第6話:ヘルモードな訓練
拠点、一日目。
文楽についてきた四人は、訓練エリアにたどり着いていた。
小神、小学生の男の子、主婦の女性、サラリーマンの男性、そして文楽を含めた合計五名。
訓練エリアは、50m四方の空間だった。
壁には複数の扉が設置されているが、全ての扉には赤文字で『CLOSE』の文字が表示されている。いま彼らに解放されているエリアは大きなこの空間だけしかない。
振り返らずに、文楽は口を開く。
「ここから突き当りの壁まで全力で走れ。それを繰り返す」
「繰り返すって何回くらいですか? 私はもう何十年も運動なんて……」
主婦の女性が漏らした自信なさげな言葉は、尻すぼみにかき消えていった。
「気絶するまでだ」
僅かな時間だけ文楽は彼女の目を見て答える。
次に入り口の傍にあった円柱型のコンソールへと近づいていく。手を当て、何かを操作した。
皆が疑問に思うのも束の間、地面が揺れた。
「きゃ!? 地震!?」
「お、おい! これはなんだ!?」
主婦とサラリーマンの男性は、絵に描いたように慌てて、顔を青白くさせていた。そんな中で、小学生の男の子が驚きつつも、冷静に辺りを見渡す。
「……坂?」
男の子が言う通り、硬い素材のように見えた床がいきなりズズズズズと動き出し、入り口を起点として傾斜が生まれたのだ。傾斜こそ大きくはないが、走るにはいささか辛い角度だった。
皆が同時に思った。
想像以上に辛い訓練になりそうだ。
「まだだ。ヘルモードに変更する」
躊躇せず、文楽はもう一度コンソールへと触れた。
次は床がうねりをあげ、至るところに凹凸が出現した。落ちてしまえば捻挫しそうな凹に、つまづけば転ぶだろう凸まで、大小さまざまであった。
「詳しい説明はあとだ。今から生き抜くために、ステータスを底上げする――死ぬ気で走れ」
そう言葉を言い捨てると、文楽はひとり、全力で走り出したのだった。少し遅れて小神、次に小学生の男の子が黙々と走り出す。ひときわ遅れて、サラリーマンの男性、主婦の女性が仕方なくといった雰囲気で走り始めた。
50m先の壁にたどり着くと、文楽はそこで立ち止まる。息を整え、皆が到着するのを待つ。
「ハァ、ハァ――神々廻先輩、あとでちゃんと説明してくださいね。にしても、全力疾走なんていつぶりですかね」
数秒遅れてやってきた小神には、少し余裕が残っているように見えた。普段からジムで運動でもしていたのだろう、体もほどよく引き締まっている。
彼女はまず脱落しないだろう。
愚痴は呟くだろうが、なんだかんだ耐える女性だ。
「ああ、もちろんだ」
「約束ですからね! それと――」
何かを言いかけた小神の言葉に、文楽は言葉をかぶせた。
「だが、今は生き残るために走れ。最低限の能力もないやつに、俺のアドバンテージを渡す気もない。クソ上司の徹夜地獄に耐えてきたお前なら……この程度の瞬間的な地獄、余裕だろ?」
「当たり前ですよ!」
「信じてるぞ」
そんな会話をしていると、遅れて三人が到着する。
次の瞬間だった、ズズズズズと床が動き出した。
「はぁ…………はぁ……な、なんなんだ……つぎは」
サラリーマンの男性が膝に手を当てながらそう呟くと、再び床が動き出した。シーソーのように今彼らがいる位置が低くなり、スタートした入口付近が徐々に高くなっていく。
振動が収まると、再び文楽は躊躇なく走り出す。
「ず――ずっと坂道じゃないか!?!?」
男性の悲痛も虚しく、皆が文楽を追うように一斉に走り出した。遅れて男性も走り出すが、普段から嗜むの煙草が堪えているのか、ここにいる誰よりも辛そうだった。
地獄のシーソー坂道凹凸走訓練。
それが幕を開けた。ここから地獄が始まる。
五度目の坂道を走り終えた。
文楽含めた全員が息をあげて地面に倒れ込んでいた。
アナウンスが部屋に鳴り響く。
『――自動回復を実行いたします』
急に、体を緑色の靄が包み込んだ。
矢先、上がっていた息が収まり、何事もないように立ち上がれるようになっていたのだ。疲労が完全にどこかへ消えた。
「な、なんだ!?」
サラリーマンの男性は驚いて、つい勢いよく立ち上がって自分の体を不思議そうに叩き始めた。
他の皆も一様に驚いていたが、そんな彼らに文楽は思う。慣れて訓練に集中してもらうためにも、最低限のことくらいは教えてやるか、と。
「言ってただろ、自動回復って」
「そ、そうだが……こんな魔法みたいなことありえるのか?」
「拠点では特定条件を満たせば、怪我や体力程度すぐに回復できる。だが万能ではないから気を付けろ。あと死人は自動回復の対象外だ」
その説明を聞いて、小神が言う。
「た、確かに……息は整ったし、汗も引いて喉の渇きもなくなりました。さっき転んだ時の傷も癒えましたね――なのに、精神的な消耗は無くなってない。本当に魔法みたいですね」
小神の瞳が、幼子のように輝いていた。
一緒に仕事をしていたときも思っていたが、彼女はなかなかに適応力が高い人間のようだ。
そうして、文楽は再び走り出す。
死ぬ気で走って、回復。
吐くまで走って、回復。
気絶するまで走って、回復。
食事を必要とするそのときまで、彼らは延々と坂道を走り続けた。
夜の三時を回るころには、皆が疲労で虚ろになっていた。そこで文楽は八時まで睡眠をとるように伝え、生活エリアで雑魚寝できる場所を口頭で教えた。
拠点、二日目。
文楽はただ一人、夜通し走っていた。
「クソ……痛すぎるだろ。だが、やるしかない」
そう呟くと、文楽はインターバルの間を使って、壁に自分の頭を打ちつけた。次の瞬間には傷が回復し、流血も消えてなくなっていく。
文楽はわざと頭を壁に何度も打ちつけていた。
それ以外にもわざと地面に体を打ちつけたり、ときに自分で自分の腕を噛みちぎった。自傷行為を延々と一人で続けていた。
一日たった五時間だけの辛い時間だ――と自分に言い聞かせ、自傷行為を続けた。
この自傷行為はあとあと自分を救うことになる。
どうせ回復できる。
長く苦しむよりも、今苦しんだ方がマシだ。
「おはようございます! 神々廻先輩、もう起きていたんですね」
「ああ。さっさと始めるぞ、時間が無い」
朝八時になった。
まだ眠たそうな小神が起きてきて、元気なく手を振ってきた。
最低限の睡眠――四時間ほどの仮眠を取り、再び訓練エリアに戻ってきたのだ。
訓練エリアでは、朝から三人の影が動いていた。文楽、小神、そして小学生の男の子――矛凪迅の三人だ。
まだ小学五年生だという矛凪が逃げなかったことに、文楽は驚いていた。
成長期も来てないほど幼く、内気な性格という印象だった。今までまともに言葉を話すこともなく、黙々と走り続けているのだ。多少遅れてはいるが、それでも必死に二人の速度に食らいついている。
なぜか疑問に思った。
インターバルの間、文楽は声をかけた。
「辛いだろ? なぜそこまで俺たちに食らいつく?」
「…………白い猿との戦いを見て、あなたについていくと決めました」
「たったそれだけの理由か?」
「はい……。なので、僕を置いて行かないでください。お願いします。頑張って力になります」
「ついて来れるなら見捨てない。だが、子供だからと言って贔屓する気もない。俺にはそんな度量も余裕もない。だから食らいついてこい、生き抜く術は教えてやる」
「はい! 頑張ります!」
少し暗かった矛凪の顔が、明るくなったような気がした。そんな二人を見て、小神が横やりをいれてくる。
「神々廻先輩! 前々から思っていましたが、本当に不愛想ですよね! 子供相手に言葉が横柄です! 可哀そうです! 教育に悪いです!」
「そうか? そうは見えないが……」
矛凪を見ると、少年も「何が?」という風に無垢に首を傾けていた。どちらかというと、文楽になついているようにも見える表情だった。
「し、神々廻さんは優しいです。僕を見捨てないでいてくれる優しい人です」
「こう言ってるぞ」
「え? 迅くん、本当に怖くないの?」
「え、はい。そう思ったこと、一度もないです」
なぜかショックを受けた様子の小神だった。
そう言っている間にもシーソー現象が終わると、文楽は誰よりも先に走り出していた。
「え、ちょっと先輩! ズルい!」
「無駄口叩く余裕ありそうだな。次からもう一段階レベル上げるか」
「え? 今でさえヘルモードって最初に言ってましたよね? ヘルって地獄って意味ですよね?」
「今はヘルモードの一段階目だ。まだまだ上はあるぞ」
ありえない、と小神は表情で語っていた。
そうして次のインターバルで文楽はレベルを一つ上げた。床が凹凸だけではなく、しっかりと目を凝らしていないと分からないほどに隠された泥沼が、各所に出現した。
ここからただ走るだけではない、目を凝らすという訓練も加わった。
その日、主婦とサラリーマンの二人が顔を出すことはなかった。
これくらいの辛さに耐えられない奴らは、どうせすぐに死ぬことになるだろう。魔王討伐では、こんなの天国に感じるくらいの時間がやってくるのだから。
拠点、三日目。
朝六時に、再び皆が集まった。
やはり文楽、小神、矛凪の三人だけだった。
彼らは訓練エリアの部屋を初期の形に戻し、壁際に集まっていた。
「あと四時間で、魔王討伐の時間ですね」
開口一番にそう言った小神は、どこか不安な表情をしていた。少し手も震えているように見える。
二日間は訓練という現実逃避できる時間に追われていたので、大丈夫だったのだろう。だが、もうすぐクラッツォのような化け物ともう一度戦わされるかと思うと、怖くなったのだ。
気丈に振舞う優秀な小神。
だが、その中身は普通の女性だ。
命を弄ばれて怖いのは、当たり前だ。
恐怖を飲み込むように唾を呑み込むと、小神は言葉を続けた。
「そろそろ教えてくれますよね? 神々廻先輩」
切実な瞳だった。
それに応えるように文楽は口を開く。
「もちろんだ。このあとの予定を説明する」
「お願いします」
「まずは三十分で最低限の知識をお前らの頭に叩き込む。その後は最終仕上げだ」
そう言って、文楽は部屋の隅にある一つの部屋を指さした。部屋の扉にあった表示、それが緑で『OPEN』に変わっていたのだ。
小神、矛凪の二人は目を瞠って驚いていた。
「才能を知り、戦うためのスキルを獲得する」
たったの三日で条件を達成して、開けられる訓練子部屋はあそこしかない。
条件は簡単だ。
ヘルモードで45時間以上訓練を行うこと。
文楽が一睡もしなかった理由、それは子部屋を最速で解放することにあった。子部屋では、ステータスの鑑定および現在獲得可能な初期スキルを把握できる。
そう――下等勇者に結びつく最悪なデメリットを、ようやく知ることができる。このデメリットを最速で把握しなければ、このゲームは詰む。




