悪夢のお茶会
時の流れというのは早いもので、瞬く間に季節は移ろいーー暑い夏を過ぎて、世界は秋を迎える。
恵与の月、第二週、八日のことである。
五か月前、ワーズロースへ視察に行った先で立ち寄ったロークルイド修道院にて突発的にスカウトをした少女ーークリスは無事アシュレイ家の一員となった。断ってくれてもよかったんだけどなあああと内心では頭を抱えたが、こうなった以上はきちんと責任をとろうと、私付きの侍女として教育してもらっている。あくまでちゃんと侍女として。
クリスは自身の年齢をいまいち把握していないようだったが、恐らく私と同い年か、私より身長が高いことから、ひとつふたつか年上かもしれないと推測する。
そんなクリスだが、やはりアシュレイ家の屋敷は修道院より人が少ないためか、思ったより上手くやっていけているようだった。「幼いのに覚えが良いですよ」とは先輩侍女としてクリスにあれこれ教えているエマの言である。
三ヵ月が経った頃にはお茶を淹れられるようになったし、五か月が経った今日この頃では、エマの代わりに私の髪を編んでもらうことさえある。……私より年上だとしてもまだ六か七歳くらいなはずなのに、要領良すぎやしないか。まあ、仕事ができないよりはできる方が、本人にとっても周りにとっても良いことなので、それ自体は好ましいことなのだがーーふむ。この世界の子どもは、前世日本での子どもたちよりも心身ともに成長が早いのかもしれない。
「ピエリス。そろそろよ」
とかなんとか。思考に没頭しているうちに、母に呼ばれてしまった。
私は口からこぼれそうになるため息をぐっと堪えて、非常に重いーーそれはもう重い腰を何とか持ち上げた。
最近ではクリスに髪を編んでもらうことも多いものの、さすがに今日のヘアーセットをしたのはベテランのエマである。そして、これから外出するわけだが、それに同行するのもエマである。
すっかりメイド服が板についたクリスは、庭園にあるオベリスクへ向かう私を見送りに、屋敷の玄関前に立っていた。
「ピエリス様。お気をつけていってらっしゃいませ。お土産お待ちしております」
「クッキーくすねられたら持ち帰ってくるね」
屋敷に来たばかりのクリスは、新しい環境で萎縮していたのか借りてきた猫のようだったが、今では気安く冗談を言えるまでに関係性を構築できている。フレンドリーに接してきた賜物である。父と母は使用人たちに対して比較的寛容なので、クリスがそんな調子だと知っていてもそれを咎めることはない。ただ、私が肩を竦めて言ってみせると、それを聞いていた母がにっこりと「ダメです」と笑った。
私は「はぁい」と言って、クリスは「残念です」と言う。
ああ、アシュレイ家は平和だ。
母に手を引かれオベリスクへと向かう。
これから行く先は戦場である。
「そんな緊張しないでも大丈夫だよ」
死地に赴く戦士のような顔つきになっている私に、父が苦笑する。
「行くわよ」
母がオベリスクに手を触れて、私の視界はぐにゃりと歪んだ。
そうしてやって来た場所は、煌びやかに花舞う王都が中心、メルディア聖王国の王宮である。
*
王室と三大公爵家の親睦を深めるための非公式のお茶会。
それに内心いやいやながら参加するために王宮へやって来たのである。
いつもはあまり家から出ることのない母に「ねえ、ピエリス。今日は王都でショッピングでもしましょうか」と誘われ、初の王都を堪能したのがひと月前。
母がやたらと自身のドレス選びと、私のドレス選びに真剣だったのは、今日このお茶会のためだったのだと気が付いたのが、父に「お茶会に行くよ」と告げられた一週間前のことである。
それから今日に至るまで私は実にナイーブだった。
もしかしたらこのお茶会が、王子との婚約に繋がる布石かもしれない……!
私はまだ正式に王様に会ったことがないので、これが初の顔合わせとなる。というか、三大公爵家は示し合わせたかのように同じ年に子どもを生んでいるので、今日は他ふたつの公爵家からも息男息女が来るのだろう。これが非公式の顔合わせなのであろうことは容易に想像つく。
なんとか王家の人々に「婚約するならアシュレイ家のピエリスよりもイレイザ家のキャメルの方が良いな」と、思わせることはできないものか。
……。
これが父母が傲慢で子を顧みないような毒親なら、全力で保身に走って好き勝手やったところだが、今生の父母は私のことをとても大切にしてくれているし、くすぐったいくらいには愛情も感じるので、あまり両親の顔に泥を塗るようなことはさすがにできない、したくない。うーん、難しいぞこれ。
オベリスクで転移した先には、ものものしい数の騎士や魔道兵らしき人たちがいて、一瞬面食らったが、ここがある意味王宮の玄関口にもなっているとすると、それも当然かと平静を装う。思わず母のドレスをぎゅっと握ってしまったので、母にはバレバレだったかもしれないが。
それから上等な燕尾服を着た執事のような男性が現れ、私たちアシュレイ家一行を庭園へと案内した。
母の手を固く握ったまま王宮の庭園を歩く。
最初アシュレイ家の庭園を見たときには、思ったよりも長閑で牧歌的な風景であったから、イメージしていた”貴族の庭園”とは違ったなと良い意味で思ったものだが、この王宮の庭園は、まさしく”貴族の庭園”といったものだった。
自分がどこを歩いているのかわからなくなるくらいに、徹底されたシンメトリー。一寸の乱れなく、完璧に刈り込まれた生垣の壁はまるで迷路のようである。美しいというよりはただただ圧巻だった。バラが誘引されたアーチを何度か潜り、ようやくお茶会の席へと到着した。
「あら」
噴水前に用意されたお茶会の席は、まるで『不思議の国のアリス』に出てくる三月ウサギのお茶会のようである。ーーそんな風に思っていたときに母が出し抜けに声を上げたので、何事かと母が向く先に視線を向ける。
……うげぇ。
淑女らしからぬ声を押しとどめて、喉がクッと引き攣った。
そこには見事なグランドピアノがあったのだ。
小さな東屋のようになっているところに、ピアノがあって、恐らく屋外でもピアノや管弦楽の生演奏を楽しめるように設けられたスペースなのであろう。
「後でピアノを披露してみたらどうかしら?」
「……う、うまくできるかな」
「大丈夫よ! ピエリスちゃんなら」
母が、素晴らしい名案だ! とばかりに顔を明るくする。
冗談じゃない!
王族や他ふたつの公爵家の前で演奏するなど、ただでさえナイーブであるのに、心労ここに極まれりである。
本来、母は娘に対して無謀な挑戦を強要するタイプではないし、娘が困っていたり、嫌がっていたりすれば”甘やかし”にならない範囲で助け船を出してくれるーーそんな良き母であるのだが、このときばかりは私が顔色悪くしているのも気づかぬ様子で何だか浮かれている。
どうして母がこんな調子なのか、それはレベッカの授業で初めてピアノを習う際に、うっかりベートーヴェンの『11のバガテル、第一番』を弾いてしまったからだ。母はレベッカの授業を見学していたわけではないのだが、防音部屋でもない一室でピアノを弾いたら、そりゃあ母が仕事をしている部屋までピアノの音は聞こえるもので。
最初母は私が弾いているのではなくレベッカが弾いているものと思っていたようだが、聞いたことのない曲に興味が湧き、ピアノを置いてある部屋まで見に来たのだ。
そのときにレベッカではなく私が演奏していることに気づき、そして当然のように「その曲は?」となったのである。
ん? と思ったのも束の間。
それはそうだ。だって、この世界にベートーヴェンはいない。
「みなさま、ごきげんよう」
私をピアノの天才、もしくは申し子だと勘違いしている母に、お茶会でのピアノの演奏をどう諦めてもらおうか思案しかけていた矢先、背後から声をかけられた。
振り向くと、赤い髪をした男女、それから私と同い年くらいの男の子が立っている。ーーウェンディル家だ。
ウェンディル夫妻は燃えるような赤い色の髪をしているものの、その顔つきは柔らかで、のほほんとして見える。……うちの両親と雰囲気が似ている。もっと殺伐としたものを想像していたのだが、今のところ町内会に集まった家族感すごい。
「さあ、レイラーク。ご挨拶なさい」
「お初お目にかかります。ウェンディル家が次男、レイラークと申します」
促されてこちらへ紳士的なお辞儀をした少年は、やはり攻略対象となるレイラーク・ウェンディルだった。
幼いながらにして顔のパーツが整っていることから、将来は文句なしのイケメンになると思われる。彼も両親と同じく赤い髪をしていたが、どちらかと言うと薄いーー若干ピンクにも近いような赤にも見えた。というか長男の方は来ないのだろうか。
私の疑問を読み取ったかのようなタイミングで、ウェンディル夫人が口を開く。
「長男のリージスは学院におりまして……大変勝手ですが本日のお茶会へは欠席とさせていただきますわ」
なるほど。
というか学院に入学しているということは、十五歳は過ぎているということになるが、この奥方、とても十五の息子を持った二児の母には見えん。
そして、王家とのお茶会であるにも関わらず、学院の方を優先させているのは、ウェンディル家の長男の出欠席は、このお茶会において他の公爵家にとっても王家にとってもさほど重要ではないということだと思われる、たぶん。何が言いたいかと言うと、公爵家の同い年の子どもたち三人に加え、三人と同い年の王子が、ここに一同に顔を合わせることが重要なのだ、たぶん。
そんな風に思いながら、私も失礼のないように挨拶をして席に着く。ほどなくしてイレイザ家も到着しーー
私は目を丸くした。
「イレイザ家が娘、キャ、キャメルでございますわ」
そう言って不格好にカーテシーの礼をした女の子は、とてもゲームに登場した悪役令嬢キャメル・イレイザとは思えない。緑色の艶やかな長い髪が、辛うじて面影を残している。
常に胸を張って威張り散らしていた彼女は、不安そうにおろおろと辺りに視線をさ迷わせていて、いかにも自信なさげである。
何故ピエリス・アシュレイが王子の婚約者となったのか、なんだかわかったような気がした。