”美しい島” ※ローラ視点
「ねえ、ローラ。知ってる? 今王都で流れている噂」
その言葉に私は辟易した。
「噂?」
「あら、なに? まさか知らないの?」
あまりにも有名なので、当然知らないということはなかったが、何も知らない令嬢のように首をコテリと傾けてみれば、従姉妹のジェシーはスコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗りながら、いかにも得意げに鼻を鳴らした。
「あんた、アシュレイ公爵令嬢と付き合いがあるんでしょ? なら知っておきなさいよね。ーーいい? モロン男爵家に聖女の資質がある娘がいるって噂になっているのよ」
知らないフリをしたのは、この従姉妹は相手が知らないことーー主にスキャンダルめいた噂話をするのが生きがいと言っても良いほど好きなのである。
あたりまえに、アシュレイ家と交流を持っていて、その噂話は知らないということはないのだ。
だが私は「まさか!」と、大げさに驚いて見せる。ーーしかし、本当に”いまさら”何を言い出すのだ、この従姉妹は。
『モロン男爵家に聖女の資質を持った娘が生まれたーー』
そんな噂が流れ始めたのは、私が十一歳のときーー今より四年も前のことである。
一時はどこもかしこも令嬢たちの間ではその話題で持ち切りで、どこに行ってもその話題ばかりなものだから、途中で飽きてきてしまったくらいである。この噂話が、令嬢たちの話のタネとして長いことお茶会で囁かれてきたのは、当のモロン男爵令嬢がそう言ったお茶会の場に一切出て来なかったからだった。
中には注目を浴びたいばかりに「私、先日モロン男爵令嬢とお会いしましてよ」などと嘘をつく令嬢もいたっけな。
懐かしいとすら感じるブームを過ぎた噂話である。結局、誰も真偽がわからないので、その噂話がそれ以上広がることはなくーーいつしかお茶会での話題は、いつも通り、流行のファッションだとか、そのときどきで人気があった恋愛小説や舞台だとか、そういったものに戻っていったのである。
……話した相手が私で良かったわね、ジェシー。
私はカモミールティーを飲みながら、従姉妹の話をまるで興味深そうに聞いていた。
『カモミールティーには気持ちを落ち着ける静穏作用があるのよ』
そう教えてくれたのは、アシュレイ公爵家のご令嬢、ピエリス様だ。
従姉妹がクラレイン家にやって来て、こうして得意げに噂話を披露するとき、私はいつも心が落ち着かなく疲労を感じる。だが、ピエリス様が教えてくださったカモミールティーを飲んでいれば、少しは心が平穏を保っていられるのだから不思議なものだ。
「きっとアシュレイ家のご令嬢がいまだ王太子殿下の婚約者になれないのは、その噂が広まったためね。きっと聖女認定されるかどうか、様子を見られているんだわ!」
この従姉妹は、私の父の兄ーー辺境伯家の令嬢であって身分的には伯爵家であるクラレイン家より上位に位置するが、普段はその辺境伯領に引き籠ってばかりいるから、実のところ世間での流行には疎く、彼女がいつも入手してくる「最新のゴシップ」とやらは、数か月から数年は情報が遅れているのだった。
従姉妹であっても、家の立場的に下手に出るしかない私相手くらいしか付き合いが上手くいってないジェシーには、その「最新のゴシップ」が、流行に全く追いついていないことを教えてくれる優しい友人はいない。
かわいそうな、領地に引き籠ってばかりの従姉妹。
私には、わざわざ彼女の激昂をくらってまで指摘してあげようという優しさも哀れみもなかった。
ジェシーはスコーンを頬張って、興奮したように大声で言った。
「モロン男爵令嬢は領地に引き籠って、交流のある貴族とのお茶会にも出席されていないというの! きっと醜い容姿をしているからなんだわ。ああ、かわいそうね」
*
ーーそんな三ヵ月ばかり前の出来事を思い出したのは、王立ネロガン魔術院の入学の儀が行われる大広間で、その件のご令嬢が大勢の視線を集めて、堂々と登場したからだった。
きっと醜い容姿をしているからなんだわーー……。
従姉妹はそう思いたかったのだろう。自分と同じように、容姿に自信がないから領地も出れず、お茶会にも参加できないのだと。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
大広間にやって来た彼女は、あまりにも美しかった。
畏れ多くも、女神様がこの世に顕現されたとしたら、きっと彼女のような姿かたちに違いないーーとさえ、一瞬頭に浮かんでしまったほどだった。
きっとお茶会の場に彼女が出てこなかったのは、醜い容姿であるからーーという真逆の理由で、深窓の令嬢というやつだったのではないか。そんな風に思えてならない。
ちくりと、何故だか胸を刺すような痛みがあった。
それが良くないものであることにはすぐに気づいて、慌てて彼女から目を逸らす。あんなの、誰だって羨ましいと思ってしまうではないか。
生まれ持った美貌。女神様に祝福された深窓のご令嬢。
私はハッとなって、ピエリス様を見たーー
……どういう感情?
この国の王妃候補とも呼ばれるピエリス様は、驚いたように目を見張っていたかと思うと、次の瞬間には目を輝かせてーー何故だか嬉しそうな顔をしていた。
それからモロン男爵令嬢は、やはり聖女の資質があるだけあって魔力量が多いらしく、”銀音”の学級に振り分けられた。私も銀音の学級となったが、恐らく彼女と関わることは今後そうないのだろうな、と思っていた。
私はアシュレイ家の派閥に属するクラレイン家の娘であって、魔術院ではピエリス様のお傍にいさせていただこうと考えているし、王妃候補であるピエリス様が、聖女候補であるモロン男爵令嬢と親交を持つということも考えにくかったからだ。
だが、これは一体どういうことだろう?
「うぅん。悩むなぁ~」
「オーソドックスにチョコレートもいいけれど、やっぱり生ハムメロンというのも気になりますわね……いっそ」
「ピエリス様、ひとつだけですよ」
「……わかってましてよ」
城下にある街で、ウンウンと唸っている絶世の美女ふたり。
ピエリス様はあらゆるスイーツを愛していらっしゃるので(いつしか群島の「みたらし団子」というものまで輸入してると知ったときには、そのスイーツへの情熱が並々ならぬものであることを悟った)、この街ではジェラートが有名ということを前もって調べておいた。
ご予定がないようであればお誘いしようとしていたところ、既に城下街を散策される予定とのことだったので、こうしてご一緒させていただくことにしたのだが。
「クリスは決まりまして?」
「ええ、ピスタチオのものを」
「そこは『私が生ハムメロンにしますので、半分こにいたしましょう』とか、言うところでなくて?」
「冒険はしない質ですので」
「あ、それでしたら私が生ハムメロンにしましょうか~?」
「え、よろしいんですの?」
ジェラートを販売する屋台の前で、楽しそうにフレーバーを選んでいるピエリス様。一緒になってガラスケースを覗き込んでいるのは、ピエリス様の侍女であるクリスさんと、件の深窓のご令嬢ーーアリア・モロンだった。
魔術院内の案内が終わった後に、ピエリス様に城下の散策をお供させていただけるよう話をしていた際、突然声をかけてきたのが、この何かと噂になっているモロン男爵令嬢だったのだ。
あまりに突然のことに、私が目を白黒とさせている間に、ピエリス様はあろうことかモロン男爵令嬢もお誘いになられたのだ。
ピエリス様は同じ王妃候補であったとしても、気にならないのかしら?
ピエリス様が、三大公爵家のひとつであるイレイザ家のご令嬢ーーキャメル様と仲が良いのは社交の場では周知のことである。
キャメル様も、そのお家柄から、世間的には王妃候補のひとりであることには違いないのだが、ある程度の令嬢たちの間では、キャメル様はエードモロ侯爵家のリヒト様と懇意であることも有名なので、きっと王太子殿下の婚約者とはならないのだろうなと憶測されていて、それもあってピエリス様はキャメル様と気兼ねなくお付き合いができているのだろうと、考えられていた。
そこに、聖女の資質を持つモロン男爵令嬢となると、さすがに話は変わってきて、王妃の座を争う間柄になるわけだから、ピエリス様のお人柄ではバチバチと火花を散らすような対立はされないとは思ったものの、それでも必要以上に親しくされることはないだろうと思っていたのだが、この状況は一体どういうことか、まるで見当はずれだった。
「生ハムメロンのフレーバーが有名って聞いたら、やっぱり食べてみたいですもん」
「そうですわよね!」
モロン男爵令嬢の言葉に嬉しそうに笑うピエリス様。
その純然たる笑顔に戸惑っていると、不意に「ローラ嬢は選ばなくていいの?」と、背後から声をかけられた。
「レイラーク様」
振り返ると、座って食べられそうなところはないか探しに行ってくれていたウェンディル家の令息、レイラーク様がいた。
私はただ、ピエリス様と城下街でジェラートを食べて、穏やかなひとときを過ごしたかっただけなのに……。
気が付けば、とんでもない面子になってしまった。
ここに、この後王宮でご用事があるという王太子殿下がいらっしゃらないだけでもマシよね……。
モロン男爵令嬢をピエリス様がお誘いになられた後、立ち上がった私たちのところへやって来られたのは、王太子殿下と側近のリヒト様、それから今この場にいるレイラーク様だった。
ピエリス様が城下に散策に行かれるということで、レイラーク様も「おれも~」と言って、一緒に来られることになったのだ。王太子殿下も何やら参加したそうなご様子だったが、側近であるリヒト様に「この後は予定があるのでダメです」と一蹴されていた。
そうして、三大公爵家であるアシュレイ家のピエリス様とお付きのクリスさん、ウェンディル家のレイラーク様。そして聖女候補であるモロン男爵令嬢と、同じくモロン男爵家のご令息であるスヴェン様。それと一介の伯爵令嬢に過ぎない私ーーという六人で城下へやって来たのである。なんだか胃が痛い。
「あっちに座って食べられそうなテラスがあったよ」
「お探しに行っていただいて申し訳ございません」
頭を下げればレイラーク様は「いーの、いーの」と軽く手を振った。
絶品と有名なジェラートを販売しているお店は、事前サーチが甘かったようで、カフェなどですらなく屋台だったのだ。
まさか公爵令嬢に立って召し上がっていただくわけにはいかないと、どうしようかと内心焦っていたものの、ピエリス様は特段気にした様子もなく、フレーバーをどうしようかと真剣に悩まれてしまい、「じゃあおれ座るところ探してくるね」と、レイラーク様は慣れたご様子で探しに行ってしまわれたのである。
「ローラ様はいかがなさいます?」
ピエリス様が振り返って私に声をかける。
……その楽し気な笑顔を見ていたら、なんだか色々と考えていたのがどうでもよくなってきた。
「ふふ、でしたら私も生ハムメロンを試してみましょうかしら」
実際、ピエリス様にとって王妃候補がどうとかーーどうでもいいことなのかもしれない。
私たちは、それぞれジェラートを購入して、レイラーク様が探してくれたテラスへと移動する。
レイラーク様は甘いものは嗜まれないようで、ホットコーヒーだけ手にしていたが、モロン男爵家のご令息であるスヴェン様はちゃっかりストロベリーのジェラートを手にしていた。
スヴェン様が初めて見せた微笑みを思い返す。
ほうっと無意識にため息が出た。あんなに格好よくいらっしゃるのに、甘いものを好まれるなんて、かわいらしい一面をお持ちだ。こういう差異のことをギャップというのだっけ? これもピエリス様がおっしゃっていたことだ。本当にピエリス様は博識でいらっしゃる。
そんなことを考えながら歩いていると、レイラーク様が見つけてくれた展望テラスへと辿り着いた。
「ーー本当に良い景色だわ」
テラスからは、さらに眼下の街を一望することができた。
下は居住区域となっているのだろうかーー白い洗濯物が風にはためいているのが、海の青に映えて景色に溶け込んでいる。海の潮風が気持ち良い。口に運んだ生ハムメロン味のジェラートは、口触りの良い甘さの中に少しのしょっぱさがあっておいしかった。
「まるでイゾラ・ベッラね」
モロン男爵令嬢が小さく呟いた。
私は伯爵家で、彼女は男爵家であるからに、そこまで気にする必要はないのかもしれなかったが、男爵令嬢であっても聖女を噂される彼女相手に、気安く声をかけるのは気が引けた。だから彼女の、本当に小さなその呟きを聞き返すことはなかったのだが、
「……ピエリス様?」
私は円形のテーブル席の、彼女の正面に座っていたから気づけたのだろう。ピエリス様は青ざめていた。
そのときレイラーク様がご令息にあるまじきくしゃみをされたので、他の人々の注意はそちらに向かったが、ピエリス様だけは、私が声をかけたことにも、レイラーク様が盛大なくしゃみをしたことにも気が付かぬご様子で、ただただ青い顔をして、呆然と海を眺めていたのだった。




