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  作者: とにあ
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散歩



 結局ビノールを問い詰める事はできなかった。

 昼下がりの街にいくらか入った財布を片手に繰り出したからだ。

 2ヶ月。この街に半分暮らすようになって2ヶ月過ぎたが実はオレが街を歩くのは初めてだ。と、いうか、借りているこの建物から出るのがはじめてなのだ。

 カイザーの別宅に行った時も街は経由していない。

 4人もの保護者(兄・シン・信天翁・ビノール)付きではあるが街に繰り出すという誘惑にオレはビノールを問いただすことを忘れたのだ。

 兄と信天翁とビノールは元々保護者を気取っているし、シンにはオレが100才くらいになるまではどちらかというと従者というより保護者気分があるらしい。

 シンは従者にして保護者。『別に保護者なんか』なんてやぼなことは言うつもりはないし。実際にはこの4人にケリアスと言う立派な保護者も付くのだから。おや? 5人も保護者。しかも保護者気取りの奴なら他にもいるというのだから、オレって愛されているって感じだろう。

 薄暗い路地。かつては明るかったろう石畳は今や色あせて、所々に染料をこぼしたような色が染み付いている。

 向かいの建物は5階建。このタウフィでは大体平均的な高さだ。オレの借りた建物が平均より低いのだ。低く、かつ見た目より狭い。(壁が異様にぶ厚いせいもある)だから安かったとも言う。でも防音や気密性は高いので満足。それにあんまり使ってないし。

 水上都市と言うわりに空気は結構乾いている。

 あの路地の先はもう、繁華街だ。

 夜の繁華街にも興味を覚えるけど昼も捨てがたい。

 オレは路地の先に見える賑わいに胸を高鳴らせた。なんて楽しそう!

 駆け出しかけたオレを引き止めたのは兄の声だった。

「ヴィール。一人で行く気かな? やれやれ、薄情なことだ」

 しみじみと言う兄の声にオレは足を止めた。

 ちょっと恥ずかしい真似をしたとすぐわかる。

 オレはひとつ息を吐いて気分を落ち着かせた。

「ごめん。好奇心が抑えられなかったんだ」

 兄は優しく笑って手を軽く振る。『かまわない』と言う意味だ。

 オレはほっとした気分になる。

 そんなオレの手をシンが軽く握る。見下ろすとシンはにっこりと微笑んだ。

「ご一緒いたしましょう。我が君様。普段シンが行っておりますお店もご紹介いたしますわ」

 みつあみをほどいた銀の髪が仕草に合せてふぅわり揺れた。

 淡い黄緑の瞳でオレを見つめてくるシンは実際には年上なのだが、どうもそうは思えない雰囲気をもっている。

 頷いて見せた視界の端にまだ落ち着けないでいるらしいビノールが映った。その横でアノス兄さんが何かビノールに話しかけている。兄さんの横で信天翁は『ご説ごもっとも』という顔で何度となく頷いている。

 その会話が気になるがその声は聞こえない。兄さんの使う風の魔法か何かだろう。聞きたいことも聞けない自分の未熟さが情けない。

 見ていることに気がついたらしい兄がオレに笑いかけてくる。

「さぁ、行こう。モール。君も少し気晴らしした方がいいだろうからね」

 そのまま街に繰り出した。

 色鮮やかなオレンジと白の市松模様の石畳。淡い黄色やオレンジ、夕日の色や茶色の壁の5階建から6階建の建物が立ち並ぶタウフィの街並。そして本当に色とりどりの看板が釣り下げてある。

 路地を一歩出た瞬間あたりからいろんな匂いが漂ってくる。

 甘い砂糖衣の魚のすり身の団子。卵と小麦を混ぜて焼いたものの上に薄い木苺ジャムをのせたお菓子。甘い蜜飴玉などを売る菓子店の甘い匂い。香木の香りを染み込ませた匂い袋やおしゃれ感覚の護符の類を売る法具屋。もっと高度な護符や魔術具を売る法具専門店からはちょっと控え目な、それでも怪しげな匂いが流れてくる。(イモリの黒焼きやロバの匂いだろう)

 通りにかかっている看板はたくさんある。一階部分の店は控え目な小さな看板。上層部にある店の看板ほど派手になっている。花屋の看板や火を使って料理する料理屋の看板は一階部に多く、法具屋や香屋や衣料店は上層階に多い。占いの店などは最上階になっている場合が多い。

 そして看板ばかり眺めているとスリの被害に遭い易くなる。

 シンが一人の少年の手を軽々と捩じり上げた。

「いけませんわよ」

 シンはにこりと少年に微笑みかけて見せる。多分オレの懐に手を伸ばそうとした少年だろう。少年がシンの手を振りほどこうと必死にあがいている。

 薄汚れた感じの少年はいつもこんな生活をしているのか傷だらけだ。

「放せよっ! ばばぁ!」

 シンは気にしたふうもなくにこりと微笑む。

「もっと、狙い易い方を狙いなさい。もし、次に私達を狙いましたら、容赦いたしませんわよ」

 そしてパッと少年の手を放した。他の相手を狙えって……シン。そんなふうに思っているオレに気がついたのかシンはオレに微笑んだ。少年はうったお尻と捩じり上げられていた手をさすっている。

「同情は空腹を癒しませんし、望まれぬことですし、この子はこれからも生きていかなくてはいけないのですし、私達が今だけこの子に同情をおくってもこの子のためにはなりませんわ。この子の自尊心をむやみに傷つけるべきではありませんわ。この子はまだ物乞いではありませんもの」

 シンはそう言ってにこりとオレと少年に微笑みかけた。

 少年は逃げることもできず、シンの言葉を聞いていた。

「ば、ばっきゃろー」

 ようやく立ち上がった少年は捨てぜりふを吐き、街の雑踏へ紛れていった。

 シンはその様子をふぅわりした笑顔で見送った。

「まいりましょう。我が君様」

 見送って思った。彼、カイザーはあのような少年を減らそうと力を尽くしている。だがあのような子供達にはなにが必要なのだろう。

 汚れて傷だらけの少年。スリをしなければ生きてもいけない。他の生き方を知らない。生きるための行為はすべてが尊い。別に同情したところですべてを当然ながら救えるわけではない。誤った手を差し伸べるなら自力で生きているという自尊心を傷つけもするだろう。自尊心は尊重すべきものだ。

 カイザーが民に要求することは働くこと。働くための技術を持つこと。有益な技術と才能。

 多くの者がその要求に答えるから、カイザーはなおさらに教育と安定した生活を用意することが出来る。

 税金を使って作られる学校、孤児院、施療院、牧場に研究施設。宗教に対する助成金。優秀な子供に対する学資補助。生活補助。大陸統一戦争は終り、全てのことは始まったばかりだ。そしてカイザーの寿命が尽きるのはもうじきだ。

 戦はあの少年のような戦災孤児を増やし、農地を荒野とかさせ、貧困と混乱を人々に与えるのだ。いくつかの施設は残るかもしれない。それはささやかすぎる慰めだ。

 街を散策する楽しみがいつの間にか萎んでいる。

 オレには何もできない。もし、何かしても、そのしてしまったことに対する責任をとれる自信がない。同情することは容易い。理解することは難しい。

 オレはひとつ息を吐いた。無力だ。

「シン!」

 通りのいくつかある人垣の中から一人の少年が駆け出してきた。さっきの少年とさほど変わらないであろう年頃だ。

 シンはその少年を見つけて微笑んだ。

「あら、エリコ。今日は元気?」

 少年は手に持ったカードを片手でいじりながらシンに見せた。

「あったりき! シン。今度デートしようぜ。ちゃんとおごるからさ。新しく覚えたゲームの勝ち方だってシンとケリアスねーちゃんにだけなら教えてもいーしさっ」

 シンがエリコと呼んだ少年は楽しそうに言ってカードを右から左へと器用に移して遊んでいる。シンがくすくす笑っている姿に少年は満足そうに笑うとようやくその背後に気がついた。

 オレを少年はじっと見る。いや、睨みつける。

「あんた、誰。シンのなに?」

 敵意のこもった物言い。それでもオレは少年、エリコが気に入った。

 叱ろうとするシンをオレは押し止めた。ちょっとした悪戯心だ。

「ケリアスとシンの特別な存在。かな」

 嘘ではない。ただの知り合いではないし、二人ともオレの保護者を気取っているが、オレの従者だ。従者にとって主君は一応特別な存在になるはずである。


「シン?」


 少年の問いかけにシンは答えようとした。『本当ですよ』と。ただオレはその前に口をもう一度開いた。

「家族、だからな。はじめまして。シンのお友達。オレとも友達になってくれると嬉しいかな」

 少年は泣きそうになっていた自分の顔を袖で拭った。

「シンの兄さんなの?」

 オレは軽く首を横に振った。

「ちがうよ」

 少年に答えたオレの目の前に砂糖衣の捻りパンがふたつおりてきた。

 見上げた先に兄さんがいた。兄さんはにっこりと笑ってオレと少年にひとつづつパンを渡した。

 ためらう少年に有無を言わせぬ笑顔を兄さんは向けた。

「血の繋がりだけが家族ではないよ。見た目がすべてではないしね。今日はうちの弟と遊んでやってくれないか、少年。これはその駄賃だ」

 事情と展開のわからないオレが兄さんを見上げていると兄さんはオレにもにっこりと笑いかけてきた。

「少々、ことが切迫しているらしい。呼び出しでな。今日中にもう一度これたら探し出すから好きに遊んでおいで」

 信天翁のそばに一人の女がいた。つややかな黒髪の女だ。そしてその背には漆黒の翼が伸びている。間違いなく有翼の民だ。兄が自分の民のために動くことは当然だろう。しかたがない。

 兄さんは少年の頭を軽く撫でて小さな袋をひとつ渡した。


「頼んだよ。少年」


 頼んだよって。シンもビノールもいるのにそれはないと思う。信天翁はきっと兄さんについていくのだろう。実際オレに軽く一礼し、兄に付き従った。


 少年は袋の中を覗いて迷わずシンに渡した。きっと財布だろう。

 遊ぶ気は萎えていたし、兄さんまでいないのならつまらない気もする。帰ろうかなという思いが頭をかすめる。

 その日兄さんは帰ってこなかった。でも、オレは結局その日一日とても楽しんだ。

 エリコとも仲良くなってダイスをつかった賭けやカードの上手なきり方を教わった。シンとビノールには呆れられたが(ビノールは最初のうちは感心していたのだが次第に……)、一番エリコに教わったのは安くておいしい店や商品の値切り方だった。







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