第8話 私の治療記録を読みたいそうです
馬車が村に入ってきた。
村の入り口に止まった馬車は、あの神官の時のものとは全然違った。黒塗りの車体にクラウディア王立学院の紋章。四頭立て。護衛の騎士が二人。
「メイさん、王都からえらい人が来たみたいだよ」
グスタフが慌てた顔で報せに来た。
──王都から?
嫌な予感がした。また神官か。今度はもっと上の、権限を持った人間が来たのか。
ニクラスが診療所の扉を開けて出てきた。腕を組んで、馬車を見ている。あの時と同じ構え。何かあれば帳簿を持って出る準備ができているのだろう。
馬車から降りてきたのは、予想と違う人だった。
白髪の紳士。六十がらみ。背筋が伸びていて、目が鋭い。だが神官の鋭さとは質が違う。探究者の目だ。
「ベルクハイム診療所のメイ・リンドグレーン殿ですか」
丁寧な声だった。
「……はい」
「王立学院医学部長、ヘルマン・ヴァイデンフェルトと申します」
医学部長。
クラウディア王立学院の医学部。王国最高の医学教育機関。この世界の医療における最高権威。
なぜその人が、山間の寒村に。
「ソフィアの新聞をお読みになりましたか」
ヘルマンが懐から折り畳んだ新聞を取り出した。見出しが見える。『マーレブルク通信』。
ソフィアの新聞だ。
「この記事がきっかけです。『聖女の奇跡の裏側──追放された五人の令嬢の功績』。第一回の連載で、あなたの治療について触れていた。読んで居ても立ってもいられなくなりましてな」
ソフィアの記事が、この山奥まで届いている。ソフィアの文章が、王立学院の医学部長を動かした。
(……ソフィア。あなたの新聞、とんでもない所まで届いてるよ)
「あなたの回復魔法を、学術的に検証させていただきたい。そして可能であれば──正式な医療技術として認定したい」
◇
ヘルマンは三日間、村に滞在した。
診療所の治療を一つ一つ観察した。私が患者に手を当てる過程を、横で食い入るように見ていた。メモを取る手が速い。質問が鋭い。
「力を通す時、どこを意識していますか」
「掌の中心です。そこから指先に向かって力が広がる感覚があります」
「広がる速度は」
「患部までの距離によります。皮膚の近くなら一呼吸。内臓の深部だと三呼吸くらいかかります」
「体力の消耗は」
「あります。大掛かりな治療の後は手が震えます。半日の連続治療はできますが、それ以上は──」
「限界があるのだな。無限ではない」
「はい。万能ではありません」
ヘルマンがメモの手を止めた。私を見た。
「万能ではない、と自分で言えるのは大事なことです。聖女のヒーリングが信仰と結びついている以上、その限界を口にする者は少ない。あなたは自分の力の限界を正確に理解している。それ自体が医療者の資質です」
ニクラスが横で腕を組んでいる。ヘルマンの観察を黙って見守っていた。
「ヘルマン先生」
ニクラスが口を開いた。
「メイの力を認定するなら、俺の治療記録を使ってくれ。三冊分ある。症例ごとに、メイの回復魔法と通常の薬学治療を比較した記録だ」
帳簿を差し出した。ヘルマンが受け取り、ページをめくった。目が見開かれた。
「これは……見事な記録だ。対照実験に近い構成になっている。意図的にこう書いたのかね」
「当然だ。比較できなければ記録の意味がない」
ニクラスの声に力が入っていた。彼の記録が、この瞬間のために──いや、こんな日が来るとは思っていなかっただろう。ただ、医者として正しい記録を残し続けた結果が、偶然この場面に噛み合っている。
偶然じゃない。ニクラスの誠実さが、ここに繋がっている。
◇
三日目の夕方。
ヘルマンが結論を告げた。
診療所の前。村人たちが集まっている。子どもたちも。
「メイ・リンドグレーン殿の回復魔法は、聖女のヒーリングとは根本的に異なる医療技術である。より精密で、より患者の状態に適応的で、深部の病変にも対応できる。これは王立学院の医学的観点から見て、正統な治療技術と認められるものです」
広場が静かになった。
「正式な認定書を発行します。王立学院医学部の名において──あなたの力は『呪い』ではなく『希少医療魔法』です」
ルーシーが泣き出した。またか。でも今日はルーシーだけじゃない。グスタフも目を拭いている。子どもたちは意味がよく分かっていないけど、大人が泣いているから不安そうな顔をしている。
「……ありがとうございます」
頭を下げた。深く。
ヘルマンが微笑んだ。穏やかな──でも、どこか探究者の光を残した微笑。
「一つ、お聞きしたい。個人的な興味です」
「はい」
「あなたの力なら──"眠り病"にも効果があるかもしれないと、私は考えています」
「眠り病?」
「極端に眠り続ける症状です。原因不明で、聖女のヒーリングでも目覚めない。希少な症例ですが、近年報告が──」
ニクラスが横で眉を寄せた。「初めて聞く病名だ」
「最近の文献にだけ載っている。まだ研究途上です。──メイ殿、もし今後そういった患者に遭遇したら、ぜひ報告をいただきたい」
「……はい」
眠り病。
なぜだろう。その言葉を聞いた時、胸の奥が小さくざわついた。
学園にいた頃。いつも眠っていた女の子。頬に涙の跡を残して。ヴィオラ。
──あの子のことを思い出した。理由は分からない。
ヘルマンが馬車に乗り込む前、振り返った。
「ニクラス先生」
「何だ」
「あなたの治療記録は、王国の宝です。どうか書き続けてください」
ニクラスは返事をしなかった。でも帳簿を胸に抱える手に、力が入っていた。
◇
馬車が村を出ていった。
看板の下で、二人並んで見送った。
「認定、おめでとう」
ニクラスが言った。ぶっきらぼうに。
「先生の記録のおかげです」
「記録は事実を書いただけだ。事実がお前を認定した。俺ではない」
──そうだろうか。
事実を記録し続けたのは、この人だ。毎晩、帳簿にペンを走らせていたのは。
「ニクラス先生」
「何だ」
「認定されれば、私の力を必要とする患者にもっと届きますね」
「ああ。だから──」
ニクラスが言葉を切った。何か言おうとして、飲み込んだ。
「……いや。いい。仕事に戻るぞ」
背を向けて診療所に入っていった。
ニクラスが飲み込んだ言葉が何だったのか、私は訊けなかった。
でも──きっと、いつか聞ける。この人の隣にいれば。
認定書をそっと鞄にしまった。七年分の治療記録の隣に。
私の手は、呪いじゃない。今日、正式にそう認められた。
──長かったな。




