15.嘘と緋色王
「はぁ……はぁ……」
閑散とした町の道路。そこを、ガタガタと車椅子が揺れながら進む。そこに腰掛けるイレーアの背後からは、荒い息が聞こえていた。
イレーアが口を開く。
「もういいわ。貴方達だけで行きなさい」
「やだっ!」
イレーアの車椅子を必死に押していた褐色肌の少女が、泣きそうになりながら叫ぶ。孤児院にいるのは、イレーアとエヴァを除けば皆、10歳未満の幼い子ばかり。交代で車椅子をここまで押して駆けてくれたが、もう限界だ。
「……勘違いしないでくれる?」
イレーアは冷たい視線を周囲――誰一人として一人で逃げようとしない孤児院の子供達を睨みつけた。
「どういう意味、だよ……?」
子供達の一人――やんちゃな性格を伺わせる少年が、問う。彼は子供達の中でも特に荒い息を吐いていた。彼は10歳。イレーアとエヴァを抜いた中では最年長――実質的な、子供達のリーダーだった。
ここまでの道のりも、ほとんど彼が一人で車椅子を押して来たのだ。
「ふふ……お生憎様。私は貴方達とは違うのよ。私には、とっても仲良しな日本人の男性がいるの。その人が私だけを助けてくれるって言ってるのよ」
イレーアは馬鹿にするように言った。
「このあたりが待ち合わせ場所よ。運んでくれてどうもご苦労様」
少年が怒りにその表情が染まる。何かを叫びかけ、背後の方から響いて来た破壊音に、口を噤んだ。既にすぐそこまでマギア達は迫って来ているのだ。
「ああ、そうかよッ! ……お前らも、こんな奴放っておけ! もう行くぞ!」
「……うん」
車椅子から離れる掌。子供達は少年に後押しされるように、イレーアを置いて進み始める。最後に走り出した少年の頬には、涙が伝っていた。小さく謝罪の声が、イレーアの耳に届く。
「……」
イレーアは答えなかった。
徐々に、子供達の姿が遠くなっていく。一人残された彼女は、迫ってくる音と、振動を感じていた。だが、道の真ん中で止まったまま、車椅子のタイヤを回す事なく、留まっていた。誰も、ここへやってくる事などない。
待ち合わせなど、存在しない。
「……ここなら見晴らしも良いし、大勢のマギアが釣れるかしら」
一体でも多くのマギアが自身へと群がり、侵攻が遅れれば、子供達の生存率がほんの僅かでも上がるかもしれない。まあ、マギアに目なんてものはないし、見晴らしなんて物がそこまで関係あるのかはわからないけれど。
「……あ、れ」
イレーアは、そこで気付く。手が、震えていた。カチカチと、歯が音を立てていた。もう自分のやるべき事は終えた。だからこそ、だろうか。感情が溢れ出していた。彼女は少しでも震えを止めようと、己の肩を抱く。
「はっ……はっ……はっ……」
浅く、早い呼吸が続く。苦しい。寒い。頭の奥で耳鳴りがしている。振動がだんだんと大きくなる。破砕音の発生源が、近づいて来ている。
もう完全に、子供達の背も見えない。ここにいるのは自分一人だけ。誰にも、この声が届く事はない。だからこそ、彼女は口にした。
「一度で良いから……自由に、走り回ってみたかった」
俯いた彼女の視線は、動かぬ己の足へと向いていた。
すぐそばの建物が、爆発するように崩れ落ちた。瓦礫となったそれを乗り越えるようにして現れる、マギア――蜘蛛型の大群。それに気付いたイレーアが、喉を引きつらせ短い悲鳴を上げた。視界がマギアで埋め尽くされていく。
死が、迫る。
突出した一匹が、イレーアへと一直線に向かってきていた。
「い、や……死にたく、ない……」
彼女は叫んだ。
「……死にたくないッ!」
イレーアの願いを、
『――その願い、聞き届けたぁあああああああッ!』
天から舞い降りた真っ赤な巨人が、実現する。迫って来ていたマギアを、上空から飛来して来たと同時、踏みつぶしていた――……
* * *
「……ギリギリ、間に合ったか」
エルは視界の端――MSG越しにイレーアの姿を確認して、息を吐く。
と、機体の後部に強烈な熱。エルは慌ててバックパックを切り離し、マギアの群れの方へと蹴り飛ばす。直後、バックパックから炎が上がり、迫って来ていたマギアを巻き込んで爆発する。
「ちょっ……カヤ爺、どうなってんだ!?」
エルは危機一髪の状況に思わず叫ぶ。
『馬鹿モンがぁっ! 十年以上前に作られたポンコツじゃぞ! そこまで保った事を、儂へ感謝して讃えんかいッ!』
グラスビュアに開いた窓に映し出される、小柄な老年整備員――北江カヤジが怒声を発する。
小型の格納庫にあったのは、骨董品ばかりだった。先ほどの長距離飛翔用のバックパックもかなり昔に作られてそのままだった物だった。
「にしても……すごい数だな」
初戦で戦ったときもすごい量がいたが、それとは比べ物にならない。これを自分一機で持ちこたえなければならないのかと、うんざりしてしまう。が、逃げるなどという選択肢は存在しない。
「カヤ爺、武器は?」
エルが掛けているグラスビュアと、最初期のマギクラフトたる緋色王とはあまりにもソフトのバージョンが違い過ぎ、まともに情報のやり取りができていなかった。機体の状態も、装備も何も分からない。だからこうして、直接カヤジへと問うしかなかった。
そんな彼は今、ほぼ初期型のパイロットスーツに身を包んでいた。唯一、それだけは旧式の物が残っていたのだ。お陰でなんとか機体の操作は可能、といった状態。とはいえ、操作性も接続性も着心地も、悪いったらありゃしない……と。
『――ない』
カヤジが答えた。エルは思わず「……は?」と問い返す。一瞬、何に対しての回答かわからなかったのだ。
『じゃから言うとるじゃろう……武器なんぞないわ!』
「はぁッ!?」
エルの頬が引きつった。
『儂らがやってるのは明確な命令違反じゃぞ。武器や弾薬など、支給してもらえるわけがなかろう!』
「いやいや、あの格納庫の中にも武器くらい……」
『もちろんある。が、持って飛べるほど小さいものはない。当時は、デカい武器こそが敵を倒す最も有効な方法だと思われておったからのぅ!』
カヤジが『お前さんが今すぐに向かわなければならんと言うたんじゃろう』と言う。そこを突かれると、エルも反論できない。
だが、じゃあまさか……。
「この大群を全部、素手で追い払えってぇのか……」
そんな会話をしている間にも、バックパックの爆発によって押しのけられていたマギアが、こちらへと再びなだれ込んでくる。流石にこれは難易度が高すぎるのではないか、とエルが零すよりも先、カヤジが言った。
『それだけじゃあないぞぅ? センサ類との同期も取れとらんから、操作は完全なマニュアル――オートパイロットによる補正は一切なし。そもそも性能自体、今の量産型の何分の1かはわからんレベルじゃ』
「……せめて、それくらいの同期は取っといてくれよ」
『そんな簡単にできりゃぁ技術者なんぞいらんわ。それに、言ったじゃろうが――儂がしておったのはあくまでもメンテナンス。バージョンアップじゃあないわい』
「……はは、は」
エルはカヤジに『メンテナンスしたと言ってもいつどこにガタが来てもおかしくないぞ』とさらなる追い打ちを受け……逆にここまで来ると、一周回って開き直れてしまっていた。
「……それでも、マギアは倒せるんだろ?」
『当然じゃ。そのために作られたんじゃからの』
そんな軽口を叩いたエルは、「ははっ」とやや前向きな笑みを浮かべた。
カヤジはそんなエルに、思い出したように言う。
『……そういえば、一つだけ武器があったの』
エルが言われるままに、機体の太もも部分を稼働させる。そこからせり出してきたのは、ナイフ。ガスを送り込み、敵を内部から破壊する事の出来る、対マギア装備であるWASPナイフ――ではない、ただのナイフ。
『ま、あるだけマシか』
右と、左。合わせて二本のナイフを両手に構える。相手を殺す事はできなくても、蜘蛛型の指――脚を叩き切るくらいなら出来そうだ。
1体に付き2本も脚を奪ってやれば、その機動力は激減だろう。最も太く丈夫ではあるが、親指ならば1本を落とすだけで、バランスを失わせ、かなりの動きを制限する事ができるはずだ。
「……まぁ、俺は強いからな。これくらいのハンデでちょうどいい、さッ!」
自身を鼓舞するようにエルは言った。同時に、地面を蹴った。すぐ前にまで、マギアが迫っていた。ソイツの脚をまず二本、切り落とす。ぐッと強い抵抗を操縦桿に感じた。ナマクラめ、とエルは舌打ちをする。
ナイフの切れ味一つとっても、この差。当時はまだ、巨大な刃物を製造する技術もまだ確立されていなかったのだろう。さらに言えば、時間経過による劣化も起きているだろう。
「でも、切り落とせる」
刃がそもそも通らない可能性さえあったのだ。それに比べたらずっとマシ。
次から次へと迫るマギア。エルは跳ねるように、あるいは脚を軸にして回り込むように攻撃を回避しながら、攻撃を加えていく。
2体目。3体目、4体目。10体目、20体目、30体目。
最初は順手に握っていたナイフは、いつの間にか片方を逆手に持ち替えながら戦うスタイルへと移行していった。
『……これ、は』
カヤジの表情が驚愕に染まっていた。だが、戦闘に集中していたエルは気付かない。
エルの戦闘はまるで、最初からそれが最も効率の良い戦い方だと知っていた、と言わんばかりの速度で最適化されていく。カヤジにはその戦い方が、かつて見た……あるいは魅せられたある人物のものと重なって見えた。
そして、何よりの驚愕の理由は、
『――キーマン現象』
カヤジの目が捉えていたのは、エルの虹彩と、機体の演算機が発する緑の光だった。エルの、目の輝きが強まるにつれ、機体の動きが精密さを増していく。それはまるで、自身の手足を動かす如く。
と、その時。ナイフの一本がついにマギアの脚を切断しきれず、甲高い音を立てて折れる。カヤジが我へ返る。隙が生まれたエルへ、マギアが飛びかかってくる。エルがとっさに腕で受けようとしていた。
『坊主、避けろぅッ!』
慌てて叫んだカヤジの指示に、エルは反応し、バックステップでの回避に切り替える。エルがちらりと向けた疑問の視線に、カヤジが答える。
『ヒイロオウにゃあ、パージ機構が備わってねぇ。あの頃にゃあまだ、そんなもんはなかったんだ』
「……ちッ、そういやそうだったな」
エルはマギクラフトヲタクのアイコが、いつだったそんな事を言っていたのを思い出す。他にもアンカーなど、当時はまだなかった装備がいくつもある。
「しゃーねぇ。掴まれたら最悪、腕ごと切り落とす」
エルはつい多用しがちになり、折れてしまった右手側のナイフ――その柄を放棄し、残った左手のナイフを右手に持ち返る。
既に周囲は脚を切り落とされ、じたばたと地面で跳ねるだけになったマギアで埋め尽くされていた。だが、しかしまだ、それ以上の数のマギアがこちらへと迫って来ている。そしてなにより……。
「……出やがったか」
瓦礫や建造物の影から、複数の巨大な腕が姿を現す。エルが初戦の時、装備が整っていながらも苦戦した、全長20メートルはあろう巨大なマギア――投石機型。それが全部で、3体。
あと、どれくらいの時間で応援が来るだろうか。そもそも、応援は来るのか。わからない。だが、
「別に、倒せなくてもいいさ――守りきれたなら、それで俺の勝ちなんだからよ」
もう目的を違える事はない。エルは、まっすぐに、迫り来るマギアの大群と向き合った――……




