3. 黒い悪魔
レリアが久しぶりに父である国王に呼び出されたのは、翌日のことだった。
横柄な使いが来て、急いで支度をさせられる。離宮に来る使いはドロテ妃の息がかかった者ばかりなので、レリアに対しての態度が偉そうなのはいつものことだ。
おそらく、婚約について沙汰があるのだろう。こんなに早いとは思わなかった。
兄のことだから、レリアに話を持ってくる前に父に話を通していたのかもしれない。
レリアは古びたクローゼットから母が若い頃に着ていた紺のドレスを取り出す。レリアがドレスを仕立てたのは、二年前の婚約破棄劇の時が最後だ。
無能王女に侍女などいないので、支度は一人で行う。銀の髪の毛はそのまま梳いて流すだけ。
王宮の謁見室、というか本殿へ行くのは億劫だ。
レリアの銀の髪は、シランドル王国では王家の血を引く者にしか出ない。レリアと同じ年頃で銀髪の令嬢は他にいないので、銀髪の少女イコール無能王女だとすぐにわかる。要するに悪目立ちしてしまうのだ。
周囲の視線は無能王女に厳しい。十七にもなって公の場には姿を現さないのだから。仕方がないことなのだろう。
好奇のこもった視線はまだましで、軽蔑のまなざしを向けられることの方が多い。あからさまにひそひそ話をする者もいる。
レリアはシランドル王宮にとって、腫れ物のような存在なのだ。
それでも、レリアは堂々と背筋をぴんと伸ばして長い廊下を進み、謁見室の扉を開けた。
国王陛下は、一段高いところにある金と赤で飾られた玉座にゆったりと腰をかけていた。その隣の王妃の椅子にはドロテ妃が「舞踏会は昨日でしたよね?」と尋ねたくなるような絢爛な衣装で座っている。ドロテ妃の側に立つヴィオレーヌも似たようなものだ。
部屋に入ったレリアはまっすぐ進むと、陛下の前に跪いた。
国王とは一応血のつながった親子なのだが、その格好はまるで臣下のものだ。それでかまわない。陛下に対しての肉親の情はとうの昔に捨ててしまっている。
「レリア。お前の婚約が決まった」
父が重々しく述べる。わかっていたことなので、特に驚きはない。
顔を上げることを許されたレリアは、ちらりと隣のドロテ妃の様子をうかがった。
ドロテ妃は哀れむような視線をレリアに投げかけていた。口元は羽扇子で隠しているのでよくわからない。ただ、隣のヴィオレーヌは、ドロテ妃と同じような視線をレリアに向けていて、なおかつ口元が緩んでいるのを隠し切れていなかった。
(でも、何故?)
昨日ユベールが言ったとおりであれば、レリアの相手はエドガルドだ。
哀れむような視線の意味がわからない。
(まさか、タイミングよくドロテ妃が別の相手を見繕ったとかはないわよね……)
祖父ほど年の離れた男の後妻とか、暴力が問題で離縁した男の後妻とか。
レリアがこんな風に考える暇があるのは、父にやたらもったいぶる癖があるからだ。金髪碧眼で絶世の美女だったという祖母似、つまり女顔の父は、自分に威厳がないことを気にしている。もったいぶったところで時間の無駄なだけで厳めしさは生まれない、と誰か教えてあげてほしい。
レリアが嫌な考えに支配されつつあったところで、父がようやく口を開いた。
「相手は隣国アブストラートの第三王子エドガルド殿下だ無能のお前でもいいと仰ってくださった寛大なお方だ」
どうやら相手はエドガルドでいいらしい。でも、だったら。
嬉しそうに口火を切ったのは、異母妹ヴィオレーヌだった。
「よかったわね。お姉様。アブストラートの第三王子といえば、王族の中でも一番魔族の血が濃いと言われているんですって。軍人として名を馳せていて、ベルカ戦では黒い悪魔と呼ばれるほどの功績を残したそうよ。お姉様にはもったいない方ね」
そろそろ十七になるヴィオレーヌは、「シランドルの至宝」の二つ名にふさわしく、美貌に磨きがかかっている。聞こえてくる噂は彼女を賞賛するものばかりで、苛烈な本性をよく隠し通せているな、とレリアは半ば感心してしまうくらいだ。
ヴィオレーヌは「魔族の血が濃い」と「黒い悪魔」を強調している。
なるほど。ヴィオレーヌは、そしておそらくドロテ妃も、魔族の血が濃い王子のことを化け物か何かだと思っているのだ。
もちろん、レリアはエドガルドの「魔族の血が濃い」部分を知っているので特になんとも思わない。それよりも「黒い悪魔」だ。
(まさかエドガルド殿下が「黒い悪魔だったなんて)
「黒い悪魔」が、アブストラートのとある騎士の二つ名だということはレリアも知っていた。
三年前、アブストラートは、アウロラ大陸一の大国ベルカに資源目当てに攻められたことがある。
その際、一人で千人もの部隊を壊滅させたという伝説を持つ騎士が「黒い悪魔」だ。攻撃をものともせず、他人の血に染まりながらも剣と魔法を駆使して敵をなぎ倒すその姿は、まさしく悪魔と呼ぶにふさわしかったそうだ。
兄が大陸最強だと言ったのは、これに由来しているのだろう。
とはいえ、戦場でのことだ。昨日、エドガルドと顔を合わせても思い浮かばなかった程度には、その二つ名とエドガルドの印象はほど遠い。恐怖などは感じなかった。
レリアは昨日自分の目で見たエドガルドのことを信じる。
黙り込むレリアに対して、答えを躊躇したと思ったのだろう。ドロテ妃が熱心に続ける。
「ヴィオレーヌの言う通りよ。第三王子とはいえ、アブストラートでは英雄的な方。しかも年齢も二十一とつり合いも悪くないわ。そんな素晴らしい方が、あなたのような無能でもいいと言ってくださっているのよ。この先、あなたにこれ以上いい話が来るとは思えないわ」
断るなんて許さないわよ、というドロテ妃の心の声が聞こえてきそうだ。
(本当に嬉しそうね)
噂だけでエドガルドを化け物だと決めつける姿勢に腹が立つ。でも、だからこそ、レリアが何の問題もなく婚約できそうなのも確かなので、ぐっとこらえた。
「レリア。この話を受けてくれるか?」
「はい。お受けいたします」
父からの問いに、レリアは父の目をまっすぐ見て答えた。
そもそも、これはあくまで父にも話を通すための「儀式」に過ぎない。目の前の人たちの思惑は関係ないのだ。
父が青い目を丸くしたのがわかった。レリアがこんなにあっさり承諾するとは思わなかったのかもしれないが、むしろ、娘が受けたことを驚くような縁談を持ってきたのかと問いかけたい。
ドロテ妃とヴィオレーヌは、レリアが抵抗するところを見たかったのだろう。興ざめな表情を隠そうともしていなかった。嫌がるレリアに難癖をつけて、じわじわ追い詰めるのを楽しみにしていたのに当てが外れた、といったところか。
「その言葉に二言はないな。レリア。取り消しはなしだぞ」
国王が念を押してくるが、レリアはあっさり首を縦に振った。
「承知しております」
こうしてあっさり久しぶりの謁見は終わった、と思ったのだが――。
謁見後。別室でレリアは父の補佐を務めている役人から、今後の段取りについて説明してもらう。。
出発は三日後、今シランドルを訪ねているアブストラートの一行が帰るのと同じタイミングだ。必要なものはアブストラート側で用意するので、レリアは身一つでかまわないという。
出立が急なのは『お守り』をいち早くレリアを側に置くためだろう。
用事さえ終われば、さっさと離宮に戻るに限る。
レリアが足早に廊下を歩いているときのことだった。
「お姉様!」
あまり聞きたくなかった声が耳に飛び込んできて、レリアは足を止めた。ため息をつきたい気持ちをこらえて振り返る。無視をしたいが、実行したら面倒なことになるのを経験則で知っていた。
「ヴィオレーヌ」
にこにこしながらこちらに駆け寄ってくるのは、異母妹のヴィオレーヌだった。後ろには見栄えのいい護衛騎士を二人も従えている。
やはり、先ほどのやりとりだけでは、彼女の気は済まなかったようだ。
「あっさり出て行かれてしまうなんてひどいわ。せっかく久しぶりにお会いできたのに」
唇をとがらせて拗ねるヴィオレーヌは、姉が大好きな妹のように見えなくもない。
だが、レリアの過去の経験上、警戒心しか生まれない。
この異母妹は、レリアが仕方なく本殿に顔を出すと、必ずと言っていいほど絡んできてレリアを傷つける。王宮の立場では異母妹の方が圧倒的に上だというのに何が気に入らないのだろう。おそらく彼女にとってレリアはサンドバッグのようなものなのだ。
案の定、ヴィオレーヌはひときわ通る声を張り上げた。
「せっかく大好きなお姉様とアブストラートの王子殿下との婚約が決まったのだもの。お祝いしてさしあげたいと思ったのに」
ここは廊下だ。歩いている者――貴族だったり使用人だったり――がチラチラとこちらを見ているのがわかる。おそらく周囲に聞かせるのが目的なのだろう。
「二年前、お姉様には悪いことをしてしまったから、こうしてお姉様が幸せになるのは嬉しいの。盛大にお祝いがしたかったのに、三日後には出発なんですってね」
たとえ出発が一月後だったとしても、そんな祝いがあったとは到底思えない。冷めた目でレリアはヴィオレーヌを見つめる。
ヴィオレーヌはレリアの方へ一歩踏み出した。
「いくらなんでも急すぎるわ。そんなに婚姻を急ぐなんて、よほどお相手に愛されているのね。それとも婚姻を急がなくちゃいけない事情でもあるの?」
上目遣いで姉に尋ねる姿は、外から見たら愛らしい姫そのものなのだろう。でも。
ヴィオレーヌの口元がにやりと歪む。おそらくレリアにしか見えていない。
「まさか、傷物だと自覚されているお姉様に限って、殿方をたぶらかしたなんてそんなことはないわよね。引きこもっているお部屋に――なんて」
口調は姉を心配している妹そのものなのがたちが悪い。遠回しに、レリアが「婚姻を急がなければならない何かをやらかして」婚約が決まったように吹聴しているのだ。
貴族たちはゴシップ大好きだ。しかもその情報源は「シランドルの至宝」である第二王女。それだけで信憑性は高くなる。
きっと明日には「無能王女が隣国の王子をたぶらかして婚約を決めた」という噂が王宮中を駆け回っているのだろう。
レリアだけではなく、相手であるエドガルドも貶めるもの。頭痛がしそうだ。
「……」
「お姉様。否定なさらないのね」
ヴィオレーヌの青い瞳がうるむ。父と同じ瞳の色は、レリアのそれよりも薄い。
レリアは口を開きかけ――言葉を呑み込んだ。
ここで、レリアがいかにヴィオレーヌの言うことが悪意に満ちた推測かを主張したところで、誰も信じてくれないだろう。
――だって、レリアは権力闘争で負けた無能王女だから。
貴族だってヴィオレーヌの肩を持った方が楽に生きられる。
「お姉様。信じていたのに……」
ヴィオレーヌは呆然と呟く。臨場感たっぷりだ。
護衛騎士はレリアに汚物を見るような目を向けると、ヴィオレーヌを慰めるために寄り添った。
レリアからしてみれば、婚約者がいるのに護衛騎士にたやすく触れさせる王女の方がどうかと思うが――いくらレリアが主張したところで、この王宮ではヴィオレーヌが正義なのだ。
ヴィオレーヌの得意な炎の魔法で攻撃されなかっただけマシだと思うことにする。
(――お兄様にはあとで謝っておこう)
どんな噂が駆け巡ることになるのか考えるだけで憂鬱だが仕方ない。




