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平凡で充実した十年

 風を切る音。

 眼下にはひたすらに緑が続いている。

 最初こそ感動したものの、見慣れてしまえばブロッコリーがたくさん並んでいるようにも見える。


 空はどこまでも広く、果てしない。

 地平線から顔を覗かせた太陽は、薄明を切り裂き、神々しいまでの眩い光を放っていた。


 いくつもの雲を追い越し、私たちは空を駆ける。

 大空を力強く羽ばたくのはグリフォンだ。白の混じった濃茶の羽が天に舞う。


 やがて大地は途切れ、光を湛えた海が現れた。

 ーー目を細める。


 まるで王道ロールプレイングゲームの冒頭のような光景だ。ーーだが、これはロールプレイングゲームではない、そう、乙女ゲームだ。


 乙女ゲーム『奏でてメロディー☆プリンス・カルテット』の世界である。





 舞風の月、第一週、一日。

 夜明け前。アシュレイ家の屋敷はバタバタと忙しかった。


「ピエリスちゃんったら、普通にオベリスクで行けばいいのに!」


 家庭教師であるレベッカはベージュの室内着のドレスを着ていて、肩には白のショールをかけている。ふああとあくびをこぼす姿はいかにも眠そうである。


「あら、レベッカおばさま、あくびなんてはしたないんじゃなくて?」

「誰かさんのおかげで、こんな時間に起きるハメになったんだから仕方ないでしょ」

「ふふ、どうせ夜遅くまでお父様やお母様と飲んでいたんじゃない?」


 意地悪くそう言うとレベッカは「そりゃあ飲むに決まってるじゃない」と、くたびれた様子で言った。その目元はわずかに腫れていたから、また酒を飲みながらぐずぐず泣いていたのであろうことは想像するに易い。


 廊下でばったり会ったレベッカと一緒に、食堂まで向かう。

 食堂の扉を開けると、そこには既に父と母がいた。


「お父様、お母様、おはようございます」

「ああ……ピエリス、それからレベッカ、おはよう。昨夜はよく眠れたかな?」

「ええ、私はぐっすり。レベッカおばさまはそうでもなかったようですけど」

「もう、ピエリスちゃんったら!」


 クスクス笑いながら食卓の席に着く。

 夜明け前でまだ部屋の中は薄暗いため、魔道ランプが置かれていた。


「本当にグリフォンで行くんだな?」

「当然ですわ。そのためにこうして早起きしてますもの」

「ならもう止めはしないが……くれぐれも気を付けて行くんだぞ?」

「ええ、十分注意して行って参りますわ」


 万が一にでもグリフォン酔いなどしないように、いつもはボリューミーな朝食も、今日ばかりは控えめだった。

 柔らかいロールパンにバターを塗りながら、チラリと父の顔を盗み見る。目元が腫れていた。存外この父も、酔うと泣き上戸になると知ったのはもうずいぶんと昔のことだ。



 ーー私は十五歳になった。聖王歴二〇六六年。

 ピエリス・アシュレイとして覚醒して、十年の月日が経ったのだ。


 十年。

 長かったような、あっという間だったような……。


 私の悪役令嬢としての十年間は、あまりにも平凡で、意外性もなければ劇的な出来事もなくーーもしも小説にされるのだとしたら、まるっとカットされてしまうのではないかというほどに、悪役令嬢らしからぬ凡庸な十年であった。


 とは言っても、何も怠惰に十年もの月日を過ごしていたわけではない。


 十年の間にたくさんのことがあった。

 ただ、前世に読み漁った転生系悪役令嬢主人公たちのように、攻略対象のトラウマを取り除いたとかもないし、前世の科学知識を掘り起こして、この世界に存在しない石鹸だとかスイーツを生み出したーーということもない。

 そもそも『かなメロ』はゆるふわ乙ゲーであるからにして、各攻略対象たちに、そんなシリアスなバックグラウンドはほとんど存在せず(私が知り得る範囲では)、何かを発明しようにもこの世界は都合の良い部分だけ妙に技術が発達しているので、石鹸はおろかシャンプーもコンディショナーもあるし、スイーツは輸入すればみたらし団子まである。


 なので私が十年の間にしていたことと言えば、ダンスを主とした社交マナーのレッスンに刺繍などの一般的な女性の教養に関すること、経済や領地経営の勉強、積極的な領地への視察、国内貴族及び周辺国の情勢調査、法律に犯罪史、乗馬や魔法生物の扱いについて、そして魔法の座学予習などである。

 ……地味だがボリュームはあったと思う。


 努力は惜しまなかった。その努力実って、それなりにできることは増えてきた。

 何せ、前世の記憶、人格、知識を持って生まれた第二の人生ーー言わば「強くてニューゲーム」なのだ。他の子どもたちに比べて効率と吸収力は段違いではなかろうかと自負している。


 加えて、十五歳に成長した私のルックスは完璧であった。

 ここまで私はただのナルシストに違いないのであるが、実際その通りなのだから仕方ない。


 腰まで伸びた母譲りの艶やかなプラチナブロンド。自然由来のシャンプー、コンディショナーで毎日お手入れしている髪は枝毛のひとつ、見つける方が難しい。

 元々黄金比率に則って整っていた顔は、大人に近づくにつれますます美しくなり、クリスに身支度をしてもらっているときなどに、鏡を黙って見ていれば、そこに映る女性は華やかさと気品を併せ持つ美貌の持ち主で、ギリシアの三美神も思わずため息をつくこと間違いなしである。

 スタイルの方も言わずもがな。出るところは出て、締まるべきところはよく引き締まっている。

 ……これに関してはアシュレイ家の食卓事情から察せられるかもしれないが、かなりの努力を要した。「ちょっと量多くない?」と食事の方を減らそうとすれば「それはダメだ」と、父。「しっかり食べないと大きくならないぞ!」とかナントカ。数年が経つ頃には薄々感づいてきてもいたが、私の父は宰相という国の中枢を担っている要人の癖に、少しおバカな一面がある。仕方なしにエクササイズの方を頑張ることにした。乗馬が人並みにこなせるようになったのはダイエットのおかげかもしれない。


 ーーと、まあそんな具合に満点美人へと成長した私である。

 十年も経てば、前世の記憶も霞んでくるが、確かに悪役令嬢ピエリス・アシュレイのキャラビジュにそのままそっくりであった。


 さて、転生モノの悪役令嬢としては地味な十年であったであろうと自覚しているが、それでもやはり振り返って見てみれば充実した十年であったと言える。

 しかしひとつだけ、どうしても着手できない分野があった。


 それが”魔法”である。

 魔法に関する勉強は、実技は一切できず、座学のみに終始している。ーーそれは何故か。


『十五の歳を迎えて魔法学校に入学するまで、魔法を使用してはいけない』


 という法律が国で定められているためである。


 魔法というものに強い憧れを抱いていて、早く使えるようになりたかった私にとっては、これのおかげで非常にやきもきさせられた。

 ……ウェンディル家のレイラークから聞いた話だと、家によっては入学前に、こっそりある程度の基本を教えているところもあるのだとか。

 なにそれ、ズルい。

 レイラークは浮遊魔法を見せてくれた。目が充血するほど羨ましくて、その夜は歯ぎしりしながら寝た。父にそれとなく匂わせてみたのだが、法律で決まってるんだからダメと一蹴されーー……


 私が今日という日をどれほど楽しみにしていたか、おわかりいただけただろうか。


 舞風の月、第一週、一日。

 つまるところ、今日は王立ネロガン魔術院への入学の日である。





「遠いですね、魔術院」

「もう少しで見えてくると思うんだけどね」


 大人五人は楽に乗れるであろう大きさの、魔法生物グリフォン。

 私と侍女のクリスは、そのグリフォンの背に乗って魔術院を目指している。


 王立ネロガン魔術院は、南東の王領内湾上に浮かぶ小島にある。

 王都からもかなり離れていることから、だいぶ辺鄙と言えば辺鄙なところにあるのだが、この世界ではオベリスクなる非常に便利な移動手段があることから、どこに居を構えていようがあまり関係ないのである。

 それを、オベリスクを使わずに、わざわざグリフォンに乗って魔術院を目指しているのは、ただただロマンのためである。


 やっぱり最初は、学校の全貌を見たいではないか……!


 オベリスクでぽんと移動して魔術院の一室ーーなどと言うのは、あまりにも味気ない。


 しょーもないと言えばしょーもないのだが、今生ではあまり心残りを作りたくないという気持ちから決行した次第である。過保護な気がある父母は最後まで反対していたが。


 アシュレイ領から王立ネロガン魔術院までは、普通に行けば(馬車などの交通手段で)、数日どころではない行程となってしまうが、グリフォンで空を飛んで行けば、三時間くらいで到着できる見込みだ。

 そのため、今朝は夜明け前には起床し、私に合わせて同じく起床してくれたアシュレイ家の使用人の人々、家庭教師のレベッカ、そして父と母に見送られて、私はクリスとともに日の出より早く、魔術院へと出発したのである。


 魔法生物のグリフォンは、我がアシュレイ領の南東にある森に生息していて、保護対象であると同時に、空輸や移動手段として飼育されている(後者の用途でグリフォンを使う人は少ないが)。


 初めてグリフォンを見たときは、驚きすぎて腰が抜けた。冗談や比喩ではなく、本気で腰が抜けたのである。今となっては良い思い出で、こうして数時間の道のりも安心して乗れるほどには慣れっことなっている。


「クリス! 見て見て!」


 やや経って、海の上に小さな島が見えてきた。


「すごい……!」


 海の上に、石造りの城がそびえ佇んでいる。

 島を取り囲む城壁に守られて、まるでひとつの街のように、木々の緑の中に建物が垣間見える。その中心部にそびえる古城。

 前世で気まぐれに捲った『死ぬまでに見たい世界遺産100選』という写真集にあったモン・サン=ミッシェルが思い出される。

 だが、ぐんぐんと近づいてくるその城は、写真越しではないーー水平線からゆっくりと昇っていく太陽の光を背に、力強く、確かな威厳を持って、私の目の前に実在している。そこに、ある。

 あまつ空に、走る雲。

 日の光に輪郭を滲ませたその姿は、あまりにも神秘的で、呼吸を忘れるほどに、美しかった。


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