音楽祭
※2021年9月24日、最下部「英語」を「イタリア語」に修正。間違えてました……。
入学の儀からあまりに濃厚だった舞風の月も、今日が最終日である。
日本では日曜日にあたる音の日(休日)だが、私は魔術院へとやってきていた。いつもの制服ではなく、ドレスである。
今日は『かなメロ』において最初となる大きな行事、音楽祭だ。
ときに、この世界では日付の数え方が「~の月、第~週、~日(例:舞風の月、第四週、七日)」であるのだが、一年が十二か月であるのはいつぞやも述べた通り。では一か月はというと第四週までである。そして一週間は七日。つまりどういうことかと言うと、この世界では一年が「七日×四週×十二か月」で、三百三十六日しかないのである。地球と太陽の位置関係どうなってんの? という感じだが、ゲームではそういう設定なので、きっとうまいこと地球が三百三十六日で太陽の回りを一周するように作られているのだろう。
さて、王立ネロガン魔術院の音楽祭では、魔力を持つ者、持たない者に関わらず、学生だけでなく、その近親者も入場を許可されている。
この日に限り魔術院の”平等”という理念も無視されるので、いつもはにこやかな笑顔を浮かべているケヴァン院長が、むっつりと不機嫌そうな顔でいるのはもはや恒例のことなのだそうだ。
私の父と母は、当初、私が演奏者として出ないとしても、音楽祭へやって来る予定であったが、なにやら交易の方で問題があったとかで数日前から対応に追われており、今回は泣く泣く見送ることとなった。そんなわけで、お供はいつも通りクリスだけであるのだがーー
「レイラークはご家族と一緒にいなくていいわけ」
「大丈夫でしょー」
と、のらりくらりとしたウェンディル家次男坊が目の前にいる。
外部の人間が多く訪れる音楽祭であるが、音楽堂と本棟くらいしかその立ち入りは許可されていない。そのため、各学級塔は賑わう本棟に比べてとても静かだ。生徒たちも学級塔に基本的に用がないため、本棟や音楽等、中庭などに集中しているのだ。
私は銀音塔の四階にある自習室にいた。
公爵家の令嬢であるので、本棟の方をうかうか歩いていると、あちらこちらから声がかかってしまい、とてもゆっくりすることができないのだ。それに比べて、銀音塔は静かで良い。ここで発生するヒロインのイベントもなかったはずだ。ーーそう思って、自習室でのんびりと時間を潰していたのだが、そこにやって来たのがレイラークだった。
「キャメルの奴はよく頑張るぜ」
窓際の長テーブル。レイラークは私の隣の席に座った。どこかうんざりとした、疲れた様子だ。今日はウェンディル夫妻も来ていたから、レイラークも先ほどまで怒涛の挨拶回り(言い方サラリーマンぽいが)をしていたのだろう。そして、そのレイラークの口ぶりから察するに、キャメルはまだ本館にいるのだろう。
「キャメルは変に真面目よね」
「おれたちみたいに程よくサボればいいのにな」
「ね」
「ピエリスは真面目だけど、なんというか手の抜き方うまいよな」
「誉め言葉?」
「もちろん」
手を抜くのがうまいのは、今生の同年代の子たちよりも、前世含めて長く生きているからだろう。歳をとると、ズルいやり方ばかり覚えていく。
「でもちょっとばかし、詰めが甘いところあるよな」
「誰の話?」
「お前だよ」
「失礼な」
「腹減ったんじゃないか? 食堂に行くのも億劫で我慢してるんだろ」
図星だった。もう太陽は真上に昇っていて、ちょうどお昼の時間である。普段からよく食べるので、しっかりお腹が空いてしまっているのだが、だがらとて、あの人の多さを思い返すと、のこのこと食堂へ向かおうという気にもなれない。
「だって、めんどくさいんだものー」
気心の知れたレイラークとクリスしか自習室にいないことを良いことに、机の上にだらしなく上体を預けて、ぐーっと体を伸ばす。
「何か取って参りましょうか?」
「ああ、クリスちゃん。おれ、持ってきたから大丈夫だよ」
「え?」
気遣うクリスをレイラークが笑って止める。目の前にドンと置かれたものはバスケットだった。
「できる男はここが違うってね」
「さすが色男」
「おいおいそんな褒めるなよ」
というか、こんなの持ってきていたことに全然気が付かなかった。そこまで大きくはないが、まあまあのサイズ感ではある。
「移動する? 自習室は飲み物以外はダメよ」
「誰もいないしバレないって」
他の教室や部屋は一応ここと同じで、飲み物以外は持ち込み禁止である。小さなチョコレートや飴程度であれば見逃されるが、さすがにお弁当は看過されない。しかし学級塔の中で唯一、軽食などをとっても良いとされている談話室は、まばらではあるが休憩している生徒たちもちらほらといるだろう。であれば、こっそりここで食べてしまった方が良いだろうか。今は周りを気にせず、気楽でいたかった。
窓際の長テーブル席から、三人で囲んで座れるような円形のテーブル席へと移動する。
魔術院の図書室は本棟にあるが、自習室にも辞書や参考書などは置いてあるため、いくつか本棚が設置されている。ちょうど入口から見て書架で隠れている席だ。今のところ誰も自習室には訪れていないが、絶対に誰も来ないとは言い切れない。とは言え、書架でパッと見、バレにくい席かもしれないが、食事を始めてしまえば匂いで即バレしそうでもある。まあ、こういうのは気持ちの問題だ。つまりはなんとなくである。
イスに座って、レイラークがバスケットの蓋を開く。
まず取り出したのは、いくつかのラップサンド。それから数種類のキッシュ。ボウルサラダ。ジャーに入ったスープ。ペンネにバケット。さらにボリューミーなグリルチキン。飲み物にアイスティーの入ったボトルとグラス。そしてデザートに、パンプキンパイと瓶に入ったカラメルプリンまである。
「いや、多すぎじゃない?」
「あ、足りる?」
バスケットは魔道具である。そのサイズからはあり得ない量の食事の数々が出てくる出てくる……この男は私のことをどんな大食らいだと思っているのだろうか。……まあ、三人であれば食べきれそうではあるが。
クリスがアイスティーをグラスに注いでくれる。私はとりあえずサラダボウルを手に取った。
「まあ……ありがとう。お腹空いてたから助かったわ」
「そいつはどういたしまして」
レイラークはラップサンドの包みを開いている。
「演奏は見に行かなくていいのか?」
「ええ、殿下とアリア様のだけ聞きに行こうと思って」
「ああ、おれもそうする。……それに午後からは王女殿下もいらっしゃるらしいしな」
「王女殿下が?」
「なんだ、知らなかったのか」
王女様はハリクの四つ年下の十一歳である。
私も何度かお会いしたことがあるが、兄のハリクに似て金髪碧眼のこれまた見目麗しいお姫様だ。
ゲームの中で、王族が音楽祭にやって来たような描写はなかったと記憶していたので、私は王様含めて、ハリクの近親者はやって来ないものだと思っていた。
「じゃあ、挨拶に伺わないとね」
さすがに王女様に挨拶をしないわけにもいかない。
アリアの出番が三時頃であるから……お昼を食べて、二時間ほどゆっくりしてから本館へ向かおうかと考える。
本来、一回生は音楽祭の中でも出番は最初の方と決まっているのだが、今回一回生の中から唯一出演するふたりが、王太子と聖女の資質を持った女生徒ということで、出番は後ろの方になっている。
以前の私であればーー日本に生きていた私であれば、クラシックコンサートなどにもよく通っていたので、音楽祭も午前から演奏を見に行ったことだろう。だが、どうしても今生での私は見に行く気になれなかった。さすがにアリアと王子の演奏くらいは聞きに行こうという心持である。
「クリス、興味があったら音楽堂へ聞きに行ってもいいのよ」
常に私付きの侍女として生活しているクリスには、あまり機会のない催しである。お昼にもなっていまさらだが、気遣ってそう言えば、クリスはふるふると頭を横に振った。
「ピエリス様の演奏以外興味ないので大丈夫です」
「極端」
私たちのやりとりに、レイラークが面白そうに笑う。
「でもピエリスの演奏を聞いたら、他のピアノじゃ物足りなくなるのはわかるな」
「それじゃあ、私は今後も弾かない方が良さそうね」
「これだよ、まったく。ーーていうか食べるの早くない?」
パンプキンパイをぺろりと平らげて、プリンの小瓶へと手を伸ばす。
キッシュを食べているクリスが「いつも通りです」と、事も無げに言った。
「あら? プリン食べる? 甘いの嫌いでしょ」
「いや食っていいけど……ちゃんと噛んでる?」
「噛んでるわよ」
毎度ボリュームのある食事をしていれば、知らず食べるスピードも早くなるというものだ。……不健康だろうか。
「本当にお嬢様らしくねぇなあ」
「……なに」
不意に細長い指がこちらへ伸ばされた。
男らしく、大きな手。ピアノやファゴットに向いてそうな手だと思った。頬を拭われる。
「どこの世界に、食べかすをほっぺたにつけるお嬢様がいるんだか」
レイラークはくすくすと笑って、それを舐めた。舐めた?
「うぇ、あまっ」
パンプキンパイだったのだろうか。そんな甘くはなかった気がするが、というか、え? この男、素なのかそれ。
まるで少女漫画のようである。主人公がうっかり顔を赤らめてトキめいちゃうやつである。クリスが無言で私の頬をナプキンで拭った。
「……そんなにパンプキンパイが食べたいなら、言ってくれれば良かったのに」
何と言ったら良いのかわからず、とりあえず麻痺した頭を置き去りにしてそう返せば、レイラークは何か微笑ましいものを見るような目で「いーや、ピエリスがうまそうに食ってるの見るだけで十分だよ」と、言った。そういうのはヒロイン(アリア)にやってくれませんかね。
そんなことがありつつも、食事を終え、しばし自習室でのんびりしていたが、時間が経つのは早いもので、時計の短針はもうすぐ二時を指そうという頃になっていた。ため息を吐きながら、重たい腰を上げる。
空になったバスケットはレイラークが魔法で厨房へと返却していた。……まだ座学だけで実技には入っていないはずなのだが、この男はフライングしているので、そういった簡単(らしい)な魔法は使えるのだ。とても羨ましい。
本棟の方へ移動すると、中庭へ向かおうとしているのかーー遠目から見てもはっきりと目立つ少女がいた。まごうことなき王女様である。
その周囲には王女様なだけあって数人の護衛がいるが、それでも少ない方である。
この魔術院は、学級塔とグラウンド以外で攻撃を目的とした魔法が使用されると、すぐにそれを打ち消すような魔術が施されている。さすがに剣などの物理攻撃は防ぐことはできないが、攻撃魔法に対する防衛が成されているだけでも、国内で最も安全とされる場所の内のひとつと数えられる。また、魔術院に(というよりは島全体に)外部からの攻撃魔法を防ぐための結界魔法も施されているのだ。
そのため、通常の外出に比べて少ない護衛で済んでいるのだろう。
「ーー王女殿下、お久しぶりでございます」
レイラークと共に、王女様の前へ歩み寄り、カーテシーの礼をする。
美しいブロンドの髪を持った王女様は、その碧色の瞳をぱああと輝かせた。
「まあ、おふたりとも。お久しぶりですわ」
「前年のエレヌス福音祭以来ですね」
「ええ、ええ。本当は私ひとりで音楽祭に行くのを、お父様は反対していたのですけれど、どうしても来てみたくて……」
「そうだったんですね」
「でも驚きましたわ! どうして演奏されないのです?」
王女様は「誰が」とは言わなかった。レイラークとふたり並んではいるが、私のことを言っているのは聞くまでもないことである。
十年前の”あのお茶会”で、初めて王様の前でピアノを演奏して以来、私は王様に大変気に入られてしまい、断り切れずに(だって相手は王様なのだ)何度か王宮で演奏をしたことがあった。当然、この王女様もその演奏を聞いており「素晴らしいですわ!」という賛辞の言葉を何度もいただいている。
「一回生のうちは勉学に集中したいと思っておりましたのでーー」
「そうですの……」
王女様は非常に残念そうだ。まだ十一歳で、子どものあどけなさがあるので、そういう表情をされると、私はとても弱い。
目を逸らすついでに視線をレイラークにやると、レイラークは「王女殿下はどちらへ?」と、話を変えてくれる。グッジョブである。
「先ほどまで音楽堂で演奏を聞いていたのですけれど、少し疲れましたので、中庭の方で休もうかと」
「ああ、そうだったんですね。中庭には寛げるスペースもありますので」
「あら、本当? よかったわ」
十一歳とは思えない優雅な仕草で、頬に手をあて首を微かに傾げる王女様。そういえばレイラークは以前、この王女様が苦手だと言っていた。
レイラークは同性であるためか、私よりもハリクと仲が良く、自然と王女様にもお目にかかることは多かったらしいのだが、どうにも昔から王女様を苦手としているらしく、こうして話しているところを見ても普段の彼からは想像できないくらいに声が固い。あまり人の好き嫌いを言うレイラークではないので、なかなか珍しい。
どうして苦手なの? ーー以前そう尋ねたときには、彼は言葉を濁して答えなかった。
目の前にいる王女様は愛らしい。まだ十一歳であるのに、手を焼くほどの我がままもなく、聞き分けの良い妹だといつの日かハリクも言っていた。そんな王女様である。苦手に思う要素がわからない。また今度聞いてみようかーー
そんなことを思っていると、レイラークが「では私どもはこれで」と、別れを切り出してきたので、私も頭を下げて「王女殿下もどうか楽しまれていってくださいね」と言う。
王女様はとびっきりの笑顔で「それでは、また」と手を振って、中庭の方へ歩いていった。ハリクの妹なだけあって、とても笑顔が眩しい。
私たちは王女様の後ろ姿をしばし眺めていたが、やや経ってレイラークは「はあ」と、微かなため息を漏らした。周りに人がたくさんいるので、間違って聞かれでもしたら大変である。私はドレスの裾がふわりと広がっていて、足元が傍目からは見えないのを良いことに、レイラークの脛を軽く蹴った。
「いたっ」
「さあ、私たちも音楽堂へ参りましょう?」
「なんで蹴った?」
「いやですわ。なんのことですの?」
ほほほと笑い、音楽堂へ向かって歩き出す。私は少し、緊張していた。
出番はアリアが先だ。
配布された音楽祭パンフレットに書かれている曲目は『Lasciar d’amarti』ーーみなが「どこの言葉だ?」となったのは当然の反応だろう。この世界に英語もイタリア語も存在しない。なぜ、翻訳せずにそのままイタリア語で書いたのか。
私は複雑な心境で、音楽堂の扉を開けた。




