第29話 先輩の、無我夢中
柚子先輩の顔がどんどん近づいてくる。
それも真剣な表情で、いつもと違う赤縁の眼鏡をかけながら。
「…………」
「…………」
そして文字通り柚子先輩の顔が目の前に来た時、変化が起きた。
起きたって言うか、起きなくなったというか。
「…………」
「…………」
止まった。
柚子先輩の動きが止まってしまった。
先輩が持つ赤縁の眼鏡が今まさに、俺にかけられようとしている。
もう握り拳よりも近い距離に度の入っていないレンズがそこにあった。
だけど柚子先輩は動かない。
「…………」
「…………」
赤く縁取られたレンズ越しに、赤縁の眼鏡をかけた柚子先輩の顔が見える。
度ありと度なし。二重のレンズを越えた先にある大きくて丸い黒の瞳が大きく見開かれていた。
「……先輩?」
「…………あっ! ご、ごめんすぐかけるね!」
声をかけると柚子先輩は驚きながら動き出した。
動き出すって言っても手を前に伸ばして眼鏡をかけてくれるだけだけど。
そうして今度こそ、柚子先輩のプレゼントであるお揃いの赤縁眼鏡がかけられて。
「…………」
外された。
「…………」
かけられた。
「…………」
また外された。
「…………」
またかけられた。
「…………」
え、これなにどういうこと?
柚子先輩によって、俺の顔と空中を眼鏡が反復横飛びしている。
横と言うか、前後と言うか、細かいことはこのさい無視だ。
「…………」
真顔というか、真剣と言うか、放心というか、なんともいえない表情の柚子先輩。
もちろん当然のようにまだ至近距離だ。
まだ見慣れない柚子先輩の赤縁眼鏡姿に凄くドキドキする。
「…………良い」
「え?」
長い沈黙から抜け出した柚子先輩が、ボソッと呟いた。
「……けどいつも通りも」
そしてまた外される眼鏡。
「うん。でもやっぱり……」
更にまたかけられる眼鏡。
「こっちも良いなぁ……」
ご満悦。
目の前で超ご満悦の表情になった。
か、かわっ、かわかわかわわっ!
柚子先輩今自分のいる場所と距離感わかってますか目の前ですよ目の前!
最近距離感が物理的にめっちゃ近づきましたけど今回は正面ですからねヤバいんですよそんな笑顔向けられちゃうと!
いつもと違う赤縁眼鏡によって威力跳ね上がってるんですよ!!
「せ、先輩……?」
「ごめんもうちょっとだけ……」
「せ、先輩!?」
近づいてくる、どんどん近づいてくる。
さっきまでの比じゃないぐらい近づいてくる!
視線は真っ直ぐ、俺がかけている赤縁の眼鏡に向けられている。
なので目と目がずっと合っている状態。
けれど柚子先輩は夢中になっているのか視線を外してくれないし、俺も外す気はない。
もちろん、死ぬほど恥ずかしい。
「……かっこいい」
「かっ!?」
え、待って、今の聞き間違い?
いやそんな筈は……俺が柚子先輩の言葉を聞き間違えるなんてある訳がない。
言った、確かに今かっこいいって言った!
柚子先輩どっち……どっちですか!
俺と眼鏡、どっちにかっこいいって言ったんですか!?
「……も、もうちょっとだけなら」
それは誰に言った言葉なのか。
夢中になってしまった柚子先輩が独り言のように呟き、そして更に俺に近づいてくる。
物理的な距離は限界を迎えて、ついに。
ぎぃっ。
俺の座る椅子がわずかに後ろに動いて音が鳴り。
「せ、せせせせせせ先輩っ!?」
そして、先輩が俺の膝の上に座った。
……前向きで。




