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五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
メイ編

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第9話 怖いことじゃなかった

手紙の束が、机の上に積み重なっていた。


ヘルマン先生の認定から一ヶ月。ソフィアの新聞に記事が載った。『"男誑しの魔女"の真実──触れて癒す医療者』。見出しだけで泣きそうになった。


記事がきっかけだった。手紙が届き始めた。


最初は一通。次の週に三通。その次に七通。今では毎週、行商のグスタフが「また来てるよ」と紙の束を持ってくる。


差出人は──学園の、元患者たち。


一通ずつ読んだ。夜の部屋で。薬草茶のマグを横に置いて。ランプの灯りが手紙の紙に影を落とす。


『メイ先生。お元気ですか。私の膝はまだ痛くないです。先生に治してもらったところ、一度も再発していません。先生がいなくなって、医務室が寂しいです。新しい薬師の先生は優しいけど、手を握って治してはくれません──』


膝を治した子。名前を思い出す。三年生の時の子だ。部活で膝を痛めて、聖女のヒーリングでは表面しか治らなくて、私が手を当てて軟骨の損傷を治した。治療の後に「先生の手、あったかいね」と笑った子だ。


次の手紙。


『メイ先生。ずっとお礼が言いたかったのですが、学園にいる間は手紙を書けませんでした。先生のことを"魔女"と呼ぶ人がいたから、関わると目をつけられると……怖かったんです。ごめんなさい。本当はずっと感謝していました──』


この手紙を書いた子は、たぶん怖かったのだろう。「魔女の仲間」と思われることが。分かる。責められない。怖くて当然だ。


もう一通。


『メイ先生。先生が追放された翌日、医務室の棚に先生の調合した軟膏が残っていました。使い方が分からなくて、誰にも聞けなくて。あの軟膏、まだ持っています。お守りみたいに──』


軟膏。あの棚の三段目に残していったものだ。使い方を引き継ぐ相手がいなかった。あの子が持っていてくれたのか。


学園の中で、私を公然と庇ってくれた人はいなかった。感謝はしてくれた。でもそれは、廊下ですれ違う時の小さな会釈だったり、医務室のドアの隙間から聞こえる「ありがとう」だったり。表立って「メイ先生は魔女じゃない」と言ってくれた人は──


いなかった。


それを恨んだことはない。怖いのは当然だから。聖女に逆らうことの代償を、五人が身をもって示してしまったのだから。


でも。


今、手紙が届いている。遠くから。遅れて。何ヶ月も経ってから。


遅くてもいい。届いた。


『メイ先生。新聞で先生のことを読みました。先生の力は"呪い"じゃなくて"希少医療魔法"だって。嬉しかったです。先生に会いたいです。いつか会えたら、今度はちゃんと声を出してお礼を言います──』


紙が滲んだ。


涙が落ちていた。手紙の上に。


七年間。一度も泣かなかった──というのは嘘だ。断罪の夜、門の外で泣きそうになった。でもこらえた。こらえ続けた。


今、こらえられない。


手紙を一通一通、膝の上に並べた。十五通。十五人の「ありがとう」。十五人の「ごめんなさい」。十五人の「会いたいです」。


全部、私が手を握った人たちだ。


触れて、温めて、治した人たちだ。


──触れることは、怖いことだった。


「魔女」と呼ばれるたびに、手を引っ込めそうになった。「気持ち悪い」と言われた時は、一週間手袋を外せなかった。素手で誰かに触れることが──治療以外で──怖くなった。


握手もできなくなった。


学園の最後の年は、治療の時以外、誰の手も握れなかった。食事の時にフォークの持ち方がぎこちなくなっていた。指先が震えるから。触れることが怖いから。


買い物でお釣りを受け取る時、店主の指先に触れないよう気をつけた。道で転んだ子を助け起こす時も、服の裾を掴んで引き上げた。素手で触れたら「魔女の手が」と言われるかもしれない。


七年かけて、私の手は──治療の道具になっていた。治す時だけ使うもの。それ以外は引っ込めておくもの。


誰かに触れたい、と思うことすら怖くなった。


でも──


手紙を握った。紙越しに、書いた人の温度を感じる気がした。


触れることは、怖いことじゃなかった。


怖くさせたのは、呪いと呼んだ人たちだ。私の手じゃない。



扉をノックする音。


「メイ。──泣いているのか」


ニクラスの声。扉の向こうから。


「泣いてません」


「嘘だ。鼻声で分かる」


開けた。目を拭いてから。


ニクラスが立っていた。手にマグカップを一つ──いや、今日は持っていない。


「今日はお茶なしですか」


「茶は後でいい。座れ」


部屋に入ってきて、私の隣に座った。ベッドの端。


手紙の束が膝の上に散らばっている。ニクラスがちらりと見て、何も訊かなかった。


「……手紙が来たんです。学園の、元患者さんたちから」


「そうか」


「みんな、ありがとうって。ごめんなさいって。会いたいって」


声が震えた。また泣きそうだ。


「ずっと──ずっと怖かったんです。触れることが。手を握ることが。魔女って呼ばれるたびに、この手が呪いなんじゃないかって。治してるんじゃなくて、汚してるんじゃないかって」


ニクラスは黙っていた。


「でも──でも、この手紙を読んだら。みんな、治ってた。痛くなかったって。再発してないって。あの時手を握ってよかったって──」


言葉が続かなくなった。


ニクラスの手が動いた。


私の右手を──握った。


黙って。何も言わずに。


大きい手だった。指が長い。メスを持つ手。薬を調合する手。帳簿にペンを走らせる手。冷たいかと思ったら──温かかった。


「……あなたの手、温かいですね」


「医者だからな。手が冷たいと患者が驚く」


嘘だ。医者の手が温かい義務なんかない。この人がそうなのは──


不器用で。無愛想で。「褒め方が雑」で。でも帳簿を三冊書いて、神官の前に立って、呪いの共犯者になると言ってくれた。そういう人の手が冷たいはずがない。


握り返した。


治療じゃない。初めて──治療じゃない理由で、誰かの手を握った。


手を握った。今度は、治療じゃない。


ニクラスの指が、ほんの少しだけ力を込めた。握り返されている。


夜の窓の外で、梟が鳴いた。


手紙の束が膝の上に散らばったまま。十五通の「ありがとう」に囲まれて、私は一つの手を握っている。


温かい。


──ああ、これが。


触れるということの、本当の意味だったんだ。


ニクラスの指先が、ほんの少し力を込めた。離さないでいてくれている。

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