第31章 誤算
二日目の朝も、街は動いていた。
昨日より、わずかに静かだ。
人々が、周囲を見ながら動いている。
様子見。
だが、完全な停止ではない。
エリナは、朝の報告を聞いていた。
「中央通り、通行量さらに減少」
「南側と水路沿いが増加」
「巡回区域内、事故なし」
順調。
だが。
「……一件だけ、あります」
カイルの声が低くなる。
「区域外。
北倉庫群で、荷崩れ」
「怪我人は?」
「一人。軽傷」
エリナは、即座に地図を見た。
北倉庫群。
そこは——
ルーヴェル商会の影響が、最も強い場所。
現場は、混乱していた。
倒れた木箱。
散乱した荷。
怒号。
「誰の責任だ!」
「昨日までは、問題なかった!」
エリナは、一定の距離を保って状況を見る。
ここで動けば、越権になる。
だが、見ないふりをする理由もない。
「記録を」
カイルが動く。
時間。
配置。
積載状況。
すぐに、違和感が浮かび上がった。
「……積み方が、変えられてる」
「故意か?」
「少なくとも、不自然です」
だが、証明は難しい。
昼。
噂は、早かった。
「北で事故があった」
「やっぱり、あそこは危ない」
「巡回してない場所だろ?」
事実だけが、独り歩きする。
誰も、名前を出さない。
だが、線は引かれる。
同時刻。
ルーヴェル商会。
「やりすぎたか?」
部下が言う。
「いいや」
ガルドは即答した。
「必要な一件だ」
「評議会は?」
「動かない」
それは、確信だった。
被害が小さい限り、
彼らは“様子見”を続ける。
「問題は——」
ガルドは、指を組む。
「向こうが、どう使うかだ」
午後。
評議会事務局。
例の若い書記が、再び帳簿を見ていた。
「……差が、はっきりしてきてます」
「事故件数?」
「はい。区域内ゼロ。
区域外、一件」
「たった一件だろ」
「ですが、二日目です」
上司は、黙った。
数字は、嘘をつかない。
夕方。
エリナは、現場に戻らなかった。
代わりに、北倉庫群の管理記録を洗った。
誰が、いつ、配置を変えたか。
そこに、直接的な証拠はない。
だが。
「……同じ人間が、三回触ってる」
カイルが言う。
「偶然にしては、多い」
「名前は?」
「表の帳簿では、下請け」
「裏は?」
沈黙。
「……ルーヴェル系列です」
線が、一本、繋がった。
夜。
拠点。
「これで、流れは決まるな」
アーロンが言う。
「一件だけの事故」
「でも、人は“ゼロ”と“一”を、同じには見ない」
トーマが続ける。
エリナは、窓の外を見ていた。
「向こうは、力を誇示したつもりだ」
「だが——」
彼女は、静かに言った。
「“安全に運べた”という事実の方が、
よほど強い」
夜半。
北倉庫群の作業員が、一人、拠点を訪れた。
「……次は、どこを通ればいい」
それだけを聞きに来た。
エリナは、即答しなかった。
地図を広げ、指で示す。
「ここ」
「理由は?」
「二日間、何も起きていない」
それで、十分だった。
二日目の終わり。
街は、静かに傾いた。
大きな音はしない。
宣言もない。
だが、
戻る理由が、また一つ消えた。
三日目の朝、倉庫街は整っていた。
音が揃う。
荷が遅れない。
人が苛立たない。
それ自体が、異常だった。
危険が消えたわけではない。
だが、避けられる場所が、明確になった。
評議会庁舎の奥。
一般来訪者が立ち入れない区画で、扉が閉じられた。
円卓。
席は八つ。
全員が揃っているわけではない。
だが、欠けている者の意思は、すでに共有されている。
「三日分の報告だ」
年長の評議員が言った。
机に置かれるのは、数値だけ。
巡回区域内外の稼働率。
事故発生率。
苦情件数。
どれも、小さい。
だが、方向が揃っている。
「偶然ではないな」
「介入は、まだ最小限だ」
「だが、放置も限界に近い」
誰も、名前を出さない。
エリナも。
ルーヴェルも。
それが、この部屋のルールだ。
「問題は、どこで線を引くかだ」
別の評議員が言う。
「区域拡張か?」
「それは、前例になる」
「だが、今のままでは——」
言葉が途切れる。
全員が、同じ結論に触れかけている。
“動いている側”が、事実上の管理者になりつつある。
書記が、控えめに口を開いた。
「三日間で、巡回区域内の物流は安定しています」
「区域外は?」
「減少傾向です」
「商人の判断か」
「はい」
誰も命じていない。
誰も強制していない。
だが、結果は出ている。
「……合法だな」
誰かが呟いた。
それは、承認に近い。
一方、倉庫街。
エリナは、朝の巡回を見送った。
代わりに、現場責任者を集めた。
倉庫長。
運搬頭。
管理役。
顔ぶれは、控えめだ。
「変更は?」
誰かが聞く。
「ない」
エリナは即答した。
「今まで通りだ」
それが、最も不安を減らす。
昼。
評議会から、非公式の連絡が入った。
文面は、簡潔。
——状況の継続を確認中。
——追加対応の要否を検討。
命令ではない。
承認でもない。
だが、無視ではない。
「来たな」
アーロンが言う。
「まだだ」
エリナは答える。
「これは、測定だ」
午後。
ルーヴェル商会。
「評議会が、数字を集め始めました」
報告に、ガルドは眉を動かした。
「三日目か」
「想定より早いです」
「……街が選んだ、という形か」
彼は、苦く笑った。
力で押せば、反発が増える。
だが、放置すれば、流れが固定される。
「次の手は?」
部下が問う。
ガルドは、少し考えた。
「まだ、七日ある」
だが、その声に、余裕は少なかった。
夕方。
北倉庫群で、作業が再開された。
ただし、規模は小さい。
人が戻らない。
理由は、単純。
安全な道が、他にある。
夜。
評議会の円卓に、追加の資料が置かれた。
「……区域拡張案」
「正式ではない」
「だが、準備は必要だ」
誰も反対しない。
ただ、慎重な沈黙。
「七日目まで、待つ」
結論は、それだった。
だが、方向は決まった。
同じ夜。
エリナは、拠点の灯りを落とした。
見せる必要はない。
強調する必要もない。
選択は、すでに進んでいる。
「三日目は、越えた」
小さく呟く。
あとは、どちらが先に焦るか。
街か。
商会か。
それとも——評議会か。




