気づかないフリ…じゃなくて、気づかない君
鋼鉄の軍団が沈黙し、戦場と化していた訓練場に、嘘のような静寂が訪れた。
残されたのは、無数のゴーレムの残骸と、その中心に立つ、二人の少女の姿。
やがて、彼女たちの身体を包んでいた紅と蒼のオーラが、まるで幻だったかのように、ふっと消え去った。
「はぁ…っ、はぁ…っ…」
光の粒子が霧散し、そこに立っていたのは、煤と汗にまみれた村娘リゼットと、制服が破れ、気丈な表情の中に疲労の色を隠せない令嬢クラウディアだった。
極度の緊張と疲労から、二人の身体が、ぐらりと傾ぐ。
互いに、無意識のまま、すぐ隣にいた相手の肩を支えにして、なんとかその場に踏みとどまった。
「…助かったわ、セーラー・フレア」
「…そっちこそ、ナイト・ブリザードさん」
初めて、互いの戦士としての名を呼び合う。
ほんの一瞬、二人の間には、共に死線を乗り越えた者だけが分かち合える、確かな絆のようなものが芽生えかけた。
だが、次の瞬間。
「…って、なっ…!?」
「きゃっ…!」
互いに、自分が誰の肩を借りているのかを認識し、まるで高熱の鉄にでも触れたかのように、慌てて飛びのいた。
そのぎこちない光景が、戦いの終わりを、何よりも雄弁に物語っていた。
「す、す、すげえ…」
「あいつら、一体何者なんだ…?」
遠巻きに見ていた生徒たちが、畏敬と困惑の入り混じった視線を二人に送る。教官たちも、呆然としたまま、すぐには駆け寄ることすらできない。
そんな中、ただ一人、いつも通りの落ち着き払った足取りで、彼女たちの元へと歩いてくる人影があった。
「二人とも、お疲れ様。見事な連携だった。戦闘データは、全て記録させてもらったよ」
アルト・フォン・レヴィナス。
その手には、ちゃっかりと観測用の端末が握られている。
彼の、あまりにも場違いなその一言が、硬直していた場の空気を、ようやく溶かし始めた。
大混乱に陥った学院の上層部への報告は、アルトが事前に用意していた『指向性魔力増幅理論に基づく、個人用戦闘補助システムの限定的実証実験について』という、聞くだけで頭が痛くなりそうなレポート一つで、なぜか煙に巻かれる形となった。
そして、今回の功労者である三人は、学院長直々の計らいで、医務室のベッドで休息を取ることを許されていた。
…とは言っても、一番ピンピンしているのは、大した戦闘もしていないプロデューサー様なのだが。
「アルト!」
ベッドから飛び起きたリゼットが、真っ先にアルトの元へと駆け寄り、その身体にぎゅっと抱きついた。
「よかった…!無事で…!あなた、また無茶するんだから!私がどれだけ心配したと…!」
その声は涙で震え、アルトの胸に顔をうずめる彼女の肩は、小刻みに震えている。
安堵、恐怖、そして、無事だった喜び。あらゆる感情が、彼女をそうさせていた。
物語ならば、ここで主人公が優しく彼女の頭を撫で、甘い雰囲気になる最高の場面。
――リゼット・ブラウンは、今、心の底から思う。
(怖かった。でも、アルトが無事でよかった…!)
(あなたがプロデューサーなら、私は、何度だってあなたのヒーローになるわ…!)
その、あまりにも一途で、いじらしい少女の想い。
それを受けて、我らが天才科学者は。
「ふむ。リゼットのバイタルサインは正常値に戻りつつあるな。だが、この過剰な接触行動…戦闘後の興奮状態が引き起こす、オキシトシン分泌の典型的な症例だ。興味深いデータだ」
などと、腕の中の少女の体温を感じながら、冷静に分析していた。
もちろん、声には出していない。だが、その瞳は、完全に『研究者』の目をしている。
そんな二人の(一方通行な)感動の再会の光景を、もう一つのベッドから、クラウディアが、なんとも言えない複雑な表情で見つめていた。
そして、意を決したように、ゆっくりとベッドから降りると、アルトの元へと、 ぎこちない足取りで歩み寄る。
「…アルト・フォン・レヴィナス」
その声に、リゼットがびくりと顔を上げ、アルトを抱きしめる腕に、さらに力を込めた。
(な、なによ…!アルトは、今、私と感動の再会をしてるんだから、邪魔しないでほしいんだけど…!)
あからさまな敵意を向けるリゼット。
だが、クラウディアは、そんな彼女を一瞥しただけで、視線をアルトへと戻した。
その、整いすぎた顔は、なぜかほんのりと赤い。
碧眼は、羞恥と、葛藤と、そしてほんの少しの感謝の色を浮かべて、気まずそうに揺れていた。
――クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインは、今、人生で最も困難なミッションに挑んでいた。
(お礼を言うのよ、クラウディア!彼は、あなたの命の恩人でしょう!)
(でも、素直にお礼なんて言ったら、この男、絶対に調子に乗るわ…!)
(かと言って、このまま黙っているのは、ヴァレンシュタイン家の騎士として、誇りが許さない…!)
彼女の頭の中で、天使と悪魔(両方ツンデレ)が、激しい論戦を繰り広げる。
数秒間の、長い長い沈黙の後。
彼女は、ついに、絞り出すように、その言葉を口にした。
「…………礼は、言うわ」
それは、蚊の鳴くような、小さな声だった。
「え?」
アルトが聞き返す。
「だ、だから!あなたのおかげで、助かったことには、感謝すると言っているの!」
顔を真っ赤にして、ほとんど叫ぶように、彼女はそう言った。
そして、これ以上ないというくらい、早口で続ける。
「で、でも、勘違いしないでよね!これは、あくまで一時的な戦術的同盟よ!あなたと私のライバル関係は、まだ始まったばかりなんだから!それに、そのブレスレットだって、私があなたの機械を使いこなしたから勝てただけ!決して、あなたの理論が正しかったわけじゃ…!」
そこまで一息に言うと、彼女は「はぁ、はぁ…」と、肩で息をした。
ツンデレの教科書があるなら、間違いなく太字で掲載されるであろう、完璧なムーブ。
かくして、戦場を救った二人の美しきヒロインが、一人はデレデレと抱きつき、一人はツンツンと顔を赤らめながら、一人の少年を取り囲むという、絵に描いたようなハーレムラブコメの構図が、ここに完成した。
明確すぎる、二つの好意の矢印。
それらを、一身に受けた、アルト・フォン・レヴィナスは。
「…………なるほど」
ぽん、と何かを理解したように、手を打った。
その顔には、世紀の大発見をした科学者のような、真剣な輝きが宿っている。
リゼットとクラウディアは、一瞬、「え、もしかして、ついに私たちの気持ちに…?」と、淡い期待を抱いた。
だが、彼の口から飛び出したのは、彼女たちの甘い期待を、木っ端微塵に粉砕する、驚愕の一言だった。
「――やはり、僕の仮説は正しかった」
彼は、おもむろに懐からメモ帳とペンを取り出すと、凄まじい速度で何かを書きつけながら、一人で納得したように頷き始めた。
「戦闘という極限のストレス状況が、人間の精神に与える影響についての仮説だ。被験者リゼットのように、元来の他者への依存傾向が強い個体は、戦闘後に、庇護欲求を満たしてくれる対象への、物理的な接触を求める傾向が強まる。一方、被験者クラウディアのように、プライドが高く、自律性を重んじる個体は、他者からの救助という事実が、自己の尊厳を脅かすストレスとなり、それを防衛するための、攻撃的な言語反応として現れる…!」
アルトは、キラキラした目で、二人を見比べる。
「素晴らしい!なんという、対照的で、美しいデータだ!君たち二人とも、戦闘の興奮がまだ続いているようだね。アドレナリンやノルエピネフリンといった、神経伝達物質の影響を、ここまで克明に観察できるとは!これは、今後の『変神』における、精神的負荷の軽減プログラムを開発する上で、何物にも代えがたい、貴重な臨床サンプルになるぞ!」
「…………」
「…………」
リゼットは、アルトに抱きついていた腕から、するりと力が抜けた。
クラウディアは、顔を真っ赤にして何かを言い募ろうとしていた口を、ぽかんと開けたまま、固まった。
医務室に、気まずい沈黙が流れる。
時が、止まった。
((この、朴念仁…!!))
二人の少女の心の声が、奇跡のシンクロを果たした瞬間だった。
気づかないフリ、ではない。
この男は、天然で、純粋で、一点の曇りもなく、全く、気づいていないのだ。
少女たちの、複雑で、繊細で、熱い乙女心というものを。
やがて、我に返ったリゼットとクラウディアは、顔を見合わせる。
そこには、もう、ライバルとしての敵意はない。
ただ、共通の『どうしようもない男』に向けられた、深い、深いため息と、戦友だけが分かち合える、連帯感にも似た、諦めの感情だけがあった。
かくして、紅蓮と蒼氷の魔法戦士の記念すべき初陣は、天才プロデューサーの飽くなき探究心によって、少しだけ締まらない、そして、ヒロインたちにとっては、最高に疲れる形で、幕を下ろすのだった。




