↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
成長(仮)  作者: はっとん
PR
2/2

第2話:『ちーちゃんと呼ばないで』

 仕事帰りに居酒屋で引っかける一杯も悪くないが、私は何よりも、我が家の居間で缶ビールのプルタブを引く瞬間が好きだった。

 今年で中学1年になった息子は、最近どういうわけか、私とあまり目を合わせなくなっていた。話しかけても「うん」とか「別に」とか、生返事ばかりだ。妻は「そういうお年頃なのよ」と笑っていたが、私はさして気にしていなかった。私にとっては、あいつがどれだけ背が伸ようが、声が低くなろうが、小学校に上がる前のあの小さくて愛くるしい「ちーちゃん」のままであり、目に入れても痛くない、自慢の息子だったからだ。

 だからあの日の夕方、駅前のロータリーで、あいつが学校の友達と数人で歩いている姿を見つけたときも、私は純粋に嬉しくなってしまったのだ。

「おーい、ちーちゃん!」

 私はブリーフケースを片手に、大きく手を振って、無邪気な大声をあげた。

 あいつはビクッと肩を揺らし、こちらをチラリと一瞬だけ見た。だが、次の瞬間には何事もなかったかのように前を向き、そのまま友達と一緒に足早に歩き去ってしまった。

 私は振った手の置き所に少し困りながらも、「ハハ、友達の前だから照れてやがるんだな」と、あいつの一人前の羞恥心をむしろ微笑ましく思いながら家路についた。

 その夜の夕食の席、私は上機嫌でビールを喉に流し込み、妻に向かってその話を切り出した。

「今日さ、駅前でちーちゃんが友達と歩いてるのを見かけてさ。おーい、ちーちゃん!って大声で声かけたんだよ。そしたらあいつ、こっちをチラッと見ただけで、完全に知らんぷりして歩いていっちゃってさ。友達の手前、恥ずかしかったみたいなんだよな。ハハハ、あいつもう一丁前に照れるんだよ」

 私が笑うと、食卓の空気が、まるで見えないガラスの壁が建ったかのようにピキリと凍りついた。

 横に座っていた息子が、箸を握ったまま、顔を伏せて完全に硬直している。その耳の裏が、見たこともないほど真っ赤に染まっていた。

 不思議に思って妻の顔を見ると、妻は箸を膳にピタリと置き、底冷えのするような冷徹な目で私を睨みつけていた。

「あなた、本当に気づいてないの?」

「え? 何がだよ」

 私はビール缶を持ったまま、きょとんとして声を返した。妻は小さく、けれど重いため息をついて言った。

「あの子、もう家の中でもあなたのことを『お父ちゃん』なんて呼ばないわよ。ずっと『ねえ』とか『あのさ』で済ませてるの、気づいてなかったの?」

「いや……それは、ただの反抗期だろ」

「違うわよ。外で、それも友達と一緒にいるときに、父親から大声でそんな幼児みたいな名前で呼ばれたら、照れくさいなんてレベルじゃないわ。あの子が学校でどれだけ必死に自分の立場を作ってるか、あなたには分からないの? 自分の可愛がり方しか見えてないのね」

 妻の放った言葉の刃が、私の胸を深く、残酷に抉った。

 慌てて息子を見ると、あいつは一度も顔を上げないまま、機械的な早さで残りの白飯を口にかき込み、「ごちそうさま」と低く掠れた声だけを残して、逃げるように自分の部屋へ籠もってしまった。

 手元に残ったビールの缶が、急にひどく重く、そして冷たく感じられた。

 その夜遅く。テレビの消えた暗い居間で、私は一人、ぬるくなって泡の消えたビールの残りをじっと見つめて座っていた。

 ガチャリと玄関のドアが開き、夜を吸い込んだような冷たい空気と一緒に、息子が帰ってきた。塾の帰りだった。

「おかえり、ちー――」

 いつも通りに呼びかけようとして、私は自分の口を、慌てて手で塞ぐようにして閉ざした。もう、あの名前を呼んではいけないのだと、脳ではなく本能が理解していた。

 私の目を避けるようにして、黙って居間を通り過ぎようとする息子の横顔を、私は食い入るように見つめた。

 暗がりのなかで、息子の肩幅が、いつの間にか私の記憶にあるものよりずっと広く、骨張っていることに気がついた。うなじの髪の隙間から見える首筋も、もう幼児のそれではなく、完全に「一人の男」の太さを持ち始めていた。

「……ただいま」

 息子は私を見ず、低く、重い声でそう呟いた。

「おう」

 私の口から出たのは、情けないほどに小さく、掠れた、ただの音だった。あいつはそのまま、二度と振り返る合図をくれないまま、廊下の奥へと消えていった。

 私は一人、ビールの缶を握りしめながら、暗闇の中で激しい敗北感に震えていた。

 子どもの成長は、親にとって何よりの喜びのはずだった。しかし、あいつが「ちーちゃん」という私の愛を必要としなくなり、一人の男として外の世界へ歩み出してしまったという事実は、耐え難いほどの寂しさを伴って、私の胸に重くのしかかっていた。

 私は力(ちから)に、置いていかれたのだ。その厳然たる真実を、私は夜の静寂の中で、静かに、静かに噛み締めるしかなかった。

(第2話・了)

親は子の成長を見守っているようで実は自分が親らしくなる成長も一緒にしているところなんです

とくに父親は母親に比べて自覚し辛いもので

母親は身をもって子を育む期間中ずっと母親になる準備をしてる

父はある日を境に子の親になったと実感するが急に親にはならないものなんですよね

又機会があったら母と父の違いについて書いてみたいな

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。