17 獣の花嫁
日常が、戻っていた。
エルファたちの群は、実質、解体した。
あの騒動に関わった女の子たちは、全員ガウスに目を付けられた雌として街の住人たちに認識された。今まで私にちょっかいをかけてきた獣人のお姉さんたちと同じように。……もしかしたら、それ以上に。
「ホント、ばかな子たちだねぇ……」
町の片隅を怯えながら歩く一人を見て、お店のおばさんが、ぽつりと呟いた。「ミーナが番なのが、なんでわからなかったのかねぇ」と。
獣人でも、獣性の高さで常識さえもずれることがあるのだと知った。いや、普通ならあり得ない認識の誤差だったとも言える。ガウスの見た目と獣性が正反対だったが為に、起きた不幸だ。
彼女たちは、もう私に手を出すことは出来ない。本能的に私についているガウスの匂いで怯えてしまうようだ。
エルファは兄とともに街を出たと聞いている。
縄張り意識の強い獣人も少なくない。落ち着いた先で受け入れてもらえるまでは苦労するだろう。
今まで数回あったことだけど、今度は人数が多かったから、ちょっとした騒ぎになったようだ。私の耳にわざわざ入れるような獣人たちはいないけど、ちょっと私を怖がる雰囲気があるから、そういうことだろうと思っている。
あの日、ガウスが助けにくることが出来たのは、エルファが獣と接触していた話を聞いて、警戒して私を探していたかららしい。
こうして私は守られているのだと痛感する。
話し合いで解決したのなら、きっと私は同じ危険を何度も経験する事になるのだろう。
だからガウスは、私に手を出した者達に必ず見せしめを行う。その行為を非難する者はこの町にはいない。彼らは人間ではない。力で制圧するのが常識なのだと、今回もまた思い知る。
ガウスを敵に回したくない獣人は、彼女達を番に選ぶことはないだろう。少なくとも今は。
いい雄と番う、能力の高い子を産む……それは、この世界でのステータスだ。上位の雌としてちやほやされてきた彼女たちには、ひどくつらい制裁となるだろう。彼女たちの扱いは、今までよりかなり低い物となるのは間違いない。
けれど、この世界で、上位者に逆らうということは、そういうことなのだ。
私はそれを恐ろしいと思う。
力で全てを解決するこの世界は、何度直面しても恐ろしい。
もう手出しされなくなるという意味では、よかったと安心する反面、その安全はガウスによってのみ保証されているのだ。いつ自分が同じところに転落するかもわからない恐ろしさが、常に存在する。私の思う正しさが通用しない世界だということが、とても恐ろしい。
この世にも秩序はある。けれど、それがひどく曖昧でもろいこの世界だから、私は怯えながら生きるしかない。私は自分が最低辺だと知っているから、ガウスの威を借りて、その庇護から出ないように生きていくのだ。
理不尽な世界だと思う。でもこの公平さのない世界で力のない者が生きるということは、それに慣れるより他、ないのだろう。
私を見て嘲笑っていた彼女たちは、もういない。
それを横目で見て、そして、私は逃げるように背を向けた。
ガウスの番となった日常は、だいたいがいつも通りだ。
でもほんの少し、変わったこともある。
ガウスの過保護なところは変わらないけど、ちゃんとわかりやすく女性扱いもされるようになった。そんな些細な変化が、私ちゃんとガウスの番なんだなぁって実感がわいて、うれしかったりする。
だって、ガウスが私のこと好きな前提で話をしても、ガウスが否定しない。子供扱いしてごまかしたりもしない。
それが、うれしくて照れくさい。
マーキングするときなんて、尚更だ。行為自体は今までと変わんないけど、意味が変わったせいで以前よりも気恥ずかしかったりもする。私だけ意識してるんじゃなくって、ガウスも、そういう意味でマーキングしてるってわかるから。
いつものようにべろりと首筋を舐めるガウスに、えいっと抱きついて、照れくささをごまかすように笑う。
「ガウスがロリコンで良かったよ」
「ちがうっ」
けらけらと笑う私に、ガウスが黙らせるようにそのまま首筋に噛みつく。
「痛いって」
笑いながらグリグリと頭をこすりつけてごまかす私に、ガウスがむっつりとした表情で溜息をついた。
「わかってるよ。ガウスが獣で、私がヒトだからだよね。百パーセント同士だったら、一番相性がいいもんね」
「そんなんじゃねぇよ」
困ったようにガウスが頭を掻いた。
いや、そんなん以外、ないでしょう。そこはわかってるから、ごまかさなくても良いのに。
「……じゃあ、もし私と同じように渡ってきた、もっとかわいい子が一緒にいても、ガウスはその子に惹かれなかった?」
「だから、人間だからってだけで、お前を選んだわけじゃねぇよ」
「え?! そうなの?! え、じゃあ、……拾ったから、情が移った、とか?」
おそるおそる呟いた言葉に、ガウスが苦笑した。
「んなわけあるか」
「だって、ガウスが私を選ぶ理由が、ヒト百パーセント以外、思い当たらないよ」
抱きついたまま唸る私に、ガウスが苦笑してガシガシと頭を撫でてくる。
「惚れた腫れたに、理由つってもなぁ……」
「惚れ、た……?」
思いがけない言葉を言われて、私はぽかんとガウスの顔を見上げる。
それ、は、本当に、ロリコン、なのでは……。
うれしい、けど、からかいづらくなってきたぞ、とか、なんか頭の中がごちゃごちゃしてると、ガウスが私を抱き上げて頬をすり寄せてくる。
私もそれに頭を寄せて、抱きしめられるまま身を任せて、ガウスの声だけに耳を傾けた。
「こればっかりは、人間とは感覚が違うとしか言いようがないな。俺はな、よくも悪くも獣なんだよ。お前はガキだったがな、見付けたとき、本能的にお前は俺のだと思った。あの感覚を、人間が理解するのは難しいだろうよ。だが、それでもお前が俺の求愛に応えなかったら、それで終わりだった。獣はどうしたって雌には敵わねぇ」
「……私、応えた覚え、ないよ?」
そもそも求愛された記憶がないのだから、当然だ。
けどガウスは首を横に振った。
「……お前にその気はなくても、お前が俺を信頼して家族として受け入れた時点で、俺はお前から番として認められたと認識しちまってるんだよ」
え、何それ。理不尽。いや、別に良いんだけど、勝手すぎない? ガウスだからもちろんうれしいんだけど……。
文句を言いたいような、うれしいような複雑さでなんか言いたいけど言葉が出てこない。
そんな私を宥めるように、ガウスが私を抱き上げたまま、ポンポンと背中を叩く。
「理性ではそう思ってなくても、本能でそう決まっちまったんだよ。どういう状態であれ、お前から受け入れられた事実を感じた時点で。俺を信頼して、俺から与えられる飯を食って、俺の側で眠って……理屈じゃねぇんだよ。そう感じてしまった物は、覆らねぇ。……ま、お前が応えてくれてよかったよ。そうじゃなけりゃ……」
え、ちょっとやめて、変なところで言葉を切らないで。そうじゃなけりゃなんなの。いや、そうじゃないことはないから、どうだって良いんだけど……。
なんか笑顔が固まってしまう。
「あはははは……獣だし、ね……?」
気にしてないよと、言外にフォローする。ホントはちょっと気になるけど、問題ないからよしとしよう。私とガウスは両思い。やったね! だから問題なし。たぶん。
ガウスは楽しげに身体を揺らして笑って、私の頭に顔をすり寄せる。
「この身体はもう人間じゃない。本能に支配された、獣の身体だ。どんなに姿形を人間と同じようにしても、……もう、お前と同じ理性を優先できる人間には戻れない。どれだけ、それらしく振る舞っても、根本は覆せない」
私は、息をのんだ。
「……それは……」
言いかけて、黙る。ガウスの本能がどうだとか、そんなことは最後の方の言葉で吹っ飛んでしまった。
もう人間じゃない。人間には戻れない。
ガウスは、そう言った。まるで、昔は人間だったかのような言葉。
私はそれをどう受け止めたら良いのかためらう。
でも、ガウスが昔は人間だったのだとしたら、腑に落ちる。
確かにガウスが完全な獣だとしたら不自然過ぎるということに気付いた。
ガウスは「人間」を、理解しすぎていた。この世界に「人間」はいないのに。
ヒトですら、私の人間らしい性質を理解出来ないのに、全くの獣であるはずのガウスは、私の性質を詳しすぎるほどに理解していた。今まではそれを、人間に限りなく近いヒトだから不思議に思ったことがなかったけれど。
でも実際は、ヒトどころか、最も遠い、決して混じり合えないはずの獣だ。
だとしたら、どうしてガウスはこれほど人間に理解があるのか。
答えが垣間見えたが、ガウスはそれ以上言う気はないようだった。
ガウスは強ばった私の身体を軽く揺すって、はははっと軽く笑い飛ばした。
「そういう意味では、万が一お前の世界からまた人間がやってきたところで、番をお前に定めちまってる俺が、今更目移りすることはないって事だ。狼は、一生一匹の雌と番うんだよ。雌が死んだ後も、後添いを取ることはない。理屈をいくら並べて、お前のどこがいいっつーよりも、番がお前だから、お前しかいないって事だ。仮にもしお前じゃなくても惚れていたかもしれねぇが、そんなことは二度と分かんねぇって事だよ。今更覆らねえんだから諦めろ」
ほんの少しだけ与えられたガウスの過去は、いとも簡単にごまかされる。
私はふと、自分がこの世界に落ちてきた七年前を思い出す。
混乱していた私を、ガウスは理解してくれた。もしかしたら、それが出来るほど、ガウスにも色々あったのかもしれない。
そんな話は、まだ、私には言えないのかもしれない。人間から獣に変わったのだとしたら、きっと相当大変だったはずだ。……きっと言葉にするのが、苦しいぐらい。
私だって人に言うのは苦しい。あの時の苦しさを知っているガウスにだって、わざわざ話すのは、しんどい。思い出すだけで傷口を抉るような作業になる。
でも、いつか、その頃の話を聞けたら良いな。
そのときは、私も話そう。いっぱい二人で話をしよう。
でも小出しにされてちょっともやっとしたから、ガウスのごまかしに乗っかりつつも、文句を言ってみる。
「……それ、番のことが好きって事で、私のことを好きと、違うくない……?」
「人間の感覚では違うかもな。ま、最初にお前を選んだのが俺の意思って事で我慢しろ」
「なんか理不尽!」
抱きついたまま、ぽふぽふと背中を叩いてみる。うまく力が入らないから、ガウスはくくっと喉を鳴らして笑うばかりだ。
「諦めろ。獣の本能は絶対だ。もう俺はお前以外考えられねぇ。俺はどこまでも獣だからな。……大体な、お前だって似たようなもんだろ。俺が守ってた刷り込みだろうが」
「うぐぅっ」
違うとは言い切れない。
だって、その延長線上に今の気持ちがある。最初はただのおっさんだったのは間違いない。最初に刷り込みがなかったら……って考えても、今更それをなかったことにはできないし、理由はどうあれ、好きな物は好きなんだし。
……そっか。それを言うのなら、ガウスもそうなのか。
理由はどうあっても、好きな物は好きなんだから、変わらないのか。
考え込んで唸っていると、ガウスが私をひょいと抱き直した。しがみついていたのが簡単に外されてしまった。
不満たらたらで睨みつけていると、そんな私を見てガウスがふはって笑った。
「ほら、ぶーたれてないで、お前も俺に匂い付けとけよ」
ガウスが、ホラっと舐めやすいように首をかしげる。最近は私も番らしく、ガウスにマーキングをするようになったのだ。
この雄には番がいますよーって。
いつもならぺろりとなめるぐらいだけど、今日はむかついたから、がぶっとガウスの首に噛みついてやる。割と強めだ。歯形がついてるかも。
なのに痛がりもせず、ガウスはうれしそうに笑うのだ。
「俺の嫁はなかなか刺激的だな」
挙げ句、うっすらと歯形のついた首を楽しげに撫でながら私にキスして「上出来だ」とまぶしそうにこちらを見て微笑むのだ。
「~~~~!!! キスした!!」
「なんだ? 俺の番に、俺がキスするのは当然だろう?」
最近されるようになった番扱いに、私はどうしようもなく照れてしまって、一瞬で顔が熱くなっってしまう。
「ファーストキスぐらい、ロマンティックにしたかった!!」
「お前、絶対ガチガチに緊張するヤツじゃねぇか」
「そうですね!!!!」
「何回もするから、さっさと慣れておけ。狼はそういうもんだ」
そう言って怒っている私の唇にまた軽くキスをした。
狼はスキンシップが多い。それは知ってるし、思い出せばガウスも昔からそうだった。
そうなんだけど!! 舐められても、頬ずりされても、キスは別!!
「番になってから今までしなかったのに!!」
「ちょっとずつ、番らしいことを増やしていくから、さっさと慣れろ」
しれっと言うガウスに、私はしばらく言葉を失ってから、怒鳴った。
「よろしくお願いします!!」
ちょっとずつは重要だと身にしみたんだから、仕方ない。
ガウスが、声を上げて笑った。
私は、望んでこの世界に来たわけじゃない。
この世界は、私には厳しすぎて、怖い気持ちはきっと一生持ち続けるのだろう。
でも、今はもう、ガウスがいる限り元の世界へ戻りたいと思うことは、きっと、ないんじゃないかなって思う。
パパ、ママ。
私はもう大丈夫だよ。心配しないでね。私は幸せだよ。
この日、この世界へ来て初めて、私は心の中で両親に幸せの報告をした。
楽しんでいただければ、嬉しいです。




