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五人の悪役令嬢  作者: 九葉(くずは)
ソフィア編

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第9話 あなたは取材対象ではありません

脅迫の手紙は、三通目から数えるのをやめた。



連載第二回を出した翌日から、手紙が届き始めた。


「記事を取り下げろ」「港から出て行け」「身の安全を考えるなら」


差出人はない。筆跡はばらばら。けれど封蝋の紋章が一通だけ残っていたものがあり、それはクラウディアの貴族のものだった。聖女の「支援者」に連なる家だ。


(……追い詰められているのは、あちら側ね)


脅迫が来るということは、記事が効いているということだ。効いていなければ無視すればいい。わざわざ脅迫するのは、無視できないからだ。


フランツには伝えた。「危険かもしれない。離れたいなら──」


「馬鹿を言うな。三十年やってきた印刷所を、紙切れ一枚で閉めてたまるか」


フランツはインクの缶を棚に叩きつけて、それ以上何も言わなかった。



オスカーにも伝えた。


脅迫の手紙を見せた瞬間、オスカーの表情が──初めて、はっきりと変わった。


怒り。


それまで見たことのない、明確な怒りだった。眉が寄り、唇が引き結ばれ、手帳を握る手が白くなった。


「……これは脅迫罪に該当します。管理局ではなく、治安判事の管轄です」


「届け出ますか?」


「届け出るべきです。しかし──」


「しかし?」


「差出人が特定できなければ、実効的な対応は難しい」


分かっている。脅迫の手紙は匿名だ。封蝋の紋章も偽造の可能性がある。


「では、気をつけて過ごすしかありませんわね」


「……護衛をつけるべきです」


「護衛? 港町の新聞屋に?」


「検閲対象の安全確保は管理局の──」


「そんな規定はないでしょう」


オスカーが黙った。耳が赤い。


「──私が同行します」


「え?」


「取材の同行確認です。記事の内容が法令に抵触しないか、現場で確認する必要がある。──規定にはありませんが、前例もありません」


(……この人は、本当に)


わたくしは笑いを噛み殺した。検閲官が取材に同行する。前代未聞だろう。けれどオスカーの顔は真剣そのもので、冗談を言っている表情ではなかった。


「──では、お願いしますわ。明日から忙しいですよ。連載第三回の取材がありますから」



それから一週間、オスカーはわたくしの取材に同行した。


港で商人に話を聞くとき、横に立っている。路地裏で情報提供者に会うとき、三歩後ろにいる。記事の裏取りで役所を回るとき、黙って付いてくる。


邪魔かと思ったが、意外にそうでもなかった。


オスカーは話を聞く時、相手の目を見る。口は挟まない。メモも取らない。ただ聞いている。その真面目な佇まいが、不思議と情報提供者の警戒を解くことがあった。


「あの堅物の文官が一緒にいるなら、信用できるだろう」


ある商人がそう言ったのを、聞こえないふりをした。



連載第三回の校正を終えた夜。


印刷所に二人きりだった。フランツは明日の印刷に備えて先に帰っている。


わたくしは校正刷りを読み返していた。奉納金の不正支出。支援者への謝礼の詳細。聖女の権力構造。──全て、数字と証拠で構成した。一点の瑕疵もなく。


目が疲れて、椅子の背にもたれた。


蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れている。オスカーは向かいの椅子で、手帳に何かを書いていた。今日の同行記録だろう。真面目だ。どこまでも。


「……オスカーさん」


「はい」


「護衛のお仕事、お疲れ様です。もう遅いですから、帰られた方が」


「帰ります。──校正が終わったら」


「わたくしの校正を待っているんですか?」


「……検閲対象が完成するまで、確認の義務が──」


「ありませんわ、そんな義務」


オスカーが黙った。


沈黙が落ちた。蝋燭の炎が一度大きく揺れて、二人の影を壁に映した。


わたくしは目を閉じかけていた。疲れている。一週間、取材と校正と脅迫への対応で、ろくに眠っていない。椅子の上で、意識が少し遠くなった。


──気づいたら、肩に何か温かいものが載っていた。


目を開けた。オスカーの外套。黒い布地。まだ体温が残っている。


オスカーは立ったまま、視線を逸らしていた。


「……風邪を引きます」


「あなたの方が寒いでしょう」


「文官の制服は厚手です。──問題ありません」


嘘だ。制服のシャツだけで、この人の腕に鳥肌が立っている。


「オスカーさん」


「はい」


「なぜ、ここにいるんですか。検閲のためだけなら、もうとっくに帰っていい時間です」


長い沈黙。


蝋燭が音を立てて燃えている。外から、遠くの波の音。


「……俺は」


一人称が変わった。いつもの「私」ではなく。


「あなたの書く文章が、好きだ」


わたくしの心臓が、一つ大きく脈を打った。


「事実だけを書いている。感情に流されない。けれど──読む人の心を動かす。言葉を、信じている人が書く文章だ」


オスカーはまだ目を逸らしている。耳は赤い。けれど声は震えていなかった。


「最初に創刊号を読んだ時から──この文章を書く人間に、会ってみたいと思った。検閲の任務がなくても」


(……ああ)


わたくしは人の嘘を見抜くのが仕事だ。七年間、社交界の仮面の裏を覗き続けた。甘い言葉の裏にある打算を、何百回と見てきた。


この人の言葉には、嘘がない。打算もない。ただ──不器用な、剥き出しの本心だけがある。


「オスカーさん」


「はい」


「わたくしは人の嘘を見抜くのが仕事なんです」


「……知っています」


「あなたの言葉に、嘘はありませんわね」


オスカーがようやく、こちらを見た。


真っ直ぐな目。法の番人の、あの不器用な目。


「──取材対象に恋をしてはいけないのは知っていますわ。前世の編集部で、厳しく教え込まれましたもの」


わたくしは外套を肩に乗せたまま、立ち上がった。


「でもあなたは取材対象ではありません。検閲官で、法の番人で、差し入れの下手な人で」


オスカーの耳が限界まで赤くなった。


「……差し入れは、次から改善します」


「果物がいいと言いましたわよね」


「覚えています」


わたくしは笑った。蝋燭の灯りの中で、たぶんこの港町に来て一番穏やかな顔で。


外套を返した。指先がかすかに触れた。オスカーの手は、冷たかった。ずっと外套なしで座っていたのだから当然だ。


(──この人は、本当に不器用で、本当に真っ直ぐだ)


「明日、第三回を刷ります。──見届けてくださいますか、検閲官殿」


「……職務として」


「ええ。職務として」


夜の印刷所に、蝋燭の灯りだけが揺れていた。


二人の間に、言葉にならない何かが──けれど確かに、在った。

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