4. 婚約者
ユベールの執務室は、王宮のかなり隅にある。執務区から遠く書類を届けるだけでも不便な場所だ。人もあまり通らない。だが、これが今の王宮でのユベールの立ち位置を表しているのだろう。
そんなことを思いながら、エドガルドは指定された時間に扉を叩く。
エドガルドがユベールの執務室を訪れるのは、滞在中これで三回目だ。
今回エドガルドは第三王子ではなく騎士団の一人として来訪している。素性も表向きは国で待つ部下のものを借りていた。あまり好きではないやり方だが、今この国で親友が置かれている立場を思えば仕方ない。そのおかげである程度自由に動けることも確かだ。
「あ。エド。婚約話は無事に通ったよ。さっきレリアにも告げられたはずだ」
机に向かっていたユベールは、エドガルドに気づくなり顔を上げてそう言った。机の上には大量の書類が詰まれている。
「そうか。それはよかった」
大陸の一部では、未だに亜人の血を引く者への偏見が残っている。そういった理由もあり、アブストラートは積極的に外交を行っておらず、エドガルドも王子として国外に出たことはない。
さらに二年前の戦いでは、たいそうな二つ名までついてしまった。
「魔族の血が濃い」「黒い悪魔」という二つの言葉が一人歩きして、周辺国では自分が化け物のように思われていることは把握していた。苦々しく思っていたそれがどうやら今回役に立ったらしい。世の中わからないものだ。
とにかく、無事にレリアをアブストラートに連れて行くことが出来そうでエドガルドはほっとする。
「もう少しでキリがいいところまで終わるから座って待ってて」
「ああ」
エドガルドは部屋の一角にある応接セットのソファに座った。質はいいものの、かなり年季が入った黒革のソファーだ。もっともこの部屋の家具はすべて同じようなものだったりする。
「すごい量の書類だな」
ユベールの机の上を見て。思わず素直な感想が漏れる。
「これでもほんの一部だよ。あの人たち、何もできないくせに自分でやりたがるからたちが悪いよね。おかげで余計な仕事が増える増える。任せていたらそのうち国が滅びるよ」
あの人たち、というのは国王と現正妃であるドロテ妃の親族のことだ。ユベールは冗談めかしているが、かなり本音が含まれているだろう。
今のシランドル国王は凡庸――いや今やそれ以下だ。賢王と名高かったシランドルの前王も一人息子の教育だけは失敗した、と密かに囁かれている。そして現在要職を占めているドロテ妃の親族も、権力欲が強いだけで政治的な才能はない。国をよくするつもりは全くなく、自分たちだけが繁栄すればよいという政治を行っている。
ユベールが影から必死で支えているような状態だ。
ニネットが健在だった頃は、ニネットが身分を問わず有能な人材を取り立て凡庸な王を支えていた。しかし、ドロテ妃は身内を重用し、有能な人間を邪魔だと追い出してしまった。それからシランドルは荒れるばかり。
エドガルドの目には、シランドルの国力はこの五年でかなり落ちたように映る。
街の雰囲気がどこか暗く、活気が明らかに減っているのだ。上に立つものなら、気づかないわけがないだろうに。
「――エド。お待たせ」
しばらく待っていると、作業に区切りを付けたユベールがエドガルドの向かい側に座った。
「さっきも言ったけれど、無事の婚約の承認が下りたよ。……って不満そうな顔だねえ」
「心当たりはあるだろう。ユベール」
ほんの少し恨みがましい目でエドガルドはユベールを見た。彼は憎たらしいほど爽やかな顔をしている。
「ああ。レリアに君が親同士が決めた幼少からの婚約者だって言わなかったことか」
わかってるんじゃないか、とエドガルドはため息をついた。
そう。魔族の血が濃いエドガルドと精霊術が使えるレリア。
レリアが十五になったら正式な婚約をすると内々で話は決まっていた。
ちなみに、十五というのはアウロラ大陸で男女ともに正式な婚約が解禁される年齢だ。
ただ、この話はドロテ妃からの横やりを警戒したニネットによって、国王はもちろん、レリア本人にすら秘密にされた。ニネットは自分の余命を悟っていたのかもしれない。
国王はドロテ妃の言いなりだ。下手をすれば婚約を全力で邪魔される恐れがある。それには知る人間は少ない方がいい。本人すらも。
懸案通り、レリアが十五になる前にニネットが亡くなり、レリアの立場は悪くなった。
もちろん、エドガルドはレリアが十五になったらすぐに迎えに行くつもりだった。その準備も水面下で進めていた。ユベールを通して援助もしていた。
だが、レリアが十五になる直前、以前からアブストラートの資源を狙っていたベルカに攻め込まれ、それどころではなくなってしまった。なんとか蹴散らしたが、戦後処理で手一杯のうちに今度は王太子だった兄が亡くなってしまう。
兄の喪が明けて、ようやくレリアを迎えに行けることになったのだけれど。
ユベールは妹に対して、エドガルドとの婚約の約束を全く説明しなかった。『お守り』と回りくどいことを言い、そのために期間限定の婚約をするという説明までする始末。
精霊術ありきの婚約なのは確かだけれど、素直に婚約者が迎えに来た、でよかったではないか。そもそも精霊術はただのきっかけでしかないのだから。
エドガルドの思いをこの親友は知っているはずだった。
「まあいろいろ理由はあるけれど、あの子のことは僕が一番知っているからね。役目を与えた方が精霊術にやる気を起こすかなと思ったんだ。他意はないよ」
ユベールはにっこりと微笑んでいるが、他意はないと言いつつ、口調がどこか刺々しい。
「もしかして、お前、俺に怒っているのか?」
「別に、君が本当は今年も迎えにくるつもりはなかったってことは怒ってないよ。僕が声をかけなかったら、今年もレリアを放置するつもりだったんだよね。大丈夫。事情もわかるから」
ユベールの笑みが深くなる。やっぱり怒ってるな、とエドガルドは思った。それもかなり。大切な妹に関わることだから、仕方ないのだろう。
「すまなかった。今このタイミングで彼女を連れ帰ったら、俺の急所をさらしているようなものになる可能性が高いから、決断できなかったんだ。お前だってたった一人の妹を危険に巻き込みたくないだろう? 状況が落ち着いてからにしたかった」
ここは潔く謝罪するに限る。といっても、言い訳にしかならないのだろう。
もう、約束より二年も過ぎているのだから。
今のゴタゴタは。正妃の息子である王太子が、流行病で急逝したことが発端だ。
残された王子は二人。第一王子ニコロと第三王子のエドガルド。
王の第一子であるニコロと違って、末っ子のエドガルドは特に王になるような教育を受けていない。だから、当然ニコロが王になるものだと思っていた。なのに、父王が後継の明言を避けている。
ニコロは昔こそ神童と言われていたが今は平凡だ。問題はそれをなかなか認められないこと。そこを父は危惧している。わからないでもない。
だが、王にならないことを前提に育てられてきたエドガルドに、いきなり王になれと言われても困る。自分は体質を生かしてたまたま軍功を上げられただけだ。上に立つ教育など受けていない。
だったら、明確に王になる意思を示しているニコロの方がマシではないだろうか。少なくともやる気はあるのだから。
ただ、父はそう思っていない。そしておそらく周囲も。
兄が心を入れ替えたところを見せればいいと思うのだが、父の懸案を伝えてもエドガルドのせいで父が決断しないのだとなじってくるばかり。聞く耳を持たないのだ。
そしてなかなか次期王が決まらない状況に、ニコロはかなり焦れてきている。
「確かにレリアにとって、アブストラートも危険かもしれない。だが、アブストラートには君がいる。それに君も近いうちに『お守り』――レリアの力を絶対に必要とするときが来る。だったら、手遅れにならならないうちにレリアをアブストラートに連れて行ってもらった方がいい。相手は他ならぬ君なわけだし」
「何か、あったのか?」
その口ぶりだと、シランドルでもレリアの身に危険が迫っているように聞こえる。
「命の危険ってわけではないけどね。――ドロテ妃がレリアのために縁談を探し始めていたんだ。前回みたいな茶番じゃなくて、本気のね」
「何?」
ユベールの聞き捨てならない言葉に、思わず大声が出る。
エドガルドが迎えに行けなかったばかりに、十五の誕生日直後、レリアに婚約者が出来てしまったことは忸怩たるものがある。本当の婚約者はエドガルドなのに。しかも衆目の集まる場所で見世物のように婚約を破棄されたと聞いたときは、ほっとした以上にはらわたが煮えくり返った。
「あのひとが持ってくる縁談に、マシなものがあるわけがないだろう? 候補は金だけはたっぷり持つエロじじいばかりだ。もちろん僕も全力で止めるつもりではいたけれど、その前に君が連れて行ってくれることが一番確実だったから」
「……そういう危険性があったのか。すまない」
身の危険ばかり考えていた。エドガルドは深いため息をついた。
ドロテ妃がレリアをよく思っていないことは知っている。レリアというか、母のニネットを憎んでいるのだ。ユベール曰く、前王の大反対でドロテ妃はなかなか側妃に認められなかったことを、「正妃ニネットが愛されていた自分に嫉妬して邪魔したからだ」だと思い込んでいるらしい。そのせいで十年以上日陰の身を強いられた、と。
が、そんな事実はない。
今回こそは間に合って良かった、と言うべきなのだろう。
(今更彼女を他の男に渡すつもりは毛頭ない)
レリアと違い、エドガルドは隣国に婚約者がいるという話を聞かされていた。
レリアと初めて会ったのは十一のときだが、もちろんしっかりと記憶している。
銀髪の凜とした少女。深い青の瞳が印象的で、この少女が将来自分の妻となるのだと思うと胸が熱くなった。
ずっと自分の妻になると思っていた姫。当然思い入れはある。
エドガルドにとって、レリアは慈しむべき大切な存在だ。
昨日、数年ぶりにレリアの姿を直に見て、その思いは強くなった。月明かりの下に佇む彼女は美しい女性に成長していた。思わず見とれてしまうほどに。そして、たぶん、ユベールはそのことに気づいている。
婚約期間は一年。そんな風にユベールは伝えていたけれど、エドガルドに彼女を離すつもりはない。
「だが、だったらやはり最初から婚約者だと……」
伝えてくれればよかったのに。そう言おうとしたエドガルドをユベールが遮る。
「僕はね、エド。レリアに幸せになってほしいんだ。レリアにはいろいろ窮屈な思いをさせてしまったからね。僕も、君とうまくいくのが一番いいと思っているけれど強制はしたくない」
ユベールの声音が思いのほか真剣なもので、エドガルドは小さく息を呑んだ。
レリアは十二歳で離宮に追いやられている。まだ十八だったユベールが妹を守るにはそれが最善だったのだろう。一時期は命を狙われていて、殺されかけたこともある。
レリアが十五になったタイミングで、エドガルドが彼女を迎えに行くことが出来たのならば。彼女は意に沿わぬ婚約をすることもなく、婚約破棄をされることもなかったはずだ。もちろん、今のような離宮で質素な生活を長期間強いられるようなこともなかった。
「期間は一年。そこまでにレリアを口説き落とせなかったら、僕はレリアを連れ戻すつもりだ」
ユベールがこちらに向ける青い目は本気だった。
エドガルドも居住まいを正す。
約束より遅れてしまったのは確かなのだ。これくらいは甘んじて受けるべきだろう。
「わかった。一年だな」
――それまでにこの婚約を本物とする。




