氷の令嬢の、計算外のデートプラン
鋼鉄の軍団による学院襲撃事件から、数日が過ぎた。
王都中を震撼させた大事件だったが、幸いにも死者はなく、学院は少しずつ、しかし確実に日常を取り戻しつつあった。
もっとも、その『日常』は、以前とは少しだけ、その色合いを変えていたが。
「見ろ…『紅蓮の戦乙女』と『蒼氷の騎士姫』だ…」
「二人とも、めちゃくちゃ綺麗だよな…」
「あの二人をプロデュースしたっていう、アルト・フォン・レヴィナス…一体何者なんだ…?」
アルト、リゼット、そしてクラウディア。
三人が廊下を歩けば、生徒たちはモーゼの十戒のように道を開け、畏敬と好奇の入り混じった視線を彼らに送る。
彼らは、もはや単なる新入生ではなかった。学院を救った、若き英雄。
そんな、少しだけ気恥ずかしい日常の中、その日、事件は起こった。
昼休み、アルトが一人で図書館へ向かっていると、背後から、凛とした声がかけられた。
「…待ちなさい、アルト・フォン・レヴィナス」
振り返ると、そこには、少し緊張した面持ちのクラウディアが立っていた。
「やあ、ヴァレンシュタイン君。僕に何か用かね?もしかして、プリズム・チャームの出力調整に関するディスカッションかい?」
「ち、違うわ!」
クラウディアは、アルトの言葉を、食い気味に否定する。その頬は、なぜかほんのりと赤い。
「…その…先日の件よ。一応、ヴァレンシュタイン家の騎士として、受けた恩を返さないわけにはいかないわ。だから、その…特別に、この私が、直々に王都を案内してあげる。感謝なさい」
「ほう?」
「い、言っておくけど、これはデートなんかじゃないわ!あくまで、貴族としての義務!そう、これは、首都の重要拠点や防衛設備を再確認するための、戦術的視察なんだから!」
必死に、言い訳を並べるクラウディア。
その、あまりにも分かりやすいツンデレムーブに、物陰からこっそり様子をうかがっていたリゼットは、盛大に呆れていた。
(さ、戦術的視察ぃ!?そんな無理やりな口実、誰が信じるもんですか、このツンデレ令嬢!)
だが、ここに一人。
その無理やりな口実を、額面通り、100%の純度で信じる男がいた。
「戦術的視察!それは素晴らしい!僕もちょうど、王都の上下水道システムと、魔力エネルギー供給網の構造について、実地調査をしたいと思っていたところだ!君の申し出は、実に合理的で助かるよ!」
「え、ええ…そう…(そっちの調査なの…?)」
こうして、氷の令嬢の、人生初のデートのお誘いは、天才科学者の超解釈によって、『王都インフラ共同調査』という、なんとも無機質なプロジェクトとして、ここに成立してしまったのである。
そして、約束の休日。
学院の正門前で、アルトは、息を呑んでいた。
待ち合わせ場所に現れたクラウディアの姿が、いつもと、あまりにも違っていたからだ。
「…待たせたわね」
いつもきっちりと結い上げている銀髪は、ハーフアップにされ、青いリボンで可憐に留められている。
服装は、騎士の制服ではなく、肩口が少しだけ開いた、清楚な純白のワンピース。
その姿は、気高き氷の騎士ではなく、どこにでもいる、恋を夢見る一人の美しい少女のそれだった。
「…ヴァレンシュタイン君か?念のため、個体識別コードを照合させてもらうが…」
「本人よ!」
クラウディアは、顔を真っ赤にして叫んだ。
そんな彼女の姿を見て、アルトは、感心したように深く頷いた。
「驚いた。服装と髪型という視覚的パラメータの変化だけで、人間の印象値がここまで劇的に変動するとは。君のパーソナルカラーである寒色系のリボンは、君の肌の透明感と瞳の碧さを、より一層引き立てている。実に、計算され尽くしたコーディネートだ。簡潔に言うと、とてもよく似合っているよ」
それは、いつものアルト節だった。
科学的で、分析的で、情緒の欠片もない。
だが、その言葉の根底にあるのが、一切の他意のない、純粋な称賛であることだけは、クラウディアにも痛いほど伝わってきた。
「~~~~っ!」
彼女の心臓が、計算外の挙動で、ドクンと大きく跳ねた。
「あ、当たり前でしょ!あなたに会うのに、みっともない格好なんてできるわけないじゃない!…じゃなくて!これは、視察において、周囲に溶け込むための、ただの擬態よ、擬態!」
「なるほど、ステルス機能か。合理的だな」
(((ぜんっぜん合理的じゃないわよ、この朴念仁ーっ!)))
その、甘酸っぱいやり取りを、少し離れた噴水の陰から、サングラスと帽子で変装したリゼットが、ギリギリとハンカチを噛み締めながら見ていることなど、二人は知る由もなかった。
クラウディアによる『戦術的視察』は、始まった。
王都で一番人気のカフェ、歴史ある大聖堂、活気に満ちた市場。
彼女は、少し緊張しながらも、完璧なエスコートで、アルトを王都の名所へと案内していく。
「…ここが、王都で今一番人気のカフェ『陽だまりのテラス』よ。ここのスコーンは、女王陛下も絶賛したとか…」
「ふむ。この香ばしい香りは、小麦粉のグルテンとバターの脂質が高温で結びつくことによって生じる、典型的なメイラード反応だな。完璧な温度管理だ」
「…あちらが、建国千年を記念して作られた『オルフェオン大噴水』よ。七色の光を放つ水しぶきは、まるで宝石のようだと謳われて…」
「ほう!水中に含まれる魔力粒子に、太陽光が干渉して起こるプリズム効果を、ここまで大規模に応用しているのか!これは、古代の光学魔術の応用例として、極めて貴重なサンプルだ!」
「…………」
クラウディアは、少しだけ、むくれていた。
(私が「素敵でしょ?」と言えば、この男は「合理的だ」と返す…。私が「綺麗ね」と言えば、この男は「興味深いデータだ」と返す…!)
会話が、致命的に、噛み合わない。
だが、不思議と、不快ではなかった。
むしろ、自分の知っている世界を、全く違う角度から、キラキラした目で解説してくれる彼の横顔を見ていると、なんだか、今まで見過ごしていた世界の秘密を、こっそり教えてもらっているような、不思議な高揚感があった。
気づけば、クラウディアは、自然に笑っていた。
そんな彼女の笑顔に、アルトが、ふと、分析を止めて、見入っていることに、彼女自身はまだ気づいていない。
日は落ちて、王都の街が、黄昏色から、星々のまたたく夜の闇へと姿を変える頃。
クラウディアは、アルトを、とっておきの場所へと案内していた。
王都を一望できる、小高い丘。通称、『星降りの丘』。
眼下には、無数の街の灯りが、まるで地上に降り注いだ天の川のように、どこまでも広がっていた。
「わ…」
その、あまりにも美しい光景に、アルトも、思わず感嘆の息を漏らした。
「…これは、非論理的だ。単なる、人工的な光の集合体が、なぜ、これほどまでに、人の心を揺さぶるのだろう。…だが、認めよう。これは、僕のどんな数式でも表現できないほどに、美しい」
初めて、彼が、理屈ではなく、ただ、心で感じたままの言葉を口にした。
その、不器用な感想が、クラウディアの胸を、温かく満たしていく。
隣に立つ、彼の横顔。
夜景に照らされたその表情は、いつもより、少しだけ大人びて見えた。
――クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインは、生まれて初めての感情に、戸惑っていた。
(なんなのかしら、この感覚は…)
(心臓の鼓動が、うるさい。でも、戦いの時とは違う。これは、もっと、温かくて、少しだけ、苦しくて…)
彼女は、恋愛経験など皆無だった。
この、胸を締め付ける感情の正体を知らない。
ただ、目の前の美しい光景と、隣にいる彼の存在が、自分を、自分じゃない誰かに変えてしまいそうな、甘い予感に、酔いしれていた。
そして、気づけば、彼女の右手は、無意識に、彼の左手を、そっと求めていた。
指先が、触れる。
アルトの肩が、びくりと震えたのがわかった。
だが、彼は、その手を振り払わなかった。
クラウディアは、勇気を振り絞って、その温かい手を、ぎゅっと、握りしめた。
「…君の手は、温かいな」
アルトが、ぽつりと呟いた。
その声は、いつもより、ずっと、優しく聞こえた。
「…………」
クラウディアは、何も言えない。
ただ、握りしめた手に、さらに力を込めるだけ。
沈黙が、二人を包む。だが、その沈黙は、少しも気まずくなかった。
眼下に広がる、百万ドルの夜景。
手を繋いだ、男女二人。
雰囲気は、最高潮。
二人は、自然と、見つめ合っていた。
互いの顔が、ゆっくりと、近づいていく。
唇と、唇の距離が、あと、数センチ。
このまま、世界が止まってしまえばいい。クラウディアが、そう願った、まさに、その瞬間だった。
「「「「「アルトぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」」」」」
夜の静寂を、切り裂くような、絶叫。
声のした方を見ると、丘の茂みから、髪を振り乱したリゼットが、鬼の形相で飛び出してくるところだった。
その手には、なぜか、護身用(?)の、巨大なフランスパンが握られている。
「な、ななな、なんて破廉恥なことを、こんな夜更けに!だ、ダメよアルト!こ、こんな銀髪キツネに騙されちゃ!」
「り、リゼット・ブラウン!なぜあなたがここにいるのよ!?」
「と、通りすがりよ!そう、夜のパン焼きのために、星の綺麗な場所を探してたら、たまたま!たまたま、二人がイチャイチャしてるところを見つけちゃっただけよ!」
あまりにも、無理がありすぎる言い訳。
甘く、ロマンチックだった空気は、一瞬にして、ドタバタラブコメの喧騒に塗り替えられた。
「だ、誰がイチャイチャですって!?これは、戦術的視察の、報告会よ!」
「夜景を見ながら手ぇ繋ぐのが、報告会ですって!?よくもそんな、白々しい嘘を!」
二人の美少女が、アルトを挟んで、ぎゃあぎゃあと壮絶な火花を散らし始める。
そして、その中心で、あと数センチで、人生初のキスを経験するはずだった我らが主人公は。
ほんの少しだけ、頬を赤らめながら、さっきまで繋がっていた自分の左手を、不思議そうに見つめていた。
(温かい…)
それは、単なる熱エネルギーの伝導ではなかった。
触れた指先から、胸の奥へと、じんわりと広がっていく、未知の感覚。
理屈では、説明できない。数式では、定義できない。
でも、なぜか、心が、温かくなる。
(これが、父上の言っていた…『友』というものなのだろうか。それとも…)
彼の脳裏に、初めて、『愛情』という、解析不能な単語が、ぼんやりと浮かび上がった。
「ちょっとアルト!聞いてるの!?」
「あなたもよ!ぼーっとしてないで、はっきりさせなさい!」
「「この女と、私の、どっちが大事なのよ!」」
奇しくも、ハモった二人の声。
その剣幕に、アルトは、思考の海から、現実へと引き戻される。
そして、彼は、少しだけ照れたように、はにかんで、こう言った。
「…二人とも、僕の大事な、研究対象だよ」
その瞬間、リゼットとクラウディアの動きが、ぴたりと、止まった。
そして、次の瞬間。
「「「「「この、スーパー鈍感科学者ーーーーっっっ!!!」」」」」
星降りの丘に、二人の少女の、愛と怒りの絶叫が、こだましたという。
氷の令嬢の、計算外のデートプランは、こうして、少しだけ、アルトの心に変化の兆しを残しながら、ドタバタの内に、幕を下ろしたのだった。




