第27話 歴史を変えた者たち
記録室を出たあと、エリアスは魔王城の探索を再開した。
リゼットが封印の核になった可能性。そして、アルトがその事実を知っていたという証言。二つの手がかりは、これまで別々に追ってきた問題を、一つの場所へ結びつけ始めていた。
しかし、肝心な部分はまだ分からない。
リゼットが何を選んだのか。彼女の選択を、仲間たちはどのように受け止めたのか。そして、なぜ彼女は歴史から消えなければならなかったのか。
封印の仕組みを知るだけでは、答えにはたどり着けない。
エリアスは、魔王城に残された記録の中に、封印の維持とは別の目的で保管された資料があるのではないかと考えていた。これまで見つかった記録は、封印の構造や維持方法、対象の状態を管理するためのものが中心だった。だが、封印が維持されていたという事実だけでは、魔王の死後に何が起きたのかを説明できない。
魔王が倒されたあと、誰かが封印を引き継いだのなら、その決定に関わる記録が残っていてもおかしくなかった。
そして、彼らがその記録を探す必要があるのは、封印のためだけではなかった。
アルトは、リゼットが核になったことを知っていた。
彼が知っていたのなら、ほかの仲間たちも知っていた可能性がある。彼らが何を話し、どんな判断を下したのか。その痕跡が残っていれば、今の記憶では確かめられない過去を追う手がかりになる。
「この先だ」
アルトが足を止めた。
通路の突き当たりに、両開きの扉があった。片側は蝶番から外れて斜めに傾き、もう片側には大きな亀裂が走っている。扉の上部には、ほかの部屋とは異なる紋章が刻まれていた。
エリアスは灯りを近づけた。
紋章の下には、かすれた文字が残っていた。
記録照合室。
その文字を見て、エリアスは扉の隙間から中を覗いた。
部屋の内部には、背の高い棚がいくつも並んでいた。棚の一部は倒れ、保管箱が床に散乱している。天井の崩落によって奥の壁が露出していたが、入口に近い場所には、比較的状態のよい机が残されていた。
机の上には、金属製の板が一枚置かれていた。
埃を払い、灯りを当てると、板には細かな文字が刻まれていることが分かった。
「照合室というからには、何かと何かを比べていたんだろうな」
アルトが言った。
「記録同士の照合か、記録と実際の状態との照合か。ここだけでは判断できない」
エリアスは部屋に入り、棚を調べ始めた。
箱の多くは空だった。残っているものも、中身が腐食して読めなくなっている。だが、机の下に押し込まれた細長い箱だけは、蓋が閉じたまま残っていた。
箱の表面には、二つの文字列が並んでいた。
旧記録。
現行記録。
エリアスは、箱を机の上へ引き上げた。
中には、薄い板状の資料が何枚も収められていた。材質は金属に近く、紙よりも長く保存できるように加工されている。表面には文字だけでなく、地図や図表も刻まれていた。
最初の数枚は、封印に関する資料だった。
旧封印の構造図と、後年に作られた維持記録。対象の状態を示す表と、封印の安定性を比較した数値。エリアスはそれらを一枚ずつ確認し、必要な情報だけを日記に書き留めた。
その途中で、別の種類の資料が混じっていることに気づいた。
そこには、封印ではなく、旅の記録に似た情報が刻まれていた。
人員の配置。移動経路。戦闘時の役割。負傷者の状態。
エリアスは息を止めた。
それらは、魔王城に残された記録というより、勇者一行の行動を整理した資料に見えた。
「アルト、これを」
アルトが隣に立った。
エリアスは、最初の資料を机に広げた。
上部には、古い日付とともに「作戦記録」と記されていた。本文には、複数の人物の行動が簡潔にまとめられている。名前の一部は失われていたが、記載された役割には見覚えがあった。
前衛による敵の足止め。
負傷者の治療。
側面経路の確認。
それぞれの項目には、担当者を示す記号が添えられている。
エリアスは、記号の対応表を探して別の資料をめくった。
その紙面には、六人分の欄があった。
勇者。
記録係。
前衛。
治療担当。
魔術担当。
斥候。
名前は一つも書かれていなかった。
だが、役割の並びは、エリアスが知っている勇者一行と一致していた。
「六人……」
アルトがつぶやいた。
エリアスはうなずいた。
この資料がいつ作られたのかは、まだ分からない。魔王城側が敵の動きを把握するために作成したものなのか、それとも、封印に関わった者たちが別の目的で残したものなのか。記録の出所も不明だった。
それでも、そこに記された六つの役割は、彼らの旅を思い起こさせた。
エリアスは、斥候の欄に刻まれた記号を見つめた。
記号の横には、短い注記があった。
経路の再確認。帰還後の照合に必要。
その下に、別の文字が重ねて刻まれていた。
照合対象から除外。
エリアスは目を細めた。
「何を除外したんだ……?」
アルトが身を乗り出す。
記号の横にあった注記は、削り取られたように一部が欠けていた。除外という文字だけでは、対象が何だったのかまでは分からない。
エリアスは、ほかの資料を探した。
同じ記号が使われた記録を見つけるまで、しばらくかかった。
それは、旅の経路を比較した図表だった。
ひとつは、魔王城へ至るまでの道筋を示している。もうひとつは、同じ場所を通ったはずの一行の移動を、別の記録から再構成したものらしかった。
二つの図には、明確な違いがあった。
片方には、山道を迂回する経路が記されている。もう片方には、その道が存在しないかのように、別の経路が引かれていた。
エリアスは、これまで見つけた地図のことを思い出した。
公式の地図には、主要な道しか記されていなかった。魔王城へ向かう途中で見つけた古い石畳や、山の斜面に残された細い道は、そこから外れていた。
彼らが実際にどの道を通ったのか、まだ確定はできていない。
だが、今、目の前にある資料は、単なる地図の違いでは説明できないものを示していた。
同じ旅について、異なる経路の記録が存在していたのだ。
「これは、どちらかが間違っているのか?」
アルトが尋ねた。
「その可能性はある。ただ、別々の時期に作られた資料かもしれないし、記録する目的が違った可能性もある」
エリアスは、二つの図を並べて比較した。
山道の迂回経路には、いくつかの地点に小さな印がついていた。そのうち一つは、彼らが前日に調べた石造りの広場に近い場所だった。
別の印は、狭い岩場の通路を示しているように見えた。
そこは、戦闘報告に記されていた、名も記されていない大柄な戦士が敵を食い止めたという場所に近かった。
さらに別の印は、魔王城の外壁に沿った道を示していた。
これらの記録が同じ旅を示しているのなら、公式の記録から抜け落ちた経路があった可能性は高い。
しかし、エリアスはすぐに結論を出さなかった。
彼らが実際に通った道だと証明するには、まだ情報が足りない。地形が一致するだけでは、同じ道を通ったと断定できないからだ。
「この資料は、帰還後に照合するためのものだったらしい」
エリアスは、斥候の欄にあった注記を指さした。
「つまり、誰かが旅の記録を比べる必要があると考えていたのかもしれない」
「誰かが、記録に違いがあると気づいていた?」
「そうかもしれない。ただ、何のために照合したのかは分からない」
アルトは、二つの経路図を見比べていた。
「俺たちは、帰還したあとに何かを調べていたのか」
「その可能性はある。だが、この資料が俺たち自身の記録なのか、魔王城側の記録なのかも、まだ確定していない」
エリアスは、図表の端に刻まれた文字を調べた。
そこには、短い指示が残っていた。
現行記録との不一致を確認した場合、旧記録を優先してはならない。
その下には、別の筆跡で追記があった。
ただし、旧記録を破棄する前に、物証との照合を行うこと。
エリアスは、その二つの文章を交互に見た。
古い記録をそのまま正しいと決めつけてはならない。だが、不一致があるからといって、古い記録を捨ててもならない。
これまでの調査で、彼自身が何度も必要だと考えてきた手順だった。
記憶は曖昧になる。記録は欠ける。物証も、時間が経てば失われる。
だからこそ、異なる情報を突き合わせる必要がある。
その考え方が、ここに残された資料にも記されていた。
エリアスは、追記された文字の筆跡を調べた。だが、文字は短く、ほかの記録と比較するにも材料が少なかった。彼自身の筆跡と似ているようにも見えたが、古い文字の癖を見誤っているだけかもしれない。
今は、何も決められなかった。
彼はその資料を別の場所へ移し、次の記録を確認した。
そこには、さらに短い文章が残っていた。
記録の不一致について、関係者間で協議。
現行の歴史記録に合わせる方針を確認。
過去の記録は、必要な範囲で整理する。
エリアスは、その文章を読んだまま動かなくなった。
現行の歴史記録に合わせる。
過去の記録を整理する。
何を意味しているのか、すぐには分からなかった。旅の記録を整理し、重複や誤記を修正するだけのことだった可能性もある。公式の記録を一つにまとめる作業なら、それ自体は珍しくない。
だが、ここまでに見つけた資料を考えると、単なる事務的な整理だったと決めつけることもできなかった。
異なる経路の記録があり、六人分の役割が記され、斥候の欄には照合対象から除外という文字が残っている。
そのうえで、現行の歴史記録に合わせるという方針が確認されていた。
エリアスは、別の資料を探した。
箱の底に、薄い金属板が一枚残っていた。表面には、ほかの記録よりも細かな文字が刻まれている。いくつかの箇所は削られていたが、文章の一部は読み取れた。
現行記録との不一致を放置した場合、関係する記録の照合が困難になる。
関係者の認識を統一し、記録の扱いを決定すること。
その下には、短い記述があった。
対象に関する記録は、現行記録から除外する。
エリアスは息をのんだ。
対象が誰なのかは書かれていない。なぜ除外する必要があったのかも、記録には残されていなかった。
しかし、ここでいう除外は、単なる記録の整理とは異なる意味を持っているように見えた。
現行記録から、ある対象を除外する。
それは、公式の歴史に、その人物を含めないということではないのか。
「リゼットのことか?」
アルトが言った。
エリアスは、すぐには答えなかった。
「可能性はある。ただ、この板だけでは、対象がリゼットだったとは言えない」
「でも、斥候の記録が除外されている」
「そうだ。二つの資料は関係しているかもしれない。だが、同じ対象を指しているという確証はない」
アルトは唇を結んだ。
彼もまた、答えを急いでいるわけではなかった。ただ、目の前にある記録が示す方向を、無視することができなくなっているのだろう。
エリアスは金属板を机に置いた。
彼らはこれまで、リゼットが消えた理由を白紙現象に求めてきた。記憶が失われ、記録が消え、存在の痕跡が薄れていく。そうした現象が起きていることは、いくつもの出来事から確かめられている。
だが、今回見つけた資料は、別の可能性を示していた。
白紙現象がすべてを消したのではなく、誰かが先に記録からリゼットを除外しようとしたのではないか。
もしそうなら、なぜそんなことをしたのか。
彼女が封印の核になった事実を隠すためか。
彼女が犠牲になったことを、世間に知られないようにするためか。
あるいは、もっと別の理由があったのか。
どれも、まだ推測にすぎなかった。
エリアスは日記を開き、見つけた資料の内容を書き留めた。
異なる経路を示す記録が存在する。六人分の役割を記した資料があり、斥候の欄には照合対象から除外という注記が残されている。また、現行の歴史記録に合わせる方針と、特定の対象を現行記録から除外するという記述が確認された。
そこまで書いて、エリアスは手を止めた。
次に何を書くべきか、分からなかった。
リゼットが意図的に歴史から除外されたのだとしたら、それを決めたのは誰なのか。
魔王城に残された者たちなのか。王国の記録を管理していた者たちなのか。それとも、勇者一行自身なのか。
アルトは、先ほどから黙っていた。
彼の視線は、机の上に並んだ六人分の役割を示す資料に向けられている。
「俺たちが決めたのかもしれないな」
アルトが言った。
エリアスは顔を上げた。
「何を?」
「リゼットのことを、記録から除外することだ」
その声は、ひどく静かだった。
「俺は、彼女が核になったことを知っていた。なら、そのあとに何が起きたのかも、知っていたのかもしれない」
「記録だけでは、そこまでは分からない」
「分かっている」
アルトは、うなずいた。
「だが、俺たちが何も知らなかったと決めつけることもできない」
エリアスは返事をしなかった。
その通りだった。
彼らは、記憶を失ったことを理由に、自分たちの過去を知らないものとして扱ってきた。だが、アルトの証言によって、その前提は揺らいでいる。
少なくともアルトは、リゼットが核になったことを知っていた。
もし仲間たちが彼女の犠牲を知り、その事実を記録から除外することを決めたのだとしたら、彼らは単なる被害者ではなかったことになる。
彼ら自身が、今の歴史を形作る決定に関わっていた可能性がある。
エリアスは、自分の指先を見つめた。
記録を残すことは、彼にとって当たり前の行為だった。見たものを書き、聞いたことを記し、後から確かめられるようにする。そうすることで、記憶の曖昧さを補い、誤りを修正できると考えてきた。
しかし、もし過去の自分が、何かを記録から除外することに同意していたのなら。
彼は、何を守ろうとしていたのだろう。
誰かを守るためだったのか。それとも、何かを失うことを恐れたのか。
今のエリアスには、その答えを知る手段がなかった。
「この資料は持っていこう」
エリアスは言った。
「記録の出所と、書かれた時期を調べる必要がある。ほかの資料と照合すれば、誰が何を決めたのか、少しは分かるかもしれない」
アルトは資料を見下ろした。
「もし、俺たちが決めたことだったら?」
エリアスは、すぐには答えなかった。
簡単に否定することも、受け入れることもできなかった。
「そのときは、何を決めたのかを確かめる」
彼は、日記を閉じた。
「知らなかったことにして、終わらせるわけにはいかない」
アルトはしばらくエリアスを見つめていたが、やがて静かにうなずいた。
二人は資料を整理し、壊さないように布で包んだ。すべてを持ち出すことはできないため、重要な箇所は日記に写し、保管箱の位置と部屋の構造も記録した。
作業を終えるころには、部屋の中の空気が冷たくなっていた。
エリアスは、最後にもう一度、六人分の役割を記した資料を見た。
勇者。
記録係。
前衛。
治療担当。
魔術担当。
斥候。
それぞれの役割は、短い言葉で整理されていた。だが、そこに記された六人は、役割だけでできていたわけではない。
彼らには、それぞれの考えがあり、迷いがあり、守りたいものがあった。
もし、彼らが何かを決めたのだとしたら、その決定は単に記録の形式を整えるためのものではなかったはずだ。
リゼットの存在を歴史から除外することが、彼女を守ることにつながると考えたのかもしれない。
彼女の犠牲を公にすれば、世界が不安定になると恐れたのかもしれない。
あるいは、彼女が残したものを守るために、ほかの方法がないと思い込んだのかもしれない。
だが、どんな理由があったとしても、記録から消すという選択が何を引き起こしたのかは、まだ分からなかった。
エリアスは、部屋を出る前に、日記の最後のページを開いた。
そこには、これまでに確認した事実が書き並べられている。
リゼットの存在を示す痕跡。
ガレクが戦闘で果たした役割を示唆する報告。
セレナによる治療の記録と思われる空欄。
アルトが知っていたという証言。
そして、現行の歴史記録から特定の対象を除外するという資料。
それらはまだ、一つの結論にまとまってはいなかった。
しかし、エリアスは初めて、消えた仲間たちを探すという目的の向こう側に、別の問題があることをはっきりと意識した。
仲間たちが消えたのは、何者かが彼らを狙ったからなのか。
それとも、彼ら自身が過去に何かを選び、その選択が今になって矛盾を生み出しているのか。
後者の可能性を考えることは、これまでよりもずっと苦しかった。
誰かに奪われたものなら、奪った相手を探せばいい。
だが、自分たちが何かを選び、その結果として大切なものを失ったのだとしたら、真実を知ることは、失われたものを取り戻すことだけを意味しない。
自分たちが何をしたのかを知り、その責任と向き合うことにもなる。
エリアスは日記を閉じた。
「行こう」
アルトがうなずき、二人は記録照合室をあとにした。
魔王城の奥には、まだ調べていない場所が残っている。
だが、彼らが探しているものは、もはや封印の仕組みだけではなかった。
リゼットを歴史から除外するという決定が、本当に行われたのか。
行われたのなら、誰が、何のために決めたのか。
そして、その決定に、彼ら自身は関わっていたのか。
その答えを見つけるまで、エリアスは記録を閉じるつもりはなかった。




