第1話:下等勇者の価値
十年前、世界が熱狂したローグライク・インディーゲームがあった。
『Hero's Ring』――世界を救った英雄の指輪を巡るストーリーだ。全部で九九のクエストマップが存在し、各クエストに配置されている魔王を倒していくことで、世界を防衛する壮大な物語が紡がれる。
このゲームの何が、世界を熱狂させたのか。
ゲームをはじめて攻略した人には、賞金に加えて、収益の一部を還元するというプロモーションを打ち出したことにあった。最初の賞金額は破格の五〇万ドルで、十年経った今では二〇〇万ドルにも膨れ上がっている。それだけではなく、二番目の攻略者、三番目の攻略者――と上位十人に対する報酬を約束していた。
その破格の賞金が口コミで広がっていき、世界を熱狂させたのだ。
世界中のプロゲーマーやアマチュアゲーマー、普段からゲームに触れない者たちすら、世界の流行に乗ってプレイしたものだ。
だが――十年経った今でも、賞金を受け取った者は存在しない。
このゲーム『Hero's Ring』はあまりにも、難しすぎたのだ。
そもそもの難易度が高いのはもちろん、ローグライクというゲームジャンルの特性が多くのプレイヤーたちの心をへし折った。
キャラが死んだら最初からやり直し。
挑戦のたびにモンスターやアイテム、マップの全てがリセット。
スキル取得方法などがランダム生成で、取得が難しいスキルも多い。
操作キャラでさえ無数のキャラからランダムで召喚されるという玄人向けの仕様だ。
経験や知識の蓄えができず、毎回初見となるゲームなのだ。
何度挑戦しようと、再び知識ゼロの状態から再出発しなければならない。
それゆえに、このゲームに絶対的な攻略方法はなかった。
ネットで検索したとしても「10階層までの攻略方法」「15階BOSSの倒し方」など、役に立つのか、立たないのか、よくわからない攻略方法しか調べられない。
その難易度が原因で、流行に乗っかった初心者はすぐに淘汰されていった。実力のないアマチュアゲーマーもすぐにゲームをやめることになった。プロゲーマーでさえ、他のゲームの大会に出た方がマシだと、徐々にフェードアウトしていった。
こうして『Hero's Ring』は、世間でクソゲーと呼ばれるようになった。
だが、このゲームは面白かった。
一部のゲーマーにとっては最高の遊び場だったのだ。
何度やり直しても、常に新しい面白さを供給してくれる。
やればやるほどに新しい武器やスキルが発見され、成長のさせ方次第で様々なキャラの発展や進化があった。やり込み要素が豊富で、一生遊べるゲームといっても過言ではなかった。
攻略不可能な難易度を除けば、紛れもない神ゲーなのだ。
そんな魅力に心を奪われた者たちが、廃人となり、このゲームを支え続けてきた。
長年の彼らの支えもあって、『Hero's Ring』はインディゲームから、スマホゲームとして発売されるまでに成長した。
神々廻文楽。
彼もまた、このゲームに魅入られた廃人の一人に過ぎなかった。
◆
「――おい、神々廻。明日の企画書概要だ、すぐに作っておけ」
終電はとっくのとうに諦めたある夜、
文楽は背後から声を掛けられたので、仕事の手を止めて振り返った、
殴り捨てるように渡された紙ぺら一枚を確認すると、企業の概要すらままならない、企画とはなんだと問いたくなるような内容だった。新卒の方がもっとマシな資料を作ってくる。
もちろん相手は上司なので、言葉に出して言えるはずもなかった。
喉から出かかった言葉を飲み込むと、文楽は徹夜続きの疲弊した顔を上げて言う。
「明日のプレゼンまでには間に合わせます、茄子子部長」
「それじゃあ遅いだろ、アホか! そのスッッッカスカの脳みそで考えてみろ!!」
「すみません。訂正させて――」
「この……木偶の坊が。オレが出社するまでに仕上げろ、明日の朝一でオレが確認するからな。いいな? 企画が通らなきゃお前の責任だぞ。そのときは会社での居場所を無くしてやるからな? 覚悟しておけ!!」
「……はい、必ず朝までに間に合わせます。茄子子部長の顔に泥を塗らないよう、精進します」
「ああ、お前はただ頷いておけばいいんだよ。そうすればこの会社に居させてやる」
「ありがとうございます」
「あとだな、そこの机も早く片づけておけよ! 雑魚が飛んだんだから、そのまま放置していたらオレの心証が悪くなるだろうが。オレが責められたらどう責任取るんだ? あ?」
「はい、明日までに片づけておきます」
茄子子部長はだらしない腹を揺らしながら、ぷんすか怒っている。あろうことか徹夜続きの部下を置き去りに、そのまま鼻歌を口ずさみながらオフィスを出ていった。
そんなクソ上司の禿げかけの頭頂部を見送る。
文楽はため息を吐きつつ、煌々と輝くオフィスの蛍光灯を仰ぎ見ていた。
「はぁ……今日も徹夜か」
文楽のその言葉が発端となり、残業していた同僚たちがどっと喋りだす。
「パワハラ禿げが帰ったよな? ……ようやく小言から解放された」
「よーし、ここからが業務開始だ~」
「私、コンビニ行ってきますけど、皆さん欲しい物ありますか?」
「濃いエナドリ頼む」
「あ、俺もお願いします! ちょっと今日はご飯食べる暇もなさそうなので」
「俺はコーヒーがいいなぁ、お釣りはいらないのでお願いします」
「はーい、買ってきますね~」
終電間近のオフィスで、明かりがついたままなのはこの部署だけだった。
彼らは楽しくて意気揚々と仕事をしているわけではない。濁った灰色な雰囲気を漂わせ、目をしょぼしょぼさせながら、無理に明るく振舞っているだけだった。小さな風一つでどこか遠くへ飛んで行ってしまいそうなほど、皆の顔は青白く、弱々しいものだった。
そんな中、一人の女性社員が自分の額をデスクにガンッと叩きつけた。
「うぅ~……神々廻先輩、わたし眠いです。死にそう……」
「斬新な目の覚まし方だな。外出て気分転換したほうがいいぞ」
「そうですよね、さすがにお風呂入ってこようかな……もう二日もお風呂はいれてないんですよ。でも、仕事が終わらない……帰りたい……」
彼女――小神弧子は、どうにもならない業務状況に絶望していた。
彼女はエリートコースを進んでいる若手社員だ。国内最高峰の最終学歴を持ち、配属部署も花形で優秀な人材だ。だが、今は研修という名目でこの部署へ配属されている。
最初はエリートコースの美人が配属され、周囲の同僚は浮かれていた。
文楽は容姿など見ておらず、すぐに飛ばないといいな――程度の認識だった。
だが、彼女は優秀だった。
弱音は毎日のように吐いているが、タスクは期日までに必ずこなすし、弱音を吐いている今でさえキーボードを打つ手は止まっていない。たったの数か月で大型企画を通過させ、会社の利益にも貢献している。間違いなく、近い将来に昇進することが想像できる人材だ。
「小神はよく耐えてくれてるよな、本当に助かる」
「優秀なのは神々廻先輩ですよ。あの上司の下で三年以上耐えたのは神々廻先輩が初めてらしいですよ。普通の人は耐えられなくて、会社に来なくなってしまいますからね……」
小神はそう言って、斜め前の空席を見つめる。
デスクの上には、雑に広げられた書類の山と開いたままのパソコンが残っていた。
そこに座っていた同僚は連絡一つ寄こさずに、今日突然会社へ来なくなった。
まあよくあることだ。今月でこうなったのは三人目で、一年間で数えればキリがない。
「神々廻先輩って、部活で強豪校だったタイプですか?」
「いや、部活はやったことない」
「嘘だ。じゃないと、こんな部署で三年も普通でいられるはずありません。強固な縦社会に慣れている感じします、神々廻先輩。絶対に昔、いじめっ子タイプの先輩にしごかれた人だと思ってました!」
「そんなわけあるか。俺は昔から耐えるのと、続けるのが少しだけ得意なだけだ。それよりも小神が部長に小言言われているときの、顔……俺は結構気に入ってるぞ」
「あ……見てましたか? 恥ずかしいですね」
「ああ、聞いてるようで一ミリも聞いていない。若干部長を馬鹿にしているその目、嫌いじゃなかった」
「正解です。右から左に流れていってますね。でも神々廻先輩にバレてるなら、まだまだ精進が必要ですね」
「変なところで精進しないでくれ。それよりも俺はコンビニ行ってくるが、小神は何かいるか?」
「あ、わたしも一緒に行きます!」
雑談しつつ、ずっと手は動かし続けていた文楽と小神は、気分転換にオフィスを出た。
文楽は近くのコンビニでエナドリ一本と、ラムネ、おにぎり二つを購入して、出入口で小神を待っていた。ラムネは集中力を確保するのに最適なのだ。
気分転換にスマホゲーム『Hero's Ring』を開く。
もう十年以上も続けているゲームが、こうしてスマホで気軽にできるようになったのはありがたい。昔はパソコンでしかできなかった遊びが、今はこうして隙間の休憩時間や通勤時の電車で気軽に遊ぶことができる。
いつもの日課で、まず最初に攻略者の記録石碑を確認していく。
「今日も攻略者はゼロだな」
ゲームを攻略した人のユーザー名が、アプリ上でいつでも確認できるようになっている。
このゲームにとって重要な要素で、代名詞とも言える要素なのに、今や形骸化しつつある箇所になっていた。発売されてから記録石碑が更新されたことは一度もない。
いつみても仰々しい無垢な石碑があるだけだ。
いつか、文楽も自分のユーザー名【シシバ】が記録石碑に刻まれることを夢見ている。
「神々廻先輩ってゲームとかするんですね、意外です」
不意に、後ろから小神がスマホを覗き込んできた。
文楽は多少驚きはしたが、変わらずゲームを進めていく。
「昔からこれが好きなんだ」
「なんというゲームですか? わたしゲームは親から禁止されて育ったので、あまり詳しくなくて……」
「『Hero's Ring』というゲームだ……興味あるのか?」
「めちゃくちゃありますね。神々廻先輩のしごできの根源がここにあるのかなぁと思いまして」
「根源か……このゲームを続けている奴は相当変わってる奴だとは思うが、仕事に活きているかはわからないな。なにせ玄人向けの――」
そこで、文楽は言葉を詰まらせていた。
というよりも、急に寒気が全身を駆け巡り、言葉が思うように喋れなくなったのだ。
――とうの昔に、心と体が限界を超えていたらしい。
急激に体に上手く力が入らなくなった。
視界が歪み、スマホ画面が滲んでいく。
ああ、なんだこれ。気持ち悪い。
「――先輩!?」
小神の声が靄がかかったように聞こえてきた。
耳がおかしい。小神の声が水の中に沈んでいくような感覚だ。
なにを言ってるんだ。
何も聞こえな――。
文楽はその日、倒れた。
それからすぐに会社を休職した。
気づけば、+部屋からほとんど出ることがなくなった。
人と話すことが怖くなり、誰かと話すこともほとんどしなくなった。
社会と関わることが、怖い。
喜ぶことも、悲しむことも、怒ることも、何もわからない。
感情がどこかへ消えてしまった。
そんな文楽の唯一の生きがいは、どんな状況でも辞めなかった『Hero's Ring』だった。
ゲームをしている時間だけが、自分の心臓が正常に動いているような不思議な感覚だった。
それから、文楽は社会から隔離された空間でゲームに没頭した。
医者に勧められたジムでの運動、食う、寝る以外は全てゲームに時間を注いだ。
そんな廃人生活を送ること二年――文楽は会社を辞め、貯金を切り崩す生活を送っていた。
――だが、その灰色な日々が文楽の夢を叶えた。
『Congratulations!』(おめでとうございます!)
『You are the first conqueror in the world』(あなたは世界で最初の攻略者です)
世界で初めての攻略者として、石碑に【シシバ】の名前が刻まれたのだ。
他人からしてみればどうでもいい名誉だろうが、文楽にとっては自分の人生を変えるほどの感動だった。誇らしい瞬間だった。
生きてきて、これほどの衝撃を感じたことはない。
心の奥に燻っていた熱が、堰を切ったように溢れ出てきた。
冷たかった心臓が、鼓動をはじめ、全身を感じたことのない熱が駆け巡っていく。
そうして何の因果か――神のいたずらに巻き込まれた。
『ようこそ、選ばれし勇者の皆さま』
『この世界を滅ぼそうと企む99の魔王たちを倒してください』
最初は戸惑った。
画面越しに見ていたはずの、見知らぬ景色。
聞いたことはあるのに、聞いたことはない声。
この世界で初めての風が肌を撫で、髪を揺らし、土臭い匂いが鼻を通り抜ける感覚。
最初のチュートリアルでしか聞かないアナウンスが、胸を高鳴らせた。
「――そうか、俺は下等勇者として召喚されたのか」
チュートリアルで召喚される勇者は、全て下等勇者だ。
下等勇者はゴミだ。必ず大きな欠点がある。
精神不安で戦闘から逃げたり、欠損箇所のせいで武器をまともに扱えなかったり、スキル獲得に制約があり育成が難しかったり――その欠点は多種多様である。
ゆえに後々出てくる普通の勇者たちの強化素材となり、捨て駒として使い捨てられ、いつしかユーザーに見向きもされなくなる存在だ。
だが、このゲームを続けてきたゲーマーたちは知らない。
文楽が『Hero's Ring』をクリアしたときのエースは、下等勇者だった。
下等勇者は、このゲームをクリアするうえで欠かせない存在だ。
普通は見向きもされない存在だが、文楽は下等勇者に勝ち筋を見出し、何度もトライアンドエラーを繰り返し、完全攻略のジョーカーとして育ててきた。そして、成功した。
世界で唯一、クリアしたのは文楽だけ。
だから誰よりも、下等勇者の育て方を熟知している。
下等勇者の可能性を誰よりも知っている。
どんなに初期値が高い勇者よりも、強くなることを知っている。
順当に攻略した先に待つ――闇落ちバッドエンドなクソみたいな終わり方を知っている。
「現実からHero's Rinへの召喚か……」
この世界で生き残るためには、強くならなければ。
この世界を攻略するために、強くならなければ。
この世界でハッピーエンドを掴むには、神をもあざ笑う強さが必要だ。
そうだ、下等勇者は戦わなければ容易に死ぬ存在だ。
『――資格なき【下等勇者】には、死を持ってその無価値を証明してもらいます』
不気味な声の主がそう告げてくる。
円柱型の閉ざされた大きな部屋の奥から、ジャラジャラと鎖を引き摺る音が聞こえてくる。
これから、生死を懸けた戦いが始まる。
この世界で生きるための資格を試される。
地獄のチュートリアルが始まろうとしていた。
『――十五分間、死なないでください』
こうして、文楽は下等勇者になった。
ゴミはゴミらしく、泥臭く生き残ると誓った。
高揚する気持ちとは裏腹に、震える足を押さえつけて立ち上がる。
口角を吊り上げて、壁際に無造作に立てかけられていた錆びた剣を握る。
「俺は証明する――【下等勇者】の価値を」
世界初の完全攻略者――神々廻文楽。
命がけの二周目が、幕を開ける。




