第20話:観測哨戒網の凍土と相転移
第8部
旗艦 AGのメインモニターが
切り替わり、
大マゼラン雲(LMC)の
最外縁に位置する
第9観測哨戒網の映像が映し出された。
そこは、
第4LMCステーションのような
大規模な居住区画とは異なり、
宙域の最前線にポツンと孤立した
小型観測ステーションと、
数艇の
長距離巡視艇が浮遊するだけの
殺伐とした極限域であった。
宙域の背景には、
かつて巨星が崩壊した際に
まき散らされた重金属のチリと、
空間構造そのものが引き裂かれた
「次元の亀裂」が、
不気味な黒い亀裂となって
残存している。
物理的な爆発や放射線の嵐は
鎮静化していた。
だが、この極限の宙域で
監視任務に就く臣民たちを
苛んでいたのは、
物理的な脅威以上に恐ろしい
「絶対的な孤立感」と
「空間の変質」であった。
第9哨戒ステーションの狭い管制室。
結露したモニターの前に座る
一人の哨戒兵は、
防寒機能を持つ
厚手の軍服に身を包みながらも、
ガチガチと歯を鳴らしていた。
室温は正常に保たれている。
だが、
不自然に削ぎ落とされた
空間の底からは、
人間の感覚を根本から狂わせる
冷気が滲み出ていた。
「……第3観測ブイ、応答なし。
通信波の
相転移異常……そのまま放置。」
哨戒AIは、
かすれた声でログを打ち込んだ。
かつてなら、
すぐに予備機を手配し、
決死の覚悟で
修理に向かったはずだった。
しかし、
どれほど命を懸けて宙域を監視し、
データを積み重ねようとも、
このステーションごと消し去る
脅威が訪れれば、
全ては徒労に終わる。
その圧倒的な徒労感が、
兵士たちの手足を縛りつけ、
魂を削り取っていた。
彼らの任務は、
もはや
宇宙を監視することではなく、
ただ自らの存在が
消滅する瞬間を
無感情に待つだけの
作業へと成り下がっていた。
ステーションの
ドッキングハッチに接続された
小型巡視艇の内部でも、
二人の搭乗員が
暗闇の中で言葉を失っていた。
「……なぁ、俺たちはここで
何を守っているんだ?」
一人が呟いたが、
もう一人は答えない。
答えなど、
最初から存在しないことを
知っているからだ。
陳情を
上げる気力すら湧かない。
上層部に
救いを求めたところで、
この不条理な宇宙の構造
そのものが
変わるわけではないと、
彼らの冷え切った心が
拒絶していた。
その時であった。
暗黒の真空を切り裂き、
旗艦 AGが、
音もなく第9哨戒網の視界内へと
滑り込んできた。
船体の流線型が放つ機能美。
静かに、絶望の最前線へと
寄り添うように、
巨大な艦影が停泊する。
アーロンは
艦橋のモニター越しに、
第9ステーションの
凍りついた管制室と、
小さな巡視艇の中で
うずくまる兵士たちの姿を、
ただ無言で見つめていた。
「哨戒網の空間定数、
著しい乖離を検出。」
艦橋で、AI副官ロボットが
感情を交えず、
淡々とキーボードを叩く。
「空間消去の境界線において、
存在確率の減衰現象が発生。
現場兵士の認知機能、
極度の精神疲弊により
麻痺状態にあります。」
AI副官が、
手元の端末で
補給ラインのステータスを確認し、
静かに付け加えた。
「該当宙域へのエネルギー手配、
現場からの受信拒否設定により
自動停止中。
兵士たちの自己防衛本能が、
外部との干渉を遮断しています。」
状況は深刻であった。
誰かに傷つけられたのではない。
不条理な介入によって
「己の存在の価値」を
根本から否定された臣民たちが、
自ら心を閉ざし、
消滅を待っていたのだ。
アーロンは、
静かに椅子から立ち上がった。
アーロンはただ、
窓外の漆黒の宇宙へ向け、
静かに右手をかざした。
【全属性変換能】。
アーロンの手のひらから
放たれた光芒は、
大マゼラン雲の最外縁、
黒く引き裂かれた
次元の亀裂へと
一直線に伸びていった。
光は
爆発的な破壊力を
持つものではなく、
絶望の冷気を優しく包み込む、
透明な波動であった。
まず、
空間の亀裂に光が着弾した。
残されていた
不自然な空間の死角、
存在を摩耗させる相転移領域へ、
アーロンの
全属性変換能が浸透していく。
事象の書き換えが始まる。
空間を支配していた
「存在の減衰」
「絶対の冷気」という
負の属性が、
静かに
「強固な空間の安定」
「温かな素粒子の脈動」へと
変換されていく。
黒く不気味に蠢いていた
次元の亀裂が、
輝く結晶のような
美しい位相格子へと相転移し、
宙域全体の空間定数が
完璧な安定を取り戻した。
そして、その光の余波は、
第9ステーションの装甲を
静かに透過し、
結露したモニターの前で
ガチガチと震えていた
哨戒兵の胸の中へと届いた。
「……あ……」
哨戒兵の口から、
漏れ出たのは
悲鳴でも歓喜でもなかった。
身体の底から、
じんわりと湧き上がってくる
圧倒的な「生の実感」。
部屋の冷気は
変わらないはずなのに、
凍りついていた指先に
確かな血の巡りが戻っていた。
胸の奥を押し潰していた
泥のような不快感が
綺麗に消え去り、代わりに
「自分はいま、ここに存在している」
という、
揺るぎない自負が満ちていく。
哨戒兵はゆっくりと立ち上がり、
結露した窓ガラスを
自分の手袋でぐっと拭った。
窓の向こうには、
不気味な黒い亀裂の代わりに、
美しく安定した光を放つ
防衛格子と、
それを静かに見守る旗艦
AGの威容があった。
「……第3観測ブイ、手動再起動」
明朝 7:30 に投稿します。
【セレスティア通信】
大マゼラン雲(LMC)
外縁宙域巡察・完了報告
セレスティア、
ならびにルナ・エレーナにより、
LMC外縁宙域における
全巡察行程の完了データが
以下の通り記録・編纂された。
第9観測哨戒網における
環境・精神相転移
空間相転移:
残存していた
「次元の亀裂(存在減衰領域)」を、
【全属性変換能】により
強固な位相格子へと完全書き換え。
精神相転移:
最前線兵士たちの
極限の孤立感および
精神的疲弊を消去し、
「自立的監視機能」の
再稼働を完了。
α 〜 ε 航路における
副官実務の最終確認
Asgard α 付き副官:
哨戒網復旧に伴う
防衛格子の連動再構築、
およびデータ同期の完了を確認。
ITS α 付き副官:
第9ステーションへの
エネルギー手配および
「車輪銀河」への
ITS位相穿孔計算を完全完了。
【セレスティア通信】(続)
APGにて、
ジュエダン:
「レグナ様、
夜分遅くに失礼いたします。
APGのパネルを試していたら、
レグナ様のお名前が
光っていたものですから……
思わずお繋ぎしてしまいました」
覇王レグナ:
「ジュエダンか。
構わん、
ちょうど
Asgard のメインブリッジで
巡回ルートの最終チェックを
終えたところだ。
このグラスは
公的回線の割り込み音声も入らんし、
お前の元気な声が
直接聞けるのは悪くない。」
ジュエダン:
「ふふ、恐縮です。
我が ∞ 銀河団の巡回と
サテライトの最終調整も、
たった今無事に完了いたしました。
かつて国を追われ、
ボロボロの
制御不能な魔力を抱えていた私に
手を差し伸べ、
黄金のオーラへと導いてくださった
聖王陛下へのご恩……
この不屈の剣にかけて、
日々の防衛で
しっかりとお返ししてまいります」
覇王レグナ:
「お前がそうして
第一線で胸を張り、
臣民を導いてくれていることこそが
何よりの証だ。
かつての呪いを跳ね返し、
黄金の魔力を誇る女騎士として立つ
お前の姿は、
いまや ∞ 銀河団の鍛冶師たちや
臣民にとっても
大きな誇りになっている。」
ジュエダン:
「レグナ様……
そう言っていただけると、
胸の奥が熱くなります。
全多宇宙の平和を維持する任務は
決して軽くはありませんが、
こうしてAPGを通じて
レグナ様と
お言葉を交わせるだけで、
明日の糧となる力が
湧いてまいりますわ。」
覇王レグナ:
「ふ……なら良かった。
重荷を背負い込みすぎるなよ、
ジュエダン。
今夜は武具を置き、
ゆっくりと体を休めるといい」
ジュエダン:
「はい! レグナ様も、どうぞ
お体を労わってくださいませ。
それでは、良い夜を。」
覇王レグナ:
「ああ、良い夜を。」




