではあと数メートルという距離だ。
背後からは迫り来る大岩、前方には巨大ゴキブリ。
その口元にあるノコギリのような大顎が開き、シャアッと声を上げた。
ミモザはメイスを構える。そして腹の底から声を出した。
「飛べーーーーっ!!」
メイスを地面へと突きたてる。そのまま棒高跳びの要領でゴキブリの頭上へと飛んだ。
横に避けられないなら、縦に逃げればいいのである。
そんな彼女の隣で、ジーンは魔法で土を盛り上げてその上に乗り、バーナードは鞭で天井のでっぱりを掴むことでゴキブリの上へと移動していた。
三人はそのままゴキブリの背中へと着地し、すかさず疾走する。
(ーーどうだ!?)
そしてお尻側から飛び降りて背後を肩越しに振り返った。
巨大ゴキブリが障害物となり、大岩を止めてくれるのではないかと期待したのだ。
結果はーー、
ずごしゃっ、ばきっ、ぐしゅっ!!
無慈悲な音がした。
勢いのついた大岩が、ゴキブリを潰した音だ。
「…………」
無言で見つめるミモザの前で、それは障害物をものともせず、勢いよく迫ってきた。
次はお前だ、と言わんばかりの風格である。
「走れ走れ走れ走れ!!」
「言われなくともっ!!」
叫ぶミモザにジーンも大きな声で怒鳴り返した。




