26. 朝食で一悶着
「おはようございます。お姉様」
翌朝。レリアはいつも客用の食堂で朝食を取っている。エドガルドがやってくることもあるが、彼は騎士団の方に詰めているも多い。今日は、というか最近は後者だ。
朝食の場に現れたヴィオレーヌを見て、レリアは言葉を失った。
何故、彼女がここにいるのだろう。彼女は部屋で食事を取るはずではなかったのだろうか。そもそもヴィオレーヌの客室はこの食堂があるエリアとは全く違う。
レリアは後ろに控えていたテレーザを見るが、テレーザも何も知らないようで首を振る。
「何故ここに? クレト殿下は?」
「クレト殿下はお疲れのようでまだお休みです。お姉様に会いたいと申し上げたら、ここで食べるとよいと勧められました」
にこりとヴィオレーヌが微笑む。本当に微笑みだけは愛らしい。おそらくヴィオレーヌにそう提案した人間は、百パーセント善意だったのだろう。
姉妹の確執が他国に伝わっているわけがない。そもそも『シランドルの至宝』ヴィオレーヌは、アブストラートに来て以降、姉思いの妹を演じているのだから。
そう、と短く答えると、レリアは席に着いた。ヴィオレーヌと向かい会う形になる。シランドルでだってこうして一緒に食事などしたことがないのに、何の冗談だ。
食事が並べられる。柔らかそうなパンも、みずみずしいサラダも、カリカリに焼かれたベーコンと卵焼きも、いつもなら食欲をそそるのに、今日に限っては食指が動かない。
ヴィオレーヌは優雅にナイフとフォークを操っている。
「あんなにエドガルド殿下が素敵なお方だったなんて知りませんでしたわ。お姉様が強引な手段で手に入れられたのも無理はありませんわね」
どうやらまだヴィオレーヌはレリアが身体でエドガルドを籠絡したという設定を続けるつもりらしい。ヴィオレーヌについていた使用人が軽く目を見張る。
「本当にうまくやりましたわね。お姉様。お姉様はエドガルド殿下が王太子になることを知っておられたの?」
「知らないわ。あと、私はともかくエドガルド殿下の名誉を貶めるようなことを言うのはやめてちょうだい」
ヴィオレーヌが父そっくりの目を見開く。
おそらく今までレリアがあまりヴィオレーヌに反論したことがなかったからだろう。
が、すぐに悲しげに目を伏せた。
「ひどいわ。お姉様。私は事実を言っただけなのに」
「それが違うと言っているの。私を貶めるのは百歩譲って我慢するわ。あなたが口にしている事実無根の話は、エドガルド殿下をも貶めることになるの」
「事実無根だなんて。口ではどうとでも言えますわ」
どうしても設定を崩したくないようだ。相手にしていられない。
クレトも婚約者ならヴィオレーヌの手綱を握っていてほしいと心底思う。
もっとも――ヴィオレーヌとクレトではクレトが尻に敷かれるのがオチだろう。
昨日見た二人が並ぶ光景、圧倒的にヴィオレーヌの存在感が勝っていた。
もともとあの男に主体性というものはない。自国では魔法騎士としてそれなりの地位があると言うが、政治には関わらせてもらえていないと以前ユベールが言っていた。
もちろん、エドガルドのように意図的に関わらない道を選ぶこともあるが、クレトの場合はそうではないらしい。
レリアはヴィオレーヌを無視することに決める。
何を言っても異母妹には響かないのは経験済み。自分の都合のいいことしか理解しようとしないのだ。
少しでも早くこの場を去るため、レリアは無理矢理食事を詰めこむ。
「エドガルド様!」
ヴィオレーヌのぱっと明るい声に振り返ると、そこにはエドガルドの姿があった。既に騎士の制服に着替えている。
「――何故、君がここにいる?」
エドガルドがヴィオレーヌの姿を目にとめて眉をひそめる。当然だ。エドガルドはレリアの事情を知っていて、二人が必要最小限しか接触しないように采配してくれたのだから。
ヴィオレーヌは『シランドルの至宝』と呼ばれるまばゆい笑みを作った。
「久しぶりなので、お姉様と交友を深めようと思いましたの。なのに、お姉様が私に意地悪ばかり言うんです。私は事実しか口にしていないのに」
「……」
その「事実」とやらは遠回しにエドガルドを貶めるものだったにも関わらず、ヴィオレーヌは彼を味方に付けようとしているらしい。
エドガルドはわずかに顔をしかめつつも黙って聞いている。その表情がレリアに向けられるものだと思ったのだろう。ヴィオレーヌはだんだん興に乗ってきたのか、さらに大げさな口調で続けた。
「聞いてくださいエドガルド様。お姉様、ひどいんですよ。エドガルド様はこんなに素敵な方なのに、私たちに『魔族の血が濃くて化け物のよう』とか『黒い悪魔と呼ばれる残虐な人間』と言って縁談を渋っていたんです」
シランドルでは、ヴィオレーヌがこのように訴えるだけで誰でも彼女の言うことが「正しい」と認められた。もちろん、エドガルドがヴィオレーヌの言うことをすんなり信じるとは思わないけれど。それでも一抹の不安がある。
ヴィオレーヌは青色の瞳をうるりとうるませた。
「エドガルド様。今ならいくらでも取り返しがつきます。そもそもお姉様は魔法が使えない無能王女です。お姉様の我が国での評判は目も当てられません。私もお姉様にたくさんいじめられました。王太子殿下になるエドガルド様ならお姉様以外にも素晴らしい女性がたくさんいますわ。手遅れにならないうちに――」
「もうそれ以上はいい」
「エドガルド様!」
レリアに対する非難をエドガルドが継いでくれると思ったのだろう。ヴィオレーヌがぱっと顔を輝かせる。
まさか。レリアの目の前が一瞬真っ暗になるが、それは杞憂だった。。
「レリア。それで実際の俺はどうだった?」
エドガルドは座っているレリアの後ろに立つと、レリアの肩にぽんと手を置いた。声音はどこまでも柔らかい。
思わず見上げると、視界に映ったエドガルドの琥珀色の瞳が甘く濃くなっていた。
「自分でも評判が悪いのは自覚しているからな。君が実際の俺を見て認識を改めてくれたのならばそれでかまわない」
「そ、それはもちろん」
「それは光栄」
そう言ってレリアの頭頂部に唇を落とす。かっとレリアの顔が赤くなった。
そして、別の意味でヴィオレーヌの顔も赤くなっていた。――怒りで。
エドガルドがヴィオレーヌに向かってすっと目を細める。
「ヴィオレーヌ殿。言っておくが、あることないこと俺に吹き込もうとしても無駄だ。俺は自分の目を信じる。人の話を鵜呑みにして惑わされることはない。そもそもどこまでが本当かも疑わしい」
エドガルドの声は非常にひんやりとしていた。そこに先ほどレリアに向けられていた甘さはまったくない。
「……信じられない」
ヴィオレーヌからようやく出てきた言葉がそれだった。
「せっかく人が善意で忠告をしてあげているのに。後悔しても知りませんわよ」
「むしろ君の言葉を信じて婚約解消をする方が後悔する」
「姉は魔法が使えない無能です!」
「アブストラートの人間にとってはどうでもいいことだ。普通の人間に使える魔法などたかが知れている。それに、魔法が使えないことでレリアが困るなら、俺が助ければいいだけだ。幸い魔力は山ほどあるからな。俺は俺の見たレリアを信じる」
捨て台詞に近いヴィオレーヌの言葉にエドガルドはきっぱりと言い返す。
「不快ですわ。せっかくエドガルド様のことを心配して差し上げたのに!」
ヴィオレーヌはだんと大きくテーブルを叩くようにして立ち上がると、足音荒く食堂を出て行った。優雅な王女が台無しだ。
「エドガルド殿下」
レリアがエドガルドの方を見上げると、エドガルドが微笑んだ。それからため息をつく。
「様子が気になってきたんだが……来て正解だったようだな。というか婚約者はどうしたんだ」
「まだお休みだそうです」
「役に立たないな。それにしてもユベールに話は聞いていたが、君の異母妹はなかなかのものだな。『シランドルの至宝』が聞いて呆れる」
エドガルドはヴィオレーヌに惑わされない。
うすうす気づいていたことではあるが、レリアはそれがとても嬉しかった。
ヴィオレーヌの前でレリアの言うことを信じてくれるのなんて、それこそ兄くらいしかいなかったから。ヴィオレーヌと一緒にいるといつも周囲の視線が痛かった。
「とりあえず俺の周囲にはヴィオレーヌ殿に気をつけるよう言い含めている。国王陛下や母上たちにも同様だ。そもそも、君の妹は君を貶めたいのが明白じゃないか。あんな猿芝居にだまされるのは、人のうわべしか見ていない人間だ」
エドガルドがそう言い切ると、ぎくり、と側にいた使用人の一人が身体を震わせたのがわかった。でも、レリアとしては仕方ないと思う。ヴィオレーヌの外見は、はかなくて庇護欲をそそるのだ。
「ありがとうございます。殿下。とても嬉しいです」
今までの鬱屈した思いが慰撫された感覚。
エドガルドは、ヴィオレーヌがどんなに小細工をしかけようとしても動じないだろう。レリアを信じてくれる。
それだけで、ヴィオレーヌのどんな嫌がらせにも強い心を持てる気がした。
「ああ。また様子を見に来るから。食堂の件は言い含めておく」
エドガルドはレリアの頭をぽんと撫でると食堂から出て行った。
レリアは冷え冷えとしていた自分の心がぽかぽかと暖かくなっていることに気づいた。




