桐一葉
元和元年六月、京。
大坂の城が焼け落ちてから、ひと月あまりが過ぎていた。
徳川家康は二条城に滞在し、戦後の仕置に追われていた。
大坂方に与した者の処分、諸大名への恩賞、焼け残った城下の始末など、決めねばならぬことは山ほどあった。江戸にいる将軍秀忠からも、毎日のように書状が届く。
七十四になった家康には、長い評定がいささか堪えるようになっていた。それでも、政務を人任せにする気にはなれなかった。
戦を終わらせることと、戦のあとを治めることは違う。むしろ後者の方が、余程に辛抱を要する。
その日の昼過ぎ、家康は近習に命じた。
「高台院殿のもとへ参る。先方の都合を尋ねてまいれ」
近習は一瞬、返事をためらった。
「大御所様みずから、でございますか」
「そう申した」
家康はそれ以上説明しなかった。
高台院とは、秀吉の北政所であった寧々のことである。太閤の死後、京の東山に移り住み、いまは静かに暮らしている。
大坂夏の陣が終わって以来、家康は一度もその顔を見ていなかった。
*
高台院の屋敷は、東山の麓にあった。
家康が到着すると、門前に控えた供の者たちが一斉に頭を下げた。葵の紋をつけた近習たちは、主人が屋敷へ入るのを見届けると、門の外に残った。
庭には青桐が一本あった。大きな葉が初夏の陽を受け、地面に濃い影を落としている。
家康は案内されるまま、奥の座敷へ進んだ。
高台院は、すでに待っていた。
「大御所様。ようこそお運びくださいました」
「突然の訪い、御無礼いたした」
「何を仰せられます。こちらこそ、何のお構いもできませぬ」
高台院は六十を過ぎていた。髪には白いものが増え、顔にも年相応の皺が刻まれている。
それでも、背筋を伸ばして座る姿には、かつて大坂城で諸大名の妻たちを取りまとめていたころの面影があった。
家康は座敷に腰を下ろした。
床の間には、桐紋の蒔絵を施した文箱が置かれていた。長く使われてきたものらしく、漆の一部には細かな傷がある。
茶が運ばれた。
二人はしばらく、京の暑さや、東山の木々のことなどを話した。
高台院は大坂のことを尋ねなかった。
家康も、口にしなかった。
*
「このあたりへ参ると、昔を思い出しまする」
家康が言った。
「太閤殿下が聚楽第をお造りになったころのことにございます」
高台院は微笑んだ。
「あのころは、何もかもが賑やかでございました」
「まことに。殿下は、何をなさるにも人を驚かせることがお好きであられた」
「若いころから、そういう人でございました」
家康は茶碗を置いた。
「聚楽第の行幸では、わしも能を舞わされました」
「ああ、船弁慶でございましたな」
「御存じでございましたか」
「殿下がたいそう面白がって、何度も話しておりました」
家康は苦笑した。
「わしには、あのような芸は向きませぬ。稽古はいたしたのですが、どうにも足が思うように動かず」
「殿下は、徳川殿が一生懸命に舞われたことを、喜んでおりましたよ」
「それならば、少しは甲斐がございました」
二人は笑った。
家康は、あの日の秀吉の顔を思い出した。
自分が舞い終えたとき、秀吉は腹を抱えて笑っていた。しかし、ただ笑い者にしたのではない。戦場では誰よりも頼りになる男だと、居並ぶ者たちの前で言ってくれた。
家康は、その言葉を忘れていなかった。
「太閤殿下は、人をよく御覧になっておられました」
「そうでございましたか」
「何を喜び、何を恐れ、何を望んでおるか。あの御方には、よく見えておったのでございましょう。わしなど、幾度も驚かされました」
高台院は、少し首を傾げた。
「家では、案外そうでもございませんでしたよ」
「ほう」
「人の気持ちが分からず、わたくしを怒らせることも、ようございました」
家康は思わず笑った。
「それは意外なことを伺いました」
「天下のことはよく分かっても、女房のことは分からぬものなのでございましょう」
高台院も笑った。
*
「殿下は、昔から歌をお好みでございましたか」
家康が尋ねた。
高台院は、しばらく考えた。
「好むようになったのは、京へ上ってからでございましょうな。それまでは、歌など一首も知らぬ人でございました」
「一首も、でございますか」
「ええ。古今集という書物があることさえ、ろくに知らなかったのではないでしょうか」
家康は驚いた。
秀吉が歌を好むことは知っていた。吉野の花見でも、諸大名を集めて歌を詠ませていたし、細川幽斎らと古典を論じる姿も見ている。
「それが、あれほどお詳しくなられたとは」
「負けず嫌いな人でしたから」
高台院は懐かしそうに笑った。
「京で、歌を知らぬと笑われたことが、よほど悔しかったのでございましょう。宗順というお方に教わるようになってからは、暇さえあれば歌を口にしておりました」
「宗順殿とは、御師匠にございますか」
「はい。筆や書物のことから始まって、歌も教えていただいたそうです。あるときなど、覚えた歌をわたくしに聞かせようとして、何度も同じところでつかえるのでございます」
「太閤殿下が」
「ええ。しまいには腹を立てて、もう一度初めからじゃ、と」
家康は声を立てて笑った。
高台院も笑ったが、やがてその声は静かになった。
「心あてに折らばや折らむ初霜の……」
家康は顔を上げた。
「白菊の歌にございますな」
「そうでございます。あの歌を、何度も何度も唱えておりました。ようやく覚えると、今度は得意になって、わたくしに聞かせるのでございます」
高台院は膝の上に置いた手を見た。
「そのころは、まだ筑前守にもなっておりませなんだ。城もなく、明日はどこへ戦に出されるかも分からぬ身でございました」
家康は黙って聞いていた。
自分が初めて秀吉を知ったころ、あの男はすでに織田家の有力な武将であった。中国攻めを任され、信長の死後には、驚くべき速さで天下の実権を握った。
その男が、一首の歌を覚えるために苦労していた。
家康には、どうにも想像しがたかった。
「殿下にも、そのようなころがおありだったのですな」
「誰にでも、若いころはございます」
高台院は穏やかに答えた。
*
しばらくして、庭の方から風が入った。
家康は、桐紋の文箱に目を向けた。
太閤の死から、十七年になる。
あのとき家康は、秀頼を託された。
秀吉は、繰り返し頼んだ。まだ幼い我が子を、どうか頼むと。
家康は引き受けた。
その言葉に偽りはなかった。
太閤の死後も、家康は豊臣家を支えるつもりでいた。政務を担い、諸大名を従え、幼い秀頼が成長するまで天下を静めておく。
それが自分に与えられた役目だと考えていた。
関ヶ原で石田治部少輔らと戦ったときも、家康は豊臣家を滅ぼそうとしていたわけではなかった。
太閤の遺した天下を、誰が治めるのか。
その争いに勝ったのだと、家康は考えていた。
しかし、年月が過ぎるにつれ、事情は変わった。
徳川家が政務を担い、諸大名が徳川の命令に従うようになっても、大坂には豊臣家が残っていた。秀頼は成長し、太閤の子としての威光を持ち続けた。
家康は、豊臣家が徳川のもとで存続する道を望んだこともあった。
だが、結局、その道は開けなかった。
大坂の城に兵が集まり、再び戦となった。
家康は、その戦を避けるべきだったとは思っていない。
あのまま放置すれば、天下は再び乱れる。そう判断したからこそ、兵を進めた。
しかし、秀頼は死んだ。
茶々も死んだ。
太閤が築いた豊臣の家は、滅んだ。
「高台院殿」
「はい」
「太閤殿下には、申し開きのしようもございませぬ」
高台院は、家康の顔を見た。
家康は続けた。
「殿下より、秀頼公のことを託されました。わしは、その御約束を果たすことができませなんだ」
高台院は何も言わなかった。
庭で鳥が鳴いた。
家康は深く頭を下げた。
「わしには、わしの考えがございました。いまも、それを誤りであったとは思うておりませぬ。されど、殿下との御約束を守れなんだことは、変わりませぬ」
高台院は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開いた。
「あの人は、秀頼が生まれてから、ずいぶん変わりました」
家康は顔を上げた。
「若いころは、何でも自分で手に入れようとする人でございました。欲しいものがあれば、どこまでも追いかけてゆく。人に笑われれば、見返してやろうとする。天下を取ってからも、そういうところは変わりませなんだ」
高台院は庭を見た。
「けれど、秀頼が生まれてからは、自分が死んだあとのことばかり案じるようになりました」
家康は何も言わなかった。
「あの人は、天下のことなら何でも思うようになると考えておりました。けれど、自分の命ばかりは、どうにもならなかったのでございましょう」
高台院は家康へ向き直った。
「大御所様が、あの人の御頼みを忘れておられなかったことは、分かりました」
それだけだった。
許すとも、許さぬとも言わなかった。
家康も、それ以上は何も言わなかった。
*
帰り際、高台院は家康を縁側まで見送った。
「今日は、昔のことをいろいろと思い出しました」
「わしも、知らぬ殿下のお姿を伺うことができました」
「天下人になっても、昔のことをよう覚えている人でした。長浜のことも、尾張のことも、何度も話しておりました」
「さようでございましたか」
「吉野の花見のあとも、たいそう喜んでおりました。若いころから行きたいと申しておったところへ、ようやく行けたのですから」
家康は、吉野の山々を思い出した。
あの日、秀吉は諸大名を集め、豊臣家の繁栄を願った。
家康も誓った。
あのときの言葉を、いまさら取り消すことはできない。
「殿下は、まことに大きな御方でございました」
家康が言うと、高台院は少し笑った。
「背丈は、小さな人でございましたよ」
家康は一瞬、きょとんとした。
それから笑った。
「これは、一本取られましたな」
高台院も笑った。
家康は深く礼をして、屋敷を辞した。
庭を横切るとき、青桐の葉が風に揺れていた。
門の外では、三葉葵の紋をつけた供の者たちが待っている。家康が姿を現すと、一斉に頭を下げた。
家康は輿に乗る前に、もう一度屋敷を振り返った。
高台院の姿は、すでに見えなかった。
ふと、庭の青桐から、大きな葉が一枚離れた。
葉は風に乗ってゆっくりと舞い、石畳の上に落ちた。
まだ夏であった。
家康はしばらくその葉を見ていたが、やがて輿に乗った。
「参ろう」
供の者たちが動き始めた。
京の町には、夏の陽が照りつけていた。
この物語はこれで完結となります。
岳宏一郎の小説『群雲、関ヶ原へ』の下巻で、細川幽斎が太閤秀吉の和歌の才能に激しく嫉妬していたという描写があり、とても心を惹かれました。
そこに至る物語を書いてみたいと思ったのが、本作の構想の始まりです。
自分で言うと野暮になりますが、『センゴク』、『淡海乃海 水面が揺れる時』へのオマージュも忍び込ませています。
南部や津軽、蠣崎を出したのは、若干、拙作『エトピリカの鳴くところ』を意識しています。(北方世界ということ以外、何の繋がりもありませんが)
前話の聚楽第と合わせて、「最も高い場所」と「最も遠い場所」から見た秀吉を描いています。




