七之七
普賢丸の膂力は十兵衛のそれを凌駕している。ぐいぐいと押される三池典太はすでに首元に迫り、敵の刃が頬に触れそうだ。
その時。
十兵衛の視界の端に影が飛び込んできた。
「十兵衛殿!」
叫んだ声は箏太郎である。
どうしたわけか、普賢丸の緊縛の術をはねのけたのだ。
十兵衛はさっと後ろに飛びのいた。
箏太郎が、普賢丸と十兵衛の間に割りこむ。
裂帛の気合いとともに、箏太郎は刀を振りおろす。
刃は、普賢丸の左肩からはいって心臓まで食いこんだ。
十兵衛の目には即死したように見えた。
が、境内に血の池を作りつつも、普賢丸は、にっと笑うではないか。
普賢丸は後ろにそっとさがると、身を翻して走りだす。
血を撒き散らしながら、境内を駆け、何気ない様子で多宝塔の二層の屋根の天辺に飛びあがった。
「この程度のことで、我は倒せぬぞ」普賢丸は高らかに笑う。「我に取りついているのは、白沢。今までお主らが闘ってきた六道冥衆などとは比べ物にならぬほどの神獣よ。これくらいの傷なんぞ、たちまち癒えるわ」
五丈(十五メートルほど)の高みから、普賢丸が言った。
六道冥衆に取りついていた妖魔とは、格が違うと言いたいのだろう。どうりで年上の六道冥衆たちと、対等以上の立場でものが言えたはずである。
たちまち癒えると言うとおりに、裂けていまにも肩から垂れ落ちそうになっている傷口から、細い神経のようなものが無数に蠢きだし、傷の両側を繋ぎ始めている。
そうして辺りを見回し、何かを見つけた様子で普賢丸は叫んだ。
「おおい、皆の衆、こっちじゃ。中納言様をかどわかした者どもがここにおるぞ、はようきやれっ!」
言い終わらぬうちに、馬蹄の音を響かせながら、十騎の騎馬の士が仁王門をくぐって境内に入ってきた。
「では、柳生十兵衛、さらば」
そう言って、哄笑とともに、普賢丸はふっと灰色の空に溶けるように姿を消した。
十兵衛はそれを見て、歯噛みしたが、それよりも、我が身を守らねばならぬ。
馬を飛びおりた侍たちが抜刀し、地響きたてて、たちまちのうちに十兵衛と箏太郎を取り囲む。
「殿はいずこにおわす」
「いずれ野盗のたぐいであろう」
「手向かいいたすな」
「勝ち目はないぞ」
侍たちは口々に言いながら、切っ先を十兵衛たちに突きつける。
――さてどうする。
十兵衛は考えた。
自分ひとりなら、囲みを突破することなどたやすい。だが、箏太郎もいる。照潤と穂波を見捨てることもできない――。
ここはおとなしく投降するより他に道はないだろう、と刀を捨てようとした時であった。
「者ども静まれっ!」
叱声が境内のむこうから飛んできた。
一同がいっせいに振り向き見れば、普賢丸が去ったことにより緊縛の解けた義直が階の上に立っている。
「余を裏切ったのは、芦津普賢丸である。その者らは余を守ってくれたのだ。刀を納めよ!」
侍たちが納刀し、十兵衛と箏太郎も刀を納め、階の下にかしこまる。緊縛の解けていた照潤と穂波もそれにならった。
「余を謀りおってっ。まこと業腹なことよ、普賢丸めがっ!」
義直は地団駄を踏んでくやしがった。
「おそれながら」十兵衛が言った。「妖魔は人の心の闇に取りつくものです。邪悪な心が強ければ強いほど、高位の妖魔が取りつきます。そのような邪な心をもった者を、お側近くにおいておいたのは、中納言様の過ちに他なりません」
「おのれ、ここまできて余に対する苦言をやめぬか、十兵衛」
十兵衛は平然として顔をあげている。
が、義直は笑った。
「よい、赦そう。されど、普賢丸はどうする。あやつがもち去った銅鏡はいかがする」
「されば、あそこにいる馬をお貸しくだされたくぞんじます」
「追うか」
「はい。かの者は、武田家に伝わる鎧、真盾無を手に入れにゆきました。ならば、ゆく先はおそらく甲州でございましょう」
「まて、十兵衛。そういえば、あの者はかつて、埋蔵金は躑躅ヶ崎館にあると言ったことがある。行ってみよ」
「ははっ」うなずいて十兵衛は立ちあがり、「しからば、ごめん。中納言様には、なにとぞご壮健で」
十兵衛は踵を返し、箏太郎、照潤、穂波もその背を追った。
十兵衛は箏太郎に振り返った。
「そういえば、箏太郎、あの時、よく金縛りの術を解けたな」
「はい、父の仇を討とうと、必死で」
「ははは、気合いだけで妖術を解くなんて聞いたことがない」
そう言って十兵衛は馬にまたがった。三人も次々に馬に乗る。
「ではゆくぞ。敵は躑躅ヶ崎にあり!」
十兵衛は馬腹を蹴った。
馬は一声いななくと、走りだす。
四騎の若者が荒涼とした大地を駆ける。
ゆく手に広がるのは、暗く寒々しい鈍色の空であった。




