異世界ベートーヴェン
三大公爵家全てが席についたところで、王様と王妃様、それから王子であるハリク・ラ・メルローがやって来た。
王様と王子ハリクは金髪碧眼だったが、王妃様は鮮やかな赤髪である。確かウェンディル家夫人の姉君であったはずだ。そのウェンディル家から今年は調整したように男児しかいないのは、王家と三大公爵家にとって都合が良いに違いない。
参加者たちは順々に王家へと挨拶を行っていく。
アシュレイ家の番が来て、私はやや固くなりながら彼らの前に歩み出た。
「ア、アユレイ家が娘、ピエリスでございます……」
噛んだ。わざとである。
これくらいのミスは初めて王様と王妃様に対面したのだから、緊張してしまったのだと許容されるであろう。キャメルもこんな感じだったし。
ちらりと顔色を伺うと、案の定、王様と王妃様は微笑ましいものでも見るように目元を和らげていた。
ーーそうして始まったお茶会だったが……。
「甘いものばっかりじゃん」
「サンドウィッチもらう?」
「フィッシュアンドチップスも」
フィッシュアンドチップスってイギリス料理じゃん……と、心の中で突っ込みながら、紅茶に口をつける。
お茶会は大人と子どもで分けられ、円形のテーブルを囲んで、私の向かいには王子ハリク、右隣にキャメル、左隣にレイラークという形で座っている。ーーのだが。
なんだか思っていたのと全然違う……。
ハリクもレイラークもまだ五歳だからか、なんだか普通に元気なただの男の子である。うーん、王族とか貴族って、子どもの頃から変にかしこまって取り繕っているイメージがあったけど、それも前世で読んだ創作物によって抱いた偏見に過ぎなかったのだろうか。
王宮の庭園でお茶会。
一見するととても優雅な午後のひとときなのだが、すごく前世での親戚同士の集まりを彷彿とさせる。和気あいあいである。まあ、粗相がないように少しも気の抜けないお茶会なんかよりずっといいか。
「キャメルとピエリスはいる? サンドウィッチ」
しかし呼び捨てである。これでいいのか、貴族。
レベッカから今日のために「決して失礼のないようにするのよ」と口酸っぱく言われていたんだが。後から父か母に怒られたりしないよねー……? 不安になりつつ「いらない」と首を横に振る。お昼を食べた後なので普通にいらない。
「キャメルは?」
隣のキャメルを伺えば、彼女は視線をおろおろとさ迷わせている。怯えた小動物のようである。かわいそうになったので助け船を出してあげることにした。
「サンドウィッチじゃなくて、こっち食べる?」
「ええと……」
「かわいいよね。王宮のパティシエが用意してくれたマカロン」
そう言って私はポイっと口に放った。作法などこの際気にしなくて良いだろう。
「殿下ーーと、レイラークはいかが?」
マカロンの乗ったお皿は私が独占してしまっているので、ふたりにも聞いてみる。
「殿下じゃなくて、ハリクでいいよ。公の場でもないんだし」
「そうそう固いってー。ぼくのこともレイでいいよ」
なー? と、笑い合う少年ふたり。
私たちは今日が全員初対面なはずだが、同性同士打ち解けるのが早いようで何より。
王子を呼び捨てでいいとか、そんなわけにもいかなくない??? と、心の中では物申したい気持ちでいっぱいだったが、王子ハリクの方は一応は「公の場でもない」という言葉が出るあたり、多少は貴族や王家のめんどくさいあれこれを理解した上で言っているのではないか。いや、そうであってほしい。
「ふふ……」
不意に先ほどまでおろおろしてばかりのキャメルが控えめに笑った。
「どうしたの?」
「あ、えと、百面相してるから……ごめんなさい」
気分を害してしまったのっではないかと、急にしゅんとなる彼女。私は慌てて手をぶんぶんと、ついでに頭もぶんぶんと横に振った。
「いやいや全然、全然。あ、マカロン食べようよ」
「え、あ、うん」
少年ふたりに対してこちらはなんとぎこちないことか。
キャメルは先ほどからチラチラと大人たちのテーブルを伺っているので、もしかしたら彼女の両親は結構厳しい人たちなのかもしれない。
ううむ。キャメルには頑張ってもらいたいんだけどなあ。
やはり未来のライバル悪役令嬢を務めることになるだけあるキャメルは、顔は例にもれずきれいな顔立ちをしていた。だというのに、不安げな表情や、自信のなさが態度に出てしまっていて、その自身が持つ魅力を半減させてしまっている。いやはや、実にもったいない。
いや、私からすれば誰だお前、というくらいの原作との乖離である。
ゲーム内ではあんなに「世界は私を中心に回っていてよ! おーほっほっほ」と、高笑いでもしそうな態度だったじゃないか。実際にそんなことは言っていなかったが。
「今度王都にサーカスの一団が来るんだってさ」
「へえ、いいなぁ。見てみたい。見たことないんだよな」
「イレイザ領を経由してるって聞いたけど、キャメルはサーカス見に行った?」
「え、あ、はい……母と一緒に」
「羨ましー」
実にほのぼのしている。
まあ、彼らにもこんな幼少期があったということだ。
十五歳となった彼らはあまり仲が良いイメージはなかった。ゲーム中での接点もほとんどなかったし。ピエリスとキャメルに関しては派閥化してどちらが優れているか、みたいな状態じゃなかったっけ。何がどうなって、この奥手そうな大人しい令嬢があんな高飛車になるのか全くの謎である。それを言ってしまうと、原作軸のピエリスも人のこと言えないくらいには高慢ちきな令嬢なのだが。
そんな風にお菓子をつまみながら他愛もない話を続けていると、唐突に「ピエリス!」と、声をかけられた。母である。
「陛下がピエリスの演奏をご所望よ」
「うげえ」
貴族ってなんだっけ? って思うほど緩いお茶会だっから、すっかりくつろいでいたのが災いして、声に漏れてしまった。幸い、大人たちのテーブルには声は届かなかったようだが、レイラークが「え、今うげえって言った?」と面白そうな顔をしている。何も面白くない。
うん、ずっと変だと思っていたのだ。
運搬が大変そうなグランドピアノをわざわざ屋外にまで出しているというのに、お茶会のバックミュージックとして演奏があるわけでもない。
「アシュレイ夫人からピエリス嬢はピアノが得意と聞いていてな。一度聞いてみたかったのだ」
との、王様からの有難いお言葉である。
グランドピアノが私のためにわざわざ用意されたものであるならば、演奏を拒否することなんてできないじゃないか。というか、こうなることがわかっていたなら、前もって話しておいてほしかったのだが? マイマザー。
「じ、自信はないのですが」
「よい、よい」
たらりと汗が背筋を伝う。
私はどうにも避けられないのであろうことを悟って、しぶしぶ立ち上がった。母のキラキラと期待した視線が痛い。あれさえなければ「無理です無理です」と、取り乱して見せて、王様にガッガリしてもらい、婚約者キャメルにするー? みたいな流れを作れたのかもしれなかったのに。私は今生での両親に落胆した表情をさせたくない、のかもしれない。
ふらふらとグランドピアノの前まで歩く。
黒い光沢に目を細めた。
もうヤケである。
私はイスに腰かけ、深く息を吸って鍵盤に指を乗せた。
*
初めてピアノに触ったのは三歳の頃だと、母から聞いたことがある。
もちろん私自身はそんな初めてピアノに触ったときのことなど、覚えているはずもなく、物心ついたときにはピアノは身近なところにあった。
音楽が好きだ。
ピアノが好きだ。
最初は、ちょっと曲が弾けたら母が手放しで「天才だ!」と、喜んでくれたのが嬉しかっただけだ。褒められれば「もっと上手になりたい」「もっと褒められたい」と思うのが自然な子ども心というもので。
私はたくさんピアノの練習をした。
子ども向けのジュニアコンクールにも出て、いつしか賞をとることもできてーー母はとても喜んでくれた。他に何の取柄もないつまらない子どもだったが、私にはピアノがあった。ピアノさえあれば十分で、母が喜んでくれれば十分だった。
母の、あの喜んだ顔が好きだった。
ーーピアノソナタ第八番『悲愴』。
秋雲が棚引く昼下がり。
日の光を湛えた噴水の水面に、バラの花びらが浮かんでいる。白亜の見事な彫像たち。贅沢で優雅なアフタヌーンティーに、この曲は……第二楽章は別としても、まあ、合わないことだろう。しかし今の私には関係ない。
何を弾こうかさっぱり考えていなかったのだが(直前に無茶ぶりされたのだから当然だが)、ピアノの前に座ったとき、どうしてか無性に『悲愴』を弾いてやろうという気になったのだ。
第一楽章、何かに憑りつかれたかのように指を走らせる。荒々しいアレグロ。みながポカンとした様子であることには気が付いていた。第一楽章を無心のままに弾き終えて、一瞬の静寂。
私は素知らぬフリして鍵盤に指を走らせるーー第二楽章。
たくさん、たくさん弾いたのだ。私の指は見知らぬ誰かの体であっても音を覚えている。
ゆったりとした響きのへ短調、これを「陰鬱や哀れさを表す」と言ったのは誰だったか。まさに今の私の気分である。
レベッカの授業で、ずいぶんと長いこと触っていなかった鍵盤に手を這わせたとき、痺れるような衝撃があった。
もう弾くことなどそうないと思っていたピアノ。あったとして、ピアノ教室で手本に軽く弾くくらいだったーーそれが転生して、授業に組み込まれていたから避けられそうになかった。だから私は、レベッカに「教えることはなさそうね」と言わせるために、完璧に弾いて見せたのだ。この世界にベートーヴェンがいなかったのは、失念していたのだけれど。
第二楽章を弾き終えて、せっかくここまで弾いたのだから、第三楽章まで走りきることにした。
洗練されたロンド。
教えてもいないのにピアノを弾いて見せた子どもに、レベッカは何を思っただろうか。『11のバガテル、第一番』を弾き終えたとき「その曲は?」と聞いてきた母の顔は紅潮していて、前世の母の顔と重なって見えた。
最後の一音は力強いフォルテッシモだ。
ダンッーーと弾き終えて、辺りには音のない世界が広がる。
イスが地面を擦る音がいやに大きく聞こえた。
よいしょと立ち上がって、彼らの方へ向き直り、たどたどしく一礼すれば、そこでようやくパチパチと手を叩く音。王様だった。それから、王妃様や他の公爵家夫妻たちも、ハッとした顔つきになって喝采をくれる。
「いやはや……想像以上だったよ、ピエリス嬢」
「お褒めに預かり光栄ですわ、陛下」
「その曲は聞いたことがなかったな。誰の作曲か聞いても?」
「ええ、ベートーヴェンですの」
「ベートーヴェン?」
まさか畏れ多くもベートーヴェンの曲を「自作です!」なんて言えるはずもなく、正直にベートーヴェンの曲であることを伝える。
王様は「聞いたことがない名だな」と、顎髭を撫でていたので、私は電波系と思われること承知で、こう返したのだ。
「私の、空想上の作曲家ですわ」
遠い世界。私がかつて二十八年の歳月を生きた場所は、今では異世界であって、もはや誰かの空想上の世界でしかない。
うーん、この言葉でやべー奴と思われて婚約者候補から外されるとかないだろうか。
しかし予想に反して王様は面白そうに「わはは」と笑っているだけだった。冗談だと思われているらしい。つまらないジョークである。
ーーこうして、私は胃痛マックスな王家と三大公爵家とのお茶会イベントを終えたのだった。




