第一話 女神様、それはそちらのミスですよね?
佐藤真理、二十八歳。
彼女は、どこにでもいる平凡な会社員だった。
顔は普通。スタイルも普通。成績も仕事も、良くも悪くも平均的。
ただし、性格だけは平均的ではなかった。
他人の成功を素直に喜べず、自分より美人な女性を見れば粗探しをし、仕事で失敗した同僚には陰で悪口を言う。自分が損をすることには異常に敏感で、他人が損をすることには驚くほど寛容だった。
要するに、性格が悪かったのである。
本人に言わせれば、世渡りが上手なだけだらしいが。
そんな真理はある日の帰宅途中、信号無視のトラックに撥ねられた。
「え?」
それが最後の言葉だった。
次に目を開けると、彼女は真っ白な空間に立っていた。
目の前には、白い衣をまとった美しい女性がいる。背中には半透明の翼が浮かび、頭上には金色の輪が輝いていた。
どう見ても女神だった。
「佐藤真理さん……ですね?」
「そうですけど。ここ、どこですか?」
「私は生命と転生を司る女神、エルセリアです。あなたは先ほど、事故によって命を落とされました」
「は?」
真理は数秒間、黙り込んだ。
そして、女神の顔を指さした。
「ちょっと待って。私、死んだんですか?」
「はい……」
「なんで?」
「え?」
「なんでって聞いてるんですけど!私、まだ二十八ですよ?結婚もしてないし、旅行にも行ってないし、欲しいブランドのバッグだって買ってないんですけど!」
「そ、それは……」
「それは、じゃないでしょ!どうしてくれるんですか!」
女神は困ったように眉を下げた。
「実は、その……」
何か言いにくいことがあるらしい。
真理は目を細めた。
「まさか、あなたのミスですか?」
「…………」
女神は黙った。
その沈黙こそが、何より雄弁な答えだった。
「ちょっと! 嘘でしょう!?」
女神は慌てて両手を振った。
「ち、違うのです!完全に私の手違いというわけではなく、転生予定者の魂の照合に誤りがありまして……」
「それを手違いって言うんでしょうが!」
真理の怒声が、真っ白な空間に響き渡った。
女神はびくりと肩を震わせた。
「本来、あなたはまだ寿命を全うする予定だったのです。ですが、別の世界へ転生する魂と取り違えてしまい、こちらの手続きが進んでしまって……」
「つまり、私は死ぬ必要がなかったのに、あなたのミスで死んだと?」
「そ、その通りです……」
「ふざけんなあああああっ!」
真理は地団駄を踏んだ。
「元の世界に戻してください!」
「申し訳ありません。それはできないのです」
「なんで!」
「一度失われた肉体は、すでに……。魂を元の世界に戻しても、あなたが生きていた状態には戻せません」
「じゃあ、時間を戻せばいいでしょう!」
「それも禁則事項で禁止されており……」
「神様のくせに使えないわね!」
女神の目に涙が浮かんだ。
しかし、真理は止まらない。
「私の人生を台無しにしておいて、できません、無理です、申し訳ありません?それで済むと思ってるんですか?あなた、仕事を何だと思ってるの?」
「ううっ……」
「泣けば許されると思ってる?私だって泣きたいわよ!」
実際のところは、真理は泣いていなかった。
女神だけが泣いていた。
やがて女神は、震える声で言った。
「せ、せめてもの償いとして……別の世界へ転生していただくことは可能です。転生先も、ある程度はご希望に沿うことができます」
真理の涙は、一瞬で引っ込んだ。
「……別の世界?」
「はい」
「どんな世界?」
女神は、ほっとしたように説明を始めた。
「剣と魔法が存在する世界です。王族や貴族が暮らしている、中世ヨーロッパに似た文明圏になります。魔法の才能や家柄によって、豊かな人生を送ることもできるでしょう」
真理の頭の中で、何かが弾けた。
剣と魔法、貴族、美しいドレス、豪華な屋敷、そして、平民とは比べものにならない身分。
さらに、自分の思い通りになる人生。
悪くない。いや、最高ではないか。
「それよ!」
真理は女神の肩をつかんだ。
「その世界に転生させなさい!」
「は、はい……」
「条件があるわ!」
「えっ?」
「まず、顔!」
真理は自分の顔を指さした。
「前世では平凡だったけど、次は絶世の美女!金髪碧眼で、誰もが振り返る美貌!肌は陶器みたいに白くて、髪は絹のようにつやつや!体型も完璧!異論は認めない!」
「そ、それは可能ですが……」
「家柄は公爵家!王族に次ぐ最高位の貴族で、お金も権力もあって、家族から溺愛されること!」
「公爵家ですか……。それも、可能な範囲で……」
「可能な範囲じゃなくて、絶対!」
女神の肩が震えた。
真理は指を一本立てた。
「それから、魔法!」
「魔法、ですか?」
「そう!魔法チートよ!この世界で一番強い魔法使いになれるくらいの才能が欲しいわ!」
「ですが、あまりに強大な魔力は肉体に負担が……」
「誰がそんな話を聞きたいって言ったの?」
真理の怒声が、容赦無く女神を攻め立てる。
「ひっ!」
「私が要求しているのは、あなたのミスに対する補償よ。わかる?」
「は、はい……」
真理は満足そうにうなずいた。
ここからが本番だった。
「攻撃魔法、防御魔法、回復魔法、転移魔法、空間魔法。それから、鑑定魔法も欲しいわ」
「そ、そのすべてを……?」
「当然でしょう。あとは時間停止、収納魔法、変身魔法、若返り魔法、不老魔法」
「不老魔法は世界の理に関わるため……」
「まだあるわよ?」
「ま、まだ……?」
真理はにっこりと笑った。
「魅了魔法」
女神の表情が凍った。
「……魅了、ですか?」
「そう。相手が私を好きになる魔法。私のことを一番大切に思って、私のお願いを何でも聞いてくれるの」
「それは、相手の自由意志を著しく侵害する魔法でして……」
「は?」
真理の笑顔が消えた。
「あなた、自分が何をしたのか忘れたの?」
「い、いえ……」
「私はあなたのミスで死んだのよ?それなのに、まだ私に我慢しろって言うの?」
「そ、そういうわけでは……」
「じゃあ、つけなさいよ!」
女神の目から、とうとう涙がこぼれた。
真理は畳みかける。
「魅了魔法は、私が望めば自動で発動するようにして。魔法への耐性があっても効くこと。解除されても、すぐにかけ直せること。あと、王族にも効くこと!」
「ううっ……」
「それから、私が嫌いな相手には不運が訪れる呪いも!」
「そ、それはもう、転生の補償という範囲を……」
「範囲を何?超えてるって言うの?」
「…………」
「ねえ、女神様。あなた、自分のミスを誰かに押しつけるつもりなの?」
「ち、違いますぅ……!」
女神はついに泣き崩れた。
「わ、わかりました……!可能な限り、ご希望に沿いますから……!」
「可能な限り?」
「すべて……!できるだけ、すべて叶えますぅ……!」
真理は腕を組み、ようやく満足した。
「最初からそう言えばいいのよ」
女神は泣きながら、転生用の光の輪を作り始めた。
「で、では、転生先のご説明を……」
「いいわ。どうせ私の希望どおりなんでしょう?」
「はい……」
「よし。じゃあ、よろしく」
真理は光の輪へ足を踏み入れた。
その直前、女神が小さくつぶやいた。
「……どうか、あの世界の皆様が、無事でありますように……」
「何か言った?」
「い、いえ!素晴らしい人生を!」
真理は満面の笑みを浮かべた。
こうして、佐藤真理の第二の人生が始まった。
本人はまだ知らない。
女神が最後に付け加えた、たった一つの条件を。
「世界の理を超える力には、必ず相応の代償が伴う」
そして、その代償を決めるのは、女神ではなかった。




