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幼き日の不可解 ※レイラーク視点

 ピエリス・アシュレイという人間に出会ったのは、今から十年も前ーー五歳のときだった。



「レイラーク。今度、王宮でお茶会がありますからね」


 ウェンディル家の二階、一番角の部屋。

 今は亡くなったウェンディル家の当主ーー母の父(おれのじいちゃんである)が好んで使っていた書斎。じいちゃん亡き後、母も父も使わないので、すっかりおれが入り浸るようになっていた。


 中庭に植えてあるピラカンサが、真っ赤な実を抱えて深くしだれている。母や父、兄の髪と同じ赤。

 窓辺の肘掛け椅子から、おれはそれをよく眺めていた。


「……ぼくも行くの?」


 書斎の扉のところに立っている母に、ピラカンサから目を離さずに聞き返す。ピラカンサには毒があるから、決して口にしてはいけませんよと、使用人には口酸っぱく注意されていた。


「そうよ。王家と、三公家のお茶会ね」

「ふぅん」


 おれは興味なさげに頷いた。


 ーーおれはウェンディル家という、メルデイア聖王国の中でも三大公爵家と呼ばれる家系の次男坊として生まれた。


 ウェンディル家は、代々”紋章持ち”が多く生まれたことから、神官を次々と輩出する名家として知られている。それが、ひいじいちゃんの代から”紋章持ち”が生まれなくなり、やや落ち目となったところに、母の姉が王妃となってようやく名家の面目と矜持を保てているーーというような状態だった。そしてそこに、おれが生まれた。


 おれの右手には渇望された紋章があって、それは十離れた兄の右手にはないものだった。


『ーーアシュレイ家のピエリス嬢か、イレイザ家のキャメル嬢が、次期王妃候補となるだろうな』


 以前、父と母が話していたことを思い出す。


 何の偶然か、はたまた神のいたずらかーーウェンディル家を含む三大公爵家と王家は、同じ年にそれぞれ子どもを授かっていた。


 王位継承権を持った子どもと、未来の王妃と期待される子ども。

 興味なさげにーーおれは母に背を向けたまま、窓の向こうのピラカンサを眺め続けていた。だが、そんな態度とは裏腹に、そのとき、おれは少し期待していたのだ。





 ーー正午、五分前。

 ウェンディル家の名前で貸切ったカフェ『オ・ラスベラント・メーベル』に入ると、そこには既に三人の少女がいた。


 聖女の素質を持つとされている男爵令嬢、アリア・モロン。それと、アシュレイ公爵家の侍女、クリス。そのふたりと和気あいあいと楽し気に話しているのがーーウェンディル家と並ぶ三大公爵家の令嬢、ピエリス・アシュレイ。


 彼女は、白のアクセントが映える紫色の上品なドレスに身を包んでいた。決して華美ではないところを好ましく感じる。肩にかけたグレーのショールがほどよく”オフ感”を演出していた。


 窓から日の光が漏れていて、彼女のプラチナブロンドの髪が、より一層輝いて見えた。

 目を細める。ーーと、翡翠の瞳がすっとこちらを捉えた。


「レイラーク。いつまでそこに突っ立ってるの?」


 余所行きではない、ピエリスの普段の調子の話し方に、おれは無意識に頬が緩むのを感じた。


「美しいレディたちがいたんで、一瞬うつつかわからなくなってね」


 おれは至って軽い調子で片手を上げて、彼女たちの元へ行く。

 ウェンディル家の護衛の騎士たち数人は外で待機だ。


「ふふ、私もお店に入ったとき、おふたりを見てそう思ったんですよ~」


 ジト目なピエリスとは反対に、アリアは破顔した。まるで花がほころぶような可憐な笑みである。


 ……こりゃあ、他の令息どもも見惚れるわけだ。


 彼女には見る者を一瞬で虜にしてしまうような、そんな天性の華やかさがある。一言にして”魅力的”だ。これで聖女の資質なんてものがなければ、上位貴族の令息たちもこぞって彼女に言い寄ったのだろうが、残念なことに、聖女の資質持ちイコール王妃候補なので、誰も彼女を口説くことができずにいる。


 おれにとっては、有難いことに、か……。


 幼馴染であるリヒトがキャメルと良い仲で、周囲(王家や両家のことだ)にも、それを認めているような空気が既にできあがっているために、三大公爵家での実質的な王妃候補はピエリスだけなのだ。

 本来であれば、もう十五になったのだーーピエリスはハリクの婚約者となっていてもおかしくはなかった。だが、アリア・モロンのおかげで、そうはならずに済んでいる。


「おふたり、チケットは忘れてないだろうな?」


 テーブルを囲う空いているイスのひとつに腰かけて、取り出したチケットを彼女たちにひらひらと見せる。


「大丈夫よ」

「はい、しっかり持ってきましたよぉ」


 ふむ。大丈夫そうだ。案外、ピエリスはうっかりさんなので、念のための確認である。


「クリスちゃん、ごめんな? クリスちゃんの分も取れれば良かったんだが」

「いえ、とんでもないことでございます」


 ピエリスの侍女であるクリスへ申し訳なさそうな顔をすれば、クリスは恐縮だといった顔をして頭を下げた。そんな様子に、クリスのことも五歳のときから良く知った仲であることもあって、少しの罪悪感が胸に湧く。

 天下のウェンディル家がチケットのひとつやふたつ、余分に取れないはずがないのだ。


「開場は二時ね」


 ピエリスがチケットの開場時間を確認して言った。あと二時間ほど余裕がある。


「ここから劇場までは歩いて十五分くらいーーあ、徒歩でいいよな?」

「私は大丈夫よ」

「私も慣れてますので~」


 たかだか十数分の距離であっても、歩くなんてとんでもない! という、とんでもない令嬢は多くいる。この十年の付き合いでピエリスは案外フットワークも軽く、良い意味で”貴族らしさ”の薄い人間だと知ってはいたが、アリア・モロンはどうだと思って尋ねてみれば、本気で慣れていそうな口ぶりだったので安心する。

 そういえば、アリア・モロンは元々平民の出だったか。逆に、”貴族らしさ”にはまだ抵抗がある部分も多いかもしれない。


 噂では『モロン男爵家に聖女の資質を持った子が”生まれた”』とされているが、事実は『モロン男爵家が聖女の資質を持った子を”引き取った”』である。


 今のところ、魔術院で直接アリア・モロンに噂に関するあれこれを聞き質そうとしている者は見受けられないが、露見するのも時間の問題であるとは思う。


 ちなみに何故おれがそれを知っているかというと、モロン男爵家はウェンディル家の派閥に属している家であって、モロン男爵夫人は、おれの母上に頭が上がらないーーそういう力関係にあるからである。

 今日アリア・モロンを観劇に誘うことができたのも、そういう背景がある。

 通常は、婚約関係にあるわけでもない令息から観劇のお誘いがあれば、丁重にお断りする家も多いだろう。だが、モロン男爵家にとって相手がウェンディル家であればそれは話が別だ。ピエリス・アシュレイも同行する旨は伏せているのだし、なおさらだ。もちろん、アリア・モロン宛に、別でしたためた手紙の方には、ピエリスも来ることを書いてある。


「ここ二時まで貸切ってるから、開場前までゆっくりしてようぜ」

「だったらランチ済ませても?」

「ああ、おれも」

「アリア様は何か召し上がって来られて?」


 ピエリスがアリアに尋ねると、タイミングよく、ぐうっとお腹が鳴る音がした。アリア・モロンが恥ずかしそうに赤面して、ピエリスが「あはは」と無邪気に笑った。


「先にお腹が返事しちゃいましたねぇ……実はまだなんです。うぅ、恥ずかしい~」

「じゃあさっさと注文しちゃいましょう。ここは紅茶が有名ですけど、食事もどれもおいしいんですよ」

「えへへ、楽しみ~」


 何だかアリアの方も、すっかり打ち解けられているようで何よりである。それも”貴族らしさ”の薄いピエリスの態度にもあるのだろう。……”貴族らしさ”を被ったときのピエリスは一丁前の公爵令嬢なので、近寄り難い雰囲気に様変わりするが。


 注文を済ませ、ほどなくして、料理が運ばれてくる。

 女性陣はサラダのついたパスタやグラタンを選んでいたが、おれはさらに手軽に食べられるところが好きで、サンドウィッチを注文していた。

 おれの前に置かれたサンドウィッチを見て、ピエリスは「少な……」と言葉を漏らした後、「だからあなたは筋肉がつかないのよ」とさらに余計な一言を付け加えた。見たことないだろ、おれの筋肉。というか、ポテトグラタンにサラダ、スープ、おまけにバケットーー最後はデザートも食べるのだろう、ピエリスはいつも食べ過ぎである。しかしイイ男っていうのは余計なことを言わないものだ。

 おれは黙ってサンドウィッチを口に放った。





 スモークサーモンとクリームチーズのサンドウィッチ。

 それをもぐもぐと咀嚼してーーちらり。

 少し離れた席に座るピエリスを盗み見た。


 王立ネロガン魔術院の食堂にて。

 いつものように、正面に伯爵令嬢のローラ、隣にクリスという席順で食事をするピエリスは、どこかいつもよりもソワソワと落ち着かなく見える。本当に微細な違いだ。

 何か様子を伺っているような、なんというか……タイミングを見計らっているようにも思える。


 ーーと、そこに銀のトレーを手にしたハリクとリヒトがやって来て、ハリクはローラの隣、クリスの正面の席に座った。リヒトはハリクのさらに横だ。かわいそうに、ローラが若干引き攣った顔を一瞬した。普通の令嬢であれば顔を赤らめて喜びそうなところであるのに、その反応は面白いなと、おれは彼らを観察し続けることにした。

 気安い仲であるのだし、少ししか席が離れていない(話し声まで聞こえてくる距離である)のだから、自分もあちらへ混ざれば良かったかもしれないが、この後は野暮用があるので、手早く食べてすぐに席を立つつもりだった。


 ふたつ目のサンドウィッチを口に放り込んで、ハリクの「ああ、そうだ。来月音楽祭があるよね。もちろんピアノを演奏するんでしょ?」という声が聞こえてくる。

 それに対してピエリスは「いえ、しませんわ」と、きっぱり言った。……もったいない。

 ハリクもそう思っているのだろう、やれやれと言わんばかりに肩を竦めて見せた。



 ピエリス・アシュレイは天才ピアニストである。


 おれはあのときの衝動を一生忘れることはないだろう。

 今でも鮮明に覚えている。幼き日の網膜に焼き付いた、あの情景を。



 ーー十年前、恵与けいよの月のこと。

 眩いくらいのスカイブルー。水しぶきの煌めく噴水のほとりで行われた、小さくも贅沢な王家のお茶会。バラの蔦這う列柱の東屋の下、白く細い子どもの腕が、まるで別の生き物のようにその鍵盤の上を跳ねていた。


 ときに静かに、ときに激しく。


 重厚な旋律。走るピアノ。瞬く間に引き込まれたーー空間の支配。

 カップを持った手が動かせなかった。誰も彼もが息を呑み、呼吸をも忘れている。軽く奏でられた高音のメロディラインは、徐々に激しい急流のように渦を巻き、それは低音の響きによって完結させられる。


 そして訪れた一瞬の静寂。だが、おれはカップを置くことも忘れて、その白い指が、再び鍵盤を叩くのをただ呆然と眺めることしかできなかった。


 穏やかなカンタービレ。

 自分も貴族令息として少しはピアノを習ってはいたが、それはあまりにも別次元の演奏だった。ゆったりとした楽節であるはずなのに、どこか憂鬱で遠くを望んでいるピアノ。ーーと、鍵盤を滑るような動きだったそれが、唐突に跳ね上がり、主題が繰り返される。


 おれはただ、打ち震えた。


 五歳の子どもに、芸術など理解できやしない。

 それでも、確かに胸に湧き上がる何かがあったのだ。ーー不可解。



 王位継承権を持った子どもと、未来の王妃と期待される子ども。

 そして、紋章を持って生まれた自分。


 燃えるような真っ赤な赤髪を持つ両親、そして兄にはわからないだろう。おれの髪は、加護を受けて生まれたためにピンク色にほど近い薄い赤で、血を分けた家族であっても、生まれ持った重みが違った。物心がついたときには、自由は既に失われていて。

 この国の王太子と、同じ三大公爵家の令嬢たちーー同じ境遇、同じ運命に置かれた彼らに、おれはきっと、会う前から勝手に同族意識を持っていた。


 だというのに、そのとき彼女の演奏を聴いて、おれはーー落胆、失望、焦燥、不可解な感情たち。そしてそれらに相反する強い羨望、憧憬ーー少なくとも、五歳の幼い自分には、そのとき胸に湧き上がったそれらに、名前を付けて整理することは難しかった。



 そこにいる者全てを圧倒した彼女は、陛下の「誰の作曲だ」という問いに、空想上の作曲家「ベートーヴェン」だと答えた。誰なんだ、それは。


 陛下はピエリスの演奏をすっかり気に入って、その後、機会があれば彼女の演奏を所望したと母から聞いている。その母もまた、ピエリスの演奏の虜となったひとりであって、しつこいくらいにアシュレイ公爵夫人にお茶会の招待状を送っていた。


 ピエリスはピアノを演奏したがらなかった。

 さすがに陛下に頼まれれば断れないとみて、しぶしぶ演奏していたようだが、”天才ピアニスト”だと社交の場で瞬く間に広まった後は、多方面から「是非うちで!」という手紙が殺到したらしく、勘弁してほしいーーと、いつだったかピエリスは物憂げにぼやいていたのを覚えている。


 素晴らしいピアノ奏者であるピエリスが、演奏をしたがらない理由はわからない。聞いたことはあるが「弾きたくないものは弾きたくないの」としか言わなかった。それをもったいないとは思う。


 おれはというと、王家に招待されたお茶会の席などで、何度かまたピエリスの演奏を聞く機会はあって、その旋律を聞く度にーー彼女と会う度に、言葉を交わす度に、歳を重ねていくごとに、あのときの不可解な感情たちに、ひとつひとつ名前がついていった。

 それらをきれいに整理して、分別して、そして最後にひとつ残ったものは、バカみたいな感情である。ーーなんて不可解。


 おれは今も、それを捨てることができずにいる。





「それよりも、先の授業のことなんですけれどーー」


 こうして学院の食堂で、どうしても目で追ってしまう自分に自嘲する。だが、どうもそれは悪いことばかりではないようで。


 ……アリア・モロン?


 どうやら落ち着かない様子に見えるピエリスが気にしているのは、同じ銀音ぎんおんの学生である男爵令嬢のアリア・モロンのようだった。


 最初は聖女候補であるからかと思った。

 だが、よくよく観察していると、どうも違うように感じる。

 アリア・モロンを追うピエリスの視線。何かを言いたげにしている、どこか不安を帯びた翡翠の瞳に、ピエリスは常に人に取り巻かれていることにようやく気が付いた。


 何か個人的に話したいことがあるんじゃないか。


 これが見当違いであっても構わない。それでも彼女の役に立ってやることが少しでもできるのなら、やってみる価値はあるというものだ。

 モロン男爵家がウェンディル家の派閥であるのを良いことに、アリア・モロンに急なアポイントメントを取る。使えるものは使う主義だ。


 そして、おれはペンを取った。


『ーー拝啓、我が親愛なる悪友たるピエリス・アシュレイ殿』


 そんなふざけた書き出しで、できるだけ美しい文字を心がける。


『シェーマ王立劇場で公開中の流行りの舞台はもう観たか? まだだったら明日にでも一緒にいかがかな、レディ? 急な誘いであることは謝るよ。ああ、あと残念ながらデートではないぜ。モロン男爵令嬢も観劇に誘ってある。何か話したいことがあるんだろ? 何年の付き合いだと思ってる。お前のことならなんでもお見通しだぜ』


 アリア・モロンは魔術院では、常に兄だというスヴェン・モロンと共にいた。だが、その日はどこぞの令嬢と”お見合い”があるらしく、さすがについてくることはできないだろう。そういった事情もウェンディル家の力を使えば調べるのも容易い。


 集合時間と場所と一緒に、そのことを文末に書き加えて封をした。

 暖炉の中に、火を付けて投げ入れる。


 すぐに返ってきた手紙とーー是非という内容に、はたして自分の憶測は正しかったのだと確信した。


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