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まるでシャガールのようだった

 劇場。

 私は昔から、日常とどこか隔離されたこの空間が好きだった。


 二階中央のバルコニー席からは、大ホールの全体を見渡すことができた。恐ろしく贅沢な空間だと思う。

 金箔が惜しむことなく使われた梁に柱。客席との間に設けられたオーケストラピット。舞台を縁どるプロセニアムアーチには繊細な彫刻があしらわれており、それが柱やバルコニー部分の手すりまで統一されることによって、舞台から客席空間を一体的に感じさせる。ただいたずらに豪奢なだけでなく、そういった一体感を持たせることによって、舞台への集中力が削がれないように計算され尽くしているーーある種の空間芸術であって、至高の贅沢である。


 このシェーマ王立劇場には、何度か家族でやって来たことはあった。

 初めてこの大ホールを訪れたとき、中世的な建築や豪奢な装飾のこの大ホールとは、まるで違っているのに、あのいかにも日本らしい近代的空間を持つ赤坂のコンサートホールを思い出したものだった。


 あのときの半券はちゃんと取っておいたのだっけか。


 クラシックのほかミュージカルや舞台の観劇をひとつの趣味としていた自分は、入場の際にもぎられた後の残りのチケットをずっと大切にとっておくところがあった。


 ーーと、開演五分前を告げるブザーが劇場内に響き渡った。


 私たちは深紅のシートに腰かける。

 舞台『807』を隣にアリアがいる状態で観るのは、やはりどこか気が引けたが、当のアリアが(内容を知らないとはいえ)素直に楽しみにしているので、観劇せずに休憩室に行こうと提案するのはさすがに憚られたのである。大人しく舞台を観ることにした。





「まさか、あの方が……聖王ゾラン様であったなんて……私はなんと失礼なことを……!」


 舞台の上で、光の筒を一身に受け少女エレノアは悲嘆に暮れる。

 己の淡い恋心を自覚したと同時に、その想い人が自身とは天地ほどかけ離れた身分であることを知ったエレノア。その沈痛な表情は観る者たちの心を強く打つ。……。


 知った内容ではあったが、その芸術性に思わず見入ってしまう。

 魔法技術が発達したために、前世の世界のように科学が浸透していない世界であるのに、極限まで追及された視覚的演出は科学世界に引けを取らないーーむしろ、魔法によって生み出された多彩な照明演出は前世の世界にはないものだ。流動的な光と影で満たされた空間。


 客席の暗がりの中で、ちらりと隣の席に座るアリアを盗み見た。


 アリアは肘置きに置いた両手に力を入れ、食い入るように舞台を眺めている。その表情まで窺い知ることはできなかったが、どうにも素直に舞台として客観して楽しんでいるのではないかーーという気がする。その様子に、はたして「聖女の資質を持っている」ということの重大性を自覚しているのか、いささか不安にもなってくる。


 聖王国において、どうして聖女はその身分に関わらず王妃となるに相応しいとされているのか。


「私は貧しい平民です……あなたさまの隣に立つべき女ではないのです」

「それは違う、エレノアーーそなたは人民の標火しるしびとなるべき聖女だ」


 やがて舞台はクライマックスを迎える。

 隣国パルディアの軍勢を退けたものの、戦線に出ていた聖王ゾランは胸を甲冑ごと刺し貫かれるーーそんな彼を死の淵から救ったのは聖女エレノアの祈りの歌であった。そして聖王は言う。


「ああ、美しいエレノア……どうかこの私の隣で、メルディア聖王国をともに導いてくれないか」


 その言葉に、エレノアの美しい瞳から一筋の涙が頬に伝う。


 ……つまりはそういうことである。


 聖王歴八〇七年。暗黒の時代を終焉へと導いた聖王ゾランと聖女エレノア。

 貧しい平民であった彼女は、その先二〇六六年ーー今日日まで続く栄光の聖王国の礎となった。初代聖女は王妃となって今もこうして、聖王ゾランとともに国民たちに愛され、語り継がれている。



「はああ~、素晴らしかったです」


 幕が下りた舞台。明るくなった客席で、シートの背もたれに脱力したように凭れ掛かるアリアは、まだ夢心地といった具合で宙を眺め余韻に浸っていた。


「楽しめたみたいでなにより。せっかくだし、休憩室でゆっくりしていこうぜ」

「すぐに出なくていいんですか~?」

「ええ、大丈夫よ」


 レイラークと視線がぶつかる。


「ちょっと飲み物を用意しがてら、支配人に声をかけてくるから先に休憩室に行っててくれ。休憩室は通路に出て右側の突き当りーーおれんとこの護衛がいるからわかると思う」

「ん……わかったわ。行きましょうかアリア様」

「はい、早く感想言い合いましょ~」


 正直何度か観たことのあるこの舞台に、真新しい発見というのもなく、感想も何もないのだが。笑みを浮かべて「そうね」と言って大ホールを出た。



 そしてウェンディル家の護衛騎士が入口を守る休憩室へとやって来るーーようやくアリア・モロンとふたりきりになることができた。


 レイラークは恐らく十分に時間を作ってくれるのだろうが、このまたとない絶好のチャンスを何がなんでも逃したくはなかった。観劇の余韻、興奮冷めやらぬ様子のアリアには悪いが、とっとと本題に入らせてもらうつもりだ。ーーと、思っていたら、


「すごい、ヘッセランの『アラン・ユアードの思い出』だわ」


 部屋に飾られていた絵画の元へふらふらと向かうアリア。

 ヘッセランーーというのは、シャガールとは違って、前世の世界ではなく、この世界にかつて存在した芸術家である。アリアは芸術に関してどうも造詣深いように思われる。


 私は少し考えて、アリアの隣に立って絵画を眺めた。


「アリア様は絵画がお好きで?」

「ええ、といっても全然技術的なことはわからないんですけどねぇ」

「大ホールの天井壁画も圧巻だったでしょ?」

「はい! 本当に素晴らしいです! まるで」


 まるでーーそこまで口にしかけて言葉を途切れさせたアリア。じとりと、汗が背に滲むのを感じた。『アラン・ユアードの思い出』ーー灰色の服を着た少女が、色彩豊かな花畑の中に立ち尽くしている。私は絵画から目を離さずに言った。


「まるでシャガールのようだったと?」


 沈黙。


「確か、フランスの画家……よね? 私は全然詳しくないんだけれど」


 目を一度瞑り、意を決したようにアリアの方を向いて目を開く。


 アリアはただ驚愕に目を見開いていた。宝石のように輝くピンクゴールドの瞳がそのまま零れてしまいそうだ。


「そう、です。フランスの天才画家、シャガール。マルク・シャガール。フランスのオペラ・ガルニエにシャガールの天井壁画があって……」


 信じられないーーそう言わんばかりにアリアは口元に両手をやった。


「ピエリス様は日本をご、ご存じで……?」

「ええ、ええ。よく知っているわ。日本人だったのよ」

「わ、私もです! 東京で働いていて……!」


 日本。東京。

 この世界では二度と聞くこともないだろうと思っていた単語は、懐かしく、非現実的な響きを持っていた。


「ピエリス様!?」


 私はその場に崩れ落ちていた。

 紫色の質の良いドレスをしわくちゃにさせ、その場にうずくまる。ああ、もうとっくに慣れたはずのコルセットが、踵のバカみたいに高いハイヒールが、こんなにもきつく窮屈に感じられるのは何故だろう。


 アリアが焦ったように、隣に屈んで私の背に手をあてる。


「……ピエリスでいいわ」


 周りに人がいるときはそうもいかないかもしれないけど、ふたりのときは呼び捨てでいいーーそう笑って言えば、私の顔を見てきょとんとしたアリアも、その一拍後に破顔して頷いた。


 私は泣いてはいなかった。ただ、全身の力が急激に抜けてしまっただけである。


「だったら、私のこともアリアって呼んでください」

「ありがとう、アリア」

「いいえ、私もピエリスに会えて嬉しいです」


 それからアリアに手を引かれるがまま立ち上がり、私たちは休憩室のゆったりとしたソファに腰かけた。そして舞台『807』の感想などすっかり忘れて、懐かしい異世界の思い出話に花を咲かせる。


 アリアは日本に生きていた頃、旅行や美術館めぐりが趣味だったようだ。


「ジェラートを食べてたときにイゾラ・ベッラって言ったでしょ? それでまさかーーって思ったの」

「ああ、なるほど~、それでだったんですねぇ」

「イゾラ・ベッラには行ったの?」

「行きましたよ~! モン・サン=ミッシェルにも行ったことがあるんですけど、あのテラスでの景観が、イゾラ・ベッラで立ち寄った展望レストランからの景色にすごく似て見えたんですよねぇ」

「へえ、私、海外旅行って実はしたことがなかったから羨ましいわ」


 新鮮だった。そりゃあ、この世界でこんな話をする相手なんていなかったのだから当然である。私たちはしばらく和気あいあいと趣味の話をしていたが、それがサブカルチャーに関する話題に移ったとき、私はハッと我に返った。


 まだ大事な話をしていない……!


 すっかり前世トークが楽しく、忘れてしまっていた。ちょうどゲームの話をしていたので、その流れで「そういえば」と切り出すことにする。


「アリアは『かなメロ』って知ってる?」


 これである。アリアが『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』を知っているのか否かーーとてつもなく重要事項である。思い出せて良かった……!


 するとアリアは一瞬考え込むような顔になって、うーんと唸った。


「私は知らないんですけど……なんなんですか? ”かなめろ”って」

「え?」

「生まれ変わってから、一回聞かれたことがあるんです。”かなめろ”について知ってるかって」


 ドクリと心臓が跳ねる音が聞こえた。


 『かなメロ』は前世の世界ーー日本で発売されていたゲームである。この世界には当然『かなメロ』というものはない。つまり、それを知っているということは、それ即ち私たちと同じ、転生者である……ということに他ならない。


「えっと、それは誰に……?」


 私は震える声で聞いた。まさか、私とアリア以外にも転生者がいるだなんてーー


 アリアは「あ!」と、何かを思い出したかのような顔になって、えへへと頬をかく。


「そういえば、先に話すべきなのをすっかり失念してました~」

「なにを?」


 実はですねーーのんびりとした口調で、アリアは言う。

 私は目を瞬かせた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] しょーもない悪役が出てこないところ [気になる点] 音ゲーで主人公はピアノが好き、という設定が殆ど生かされてないのがもったいないなと思いました。 というか逆に全然音の描写が無いんですが・・…
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