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第46話 帰れない理由

 王城の地下へ続く階段は、記録院の古い保管棟の奥にあった。


 エリアスが最後にこの場所を訪れたのは、まだ白紙現象が自分たちの身近な問題にすぎなかった頃だ。古い土地台帳と現行の地図を照合するため、地下施設の記録を調べに来たことがある。そのときは、石造りの壁も、階段の脇に並ぶ燭台も、ただ長い年月を経た建物の一部に見えた。


 今は違う。


 階段の入口には王城の兵士が二人立ち、さらに奥には記録院の職員と教会の調査官が待機していた。地下区画への立ち入りを制限するという通達は、すでに現場にも届いている。正式な許可を得ているとはいえ、彼らが自由に調査できるわけではなかった。


 エリアスは、手にした書類を調査官へ差し出した。


「記録院長官の承認書です。調査対象は旧封印の外周接続点。封印そのものへの干渉は行わず、ノエルの研究記録と現地の構造を照合します」


 調査官は書類に目を通し、エリアスとアルトを交互に見た。


「封印に関する資料の一部は、教会が管理してきたものです。現地で新たな構造を発見した場合、独断で接触することは認められません」


「分かっています」


「特に、封印の内部へ接続する試みは危険です。白紙現象が拡大している現在、どのような反応が起きるか予測できません」


「だからこそ、ノエルの研究を確かめる必要があります」


 アルトが答えた。


 調査官は、勇者の顔をしばらく見つめた。かつてなら、アルトの言葉に異を唱えること自体をためらった者もいただろう。だが、広場での告白以降、彼を前にした人々の反応は変わり始めていた。信頼を失ったというより、彼の言葉を以前と同じように無条件では受け取れなくなったのだ。


「あなたがたの主張は、まだすべて検証されたわけではありません」


「承知しています」


 アルトは視線をそらさなかった。


「俺たちの話を信じろとは言いません。記録と現地を確かめてください。俺たち自身の判断も、間違っているかもしれないのですから」


 調査官は返事をせず、承認書を返した。


「調査は記録院の職員立ち会いのもとで行ってください。異常な反応があった場合は、ただちに中止すること。それが条件です」


「分かりました」


 エリアスは書類を受け取り、階段へ向かった。


 背後で兵士の一人が扉を開ける。冷えた空気が、地下からゆっくりと流れ出してきた。


 アルトが先に降り、エリアスが続く。さらに後ろから、記録院の職員と教会の調査官がついてきた。人数が増えたことで心強さを感じるよりも、動ける範囲が限られることへの不安のほうが大きかった。


 それでも、ここまで来られた。


 ノエルの研究に記された場所は、この地下のどこかにある。


 そして、その先には、彼らが長い間探し続けてきた仲間たちがいるかもしれなかった。


     *


 地下へ降りるにつれ、壁の様子が変わっていった。


 上層の通路は王城の建築様式に沿った石積みだったが、途中から古い石材が使われ始め、壁面には年代の異なる補修跡がいくつも残っていた。床の石も不揃いで、ところどころに古い刻印が見える。


 ここは、現在の王城が建てられるよりも前から存在していた区画なのだろう。


 エリアスは手帳を開き、古い地図に記された目印と照らし合わせた。右手の壁にある欠けた石材。床の端に残る細い溝。天井に埋め込まれた、用途の分からない金属片。


 記録上の位置と現地の構造は、おおむね一致していた。


 ただし、ノエルが記録していた外周接続点に近づくにつれ、少しずつ違和感が強くなっていく。


「この先だ」


 エリアスは足を止めた。


 通路の突き当たりには、灰色の石壁があった。


 昨日確認した場所と同じだ。古い地図には扉が描かれていたが、実際には壁しかない。石材の並びにも不自然なところはなく、後から扉を塞いだような跡も見当たらなかった。


 壁の前に立つと、音が吸い込まれるような感覚があった。


 足音は聞こえる。衣服の擦れる音も、背後にいる調査官の呼吸も聞き取れる。それなのに、壁の向こうに何かがあるのかどうかだけは、判断できなかった。


 エリアスは古い地図を広げた。


「記録では、この壁の向こうに小さな部屋がある。そこが外周接続点とされている場所です」


「壁を壊せば確認できるのではありませんか」


 調査官が言った。


「それは最後の手段です。ノエルの記録では、外部からの観測だけでは位置を確定できないとあります。物理的に壊したところで、同じ場所へたどり着けるとは限りません」


「では、どうするのです」


「まずは反応を調べます」


 エリアスは荷物から、ノエルの研究をもとに用意した小さな魔力測定器を取り出した。装置自体は単純なものだ。魔力の流れに変化があれば、内部の針が振れる。精密な位置を特定できるわけではないが、何もない場所と、何らかの反応がある場所を区別することはできる。


 彼は測定器を壁に近づけた。


 針は動かなかった。


 位置を変え、床に近づける。次に壁の上部、左右の端へと移動させたが、目立った反応はない。


 アルトが壁を見つめた。


「ノエルは、ここで反応を確認したのか」


「正確には、ここに反応があると考えていた。通常の魔力測定では反応が出なかったことも、記録に残している」


「何を手がかりにしたんだ?」


「複数の調査記録に、似たような現象が残っていた。魔力の流れが途切れたように見えるのに、その前後では測定値に矛盾が生じる。ノエルは、何もないのではなく、測定そのものが届かない領域があるのではないかと考えたんだ」


 エリアスは測定器を下ろした。


 普通に調べても、何も分からない。


 それでも、ノエルはこの場所に意味があると考えていた。記録上の位置と現地の構造が一致しないことも、単なる地図の誤りとして片づけなかった。


 彼は、世界の側に何かが起きていると気づいていたのだ。


「測定器では駄目か」


 アルトが言った。


「少なくとも、これだけではね」


 エリアスは手帳を開き、ノエルの書き込みを探した。


 外周接続点に関する記述の下には、細かな観測記録が続いていた。調査した日時、使用した魔法、測定器の種類、得られた数値。それらの中に、他の記録とは異なる短い一文がある。


 ――反応が確認された時、内部からの応答らしき変化あり。再現せず。


 エリアスは、その一文を何度も読み返した。


「内部からの応答……」


「何か聞こえたのか?」


「音なのか、魔力の変化なのか、はっきりとは書かれていない。ただ、ノエルは外から測定した結果だけでなく、何かが返ってきた可能性を考えていたらしい」


 エリアスは手帳を閉じた。


 魔法によって探るのではなく、何らかの応答が返ってくる条件を探す必要がある。


 だが、その条件が何なのかは分からなかった。


 彼は壁に手を伸ばしかけ、途中で止めた。


 無闇に触れるべきではない。白紙現象がどこまで進行しているのか、封印の内部がどのような状態にあるのかも不明なのだ。


 そのとき、背後にいた調査官が口を開いた。


「これ以上の調査は認められません。現時点で有効な反応は確認できていない。危険を冒してまで続ける理由はないでしょう」


「まだ、調べられることはあります」


「あなたがたの推測だけで、封印に関わる場所へ干渉することはできません」


 調査官の言葉には、もっともな部分もあった。


 エリアスたちには、確実な証拠が足りない。ノエルの研究は重要な手がかりだが、それだけで封印内部への接触が可能だと証明されたわけではなかった。


 調査官が慎重になるのも当然だろう。


 しかし、時間だけは待ってくれない。


 エリアスは壁を見つめた。


 ここに何かがあるのだとすれば、ただ調査を中止して帰るわけにはいかなかった。


     *


 最初に変化に気づいたのは、アルトだった。


「待ってくれ」


 彼は壁から目を離さず、静かに言った。


「今、何か聞こえなかったか」


 エリアスは顔を上げた。


「何も聞こえなかったと思うけど」


「音ではない。いや、音だったのかもしれないが……」


 アルトは言葉を探しているようだった。


 彼は壁に近づき、耳を澄ませた。しばらくしてから、ゆっくりと目を閉じる。


「懐かしい感じがした」


「懐かしい?」


「理由は分からない。だが、ここに来たことがあるような気がする」


 エリアスはアルトの横顔を見た。


 勇者としての旅の記憶は、歴史改変によって歪められている。アルト自身も、仲間たちと過ごした時間の一部を正確に思い出せなくなっていた。


 それでも、すべての記憶が失われたわけではない。


 言葉にならない感覚や、理由の分からない懐かしさだけが残ることもある。


「何か思い出したのか?」


「いや。ただ、ここに誰かがいた気がする」


 アルトは目を開けた。


「誰かと話していた。何を話したのかは思い出せない。だが、俺はここで誰かの返事を待っていたような気がするんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、エリアスの胸に小さな痛みが走った。


 ここで誰かの返事を待っていた。


 それが本当に過去の記憶なのか、それとも白紙現象によって生じた錯覚なのか、今の彼には分からない。


 ただ、アルトが何かを感じ取ったことは確かだった。


 エリアスは手帳を開き、その時刻と状況を記録した。


 文字を書き終えた直後、彼は奇妙な感覚に襲われた。


 自分もまた、この場所を知っているような気がしたのだ。


 壁の向こうに誰かがいる。


 その誰かが、ずっとこちらを待っている。


 そんな考えが、何の根拠もなく胸の奥に浮かんできた。


 エリアスは顔を上げた。


「アルト。もう一度、呼びかけてみてくれないか」


「誰に?」


「分からない。でも、ノエルは内部からの応答を記録している。何かが返ってくる可能性があるなら、こちらから呼びかけることにも意味があるかもしれない」


 調査官が不安そうに二人を見た。


「呼びかけるだけなら、封印への干渉には当たらないと考えます。ただし、異常が起きた場合は直ちに中止してください」


 アルトはうなずき、壁の前に立った。


 彼はしばらく何も言わなかった。


 勇者として人々の前に立ち、真実を告白した時も、アルトは言葉を選んでいた。自分が何をしたのか、何を認めなければならないのかを考え、逃げずに口にした。


 だが、今、彼の前にあるのは、人々ではない。


 壁の向こうにいるかもしれない仲間たちだ。


「ノエル」


 アルトが呼んだ。


 返事はなかった。


「ガレク。セレナ」


 地下通路には、彼の声がかすかに反響するだけだった。


 エリアスは壁を見つめた。


 何も起こらない。


 アルトは一度息を吸い、最後にその名を口にした。


「リゼット」


 その瞬間、壁の向こうで何かが揺れた。


 音はしなかった。


 ただ、目の前にある石壁の輪郭が、一瞬だけ曖昧になった。石材の継ぎ目が薄れ、壁全体が遠くへ引いていくように見える。


 エリアスは息をのんだ。


 次の瞬間、壁は元の姿に戻っていた。


「今のは……」


 調査官が一歩後ずさった。


 エリアスは魔力測定器を壁に近づけた。今度は針が小さく振れている。数値は安定せず、反応があるかどうかを判断するのも難しいほどだったが、先ほどまでとは明らかに違っていた。


「反応があった」


 エリアスは言った。


「もう一度、試してみよう」


「待ちなさい。反応の原因が分からない以上、繰り返すべきではありません」


 調査官の声が強くなった。


 エリアスも、危険がないとは思っていなかった。


 だが、アルトが名前を呼んだ直後に反応が生じた。偶然かもしれない。そうでなければ、名前そのものに意味があったのかもしれない。


 いずれにせよ、確認する価値はあった。


「ノエルの研究には、内部からの応答があったと記されています。今の反応が同じものかどうかは分かりませんが、少なくとも、ここが完全に何もない場所ではない可能性があります」


「だからといって、危険を冒していい理由にはなりません」


「危険を避けるためにも、何が起きているのかを知らなければならないんです」


 エリアスは調査官を見た。


「僕たちは、封印を壊そうとしているわけではありません。内部にいる仲間たちへ接触する方法を探しています。白紙現象が進み続ければ、調べるための記録も、ここへ来るための道も失われるかもしれない」


 調査官は答えなかった。


 しばらくして、彼は壁に目を向けた。


「次に異常が起きた場合は、必ず中止してください。これ以上の調査を認めるかどうかは、その後に判断します」


「分かりました」


 エリアスはうなずいた。


 アルトは再び壁の前に立った。


 今度は、先ほどとは違う名を呼んだ。


「ノエル。聞こえているなら、応えてくれ」


 静寂が落ちた。


 何も起こらない。


 エリアスは手帳を握りしめた。


 これ以上、何をすればいいのか分からない。ノエルがどこにいるのかも、どのような状態なのかも、彼らには分からなかった。


 ただ、もう一度だけ試してみるしかない。


 アルトは、今度は仲間たちの名を一つずつ呼んだ。


「ガレク。セレナ。リゼット」


 最後の名を呼んだ時、壁の向こうから、かすかな光がにじみ出した。


 光は石壁の中央に集まり、細い線を描いた。


 縦に伸びた線が、ゆっくりと横へ広がる。


 古い地図に描かれていた扉の輪郭だった。


 エリアスは目を見開いた。


 壁が消えたわけではない。石材が動いたわけでもない。それなのに、そこには確かに扉が現れていた。取っ手も、蝶番もない。ただ、扉の形をした境界だけが、薄い光によって示されている。


 魔力測定器の針が大きく振れた。


 調査官が声を上げる。


「全員、下がりなさい!」


 エリアスは反射的に一歩退いた。


 光の輪郭が揺れ、扉の向こう側に暗闇が広がった。


 その暗闇は、地下通路の暗さとは違っていた。光が届かないのではない。そこに何があるのかを、目で捉えることそのものができないようだった。


 エリアスは、なぜか理解した。


 この先は、普通の部屋ではない。


 ノエルが研究していた空白領域。消えた仲間たちが存在しているかもしれない場所。


 そして、その向こうから、誰かがこちらを見ている。


「リゼット……?」


 彼が名を呼んだ瞬間、暗闇の中に人影が現れた。


 淡い光に縁取られた姿は、ひどく遠くにあるように見えた。顔ははっきりしない。それでも、エリアスには分かった。


 長い旅の中で、何度も隣にいた仲間。


 彼らが帰還した時、そこにいるはずだった少女。


 リゼットだった。


 エリアスは一歩、前へ出た。


「リゼット!」


 人影がわずかに動いた。


 こちらを見たように思えた。


 だが、次の瞬間、扉の輪郭が崩れ始めた。


「待って!」


 エリアスは手を伸ばした。


 光の線が薄れていく。暗闇が閉じ、扉の形が消えていく。


 その向こうから、声が聞こえた。


「……来ないで」


 かすかな声だった。


 それでも、エリアスにははっきりと聞こえた。


 扉は消えた。


 元の石壁が、何事もなかったかのように目の前に残っている。


 誰も動かなかった。


 エリアスは伸ばした手を、ゆっくりと下ろした。


 今の声は、間違いなくリゼットのものだった。


 彼女はそこにいる。


 少なくとも、あの一瞬、彼らの呼びかけに応えた。


 だが、彼女は来ないでと言った。


「聞こえたか」


 アルトが尋ねた。


「ああ」


 エリアスは答えた。


「リゼットだ。間違いない」


 アルトは壁を見つめたまま、拳を握りしめた。


「なぜ、来るなと言ったんだ」


 エリアスには分からなかった。


 助けを求めているのかもしれない。こちらが接触することによって、封印に何らかの危険が生じるのかもしれない。あるいは、リゼット自身が、仲間たちを遠ざけようとしているのかもしれなかった。


 どれも、今の段階では推測にすぎない。


 ただ一つ確かなことがある。


 リゼットは、自分たちが呼びかけていることを認識していた。


 そして、彼らに来てほしくないと伝えた。


 エリアスは、壁の前に立ったまま、しばらく動けなかった。


 もう一度名前を呼べば、扉が開くかもしれない。


 今度こそ彼女に近づけるかもしれない。


 だが、彼女が拒んだ理由も分からないまま、無理に接触を続けていいのだろうか。


 彼女を救うことだけを考えて、彼女の意思を無視するなら、彼らはまた同じ過ちを犯すことになる。


「今日は、ここまでにしよう」


 エリアスは言った。


 アルトが彼を見た。


「それでいいのか」


「今の反応は記録する。ノエルの研究と照合して、もう一度接触する条件を整理しよう。次に扉が開いた時、何が起きるのか分からないまま飛び込むわけにはいかない」


 アルトはしばらく黙っていたが、やがてうなずいた。


「分かった」


 エリアスは手帳を開き、扉が現れた時刻、魔力測定器の反応、アルトが呼びかけた名前、そしてリゼットの声を記録した。


 彼女が来ないでと言ったことも、そのまま書き残した。


 都合の悪い言葉だからといって、書き換えるつもりはなかった。


 彼女の意思が何を意味しているのかは、まだ分からない。


 だからこそ、分からないまま記録する必要があった。


     *


 地下区画を出る頃には、王城の鐘が昼を告げていた。


 エリアスは歩きながら、先ほどの光景を何度も思い返していた。


 扉の向こうに見えた人影。壁を隔てて届いた声。そして、最後に聞こえた短い言葉。


 来ないで。


 あの声には、怒りがあったのだろうか。それとも恐怖だったのだろうか。


 エリアスには判断できなかった。


 リゼットは、仲間たちを拒むような人間ではなかった。少なくとも、彼が知っている彼女はそうだった。自分が傷ついても他人を助けようとし、危険な場所に誰かが残されていれば、迷うことなく手を伸ばす。


 だからこそ、彼女が旧封印の核になると決めた時も、彼女は仲間たちを守るために選んだのだと考えていた。


 だが、それだけだったのだろうか。


 彼女が何を恐れ、何を諦め、何を望んでいたのか。


 エリアスは、それを確かめないまま、彼女の選択を受け入れてしまった。


 今度は、同じことをしてはいけない。


 彼女を救い出すことが正しいのだとしても、彼女が何を考えているのかを聞かなければならない。


 助ける側の都合だけで、彼女の未来を決めてはならないのだ。


 階段を上りきったところで、アルトが足を止めた。


「エリアス」


「何だ?」


「もし、リゼットが本当に戻ることを望んでいなかったら、どうする」


 エリアスはすぐには答えられなかった。


 その問いは、彼も考えていたことだった。


 リゼットが自分の意思で封印の核になることを選んだのなら、彼女の選択を尊重すべきなのかもしれない。彼女がそこに残ることで世界が守られているのなら、無理に引き離すことは新たな危険を生む可能性もある。


 だが、彼女が本当に望んでいたことを、彼らはまだ知らない。


「本人に聞くまでは、決められない」


 エリアスは言った。


「戻りたいのか、戻りたくないのか。何を恐れているのか。何を守ろうとしているのか。それを聞く前に、僕たちが答えを決めるわけにはいかない」


「そうだな」


「ただ、もし彼女が誰かを守るために自分を犠牲にしようとしているのなら、その必要が本当にあるのかは確かめたい。ノエルの研究には、六人で役割を分担する構造が示されていた。一人がすべてを背負わなくてもいい方法があるかもしれない」


 アルトは、静かにうなずいた。


「次に接触できたら、俺も話す。俺が何をしたのか、何を隠してきたのかを。彼女にだけ、何も知らないままでいてもらうわけにはいかない」


「それがいいと思う」


 二人は再び歩き始めた。


 王城の廊下には、相変わらず人の声が満ちていた。調査官への報告、記録院への連絡、封印の状態を確かめるための手続き。やらなければならないことは山ほどある。


 白紙現象は止まっていない。


 封印の状態も、まだ改善していない。


 仲間たちが空白領域にいることは分かったが、そこから安全に戻れる保証もなかった。


 それでも、エリアスの中には、これまでとは異なる確信が生まれていた。


 リゼットは、彼らの呼びかけに応えた。


 彼女はそこにいる。


 ならば、次に必要なのは、無理に扉をこじ開けることではない。


 彼女が何を伝えようとしたのかを理解し、彼女自身が話せるところまでたどり着くことだ。


 エリアスは手帳を開き、最後に一行を書き足した。


 ――リゼットとの接触を確認。本人の意思を確かめるまで、救出の方法を決めつけない。


 書き終えた文字は、まだ消えていなかった。


 彼は手帳を閉じ、胸元にしまった。


 地下の壁の向こうで、リゼットは何を恐れているのだろう。


 その答えを知るために、彼らはもう一度、あの扉を開かなければならなかった。

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