5 . 一瞬でアブストラート!
――今日、レリアはシランドル王宮を出立する。
早朝。クリーム色のワンピースを着たレリアが王宮の貴賓用の玄関口に出ると、既に旅路を共にする予定のアブストラート一行は出発の準備をしていた。
一昨日顔を合わせたアブストラートの一行は少人数で、エドガルドを除けば中年の外交官の他に補佐官が一人と騎士が三人しかいない。騎士は馬で移動するので、堅牢そうな馬車が一台止まっているのみだ。
一国の王女が国を出るには、質素すぎる出立。
アブストラート側が「派手な見送りも式典もいらない。身一つで王女に来てもらえればいい」と申し出たためとなっているが、レリアは、これがエドガルドの思いやりであることを理解していた。この申し出がなかったとて、父がレリアに金をかけようとするとは全く思えないので、状況は変わらなかったはずだから。
「おはよう。姫」
レリアの姿を見つけたエドガルドが片手を上げる。今日も当然のように騎士服姿だ。その隣には見送りに来てくれたユベールもいた。
レリアは彼らに駆け寄った。
「おはようございます」
「おはよう。レリア」
「荷物はそれだけか?」
エドガルドはレリアが持っている古ぼけたトランクに目をやった。もともと私物が少ないのでこれだけで十分だったのだが、やはり少なすぎるだろうか。
「はい」
「そうか。俺が持つ」
そう言うと、エドガルドはひょいっとレリアからトランクを奪ってしまった。
「あ。ありがとうございます」
レリアが慌てて礼を言うと、エドガルドがふっと微笑む。
「これくらい軽い。気にするな」
「レリア。いよいよだね」
ユベールがずいっとレリアの前に割り込んできた。
「お兄様!」
エドガルドはユベールを見て文句を言いたそうにしているが、ユベールが気にするわけもない。レリアも意識は大好きな兄に向かっていたので、エドガルドが「お前、絶対わざとだよな。邪魔してるよな」とユベールにブツブツ文句を言っていたことも気づかなかった。
「アブストラートでも元気でやるんだよ」
朝から爽やかな笑みを浮かべたユベールがレリアの頭をぽんと撫でる。
「はい。無事にお役目を果たして見せます!」
張り切って答えるレリアに、ユベールは苦笑した。それから、ふと真面目な顔になる。
「頑張ってねレリア。でも忘れないで。僕は君の幸せを一番に祈っている。君が迷ったときは、僕のことは気にせず君の心のままに選んでかまわないからね」
「お兄様もお元気で。手紙も書きます。無理はなさらないでくださいね」
「ああ。レリアの帰る場所を用意しなくちゃいけないからね」
いつの間にかレリアの隣に並んでいたエドガルドが、ごほんと咳払いをする。ユベールは悪びれない笑みを彼に向けた。
「エド。君も妹を頼むよ」
「もちろんだ」
エドガルドは真顔で力強く答える。そのやりとりが、なんだか自分が本当に嫁ぐようで、レリアはくすぐったい気持ちになった。
実際はかりそめで、一年後には戻ってくる前提なのだけれど。ちなみに、このことをしっているのはこの三人だけだという。
兄との別れも済ませた。さて出発だ。
レリアが馬車に乗り込もうとすると、エドガルドに腕を掴まれる。
「姫。君はこちらだ」
「え?」
ぐいっと思いの外強い力で、レリアはエドガルドに抱き寄せられた。
こつん、とエドガルドの肩に額があたる。
驚いて離れようとするが、思いの外背中に回された腕の力が強く逃れることができない。レリアの抵抗を感じ取ったのか、エドガルドの声が降ってきた。
「すまない。少しの間辛抱してくれ。すぐに解放するから」
レリアが大人しくすることにしたのは、直後エドガルドが小さく呪文を唱え始めたことに気づいたからだ。この魔法は確か――。
「転移」
エドガルドの呟きと共に、ぶわっと周囲に風が吹き荒れたような感じがした。
何かを持って行かれるような不思議な感覚。
耐えきれなくなってレリアは目をつむる。
「元気でね。レリア。エド」
ユベールののんびりとした声が遠くなって――。
風がやんだ。
「着いたぞ」
腕の力を抜いたエドガルドは、レリアから一歩離れた。
目の前に広がる全く違う景色にレリアは瞬きをしながら呆然と呟く。
「ここは?」
ついさっきまでシランドル王宮の貴賓用玄関口にいたはずだ。なのに。
アブストラートの一行の馬車も、兄の姿もない。
レリアの視界に映るのは、見慣れない部屋だ。装飾は少なく、どっしりとした机に椅子。執務室、だろうか。
「俺の執務室まで転移魔法を使ったんだ」
「――え?」
何でもないことのように言われた言葉に、レリアはエドガルドの顔を見て固まる。彼は当然のことのような顔をしているが、全然当然ではない。
転移魔法。それはエドガルドの唱えていた呪文でなんとなく見当はついた。
問題はその距離だ。
転移魔法は発動するには膨大な魔力を必要とするため、シランドルで扱える魔法師は片手ほど。それも一人数キロがやっとだというのに。
レリアを抱えて国境を飛び越えるなんて。
シランドルの王都エストレから、アブストラートの王都セラータまでは馬車で二週間ほどの道のり。それを一瞬で転移したことになる。
(いくら魔族の血が濃いといったって、ちょっと桁違い過ぎるでしょう!)
規格外の魔力に気が遠くなりそうだ。
「さすがにこれ以上国を空けるわけにはいかないからな。……こんなに驚かれるとは思わなかった」
エドガルドが琥珀色の目を大きくする。
「すみません。ここまでの魔法を目にするのは初めてだったので」
「いや、別に悪い意味で言っているわけじゃない。新鮮な反応だと思ったんだ。こちらこそ、説明を省いて悪かった」
レリアが小さくなるとエドガルドは少し慌てたように言った。その様子がなんとなく可愛らしくて、レリアは口元をほころばせる。
整った顔立ちをいつも引き締めていることもあって、エドガルドに少しとっつきにくさを感じていたのだけれど、意外とそうでもないのかもしれない。
婚約の話を聞いた夜以降、お互いやることがたくさんあったため、エドガルドとはまともに顔を合わせていなかったのだ。しかし、今後は話す機会も増えてくるだろう。
レリアが微笑んでいることに気づいたのか、エドガルドもふっと力を抜く。
「ようこそ。我が国アブストラートへ。姫。改めてよろしく頼む」
「はい。誠心誠意頑張りますので、こちらこそよろしくお願いします」
エドガルドに差し出された手をレリアは固く握る。大きなゴツゴツとした手だった。
これからどうするかについて簡単に話をするということで、レリアとエドガルドは、執務室の一角にあるソファーに向かい合って座った。エドガルドは周囲に防音結界を張る。外からの音は聞こえる優れものだ。
「一つお聞きしていいですか?」
レリアは思いきってエドガルドに切り出した。エドガルドはなんてことないようにうなずく。
「俺に答えられることならなんでも」
「その『お守り』として聞いておきたいんですが、殿下は王位についてどう考えられているんですか?」
ユベールはエドガルドが王になる気はないというようなことを言っていたけれど、本人の口からは聞いたことがなかったので、確認しておきたかったのだ。
「君に来てもらったのは、王位争いが元だったな。話しておくべきか」
単刀直入な質問にエドガルドは少し苦い顔をしたが、すぐに表情を引き締める。
「正直なところ、俺は王にはなりたくない。王太子だったバジーリオ兄上やユベールのことを見ているから、王が生半可な気持ちでなれるものではないと知っている。後継者教育を受けていない俺のような人間が簡単になれるようなものじゃない」
きっぱりと断言した。心底そう思っているのだろう。
「ニコロ兄上が王になりたいのならばなればいいと思う。あの人に足りないのは謙虚に周囲の意見に耳を傾ける姿勢だ。それに気づいてくれればいい」
エドガルドの兄の気づきを願う言葉が切実に響く。
「ただ、俺たちの思惑が一致しているからといって、周囲がそれをすんなり認めてくれるわけじゃないのもわかっている。特にニコロ兄上はこの状況に焦れている。過去の行いをみると、俺がいなくなれば――と短絡的な行動に出ても不思議ではないのは確かだ。さすがに周囲に王としての資質を見られていると自覚して、まだ行動には出ていないが。ユベールが懸案しているのはそこだろう」
「不躾な質問に答えてくださり、ありがとうございます」
レリアが礼を言うと、エドガルドは首を振った。
「いや『お守り』として来てもらった以上、君には最初に説明すべきことだった。気にしないでくれ」
「それで、ニコロ殿下は王宮にいらっしゃるのですか?」
「いや、いない。今、兄上は長期の視察旅行中なんだ。ただ、戻ってきたら君にちょっかいを出してくる可能性もある。もちろん俺もできる限りのことをするが、君も気を付けてほしい」
「はい。もちろんです」
「念のため、君が精霊術の使い手だということは、一部の人間を除いて秘密にする。精霊術の講義についても表向きは別の名目にする手筈だ」
「わかりました」
その方がいいだろうとレリアも思う。異存はなかった。
レリアに力が入っていることに気づいたのだろうか。エドガルドが表情を緩めた。
「姫。そんなに初日から気負わなくても大丈夫だ。とりあえず今日の――」
そのとき、こんこんと扉を叩く音がした。
「入れ」
「失礼いたします」
部屋に入ってきたのは、二十歳前後と思われる男性だった。黒髪に茶色の目で柔和な顔立ち。エドガルドのそれより装飾が少ない騎士服を着ている。
男性はエドガルドの元まで歩いてくる。
エドガルドが立ち上がったので、レリアもそれに続く。
「魔力を感じたので来てみたのですが、やっぱり戻られていましたか。と、そちらの女性は――」
男性はそこで初めてレリアの姿に目をとめたらしい。エドガルドがこくりとうなずいた。
「ああ。お前の予想通りだ。姫。彼は俺の副官のファビオ・ペドーネ。日常的にも姫と関わることが多くなるだろう。ファビオ。彼女がシランドル王国第一王女のレリア殿下だ」
まさか、いきなりエドガルドの部下に挨拶することになるとは思わなかった。レリアは普段着のワンピース姿。こうなるなら、もうちょっとマシなドレスを……と思ってから、自分の手持ちは五十歩百歩だったと気づいて、開き直ることにした。
王女としての立ち振る舞いだけは、亡き母にしっかりとしつけられている。
「シランドル第一王女、レリア・ラガルト・シランドルです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。ファビオ・ペドーネです。何かありましたら遠慮なくお申し付けください」
ファビオがにこっと微笑む。人好きのする笑顔だった。
「それにしても、殿下、ようやくですか」
ファビオがエドガルドを見て言った。エドガルドが若干苦い顔でうなずく。
「まあな」
(……ようやく?)
レリアは小首をかしげるが。その理由を問う前にエドガルドがファビオに命じる。
「まあ、その話はおいおいだ。ファビオ。テレーザに声をかけてくれないか。俺は話が終わったら姫を部屋に案内するから。準備をしておいてくれ。そうだな三十分くらいか」
「承知しました」
ファビオは頭を下げると、部屋を出ていった。
改めてソファーに座り、話を仕切り直す。
「さっきの話の続きだな。今日の午後、陛下に挨拶をする予定が入っている」
「――え?」
レリアは固まった。いや、よく考えてみれば当たり前の話だ。少なくともレリアはエドガルドの婚約者としてこの国に来たのだから。だが、何から何まで準備が出来ていない。
「そんなに焦らなくても大丈夫だ。姫の、シランドルの事情は陛下もご存じだ。それに、身一つでかまわないといったのはこちらだ。君の支度も手配している」
それに、とエドガルドは言葉を切った。
「俺が一緒だ。まだ安心しろと言うほど信頼関係はできていないかもしれないが、それでも俺を頼ってほしい」
レリアはエドガルドの琥珀色の瞳を見つめた。
経緯はどうあれ、少なくとも表向きは婚約者なのだ。立派に『お守り』の役目を果たすためにも距離は近づけていくべきなのだろう。
だめか、とエドガルドがレリアの様子をうかがうように小首をかしげる。
レリアはゆっくりと首を振った。エドガルドに向かって微笑みを浮かべる。
「いえ。よろしくお願いします」




