第五話 女神の補償、返品不可
翌朝、セレスティア・ヴァレンティアは、公爵家の屋敷に閉じ込められていた。
王宮からの使者が訪れ、彼女の魔法能力について調査が行われることになったからだ。
父親のヴァレンティア公爵は、顔面蒼白だった。
「セレスティア……。お前は、本当に王太子殿下に魅了魔法を?」
「だから、仕方なかったのよ!」
セレスティアは苛立ったように叫んだ。
「殿下は私にふさわしかった!あの女より、私のほうがずっと美しいし、家柄だって負けていないじゃない!」
「そういう問題ではない!」
公爵が机を叩いた。
普段は娘を甘やかしてきた父親だったが、今回ばかりは違った。
「王太子殿下の意思を魔法で操り、婚約破棄までさせたのだぞ!王家への反逆と見なされてもおかしくない!」
「反逆!?大げさよ!」
「大げさなものか!」
セレスティアは唇を尖らせた。
なぜ、誰も自分の味方をしないのか。
自分は美しい。
自分は公爵令嬢だ。
自分は特別な力を持っている。
それなのに、どうしてこんな扱いを受けなければならないのだろう。
「……そうだわ」
セレスティアは、ふと思い出した。
女神だ。
自分に力を与えたのは女神なのだから、何とかしてもらえばいい。
彼女は部屋の鍵を魔法で開け、窓から庭へ飛び出した。
そして、誰もいない場所で両手を組み、天に向かって叫んだ。
「女神!聞こえてるんでしょう!?」
返事はない。
「ちょっと!出てきなさいよ!」
さらに大声で叫ぶ。
「あなたのせいで、私がこんな目に遭ってるのよ! 責任を取りなさい!」
その瞬間、空気が揺らいだ。
淡い光が降り注ぎ、目の前に女神エルセリアの姿が現れた。
ただし、以前とは少し違っていた。
顔色は悪く、目の下には濃い隈ができている。
「……セレスティアさん」
「遅いわよ!」
女神は、疲れ切った表情でため息をついた。
「何のご用でしょうか……」
「何の用って、決まってるでしょう!私を助けなさい!」
「……何を、どう助ければよいのでしょう?」
「魔法を使ったことをなかったことにするの!みんなの記憶を消して!王太子をもう一度魅了して!それから、私を王太子妃にしなさい!」
女神は黙った。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「それは、できません」
「はあ!?」
「転生時に与えた能力は、あなた自身のものです。ですが、その能力を使って他者を傷つけた責任まで、私が引き受けることはできません」
「何よそれ!あなたのミスの補償でしょう!?」
「ええ。あなたの魂を誤って転生させたことについては、私の責任です。ですが、あなたが何を選び、何をしたのかは、あなた自身の責任です」
「ふざけないで!」
セレスティアは、女神に詰め寄った。
「私が要求したとき、あなたは何でも叶えるって言ったじゃない!」
「……可能な限り、と申し上げました」
「同じことでしょう!」
「違います」
女神の声は、今度は震えていなかった。
「私は、あなたの人生をよりよいものにするために、可能な限りの補償をしました。ですが、あなたはその力を、他人の心を踏みにじるために使った」
「だから何よ!」
「あなたが前世でどのような人だったのか、私は知りませんでした。転生先で何を望むのかも、最初は知りませんでした。ですが……」
女神は、悲しそうに目を伏せた。
「あなたがどのような人間であるかは、今ならよくわかります」
セレスティアは顔を真っ赤にした。
「私を侮辱する気!?」
「いいえ。ただ、これ以上、あなたの願いを叶えることはできないと申し上げているのです」
「なら、あなたなんかいらないわ!」
セレスティアは叫んだ。
「役立たずの女神!無能!最低! 私の人生を返しなさい!」
女神はしばらく、彼女を見つめていた。
そして、小さくうなずいた。
「……わかりました」
セレスティアは勝ち誇ったように笑った。
「そうよ。最初からそう言えばいいのよ!」
しかし、女神の次の言葉は、彼女の予想とは違っていた。
「あなたの転生に関する補償契約について、最後の確認をいたします」
「……は?」
「あなたは転生時に、通常の転生者には認められないほどの特別な能力を要求されました。私は、あなたの魂を誤って転生させた責任から、その多くを認めました」
女神は、淡々と説明を続けた。
「ただし、世界の理に干渉するほどの能力には、制限があります。あなたが他者の自由意志を侵害する目的で使用した能力については、世界の均衡を保つため、相応の制約が働くのです」
セレスティアの顔が、徐々に青ざめた。
「ちょ、ちょっと待って……。何を言ってるの?」
「あなたの魅了魔法は、相手の心を永久に支配することはできません。解除する方法が存在します。そして、あなたが他者を傷つけるために使った能力は、その使用記録と魔力の痕跡を残します」
「……そんなの、聞いてない!」
「あなたは、私の説明を最後まで聞かず、要求を続けられましたから」
「嘘よ!」
「嘘ではありません」
女神は静かに答えた。
「そして、あなたが望んだ不運の呪いについても同様です。他者を一方的に害する目的で使用すれば、その魔法は術者自身に跳ね返る仕組みになっています」
セレスティアは、何も言えなくなった。
自分は、すべてを手に入れたと思っていた。
絶世の美貌。
最高の家柄。
誰もかなわない魔法。
自分を愛する王太子。
けれど、それらを支えていたはずの力には、最初から限界があったのだ。
「……直しなさい」
セレスティアは、かすれた声で言った。
「私の魔法を、直しなさいよ……!」
「できません」
「何でもできるんでしょう!?」
「私は女神ですが、あなたの望みをすべて叶えるために存在しているわけではありません」
女神は、ゆっくりと光の中へ消え始めた。
「あなたには、まだ自分の人生を選ぶ自由があります。どうか、その意味を考えてください」
「待ちなさい!」
セレスティアは手を伸ばした。
「待ちなさいよ!まだ話が……!」
光は消えた。
庭には、彼女一人だけが残された。
セレスティアは、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
やがて、怒りに顔を歪めた。
「……何なのよ、あいつ!」
反省の色は、微塵もなかった。
「全部、女神が悪いんじゃない!」
彼女は屋敷へ戻った。
そして、待ち受けていた現実に直面することになる。
◇
王宮での調査は、着実に進んでいた。
セレスティアが魅了魔法を使用した相手は、王太子だけではなかった。
取り巻きの令嬢たち。
自分に好意を寄せていた複数の令息。
さらには、彼女に不都合な証言をしないよう、使用人たちにも精神干渉を行っていたことが判明した。
被害を受けた者たちは、魔法を解除されると、次々に証言を始めた。
侍女のマルタは、長年にわたって受けた仕打ちを語った。
「お嬢様は、私が少しでも気に入らないことをすると、何時間も叱責されました。食事を抜かれたことも、夜通し立たされたこともございます……」
彼女の声は震えていた。
それでも、マルタは最後まで話し続けた。
「私は、お嬢様に仕えることが仕事だと思っておりました。でも……私にも、心があります」
セレスティアは、その証言を聞いて鼻で笑った。
「大げさね。使用人のくせに」
その一言が、決定的だった。
公爵家の使用人たちは、これまでの被害を記録した帳簿や手紙を提出した。
さらに、セレスティアがエミリアを陥れるために仕組んだ数々の工作も明らかになった。
課題のすり替え。
虚偽の噂。
友人関係を壊すための魔法。
それらを裏付ける証拠が、次々と見つかったのだ。
そして、最後に残ったのが、王太子への魅了魔法だった。
王太子レオンハルトは、王宮で正式に証言した。
「私は、自分の意思で判断していると思っていました。しかし、魔法を解除された後、自分がどれほど不自然な行動を取っていたのか、理解しました」
彼は苦しそうに目を伏せた。
「婚約者を傷つけたことは、魔法のせいだけにはできません。異変に気づきながら、私は自分の判断を疑おうとしなかった。リディアに対して、心から謝罪したいと思っています」
リディアは、彼の謝罪を受け入れた。
しかし、婚約を元に戻すことは望まなかった。
「殿下を憎んでいるわけではありません。ただ、私はこれから、自分自身の人生を歩みたいのです」
彼女はそう言って、王宮を去った。
レオンハルトは、その背中を見送った。
そして、初めて理解した。
誰かを大切にするということは、その人を自分のそばに縛りつけることではない。
ましてや、魔法で心を操ることなど、愛情とは正反対の行為だった。
一方、セレスティアには厳しい処分が下された。
公爵家は王家に対して謝罪し、多額の賠償を支払うことになった。
セレスティア本人は、貴族社会での社交活動を禁じられ、魅了魔法の使用を厳しく監視されることになった。
また、彼女が不当に扱ってきた使用人たちには補償が行われ、希望者は全員、退職して新しい職場へ移ることが認められた。
家格の低い令嬢たちやエミリアに対する名誉回復も行われた。
セレスティアは、すべてを失った。
華やかな社交界。
自分を称賛する取り巻き。
思いどおりに動く令息たち。
そして、王太子妃になるという夢。
それでも、彼女は反省しなかった。
「……こんなの、絶対におかしいわ」
豪華だった自室の窓辺で、セレスティアはつぶやいた。
「私は、ただ幸せになりたかっただけなのに」
その言葉に、返事をする者はいなかった。
かつて彼女のために働いていた使用人たちは、もういない。
彼女の機嫌を取っていた令嬢たちも、もういない。
誰もが、彼女から距離を置いていた。
「……どうして、誰も私を大切にしてくれないの?」
セレスティアは鏡を見た。
そこには、相変わらず美しい少女が映っていた。
金色の髪。
澄んだ碧眼。
誰もが振り返るほどの美貌。
けれど、その顔を見て微笑む者は、もういなかった。
「……私は、悪くない」
彼女は、もう一度つぶやいた。
「全部、女神が悪いのよ……」
その声は、誰にも届かなかった。
◇
その頃、天界では、女神エルセリアが、分厚い書類の山に埋もれていた。
「……転生後の状況報告、完了。被害者への補償、手配済み。王国の均衡、回復傾向……」
彼女は疲れ切った顔で、最後の書類に判を押した。
「これで、ようやく終わりですね……」
すると、隣にいた同僚の女神が、心配そうに声をかけた。
「エルセリア、大丈夫?ずいぶん疲れているようだけど」
「ええ……。少し、魂の照合を間違えてしまいまして」
「また?」
「……はい」
エルセリアは、机に突っ伏した。
「もう二度と、あんな方の担当にはなりたくありません……」
同僚の女神は、苦笑した。
「でも、あなたも勉強になったでしょう?」
「何の勉強ですか……」
「力を与えることと、幸せにすることは、同じではないという勉強よ」
エルセリアは、ゆっくり顔を上げた。
そして、深くうなずいた。
「……本当に、そうですね」
転生先で何を手に入れるか。
どれほど美しい姿を与えられるか。
どれほど強大な力を授けられるか。
それだけでは、人は幸せになれない。
与えられた力を何に使うのか、他人をどう扱うのか、そして、自分の行いにどう向き合うのか。
結局のところ、人生を決めるのは本人なのだ。
ただし。
「……次からは、転生者への説明を最後まで聞いてもらう規則を追加しましょう」
エルセリアは、真剣な顔で提案した。
同僚の女神は、即座にうなずいた。
「絶対にそうしましょう」
こうして天界では、新たな規則が一つ増えた。
『転生者が補償内容の説明を遮った場合、説明が終わるまで転生手続きを開始してはならない』
その規則ができた理由について、天界の女神たちは、長いあいだ語り継ぐことになる。
そして人間界では、セレスティア・ヴァレンティアが、今日も自室で不満を漏らしていた。
「……次に生まれ変わるときは、もっと有能な女神を選んでやるわ」
彼女は、まだ懲りていなかった。
けれど、次の人生があるかどうかは、誰にもわからない。
少なくとも、今の彼女にできることは一つだけだった。
自分の人生を、自分の力で立て直すこと。
もっとも。
「……ああ、もう! 誰か紅茶を持ってきなさいよ!」
その声に応える使用人は、もういなかった。
いつも、主人公がざまぁしていたのですが、逆に性格の悪い主人公がざまぁされる話にしてみました。




