浮島
オレは呼吸を整え、水晶球を見つめた。
せめて、ハーティー・ブレスの本名ぐらいカイザーに教えておきたいし、オレも知っておきたい。
負けたままではいたくない。
「ヴァーユ・アカシャス・プリティヴィ。アバス・ヴァーユ・プリティヴィル」
水晶の奥がぶれる。水晶を通して『闇の瞳』を制御する。呪文を幾度も唱え、精神を統一させる。
そう何度も逃げたりはしない。知りたかった。
殺すしかないのだろうか? 死しかないのだろうか?
貪欲さを示した者が助かる道は。それにカイザーは貪欲さを示すとは限らないのではないではないか。なら、生き残る手段は父である彼らが種にあってもいいはずだ。
逃げない。
いくら捜索し辛い場所であっても押し勝って見せる。
手始めにハーティー・ブレスの情報を引き出す。絶対に。
ピンっと張った糸に触れたかのような感触に背筋が総毛立つ感覚を味わう。
『…………ク・ハティシェリック・ゲイレスティオ・ブレシィス・ブラインドロード』
思考のうちに流し込まれた長い名前。
瞬間的にそれが『ハーティー・ブレス』の名だとわかる。
ご親切にも知りたがっていたことを用意してくれていたのだ。
悔しかった。こんな悔しい思いをしたことは初めてのような気がする。『エダス』は確かにオレを子供として扱った。言葉と態度で。
この浮島の王は力でオレを子供扱いしたのだ。何よりも実力で。
悔しかった。オレは最強のドラゴンのはずなのに!
オレはドラゴン族最強の『皇』であるのに! 悔しい。
シンや兄がいたならば100年もたてば浮島の王にも勝てると言ってくれただろう。
確かにオレは玉子のからを破って1年にもならない子供だ。
子供だ。だがドラゴンだ。情けをかけられるほど弱い存在ではない。
すでに、とっくに精神統一は解けている。悔しかった。
そんな時、『アスカ』の玄関のノッカーが弱々しく控え目に叩かれた。誰が動くよりも先にオレがその扉を開けた。気分を変えたかった。
扉を開けると水が吹き込んできた。初めて見るがこれがきっと雨だろう。
顔を下に向けるとエリコがいた。
「エリコ、どうしたんだ?」
オレの問いに答えるより早くエリコはオレを外へひっぱり出した。
「ごめんよ。ヴィール、頼みがあるんだ。地下室でいいからちょっと入れてよ。あ、おれのことじゃねーぜ」
路地の角に雨に濡れたひとつの物体。うずくまった人間がいた。
「まだ、生きているよな」などとエリコは呟きながらうずくまる人に駆け寄った。
「ヴィール、手伝ってくれよ。せめてこいつだけでもさ」
エリコに促されオレはその人を抱き上げた。軽い。ドラゴン族は力ある種族だ。それにしても軽い。きっと9才だと言うエリコより軽いだろう。
浅い呼吸、服からこぼれた傷だらけの手は雨に濡れて冷たい。意識して焦点を合せてみると昼間のスリの子だった。
「知り合いか? エリコ」
この街に生きる同じような立場の二人だ。友人同士でもおかしくはない。
でも、エリコは首を横に振った。エリコも随分濡れている。
「ちがうよ。そいつはつい最近流れてきたんだ。たぶん、おれと同じに焼け出されて行くとこがないんだと思うけど。体力なさそうだし、ほっとけなくてさ。あんたんとこなら屋根のあるとこ貸してくれるかなって思って」
オレはエリコの目を見て笑った。
いい子だ。
そんな思いがオレの心を暖かくしてくれた。
「エリコもおいで。昼間、シンがこの子のこと捻り上げてね。エリコがいた方がきっと気がついた時に怖がらないと思うから。それに拾ったのはエリコなんだから、責任はエリコにあるよ。ほら、おいでよ。拾い主」
オレはエリコを誘う時、無意識に別の理由もつけていた。そうでも言わないと断られる気がしたのだ。
雨足は強くなっている。ずぶ濡れのエリコはバシッとオレの腰を叩いた。
「んなこと言ってるより、早く行こうぜ」
そしてそのまま開いたままの扉の前に仁王立ち。オレは頷いて早足に扉の前まできた。エリコを追い立てるようにして玄関をくぐった。
2階から駆け下りてきたらしいシンにオレはぐったりした少年を渡した。
「お二人とも。湯を浴びて着替えてらっしゃいませ!」
シンは地下への扉をさし、オレとエリコに命令する。
オレとエリコは顔を見合せ、肩をすくめた。『逆らうまい』お互いにきっとそんなことを思ってからオレはエリコを地下の浴室へ案内した。
「シンって見た目によらず強いからなー。あいつ、気がついたらびびるだろーなぁ」
エリコはくすくす笑いながら濡れた服を脱いでしぼった。
オレが浴室に追いやろうとすると、オレを見上げてきた。
「どうしてもか?」
どうやら入浴が嫌いらしい。ちなみにオレはお湯の中でドラゴン形態になって泳ぐのが好きなので好きだ。
オレはエリコから服を剥ぐと浴室に放り込んだ。
その後、オレは入浴が嫌いになり、後々タウフィの『アスカ』を預けることになるエリコは入浴好きになった。
エリコはドラゴンを洗うという楽しみを見つけたのだ。
オレは泳ぐのは好きだが洗われるのは嫌いだ。などのような行程を経て、ちょっとした対照的な気分でいるオレとエリコを面白そうにモグラ形態のビノールが見比べている。
ビノールがつまんでいるのは蜂の蜂蜜漬け。エリコは蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキにかぶりついている。至福という文字が後ろに出てそうなほど幸せそうに。
オレはちびちびと笹飴茶をすする。
身体中がまだひりひりする。エリコによりにもよって、たわし(浴室掃除用の)で鱗の一枚一枚まで丹念に、きつく擦られたせいだ。石鹸が耳や目に入るわ、ひっくり返されるわで散々な目にあった。エリコの奴、鱗の枚数まで数えやがって。(途中で飽きていたみたいだけど)何度、火を吹きかけてやろうと思ったことか。
ああ、もう、オレって自制心あるよなぁ!
新品とはいえ、掃除用たわしで洗われたっていうのにさ。そんなオレの心境を知ってか知らずか、エリコは軽く言う。
「また、一緒にフロ、入ろーぜぃ。あ、ところでシンは? おれ、おれの服どこにあるのか聞いとかねーと」
オレは二度とごめんだな。と間違いなく思いながら答えた。
「あの子のところだろう。それと、二度と一緒に入浴なんかしてやるものか。たわしなんぞ使いやがって、まだひりひりするんだからな」
エリコはきょとんとした表情でオレを見た。
今エリコが着ているだぶついた赤い服はオレの服だ。夜空の蒼のような髪を持つエリコが着ると随分、明るい色合いに見える。
「けっこー、やわい? トカゲみたくに」
オレは硬直しながらその目の端で慌てているビノールを確認した。ビノールも昔オレのことをトカゲ呼ばわりしたことがある。あの時はオレも理解してないなりに怒ったものである。いや、十二分に怒る理由にはなるのではあるが、あくまで例えで出してきているものに怒るのは大人げない(オレはまだ子供だが)ではないか。
「子供なんだよ。まだ」
オレの言葉に納得するようにエリコは笑った。
「あっ、そうかまだチビッちいもんな。これからどんどん固くなってくんだろぉ。すっげーよなぁ」
感心されているのだろうが素直に嬉しくない。
エリコは小さなドラゴンに払う畏怖の念というものは持ち合わせていないらしい。オレはあと何年過ぎれば尊敬や畏怖の対象になれるのだろう?
オレは一息で笹飴茶を飲み干し、気楽そうに蜂蜜を舐めているビノールに視線を向けた。そろそろ切り出し時だ。
「おーい、ビノール。弟のお姑さんの住宅問題と彼との出会いの運びはどんな感じだったんだ?」
もちろん、にっこり笑顔付きで言う。エリコもわからないながらに好奇心をあらわにしている。
「おら、彼におねげーしただけだべ。そんだけだべ」
言いたくないとばかりにビノールはそれだけを吐き出す。よっぽど口にしたくないらしい。
「どんなふうに? 彼って?」
エリコが興味津々といった表情でビノールに問いかける。
ビノールは困った表情をしているが、エリコは気がついているふうがない。(あとで聞いたら『モグラの表情変化なんか見分けがつかない』とのことだった)
「おら、気が重かったんだべ。あんな狂言」
オレは首を傾げる。モグラ族はだいたい純朴で嘘などつかないものだ。そのモグラ族が狂言?
「おっか様とじっ様と嫁ごどんの家はあの貴公子様の別荘地の傍にあるんだべ。知らぬ貴公子様がそこに堀を作りなさーちゅうで、おっか様とじっ様はお困りだっただ。そんで、おらに貴公子様を説得して欲しいちゅわれたんだべ。おら、気がひけただども、弟の円満な新婚生活のためだべ。がんばっただよ、そりゃ、気はひけただどもな」
そんな気がひけるようなひどいマネをこいつはしたのだろうか? 第一、貴公子と言ってはいるが王様だということは承知しているに違いない。王に対して気のひける行為か。
「気が引けた?」
エリコの言葉にビノールは大きく息を吐いた。オレも答えを気にしているとわかっているのだろう。
「ちゃんとした、貴公子様だったべ。『月夜の乙女』の願いを断ったりしないで、古くからのマジナイを重んじてくれたんだべ」
『月夜の乙女』や『朝焼けの少女』、『霧の森の老女』は重んじるべき古き精霊種族でその願いを叶えればささやかな安らぎが訪れ、叶えねばいつか復讐を果たされるとされている。その『月夜の乙女』を騙るとは確かにいい度胸である。
確かに精霊種族と街人には認識されているが、けっこうビノールのような変身能力のある獣人や、幻惑の力を持つ妖精達であるというケースは多い。彼らが平和にことをすすめたいと思う場合の手段である。むろん、叶えられたならその恩は忘れないし、叶えられなければ(大体において住処を追われるということになるので)復讐もする。
「月夜の乙女?」
エリコがビノールの言った言葉を繰り返し、少し考え込む。
そして何か思い付いたように、にやっと笑った。
「わかった。その貴公子はお話の他の貴公子と同じ様にその『月夜の乙女』に惚れたんだ。乙女が男とも知らずに」
オレはエリコの物言いに首を傾げる。同時にその『お話の貴公子達』のことを知識のるつぼの中から探りだす。たいした手間ではない。ほんの一瞬だ。
『お話の貴公子達』とは古くから『乙女達』を伝える話に出てくる願いを叶える王子と乙女の恋物語に出てくる王子達のことだ。
事実乙女に惚れた王子が乙女を妻にするケースもあった。実際の多くが悲恋に終ってはいるが。
種の問題や、身分、権力闘争に精霊達であればまず堪えられない。精霊達は独特の規律に応じているのだが、街人にすれば自由奔放なる種なのだから。まず、相容れにくい。ま、今回のような性別による悲恋(しかもこの場合、貴公子様の完全なる片思いだろう)と言うケースもあったろうし。
「なぁるほど。罪な奴だなぁ。ビノール」
オレがそう言うと罪悪感はあったらしいビノールはしゅんっとうつむいてしまった。
ちょっと気まずくなってオレは外に意識を向けた。雨はまだ降っているのだろうか。
澄ました耳に雨の音が響く。雨足はどんどん強くなっている。川が増水気味なのか、水妖がはしゃぐ気配が感じられる。街中の窓や扉は固く閉ざされ、野宿をする者は高い住居の階段に避難している。逃れきれなかった野良犬の鳴き声が雨音に混じって切なく聞こえてくる。水を跳ね上げる音。雨の夜の逃走劇。どこかで剣戟の音も聞こえる。これ幸いと死体を投げ棄てる音。これから少なくとも一晩は降り続けるであろう雨がすべてを流し去ってくれるのだ。死体の始末や不要な盗品の始末にこれほどうってつけの日はない。
「おら、二度と会うつもりはなかっただよ。おらはおなごじゃねぇだし、こっからは離れているだから」
ぽつっと気が重そうに言い訳するビノールにエリコが笑いかけていた。
「気にすんなって。騙されているヤローが悪いんだからさ。あ、今度、目の前でその変身魔法見せてくれよ。ちゃんと黙ってからさぁ」
エリコがビノールに対し明るく言う。今やエリコの興味対象は貴公子のことから『変身魔法』へと切り替わっている。
「次に彼が来てもその姿のままでいればいい。気が付きはしないだろう」
オレはひとつ解決策を提示しておく。カイザーが恋したのは『月明かりの大地の乙女』なのだから。オスモグラではないことは確かだろう。
ビノールはぼんやりと天井を仰いだ。
「そうだべなぁ」




