2. 最強王子の『お守り』
流石に夜の冷えた屋外は立ち話には向いていない。
レリアと兄が普段暮らしている離宮の中に入ることにした。
建物全体が古ぼけてはいるけれど、きちんと掃除はされている。
一国の王太子であるユベールが過ごすには質素すぎる宮だというのに、エドガルドは特に何も言わなかった。おそらく、ユベールが置かれている立場を知っているのだろう。
食堂の古びたテーブルセットに兄とエドガルドが向かい合って座る。。
部屋を照らすのはランプではなく照明魔法。ランプより明るくてオイル代の節約にもなる。その分、この古い部屋の内装も全てはっきり見えてしまうことになるのが玉に瑕だ。昔はきっと壁紙に細やかな模様が描かれていたはずだけれど、今ではすっかり色あせてしまってその影もない。
レリアは淹れたばかりの紅茶を兄とエドガルドの前にそれぞれ置いた。もともと兄のために練習したので、紅茶を淹れるのはそれなりに得意だったりする。来客が久しくなかった離宮だが、一応カップは四セットあって助かった。
「そこそこの茶葉だけどね。レリアが淹れた紅茶はおいしいよ」
兄の言葉に促されるようにエドガルドがカップを手に取ったので、レリアは思わず緊張してしまう。カップから口を離した後エドガルドがうなずいたので、それなりに気に入ってくれたのだろうと思いたい。
自分の分の紅茶のカップを持って、レリアは兄の隣に座った。
「それで、お兄様。大切なお話というのは?」
レリアは緊張しながら、エドガルドと兄の顔を交互に見る。
おもむろに口を開いたのは、ユベールだった。
「レリア。君にエドの『お守り』としてアブストラートに行ってほしいんだ」
(どういうこと?)
「アブストラートに行ってほしい」はまだわかる。だが、『お守り』とは?
兄の真意がよくわからない。
でも、これが兄の頼みなのだとしたら、レリアの返す答えはただ一つ。
驚きを呑み込んで平静な顔をつくると、レリアは言った。
「承知しました」
「待てっ」
あっさりとレリアが承諾したことに驚愕したのはエドガルドだった。どん、とテーブルに両手をついて立ち上がる。
「君はそんなに簡単に返事をしていいのか? ユベールの言葉は確実に説明が足りないだろう」
「疑問はありますけど……でも、お兄様が私にお願いするなんて初めてのことですから。以前からお兄様の頼みは、私にできることである限り何でも引き受けようと思っていました」
焦った様子のエドガルドに視線を向けたレリアは、なんてこともないように回答する。紛れもなくレリアの本心だった。
「それに、お兄様が私に持ってくる話が悪い話なわけがありません」
「そうかもしれないが。だが……」
きっぱりと断言するレリアにエドガルドは何かを言いたげだったが、結局何も言わずに椅子に座った。
レリアは隣に座る兄に向かって尋ねる。
「それで、お兄様。事情を説明していただけますか? さすがに『お守り』と言われても意味がわかりません」
「もちろんだよ。じゃあよろしく。エド。『お守り』についてレリアに教えてあげて」
ユベールはにっこりと笑うと、華麗にエドガルドに丸投げをする。
「全くお前は……」
はあ、と顔を押さえてため息をついたエドガルドだが、頭を上げるとレリアに問いかけた。
「レリア姫。君は、我が国アブストラートのことをどれくらい知っている?」
アブストラート王国はアウロラ大陸の四分の一を占める非常に面積の広い国だ。もっとも、国土の三分の一は険しい山で、人が住めるところは少ない。だが、その険しい山には多くの鉱石が眠っていると言われている。
そんなアブストラートの一番の特色は、その民の多くが、大昔に滅んだ魔族――魔法の扱いに長けた亜人――の血を引いていることだ。それもあって、正式な国交を結ぶ国は少なく、大陸では少し特殊な立ち位置にある。魔力の高い人間が多いこともあり、軍事力は大陸で一、二を争う。
レリアは知っていることを述べる。引きこもっているからこそ、近隣諸国についての勉強はしっかりと行っていた。
エドガルドも、そしてユベールも満足そうにうなずいていたので、どうやらレリアの知識は合っていたらしい。ほっとする。
「姫の言った通り、我が国の民は魔族の血を引いている。そして、俺は特にその血が濃い」
「そうなんですか? その、失礼ですがエドガルド殿下は普通の人間に見えるのですが」
思わず口にしてしまったのは、魔族には黒髪の他に角とか牙とか黒い翼とか人間とは異なる特徴があったと伝承に残っているからだ。実は牙が生えてくるとか、そういう秘密があるのだろうか。
レリアの質問にエドガルドは苦笑すると、しばしの間考えてユベールを見た。
「外見的特徴ではないんだ。具体的に言うと……見てもらうのが早いか。ユベール、頼む」
「えー。気が進まないなあ」
「ユベール」
「わかったよ。確かにこの目で確かめてもらうのが一番だ」
おもむろにユベールは呪文を唱え出す。
レリアは慌てた。ユベールはシランドルでも五本の指にはいる魔法師だ。直撃したら命が危ない。
「お兄様。一体何を」
止めようとしたが遅かった。ユベールの手から風の刃が生まれて、エドガルドにまっすぐ向かう。しかも、エドガルドはそれを右手で受け止めるつもりのようだった。
そんなことをしたら、確実に手の平は血まみれになってしまう。
なのに。エドガルドは平然と向かってきた風の刃を手で握りつぶした。
「――っ」
レリアは思わず顔を歪めながら目をつむる。
彼のやったことは、ナイフの刃を手でぎゅっと握るのと同じ行為だ。
「姫。そんな顔をしなくても、俺は平気だ」
優しく語りかけるようなエドガルドの声がして、レリアは恐る恐る目を開けた。
「ほら。どこも怪我をしていないだろう?」
エドガルドはレリアに右手の平を広げて見せた。騎士らしくごつごつとした手だけれど、そこに風の刃に切り裂かれたような傷口はない。
レリアは目を瞬く。兄は確かに風の刃の魔法を唱えた。空気を切り裂く音も聞こえた。友人相手に威力を落としたのだとしても――見た目上そうはとても思えなかったが――、エドガルドはそれを握り込んだのだ。無傷なんてあり得ない。
驚くレリアに、エドガルドが申し訳なさそうな顔をする。
「驚かせてすまない。実際に目にした方がわかりやすいと思ったんだ。――俺は魔族同様、魔法耐性が高い。要するに普通の魔法は効かないんだ」
そんな馬鹿なと言いたいところだが、自分の目でしっかりと見てしまった以上信じるしかない。レリアは神妙な顔でうなずいた。
「わかりました。ちなみにこのことは?」
「特に隠しているわけでもない。アブストラート国民なら大半が知っている」
どうやら国家機密というわけではなさそうでほっとする。
「我が国ではもてはやされるこの体質だが、正直いいことばかりじゃない。攻撃魔法も効かないが、治癒魔法も効かないんだ」
その言葉にレリアはあっと小さく息を呑んだ。
魔法が効かないのはこれ以上ない強みにも思えるが、弱みにもなる、ということか。
治癒魔法はすごい使い手だと、心臓が動いてさえいればどんな傷でも治療することができるという。失われた腕を復活させる、なんてことも可能らしい。
それが不可能というのは、かなりの痛手ではないだろうか。
エドガルドは騎士だ。騎士であればなおさら怪我の危険性も高い。
「そこで君の出番になる」
「どういうことですか?」
エドガルドの言葉がさっぱり理解できず、レリアは首をかしげる。
エドガルドは言った。
「――精霊術だ。君はそれが使えると聞いた」
まさか、家族以外の口から精霊術という言葉が出てくるとは思わなかった。
思いがけない言葉に、レリアは目を丸くする。
精霊術は決して秘術というわけではない。ただ、廃れてしまって誰も気にもとめないだけだ。
兄だって、聞かれた答えるくらいのことはしただろう。けれど。
「でも、精霊術は人間には効かない、と」
精霊術を教わったとき、母が実際に見せてくれた光景を思い出す。赤々と燃える炎の球。それに触っても全然熱くなかった。そしてそれはレリアが作った炎も同じだった。
「――だが、おそらく俺には効く」
エドガルドの口調には確信があった。
「君も知っているだろう? 精霊術は、もともとは魔物を倒すためのものだった。人間には無効だが、魔族には非常に有効だ。そして、魔族も生き物としては魔物に近い」
「つまり、精霊術ならエドの怪我を治せるかもしれない、ってこと」
ユベールの補足に、レリアははじかれたようにエドガルドを見た。エドガルドの琥珀色の瞳はこちらにまっすぐに向けられている。
「ちょっと今、エドの周りがゴタゴタしていてね。だから万一の事態が起こったときのために『お守り』として君に彼の側にいてほしいんだ」
「ゴタゴタ、ですか」
「アブストラートは現在王太子が未定なんだよ。エドは王になる気はないらしいんだけど、そう思っていない人間もいてね。まあ、まだ具体的にエドの身に危険が迫っているわけではないんだ。そもそもエドは一部では大陸最強なんて言われているくらい強いしね。でも、万が一ってこともあるから、精霊術の使い手である君に側にいてほしいんだ。だから『お守り』。そんなに身構えなくて大丈夫だよ」
ゴタゴタという話でレリアがひるむと思ったのか、ユベールの説明を聞きながらエドガルドはどこか苦い顔をしている。
だが、ある程度身の安全が見込めるからこそ、兄はレリアに話を持ってきたのだろう。そうでなかったら、ここまで話は下りてこなかったはず。
「期間は状況が落ち着くまで、そうだな一年くらいかな。未婚の王女が隣国の王子の側に理由もなく侍るわけにはいかないから、エドの婚約者として行ってもらうことになる」
(婚約者……)
確かにそれが一番自然だろう。役目が終わったら婚約を解消すればいい。二度目の婚約解消となってしまうが、まあ、その辺りは兄が考えてくれているはずだ。
見れば彼はユベールの方を向いて驚いた顔をしている。
「私はかまいませんが、エドガルド殿下はそれでかまわないのでしょうか?」
レリアに水を向けられたエドガルドは、こほん、と咳払いをしてから答える。
「俺は――その、君がいいのであればかまわない。そもそもこちらの頼みだからな」
意外だった。あの驚きようから、てっきり嫌なのかと思っていた。
エドガルドも了承するのであれば。レリアは兄とエドガルドを交互に見た。
「最初に申し上げた通り、私もアブストラートへ行くことに異論はありません。ただ、懸念があります。私は精霊術といっても、初歩の術しか使えません」
レリアに期待されるのは、治癒術や毒に効く浄化術だろう。治癒術は一応簡単なものが使えるはず。はず、というのは実際に傷を治したことがないからだ。何せ普通の人間には効かないので試す相手がいない。
「我が国には精霊術を使える者はいないが、精霊術の研究者ならいる。彼に教わるといい。だが――本当にいいのか? 危険かもしれない」
エドガルドが心配そうにレリアに尋ねてくる。
「かまいません。それが私の出来ることでしたら」
レリアは迷いなく即答する。レリアは兄の選択を全面的に信じている。
「そうか……」
エドガルドの歯切れが悪いのは、一時的にも婚約が結ばれるからだろうか。
婚約解消となるとどうしても女性の方が傷は大きくなる。そこを気にしているのかもしれない。
レリアはエドガルドに笑いかける。
「婚約のことでしたら気になさらないでください。どうせ二度目ですし、お兄様がその辺は考えてくださっていると思いますので」
二度目、と言う言葉にエドガルドが苦い顔をする。だがすぐに視線をユベールへ向けたレリアは気づかなかった。
「――それよりも、お兄様。この件、国王陛下やドロテ妃がすんなり許してくれるでしょうか」
社交の場に出たことがないとはいえ、レリアは一国の王女だ。さすがに黙って隣国の王子と婚約を結ぶわけにはいかない。国家間の問題になってしまうし、何よりドロテ妃が兄につけいる隙を作ってしまう。
アブストラートはアウロラ大陸で特殊な立ち位置とはいえ、大国と言っていい。しかも相手は年齢的にもつり合いがとれた第三王子。この婚約は悪い話ではないのだ。無能王女にとっては、望外といってもいい。
ドロテ妃が、レリアをそんな相手にみすみす嫁がせるとは全くもって思えない。そして、陛下はドロテ妃に頭が上がらない。ドロテ妃が黒と言えば最終的に白いものも黒くしてしまうのが陛下なのだ。
「それは気にしなくて大丈夫だよ。僕から伝えておく」
兄は自信ありげだ。勝算があるのだろう。だったら任せておけば心配ない。
「――それでは、エドガルド殿下。よろしくお願いいたします」
レリアは向かい側に座る婚約者(予定)に深々と頭を下げると、エドガルドは真剣な顔でうなずいた。
「ああ。よろしく。レリア姫」




