第5話:魔王討伐の玄関口
「か……下等勇者と契約したなんて知られたら、我は笑いものだ」
鬼子――トトコが、しょんぼりと下を向いている。
最強のカードを手に入れたと思った矢先に、文楽が下等勇者であることを知り、絶望しているのだろう。
鬼子が神のように万能な存在でないことは前から知っていた。
彼らには個性もあれば、感情もある。対等なひとりの人間として接することが、攻略においては大事になる。とはいえ、鬼子との契約というアドバンテージも譲る気はない。
「泥船がそんなに気に入らないか?」
「いえ……我はあの【シシバ】様と契約を結んだのです! 我は信じています!」
「いい心がけだ。お前は運がいい」
文楽は少し、柔らかな笑みを浮かべていた。
感情を読み取ったのか、トトコは自信を取り戻したように上を見上げる。
ちょうどそのとき、再びトトコへ通信が入った。
わたわたと慌てながら壁際に走り寄っていき、また頭を何度も下げながら話し始めた。
二分ほどたった頃、トトコは指揮官室の大きなディスプレイに手を伸ばす。
再び黒と紫の歪んだ空間が出現させた。
トトコは文楽の元に戻ってくる。
「システムが事実確認を行い、チュートリアルでのクラッツォ討伐は【シシバ】様の不正操作でないことを認める。よって……これから再びゲームへ戻ってもらう――とのことです」
その言葉は正直意外だった。
文楽はチートを使用したわけではないが、ゲームではできなかった「時計破壊」というバグを利用した。それでクラッツォを討伐したのだ。バグによる勝利と認定されてもおかしくはないと思っていたが、結果はそうではなかった。
不具合ではなく、仕様外の挙動として正式に受理された。
つまり、ゲームの仕様にはない方法での攻略はこれからも有効であると認めたのだ。
「で、ですが……アナウンスされた報酬を渡さない決定とする、とのことです」
「そうか。わかった」
文楽は案外あっさりと受け入れたことに、トトコは驚いていた。
文楽は今までの経験上、チュートリアルで特別な報酬を受け取ったことはない。
つまり、何が貰えるのか不透明だった。必要のないスキルや武具、ましてやそれが属人的で拒否不可能な代物であったら、むしろ呪いと同義である。
Hero's Ringを攻略するには、最適なスキルセット、武具セットが存在する――と文楽は考えていたので、むしろ呪いなど不要だという姿勢だった。
この世界では強いスキルや武具を持っているだけで強くなるわけではない。
適材適所で使いこなしてこそ、それらは真価を発揮する。
そう、必要なものだけが欲しいのだ。
「トトコ、俺をゲームに戻す前に一つ頼みごとを聞いてくれ」
「わ、我は常に中立でなければい……いけません!」
「それは知っている。だが、俺たちは運命共同体だ――そうだろ? 俺が死ねば、契約に従いお前も死ぬことになる」
「そ、そうですが……それでも中立の立場を維持しなければ――」
「中立を崩す必要はない。クラッツォの魔核だけ、回収しておいてくれ」
「クラッツォの魔核を……?」
「さっき、俺の勝利は認められたはずだ。だというのに、システムは俺が不正操作をしたと誤認して強制的にあの場から退出させた。それなら本来得るべき報酬をもらうことは然るべきこと――そうだろ?」
トトコは首を傾けて、ふさふさな顎に手を当てながら「うーん……」と唸りだした。
そうして数秒ほどで、顔を上げる。
「回収はしておきます。ただ……システムが許可するまでは、我が保管しておきます」
「それでいい。任せたぞ」
文楽は捨て台詞のようにそう告げると、トトコが開いた黒と紫の渦へと入っていく。
一人残されたトトコは、いつもの癖で折れた角を触りながら少しの間考えていた。
そうして何かを決意をしたのか、渦を見つめていた。
◆
黒と紫の渦を潜り抜けると、そこには知った空間が広がっていた。
拠点の中で一番広く、「魔王討伐の玄関口」と呼ばれる場所だ。
俗称で「待機部屋」や「初期部屋」と呼ぶゲーマーも多い。
玄関口とは言うが、実態は玄関とは程遠い内観をしている。
静謐なホールのような空間は百人は入れそう広さで、壁は白を基調として灰色の装飾がちりばめられている。四方の壁にはそれぞれ一つずつドアが設置されており、うち一つの扉がひときわ大きい。
その扉の前には、鬼子――トトコとは別の個体が佇んでいた。
質のいい軍帽を被り、頬には勲章の傷が痛々しく残っている。
「ようこそ勇者の皆さま! チュートリアルを生き残った8名の勇者へ、あらためて称賛を」
パチパチパチ、と乾いた打音が部屋に響き渡った。
皆の視線が、鬼子へ集中する。
「だ……誰なの!?」
「こ、ここはどこなんだ」
「また不可思議な場所だ……」
再び集められた八人が、それぞれな反応を見せていた。
その驚きをひとしきり堪能すると、鬼子は拍手を止めた。
「ここは『魔王討伐の玄関口』――全ての魔王討伐はここから始まります」
覇気の籠った低い声に、ここに集まった人たちは息を飲み込んだ。
そんななかで、一人の女性――小神が冷静に声をあげた。
「あの……もう少し詳しく説明してください。私たちはわけも分からず魔王を倒せと言われ、勇者と言われ、と思ったら急に化け物と戦わされたり――勇貝さんは『ここはゲームの世界だよ』と言っていました。正直何もわからないんです。ここはどこなんですか? あなたは誰なんですか? 私たちは家に帰れるんですか?」
鬼子は彼女の言葉を遮らずに最後まで頷きながら、優雅に立ち振る舞っていた。
トトコとは余裕が違うように見える。磨き上げられた動きに、冷酷さ。
これこそ鬼子の本来の性質である。
「質問ありがとうございます」
静かにそう言うと、鬼子の優しい笑みはどこかへ消えた。
次の瞬間には、鋭い牙がはっきりと見え、人間の防衛本能を刺激した。
鬼のような恐怖の表情を見て、この場は凍り付く。
「ですが、私は口を開いていいなど一言も言っておりませんが?」
ひとしきり恐怖で空気が凍り付いたことを確認すると、鬼子は再び優しい笑みへと戻った。
「話を戻しましょう。【魔王討伐1】は三日後の十時より開始となります。その時間まで自由にお過ごしいただき、時間になりましたら皆さんは、再びこの魔王討伐の玄関口までお集まりください。もし間に合わなかった方がいれば、その方は――即刻死刑となります」
脅すように、鬼子は再び自分の鋭い牙を見せた。
「それでは、それまでは自由にお過ごしください」
最後にそう告げると、鬼子は自分の足元に黒と紫の渦を出現させ、渦へ溺れるように消えていった。
この場に残された八名は、鬼子の姿がこの場から消えると、一斉に緊張を解いた。
ある者は尻もちをついて天井を見上げ、ある者は胸に手をあて心臓音を確かめている。
皆が戸惑い、不安に思っている中、文楽は一人歩き出していた。
長ったらしい聞き飽きたセリフをようやく聞き終えたと言わんばかりに、すたすたと近くの扉へと進んでいく。
「神々廻先輩、待ってください!」
聞き覚えのある声に、文楽は歩みをぴたりと止めた。
ゆっくりと振り返り、声の主である元後輩の小神を見る。
「神々廻先輩はなにか知っているんですか? 知っているなら私たちに教えてください! 私もですが、ここにいる皆さん不安で、何をどうすればいいのか、何もわからないんです。少しでも知っているなら情報を教えてもらえませんか?」
正義に満ちた彼女の瞳の眩しさに、一度は捨てたはずの人間としての未練を焼かれるような気持になった。
彼女の眩しい姿を見て、忘れていた光景を思い出す。
仕事場には嫌な思いばかりが溢れていたが、最後に仕事をしていた数人の後輩たちはなぜか文楽を慕ってくれていた。教育した覚えも、何かを奢るような先輩らしい振る舞いもした覚えがないのに、彼らは慕ってくれていた。
理由はわからない。
だけど、上司が帰ったあとの彼らとの空間は心地よかった。
「知りたければ教えてやる」
上手く目を見て答えられなかった。
もう二年近く、誰かとまともに話す機会なんてなかった。
それでも、文楽は少し上を向いて――彼らの目を見ようとした。
「だが時間がない。生きる根性があるやつだけついてこい。話はそれからだ」
「ありがとうございます! それよりも私たちには時間がないんですね……私は神々廻先輩についていきます。みなさんはどうしますか?」
相変わらず小神は理解が早い、と文楽は感心していた。
先頭をきって鬼子に話しかけた勇気、気がつけば皆のリーダーのように振舞っている姿は、彼女の成長を感じられて嬉しかった。
「……僕も一緒にいかせてください!」
「お、俺もお願いしたい! 訳も分からず勇貝くんのように死にたくない!」
「私もお願いします! 家で子供が待っているんです! 死ぬわけにはいきません!」
ここにいる八人のうち、文楽と小神を除けば三人が挙手してくれた。
彼らは勇貝と萬獄の死を見て、ここでは死が身近なことを知った。
それぞれの死ねない理由があって、彼らは戦う決意をしたのだろう。逆に賛同しなかった三名は、自分で自分の道を切り開く決意をしたのだろう。
だけど、ここにいる何人が生き残れるかは保証できないし、責任を負うつもりもない。
「神々廻先輩、これから三日間でなにをやるんですか?」
「訓練エリアで、戦う術を身に付ける。寝る暇はないと思え」
ここからの三日間は、ひたすらに体を鍛える必要がある。
肉体、精神、そして全員の欠陥に対して必要なスキルを獲得する訓練を行う。
何も持たない勇者、ましてや何らかの欠陥を抱えた勇者たち。
そんな連中が魔王やモンスター相手に、無から戦えるわけがない。
最低限の力を身に着けるためには、最大限の努力をする必要がある。
死にたくなければ――死ぬ思いで訓練をしなければ、この世界では生きていけない。
「訓練とはなにをやるんですか?」
歩き出した文楽の背後から、小神が声を掛けてきた。
振り返らずに、文楽は小さく呟く。
「ひたすら走る。ただそれだけだ。生き抜くためにステータスの底上げをする」
「一日どれくらい走るんですか?」
「食う、トイレ以外は全てだ。寝る暇などないと思え。大丈夫……方法はある」
文楽はわくわくしていた。
まず間違いなくいまからやる訓練は地獄のように辛いだろうが、それに比例して自分が強くなっていく。それを想像しただけで、鼓動が速くなっていくのだ。




