27. 元婚約者
ヴィオレーヌの登場で朝から気分は最悪だったが、エドガルドのおかげで持ち直せた気がする。
予定通りに妃教育を受けたレリアは、いつものようにテレーザとお昼を食べていた。
王宮の中庭には穏やかな日差しが差し込んでいる。
ヴィオレーヌたちが訪問中とはいえ、妃教育が休みのわけではない。
だが、今までと変わらないスケジュールの方が、異母妹たちの存在を意識しないで済むのでありがたい。今日の朝食は散々だったが、エドガルドが使用人たちにヴィオレーヌを勝手に入れるなと言い含めてくれたので、明日からは大丈夫だろう。
テレーザと他愛もない話をしながらサンドイッチを食べる。テレーザはよく出来た侍女なので、自分からは決してヴィオレーヌのことを話題に出したりはしない。
「いい天気ね」
サンドイッチを食べ終えたレリアは、青く澄んだ空を見上げる。
「ここまでいい天気だと、ここでずっとひなたぼっこをしていたくなりますね」
「そうね」
テレーザの言葉にのんびりとうなずく。午後の授業までは少し余裕があった。
「――こんなところにいたんだな。探したぞ。レリア」
耳に飛び込んできた男の声にレリアは思わず眉をひそめた。
テレーザの顔も険しくなる。
「何のご用でしょうか。クレト殿下」
そう。中庭にやってきたのはクレトだった。細やかな刺繍の入ったきらびやかな服を着ており、後ろには侍従らしい男が一人いる。
クレトは堂々とした足取りでレリアの方へやってくる。
レリアの声が固くなるも仕方ないだろう。相手は元婚約者。しかも一方的に破棄してきたのは向こうだ。そもそも名前を呼び捨てにする許可など出した覚えはない。
立ち上がるのも億劫だったので、ガゼボに置いてある椅子に座ったまま対応することにした。
「ここは許可された者しか立ち入れないはずですが」
クレトはふんと胸を張った。
「入るときに止められなかったぞ」
あまりにも堂々としているから守衛たちも止められなかったのだろう。
「わかりました。今ならなにも見なかったことにいたしますので、ここを出てください」
レリアはため息をつきたい気持ちをこらえながら、クレトに告げる。クレトは不思議そうに首をかしげる。
「何故出ていかねばならない? お前に用があるのだ」
「クレト殿下はここに立ち入る許可をもらっていないんですよね。ここはアブストラートの王宮です。いくら他国の王族といえども、いえ他国の王族だからこそ、許可された場所以外に立ち入ってはいけません」
なんでこんな常識を説かなければならないのだろう。頭が痛くなってきた。
「お前がここに連れてきたことにすれば問題はないだろう」
「私にはそんな権限はありません」
レリアだって客人なのだ。
「大丈夫だ。悪いことをするわけではないから。私の話を聞いたらお前も私に感謝したくなるぞ」
その思い込みの根拠について教えてほしい。レリアはこめかみをおさえたい気分になったがぐっとこらえる。代わりに言った。
「わかりました。この件は一旦置いておきましょう。それでクレト殿下は何故こちらに? ヴィオレーヌは一緒でなくていいんでしょうか」
「かまわない。ヴィオレーヌの許可は取っている。向こうも好きにやりたいようだしな」
クレトの声に少し苦みが混じっていて、おや、とレリアは思った。
絵面だけならお似合いのカップルだが、実のところそこまでうまくいっているわけではないのだろうか。
「それでお前への用だな。良い知らせを持ってきたのだ」
むんとクレトが胸を反らす。レリアの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。
「喜べ。私はお前を助けに来てやったんだ」
「――は?」
レリアの目が点になる。
「殿下に助けてもらうようなことはなにもありませんが」
(何を言ってるんだこの人は)
レリアは心の底から言ったのだが、クレトはそう取らなかったらしい。にかりと白い歯を見せて笑った。笑顔だけは爽やかだ。
「遠慮をするな」
「してません。そもそも助けてもらうような状況にありません」
「嘘をつかなくていい。レリア。お前は嫌々アブストラートに来たんだろう? ヴィオレーヌがそう言っていた。優しい妹だな。お前のことを案じていたぞ」
クレトの言葉にレリアの眉間にしわが寄ってしまう。
「そんな事実はありません。仮に私が嫌々アブストラートに来たとして、どうしてあなたの手を取らなくてはいけないのです?」
一方的に衆目の場で無能だとあげつらい婚約破棄をした男だ。
誰がそんな男の手を取ろうと思うのか。
レリアの問いかけに自信ありげにクレトが笑う。見る人が見ればかっこいいのかもしれないが、げんなりしているレリアにはちっとも魅力的に映らない。
「お前は私との婚約破棄でショックで引きこもったのだろう? それだけ私を好きだったということだ。そうヴィオレーヌが言っていたぞ!」
レリアは唖然とした。
(いや、確かに婚約破棄がきっかけで引きこもったように言われてはいるけれど……。私が好意を寄せていたと言い切れるのがすごい)
正直なところ、レリアはクレトに心を動かされたことは一度もない。
まあ、顔はいい方なのだろう。金髪に緑色の瞳。すっと通った鼻筋。口角があがった口元。だが、それだけだ。
婚約期間は数ヶ月。会ったのも片手の指ほど。事務的な手紙のやりとりをしただけで、人となりもよくわからなかった。
(こんなに話の通じない人だとは思わなかったわ)
だからといって婚約者のヴィオレーヌがかわいそうだとは全く思わないが。
「私も、お前の顔は嫌いじゃない。まあ、お前は無能だから正式な妻にするわけにはいかないが、妾なら可能だ。ヴィオレーヌもかまわないと言っている」
レリアが顔をしかめているのにも気づかず、クレトは蕩々と続ける。
レリアは頬が引きつるのを感じた。
レリアは魔法が使えないとはいえ、一国の王女だ。側妃も可能なヴェールト王国で側妃ですらなく妾とは。あまりにも馬鹿にした話だ。
ふつふつと怒りが湧いてくる。
相手は仮にも一国の王子だ。波風立てないのが正しいのだとはわかっている。
だが、あまりにもレリアを下に見すぎてはないか。
そもそもこの男、レリアにも選ぶ権利があるということを忘れていないだろうか。
「……お断りします。私があなたの手を取ることは絶対にありません」
レリアはクレトの緑の目をじっと見据えていった。
「私は自分の意志でアブストラートに来ています。十分幸せです」
「強がる必要はないぞ。レリア。素直になれ」
「十分素直です!」
「アブストラート側に脅されているのか。大丈夫だ。心配はいらない」
にかっと笑ってクレトがこちらにやってくる。
(いや、だからあなたについて行く気はさらさらないのよ!)
どうするべきか。さっさと逃げ出したいけれど、ガゼボから出るにはクレトの方に行かなければならない。
そろそろ授業の開始時刻も迫っているというのに!
そのとき、ぱっと近くにエドガルドが現れた。転移魔法だ。
「レリア。ここにいたのか」
嬉しそうに目を細めると、甘い声でレリアを呼ぶ。レリアの白い頬にそっと触れた。
「エドガルド、殿下?」
側にはテレーザもそしてクレトもいるというのに、一体どうしたというのだろう。
そもそも、転移魔法で現れること自体が珍しい。
「少し時間がきたからな。君に会いたかったんだ。いつも君はここでお昼をたべているだろう」
エドガルドはレリアの銀の髪を一房掬うと、そっと口づけた。レリアは思わず青い目を見開く。少しのタイムラグののち、ぼんと顔が赤くなった。
そんなレリアにそっと優しく微笑みかけると、エドガルドは顔を上げた。
「――クレト殿。ここにいらしたのか」
初めてクレトがそこにいるのに気づいた、とでも言いたげな口調だった。
「ここは限られた人間しか立ち入れない場所のはずだが、何か気になることでも?」
突然声をかけられたクレトは驚いたようだったが、すぐに表情を取り繕う。
「とある筋から、レリアが嫌々アブストラートに来たという話を聞いたのだが」
「事実無根だな」
エドガルドはさらりと答えた。
「クレト殿にはそう見えるか?」
エドガルドは一房掬ったレリアの髪に限りなく唇を近づけたまま、琥珀色の瞳をじっとクレトに向けて言った。その姿はどこか艶めかしい。それがまた気恥ずかしくて、レリアは頬が赤くなるのを感じる。
「……」
クレトは黙り込んだ。少なくとも、今のレリアがエドガルドを拒絶しているようには見えないだろう。
心臓がバクバクしている。
ただでさえ、最近エドガルドのことをたくさん考えてしまっているというのに。
エドガルドが平然としているのがまた悔しい。
「……いや、見えないな」
クレトが絞り出したように言う。
「わかってもらえたならいい。それよりも、クレト殿はヴェールト王国では名のある魔法騎士だとうかがっている。アブストラートの魔法騎士団の訓練に参加してみないか」
昨日の出迎えのときよりもエドガルドの愛想が良い。こんなエドガルドは珍しいのではないかとレリアは思った。
「……いいのか?」
クレトがぱっと顔を輝かせた。食いつきがいい。正直意外だった。
魔法騎士として本国ではそこそこ名を馳せているとは聞いていたが、ままごとのようなものかと思っていたのだ。
「もちろんだ。ヴェールト王国の騎士団事情も交換したい」
エドガルドは鷹揚にうなずく。その間もレリアの髪をもてあそんでいて、レリアの頬は赤く染まった。
「それはとてもいいな!」
「それでクレト殿。レリアが嫌々アブストラートに来たという話はどこから?」
さりげないエドガルドの質問に、レリアは思わず息を呑んだ。
「ああ。私の婚約者だ」
やっぱり、とクレトの答えにレリアは思う。
エドガルドは名残惜しそうにレリアの髪の毛から手を離した。
「そうか。婚約者殿には、そんなことはないと伝えておいてくれ」
「ああ。わかった。それでエドガルド殿、早く……」
クレトの興味は完全に騎士団に移行したらしい。せかされたエドガルドが苦笑する。
「じゃあ、レリア。また来るから」
エドガルドはそうレリアに向かって言い残すと、クレトを連れて中庭を去って行った。
エドガルドのおかげでやり過ごすことができた。レリアはほっとする。
なんだか、朝食時といい、今といい、エドガルドには助けられてばかりだ。
「間に合ったようでよかったです」
テレーザがほっとしたように息をつく。
王族同士の会話に侍女であるテレーザが割り込むのは難しく、ずっと黙って見守ってくれていたのだ。
「もしかして、テレーザがエドガルド殿下を呼んでくれたの? どうやって?」
「ちょっとした魔法道具です。何かあったらこっそり握れと言われてました」
そう言って、テレーザは小さな球のようなものを見せてくれた。通信機みたいなものなのだろう。
エドガルドが気にかけてくれていたことが嬉しい。けれど、テレーザに渡したことにもやもやする。
少し表情が沈んでしまったことに気づいたのか、テレーザが慌てていった。
「通信するときに魔力が必要なのです。それで私に託したのだと思います。それに、レリア様はエドガルド殿下を及びするのにきっと遠慮するだろうから、と」
「確かにそうかもしれないわね」
「まあ、さっきの件を考えると正解だったわけですが。聞いているこちらもむかむかしました。無能だなんて、こちらから見れば、純粋な人間の魔力なんて五十歩百歩だっていうのに!」
テレーザがぷりぷり怒っている。
「ありがとう。私は大丈夫よ」
「その、レリア様。一つうかがってもよろしいですか?」
「なに?」
「――婚約破棄、とあの王子が言っていましたが」
そういえば、テレーザには教えていなかったことを思い出す。レリアは簡単にクレトとの婚約破棄の経緯を説明した。
「……馬鹿ですか? 気にせずぶっとばしてやればよかったんですね」
「流石に王族相手にぶっ飛ばすと後で面倒よ」
「ですが……ただ、でも納得しました。だから、エドガルド殿下はクレト殿下を警戒していらしたんですね」
「え?」
「気づきませんでした? クレト殿下に向かうエドガルド殿下、まるで毛を逆立てた猫みたいだったじゃないですか」
テレーザの表現にレリアは目をぱちくりさせた。
「そう?」
「はい。とっても」
テレーザは真顔でうなずく。
エドガルドはレリアがクレトに婚約破棄されたことを、ユベール経由で知っている。
「レリア様はとても愛されてますね」
にっこりとテレーザが笑う。
「は、はやくしないと次の講義に遅れるわよ」
レリアは慌てて立ち上がった。照れ隠しなのがわかったのだろう。テレーザがくすくす笑いながらついてきた。




