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エピローグ

――その日は朝から、

夏の亡霊が未練がましく化けて出たような暑さだった。


秋口に降って湧いた奇襲に、

道行く生徒は一様に上着を脱いで、暑いと口にして歩く。


道端の猫は日陰に張り付き、

恨めしそうに空を眺めている。


そんな猫と同じように、

朝霧温子もまた、空を見上げていた。


降り注ぐ日差しに目を細め、

朝の訪れを確かめる。


明けない夜はない。


そんなことは常識だが、それにしても、

長い長い悪夢を見ていた気がしていた。


ABYSSとの関係は、昨日の夜、

笹山晶の出した『復讐はしない』という結論で終わった。


もう、影に怯えることもないし、

危険を冒して影を覗きに行く必要もない。


実感はまだないが、それが湧き出す頃には、

ABYSSの記憶自体が風化してしまっているだろう。


それはそれで、

好ましいことなのかもしれない――


そんなことを思っていたところで、

この時間には珍しい顔にばったりと出くわした。


挨拶を交わすと、小動物のようなクラスメイトが、

にっこりと笑いかけてくれた。


「朝霧さんって、

毎朝こんなに早いの?」


「いや、今日はたまたまかな。

羽犬塚さんは?」


「私もたまたま。

死体作家が出てね、新聞部のお仕事があったから」


「ふーん……まあ、ほどほどにね。

今は部活動自粛の通達が出てるんだし」


はぁい、という羽犬塚の素直な返事。


この子の何事にも直球な性格は、

見ていて非常に好ましかった。


「そういえば、

爽ちゃんってまだ帰ってないの……?」


と思っていた矢先に、

あまり話題にしたくないことが直球で来た。


「先週の金曜日からだったよね?

連絡とかもないのかな?」


「うん……」


「そっかぁ……早く見つかるといいね」


……このABYSSの爪痕は、

決して消えない傷だろう。


ただ、消えないだけで、

癒えないわけではない。


何より、温子は一人ではない。


晶と一緒であれば、傷がまだ新しい今でも、

痛みはある程度和らいでくれる。


今はまだ痛いが、

せめて泣かない程度には頑張れる。


「あのねっ、朝霧さん」


それに――彼だけではない。


「私、新聞部で色んな話を聞けるから、

手伝えることがあったら何でも言ってね」


「爽ちゃんのこととかも、

分かったらすぐに教えるから」


「そうか……ありがとう」


彼女の友達もまた、

寂しさを埋めてくれる。


一年ほど前の独りだった温子とは違う。


そう考えてみると――笹山晶との関わりは、

彼女の人生で最も幸運だったのかもしれない。


いや。


少なくとも、

温子はそう確信していた。


「じゃあ、私も羽犬塚さんに、

何か恩返しをしなきゃだな」


「あ。じゃあ今度、

進路について相談してもいい?」


「いいよ。時間ができた時に

声をかけてくれればいいから」





「どーよ! この俺の完璧な作戦!

あの朝霧もこれでイチコロよ!」


「あれ? この声って……」


「……三橋くんだね」


教室の中から聞こえて来る声を聞く限り、

また何かを企んでいるんだろうか。


「朝霧さん、イチコロなの?」


「さてね、どんな計画なのやら。

せっかくだから、本人に聞いてみようか」


「あ、面白そう」


無邪気に笑うクラスメイトへ

にんまりと笑顔を返して、二人で教室へ入る――





「しかしだな、

私利私欲のために笹山を巻き込むというのは……」


「何言ってんだよ。笹山も朝霧も、

最終的には俺に感謝するに決まってんだ」


二つの名前が出て来たところで、

温子は大体どんな作戦なのかを看破できた。


が、あまりに下らない上に、

それはもう別な意味で達成されてしまっている。


それだけに、

笑いを堪えるのが大変だった。


それでも、副委員長の威厳でもって、

どうにか素知らぬ顔で三橋の肩を叩く。


「げげーっ! 朝霧!?」


「おはよう。

一体、何の話をしていたんだい?」


「あー……いやー、それがだな。

宇治家の幸せ家族計画を……」


「お前、もう少し

まともな言い訳しろよ……」


「家族計画で、

朝霧さんがイチコロなの?」


「な、なにィー!?

何故それを知っているはいぬー!?」


「さっき、

廊下で聞いたから……」


「というわけで、どう私がイチコロで、

どこに晶くんが関わって来るのか教えてもらおうか」


後ずさる三橋。

それに近づく宇治家。


その先の出方を窺っていると、

二人はアイコンタクトで何やらを取り決めて――


「三十六計逃げるにしかずぅううう!」


僅か二秒のうちに、

教室から逃げ出していった。


「……やれやれだね」


困った顔で、

温子が羽犬塚へと笑いかける。


その言葉とは裏腹に、

全く不快な気持ちにはならなかった。


むしろ、ようやく日常というものに触れた気がして、

清々しい気持ちですらあった。


随分先になるだろうと予測していた実感が、

まさかいきなり得られるとは。


案外、思っているよりも早く、

傷は癒えるのかもしれない。


そんな予感を覚えつつ、

温子は教室の窓を開けた。


入って来る風の気持ちよさを楽しみながら、

窓の外を眺める。


さて、晶くんが登校してきたら、

まずは何を話そうか――




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